四百二十七話 Merci à vous. 

龍に見立てた素晴らしい花が送られてきて。
添えられたカードには。

Merci  pour longtemps!

Nous  étions contents avec vous.

とある。
まったくもって恐縮なのだけれど。
ここはひとつ仏語で返すことにする。

Merci pour une fleur.
Merci pour longtemps.
Merci pour une grande sensibilité.
Je vous remercie surtout, de m’avoir accepté si aimablement chez vous.

多分、無茶苦茶な仏語だと思うけど。
とにもかくにも、Merci  です。

龍みたいな花って?これ、ブロッコリーじゃねぇの?さすが!

 

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四百二十六話 禁断の靴

過ぎた感情を注ぐのは良くない。
出来る限り平静であるべきだろう。
そう心掛けてきたし、実際そのようにしてきたつもりである。
この稼業に就いてモノと向き合っていく術についての話なのだが。
“ 好き ” の一念だけで続けていけるほど気楽な稼業ではない。
モノとヒトとの間合いをどうとるのか?
これが意外と難しい。
時に、こうして惑うことも。
僕が引退したその時に履こうと大切に仕舞ってきた靴がある。
八年前、Authentic Shoe & Co. の竹ヶ原敏之介君が仕立ててくれた。
木型から裁断、吊り込み、縫い、最終仕上げの磨きまで。
一〇を超える製靴工程の全てを本人の手で熟した手縫靴だと聞いた。
“ WINCHESTER ”
執拗に施された無数の Brogue と呼ばれる穴飾りが靴を覆っている。
元々 Brogue は、アイルランド地方やスコットランド地方の労働者達が履く靴に空けられていた。
頑強だが、粗末でもあった労働靴に用いられた手法で、飾るための穴ではない。
湿地での労働から産まれた工夫で、通気と水捌けが狙いだ。
館に暮らし、絨毯と芝生の上しか歩かない貴族の靴にはこんな穴は見られなかったはずである。
だとすると、この靴は労働者の作業靴なのか?
この穴飾りが施されていなかったとしたら、この靴はまったく別の意味合いをもつ。
優美な曲線を描く木型を基に仕立てられた靴は、Oxford という名で知られている。
一九世紀の英国で、Albert 公爵が好んで履かれていた靴なのだと聞く。
内羽根式のそれは、正当な血統と格式を備えた貴族の足元を飾るにふさわしい靴といえる。
何故、竹ヶ原君が  Winchester と名付けたのかは知らない。
僕的には、“ Oxford Brogue ” なのだが。
いづれにしても、妙な靴である。
北の労働者と南の貴族の暮らしが一足の靴に同居しているのだから。
ある種の Snobbism なのかもしれない。
もちろん、こんな靴は他に無いのか?と問われれば、それは存在する。
ただ、穴飾りが執拗であればあるほど、木型や仕立てが優美であればあるほど、奇妙さは際立つ。
竹ヶ原敏之介の仕事は、まことにクドい。
徹頭徹尾、とにかく徹底的にクドいのだ。
そこまでやらなきゃもっと売れるのにと言っても、やめない。
そうやって仕立てられた靴も、これまたクドクドとなんやかやと語りかけてくる。
では、靴職人竹ヶ原君本人はどうかというと。
どうでも良いことは、なにも喋らない。
肝心なことも、なにも喋らない。
だから、大抵のひとにはなにも伝わらない。
ただこのおとこのクドい靴に一旦嵌ると、もう他の靴を履くのが嫌になる。
僕は、“ 禁断の靴 ” と呼んでいるのだが。
おとこにとっての靴は、おんなみたいなもんだと思っている。
あっちの靴、こっちの靴と、いろんな靴職人の靴を渡り歩くひとがいるが。
こういうひとは、大体に於いておんな癖が悪い。
ちゃんとしたおとこは、自分が信じるに足る靴職人を探して。
巡り会えば、その靴職人が仕立てた靴を履き続けていくものなのだと思う。
もし、それが性悪であったとしても、それはそれで仕方ないのだと諦めて付合うしかない。
Musée du Dragon は、ずっと竹ヶ原敏之介の靴を扱ってきた。

そして、僕自身、これから先も終生履き続けるつもりでいる。

 

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四百二十五話 怖れ

店屋にとっての客とは?
僕は、養い親だと思っている。
今の Musée du Dragon が在る同じ場所に父親が婦人服店を構えたのは一九七六年の事である。
営んできた四〇年の間、多くのお客様がお越しになられ、服の代金として銭を置いていかれた。
その銭が、家族の暮らしにとって糧となり今があるのだ。
三度の飯を食い。
学校に通い。
夜露を凌ぐ住処を建て。
ちょっとした贅沢まで。
そんなことが、この歳になるまで許されてきたのである。
店主だけではない、従業員だって皆そうだろう。
これは、有難い話ではあるけれども一方で怖い話でもある。
御客様には、われわれを養っているという意識はない。
そんな義理も義務もどこにもないのだから。
服がつまらなければそれまでのことである。
そうなると、暮らし向きは悪くなり、下手をすれば路頭に迷う羽目に陥る。
代金に見合った値打が提供出来るという自信と覚悟があるのか?
自問すると、その度不安になる。
ずっとそうだったし、先日もそうだった。
Musée du Dragon には、二〇歳代の顧客様は数えるほどしかおられない。
これだけの値段なのだから、それはそれで仕方ないことだとは思っているのだが。
山形出身で静岡に勤められているその顧客様は、昨年大学を出られて就職されたばかりの方だった。
数ヵ月前に二〇万円近いコートを注文戴いて、年明けに大阪まで引取りにお越しになられる。
他に用事はなく、そのためだけに。
帰省されている山形からか?勤務地の静岡からか?いづれにしても遠方には違いない。
発送を申し出たが、Musée du Dragon が閉じると聞いてどうしても伺うとのことだった。
失礼ながら。
コートの代金はもちろん。
その上に交通費だって勤められて間もないのであれば馬鹿にならないのだろうと思う。
今晩のお泊まりはと訊くと。
近くのサウナで過ごされるらしい。
ちょうど店内が混み合っている時で、碌にご挨拶も出来なくて。
それでも、仕立上りに納得されておられるか?否か?が気になる。
親子ほど歳の離れたこの顧客さまに、ちゃんと向き合えるほどの仕事ができたのだろうか?

そう想うと、幕を引く今となっても怖いものは怖い。

 

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四百二十四話 恩人の大事

二〇一六年一月三一日 Musée du Dragon は幕を閉じる。
皆様にお礼のご挨拶を申上げて、扉を閉め、看板を降ろす。
そうなるんだろうと思っていたし、実際にそうなるだろう。
しかし、ここに至ってそれだけでは終われない事態となった。
お越しになられて、その日にはどうしても伺えないと告げられる。
その理由は。
病が発覚し、緊急の手術に臨まなければならなくなった。
なので、今日挨拶に来た。
訊けば、入院される二日前だったらしい。
これ以上のことは、こんな馬鹿 blog で明かすことはできない。
それでも、こうやって綴っているのは多分病室でお読みになられているだろうから。
服屋の亭主なんぞ無力なもんである。
な〜んにもできやしない。
糞の役にも立てない。
情けないけれど、こんなものを書くより仕方がない。
振り返れば、この方にはほんとうにお世話になった。
調子の良い時も悪い時もずっと支えられてきたように想う。
Musée du Dragon にとっては、間違いのない恩人だった。
もちろん僕にとっても、心強い理解者だった。
そして、これから先も理解者であっていただきたいと、そう願っている。
挨拶にお越しいただいた時、僕はお世話になった御礼を口にしなかった。
大人気ない失礼な態度だったかもしれない。
だけど、今はそういったやりとりをする時ではないと思う。
根治されて、お元気になられて、すべてはそれからだろう。
その日まで、お預かりした服を抱いてお待ちするつもりにしている。
顧客さまに。
ご注文いただいた服をお渡しして。
勘定をさせていただいて。
代金を頂戴して。
御礼を述べる。
数え切れないほど繰返してきた一連の常道を終えるのは、もうしばらく先になるだろう。
なので、僕にとって、Musée du Dragon のほんとうの閉店はその日だと思う。
この顧客さまと僕は同じ歳だ。
偉そうなことを言っても似合わないが。

人生に面倒はつきものです。
次から次へと面倒に見舞われて、その面倒をひとつひとつ片付けながら前へと進む。
病だって面倒のひとつみたいなもんです。
新たな面倒と向き合った時には、かつてない厄介なもののように構えますけど。
乗越えてしまうと、それまで片付けてきた面倒とたいして変わりなかったと気づきます。
この度の面倒もきっとそうです。
とっとと片付けてください。
まぁ、この歳になると面倒も堪えますけど。
面倒のひとつもない人生なんて糞ですよ。
だから、頑張ってください。

明日の首尾が上々でありますように、心より願っております。

 

 

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四百二十三話 義父が愛した港街

朝、新聞を読んでいると。
神戸港の貨物取扱量が、震災以前と比べてほぼ同量までに回復したという記事が載っていた。
加えて来航する外国客船の年間入港数も過去最高を記録したらしい。
二一年前。
一九九五年一月一七日の阪神淡路大震災から一ヵ月ほど経った頃だった。
義父が、実家である海辺の家を片付けに帰ってきた娘に言う。
「港が見たい」
不自由な身体となっていた義父を車に乗せ国道二号線を東へと向かう。
国道の両脇には瓦礫が積み上がっている。
ずっと馴染んできた神戸の姿とはまるで違っていて。
聞いただけに過ぎない神戸大空襲直後の様子の方がまだ眼前の景色に近い。
長田を過ぎ、兵庫を過ぎ、元町に差掛かると神戸の港が見えた。
「もういい、戻ってくれ」
気落ちした父親にかける言葉がなっかたらしい。
後になってそうだったと嫁に聞いた。
義父は、神戸港湾施設の新鋭化を最後の仕事として深く関わってきた人だった。
埠頭に最大級の検量設備を建設しようと奔走していて。
その最中、会議中に脳梗塞で倒れる。
それでも、港が見下ろせる病院最上階の病室に陣取って指揮を執っていた。
端迷惑な話だが、病院でも怒鳴り声は絶えなかったという。
そうやって、絶対安静という治療方針とはほど遠い入院生活を送っていたのだが。
遂にそのツケを払うことになる。
二度目の梗塞が義父を襲う。
これで、普通のひとは万事休すなのだが。
左半身が不自由になっても、杖をつきながらあれやこれやと怒鳴っていた。
そして計画に道筋が立つと、今度はあっけないほど簡単に身を引いてしまう。
一旦身を引いてしまった後には。
俺はこれをやったとか、あれをやったとか他人に言って聞かせることは終生なかったように思う。
無茶苦茶やって、大酒を喰らい、なにを格好つけてんだ!と僕は思っていたけれど。
ガキの頃からなにかと良くしてくれたし。
不思議と馬も合ったし。
他人が言うほどに怖いと思ったことも一度もないし。
なんとなくだけど、好きだった。
そんな義父の夢は、ほんの一時ではあったが叶った。
しかし、残念ながら義父の心血も天災には敵わなかった。
神戸港湾施設は、壊滅的な打撃を被り二〇年もの低迷期を味わうことになる。
その港が復活したというのだから、これは嬉しい。
神戸っ子とも呼ばれる神戸人にも、その他の地域同様に気質というものが備わっているように思う。
飄々としていて、必死に努力している姿を晒そうとはしない。
適当で、能天気なようにも映る。
だけど、震災後、神戸っ子が舐めた辛苦は並や大抵のものではなかったろう。
その末に、今のこうした港の姿があるのだと想うと、それはもう立派だったとしか言いようがない。
今月一四日は義父の祥月命日で、一七日は阪神淡路大震災から二一年目の追悼日にあたる。

今年の祥月命日は、港の復活を祝って菩提寺で祝杯といくか!

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四百二十二話 即興のCLIMAX HAT ?

 

昨年の秋頃だったと思う。
帽子デザイナーの三浦さん御夫妻から、なにか一緒に創りませんか?とお誘いを頂戴した。
奥様のよしえさんは、帽子職人として長い経験を積んでこられた方で。
自身のブランド Pole Pole として、独特の作品を世に出されている。
知合いのデザイナー達が Pole Pole の帽子を愛用していたし。
好んで被られている顧客の方もおられたりして、そのお名前と仕事振りは以前より存じあげていた。
だけど、お逢いしたことはなく御主人の慎太郎さんともこの時が初めてだった。
当然、Musée du Dragon との取引もない。
それに、年明けには幕を引くつもりだったので、それまでに製作するとなると肝心の時間がない。
どちらにしても、この仕事で始めてこの仕事で終えるという一作限りのお付合いになってしまう。
本来なら丁重にお断りすべき状況なのだが。
お互い世代が同じだったせいもあって、とにかくやってみましょうか?ということになる。
生地を新たに織る時間的余裕はないので、ヴィンテージのリネン生地を縮絨して表地に。
裏地には、ちょっと理由ありの生地を用いる。
実は、僕の母親はかつてオートクチュール・ドレスを収集していた。
De’ d’or 賞を受賞した Jules Francois Crahay の作品など一九八◯年代のコレクションが中心である。
その母も九◯歳近くになり、背中の開いたドレスを着て人前に立つことももうない。
着物と違って、代を継いで譲るものでもない。
今となっては、誰にとっても無用の逸品となった残念な代物である。
ならば、解体して帽子の裏地にしてみようか?

こんな風に。
巴里モード界が最も華やかだった時代の証をひっそりと帽子の裏地に仕込んで頭に掲げる。
意外といけるかも。
帽子製作に関しては、その全てを三浦よしえさんにお任せした。
デザインの相談もしない。
試作品を前にして修正検討することもない。
生地の裁断から仕立てまで全工程を手作業で 一気に進めていく。
Improvisation (即興演奏)的一発勝負!
捩ったように立体裁断されたクラウンは、高めで自在に山のかたちをつくれる。
鍔には芯地は貼らず、縁に仕込んだワイヤーで好みの形状に可変させる。
僕が言うのもなんだけど、さすがだと思う。
雑に扱えて、ラフ過ぎず少し古典的風情をもった気取りのない帽子を。
言ってみるもんだ。

感謝です。

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四百二十一話 最期の初売り?

明けましておめでとうございます。

旧年中は本当にお世話になりました。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
と、言いつつ Musée du Dragon の幕を閉じるまで残すところ後一ヵ月となりました。
最期の初売りというのも妙な言い回しですが、一月三日の日曜日から始めさせていただきます。
初売りでは、 Musée du Dragon らしい逸品を披露するつもりでおります。
Authentic Shoe & Co. の竹ヶ原敏之介君とこの日のために創った CRIMAX Brogue Belt です。
お陰様で大勢の方からご予約を賜りまして、店頭にお出し出来る本数が限られてしまいましたが。
まだ、一◯本くらいはあるんじゃないかなぁ。
Belt の最終仕上げに年末の三◯日まで掛かったので、午前の初荷到着を待って販売いたします。
年明け早々で恐縮ですが、お待ちしております。

それでは、あと暫くお付合いのほど宜しくお願い申し上げます。

 

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四百二十話 姓は車、名は寅次郎

顧客の皆様。
Musée du Dragon が幕を閉じるって聞いて。
どういうつもりなんだ?とか。
これから何処へ行けばいいんだ?とか。
やめないでくれとか。
いろいろと有難いお言葉を頂戴しておりますが。
皆様、よ〜く胸に手を当ててお考えください。
あぁ、これで Musée du Dragon で大枚を叩かずに済むとか思ってらっしゃいませんか?
心の片隅どころか、ど真中でそんな安堵の気持が芽生えていませんか?
どうですか?
縁起でも無いことを申し上げますけど油断は禁物ですよ。
世の中なにが起こるか知れたもんじゃありません。
実は、僕、昔っから旅烏の如き的屋商売に憧れていまして。
車寅次郎みたいな。
そういう者になりたいという願望が、今でもあるんです。
北は小樽から南は博多まで、お客様の居られるところならどこへでも。
想像してみてください。
或る日突然、一杯に服を詰め込んだ鞄を下げた僕が門の前に立ってるんです。
「こんちわぁ!毎度ですぅ!」
怖いでしょ?
まんざら、無い話でもないですよ。
その節は、ひとつ宜しくお願いいたします。
みなさんが僕を忘れても、僕はみなさんを忘れませんから。

ということで、本年もご愛顧戴きまして有難うございました。
心より御礼申し上げます。
迎えられる年が、顧客様にとってより良き年となりますように。

 

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四百十九話 巴里の女と倫敦の男

Jane Birkin と Serge Gainsbourg
倫敦の女と巴里の男というカップルは有名だけど。
その逆の巴里の女と倫敦の男というのはどうだろうか?
巴里の薔薇と讃えられる美貌の大女優 Catherine Deneuve と。
Sex Pistols を産んだ PUNK の父である Malcolm Mclaren と。
天才詐欺師の異名をもつ男の方は、二◯一◯年四月二二日に倫敦で逝った。
女は、今でも巴里左岸に暮らしている。
Catherine Deneuve と Malcolm Mclaren
僕は、この男女を心から敬愛してやまないのだが。
何を敬愛しているのかをここで語り始めると止まらなくなるのでやめておく。
一九九四年、Malcolm Mclaren によって一枚の名盤が世に送り出される。
盤には、奇跡的な一曲が収録された。
アルバム名は “ PARIS ” で、曲は “ Paris Paris ”
Malcolm Mclaren に促されるように Catherine Deneuve の官能的な声が溢れる。
泌尿器機能が低下したおっさんにはお漏らし寸前の衝撃です。
詞が絵葉書的だと男は気に入らなかったらしいが、女は頑として受け入れなかったという。
途中、英語でのふたりのやりとりがそのまま録音されている。
「Sing way Catherine!」
「Sing way ? No I can’t」
さらっと歌ってくれと男が注文し、出来ないと女が拒む。
何気ない収録時の会話が、また妙に艶っぽい。
こういう粋な細工が奇才 Malcolm Mclaren の真骨頂でもある。
曲は終盤 Deneuve のパートへと。
“ Métro の埃は綺麗にして ”
“ でも、掃除しすぎては駄目 ”
“ 巴里が魂を失ってしまうから ”
そんな巴里を誰よりも愛し、そんな巴里に誰よりも愛された Catherine Deneuve が歌う。
“ PARIS PARIS ”
巴里の女と倫敦の男が紡いだ最高の巴里賛歌なのだ。
一九九◯年早春、Saint-Sulpice 教会近くのちいさなビストロで仏雑誌編集者と飯を食っていた。
兎肉のパテを口に入れようとした時、幾つかの卓で皿にナイフやフォークを置く音が耳につく。
驚いて振向くと。
古い木製扉を開けて入ってきたのは Catherine Deneuve だった。
居合わせた幸運に浸るだけで、声をかける勇気もなかったけれど。

永遠の巴里と、無欠の美貌と、不滅の PUNK に乾杯!そして、Merry Christmas !

 

 

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四百十八話 これが、その服です。

Sir Charles Spencer Chaplin
あなたの最高傑作は?と尋ねられた喜劇王は、常にこう答えていたという。
それは、次回作です。
僕も気取ってそう言いたいところだが、そうもいかない。
THE CLIMAX COAT
この服をそう名付けて、そういうことにした。

まぁ、こんなところでご勘弁ください。



 

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