月別アーカイブ: March 2014

二百七十三話 画家の女房がやってくる。

三月だというのに寒風が吹くなか、“海辺の家” に、画家の女房がやってくる。 画家の名は、吉田カツ。 その作品を目にしたことのない日本人は、おそらくいないだろう。 この世を去った後も、作品は、国内外で暮らす人々の眼前に在って、少しも褪せることはない。 業界では、厳しいと畏れられた作家だったが、不思議と僕には優しくて、良くしてもらった。 仕事上の恩義はもちろん、それ以上の想いもあったのだが、返せぬままとなる。 そして、画家を生涯支え続け、夫に絵筆以外なにも持たせなかった女房が、ひとり残された。 今は、東京を離れ、カツさんの生家だった丹波の家で暮しておられる。 駅から、今着いたと連絡が入り、迎えに行くと、一目でわかった。 黄色のスェード・ライダース・ジャケットに、ツィード生地のバルマカン・コートを羽織って。 ボトムには、裾をブッタ切ったジャガ―ド織りのワイド・パンツを合わせている。 細い鼈甲フレームのサングラスをかけて、リュックサックを背負った姿は、 到底この港街で、普段見かけることはない。 長年仕事場としていた渋谷界隈でも目立つくらいだから、まぁ、しょうがないか。 「何背負ってんですか?」 「リュックだよ」 「いや、そうじゃなくて、何が入ってんですか?」 「味噌だよ、味噌、土産だよ」 その格好で、手土産に味噌? 僕は、このひとのこういった見かけとの落差が、昔から好きだ。 伝えたいことがあれば、電話やメールなどで済まそうとはしない、必ず手紙をしたためる。 常は、手漉きの葉書で、用件が重要であれば、石州和紙の巻紙に、書家を越える筆捌きで記す。 パンクな外見からは想像もつかない古風な見識と美意識を身に宿している。 海辺に在るこのボロ屋に、泊まりがけで招待したのには理由がある。 このボロ屋の先々を、どうするかを相談したかった。 改築か?新築か?そういうことも含めて。 このひとには、不思議な一面があって、棲家を妙な具合に仕立直す才というか、癖がある。 インテリア・デザイナーとかいう胡散臭い連中の何んとか風でもなく。 ハウス・メーカーが勧める、家族団欒で、幸せに暮らせる家的な嘘八百でもなく。 建築家が、自分の勘違いを個性と称して、施主に押付ける間違いだらけの家でもない。 独自の感性が創りだす空間は、部材個々には脈絡がなく、雑然としている。 今の住居は、“海辺の家” 同様に築六〇年を越えていて、外観はボロい。 しかし、内部は改築され、当代随一の名左官職人による本漆喰壁で、白く覆われていて。 土間などは、夏場の居間として、そのまま手つかずに取込んでいる。 暮らしぶりが、そのままに透けて見える気取りの無さと、暖かみのある品の良さが漂う。 とても、居心地が良い。 そんな画家の女房が、“海辺の家” を見た。 … 続きを読む

Category :

二百七十二話 Bèsame mucho

08 Sircus の Hickory Stripe Suit を見ていて、あるひとの事を想う。 長年お世話になった紡績会社には、流暢にポルトガル語を操るひとが大勢いた。 日系企業の先駆けとして、戦前より中南米に深く関わってきた経緯がある。 そんな事情で、本店や支店だけでなく、各工場にも南米駐在経験者がいる。 何事につけ、細かい事にこだわらない、おおらかな人達で、神経質な人はあまりいない。 元々そういう人柄だから赴任することになるのか、赴任先の風土気質がそうさせるのか。 そこのところは、はっきりとはしない。 多分、元々に加えて、現地のラテン気質が 拍車をかけるのだろうと思っていた。 だが、なかには例外の方もおられる。 入社して六ヶ月は、各地の工場で研修者として過ごすのが決まりで。 研修先の工場長が、そうだった。 なにが気に喰わないのか、笑わない。 報告を聞いても、「うん」か「そうか」だけで、とにかく喋らない。 付合いにくいオッサンだと思ったが。 こっちは新入社員で、向こうは工場長なのだから、深く接する相手でもない。 ある時、当時導入された PC-8000 と夜中まで格闘していると、背後から声をかけられる。 「君、ちょっと、飲みにいかないか?」 えぇ〜、アンタとぉ? かなり無理なんですけどと思ったのだが、口にはしない。 「はい、ありがとうございます、ご一緒させて戴きます」 ふたりとも着任したばかり、街には不案内で、すでに日付も変っていた。 腰を落着けたのは、大阪湾岸沿いにある場末のスナックだった。 「いきなりでスマンが、唄ってもいいかなぁ?」 「もちろんです、気を使わんでください、どうぞ 」 どっちかというと、僕のことは、いないものと思っていただいた方が、気が楽なんですけど。 そして、曲が流れ始めた瞬間から、工場長は、工場長でなくなった。 “ Bésame mucho ” … 続きを読む

Category :

二百七十一話 ほんとうに怖い Mother Goose !

英国の春を象徴する花として知られるラッパ水仙。 英国人に、「あなたにとっての春の風景は?」と訊けば。 倫敦南西部の Hampton Court Palace Garden や、 挂冠詩人 William Words Worth が詠んだ湖水地方 Ullswater の Gowbarrow Park を想うのだと思う。 どちらも、水仙が群生する名所として愛されている。 行ったことはあるけど、水仙の季節ではなかったので、実際には知らない。 そんな風景とは、ほど遠くて、お見せするのもお恥ずかしいショボい奴らだが。 海辺の家にも、いろんな種類の水仙が、あちらこちらに好き勝手に生えている。 芍薬、牡丹、百合のように、古今東西、ひとは、花を美女に喩える。 ラッパ水仙も、Mother Goose の詩の一節に登場する。 Daffy-Down-Dilly is new come to town, With a yellow petti coat, and a green … 続きを読む

Category :

二百七十話 PUCHI PUCHI みたいな。

二百六十七話、二百六十八話と、極めつきの変態噺を終えた後なので、もう大丈夫と思いきや。 世の中に、困った人というのは、意外と多いのである。 新しく知合ったデザイナーがいる。 誤解のないように言っておきますが。 僕は、日々、変態を求めて過ごしているわけではない。 少しでもまともな人と知合えるよう、現状を打破しようと願っているし、努力もしているつもりだ。 なのに。 「このコート、色も新鮮だし、この丸々なんか良いねぇ」 「 有難うございます、これ、プチプチから発想したんです」 「プチプチって?あの緩衝材のこと?」 「えぇ、妙にあのプチプチの質感が気になって創ってみました」 マズイ!このイタイ空気感、異次元へと誘われるような危険な香。 巻き込まれてはいけない、関わってもいけない。 しかし、襟裏の仕様、袖口の切羽、裾に向かって緩やかに広がる絶妙のラインなど。 単なる思いつきで創られた服ではない。 素材・色・仕様・縫製どれをとっても練られていて、外観の奇抜さとは裏腹に隙がない。 試しに袖を通してみた。 恐ろしく軽く、可動域が広く、ふらつきもなく、据わりが良い。 「これ、あなたが創ったの?」 「はい、そうです」 「何者?」 デザイナーは、森川拓野君といって、ブランド名を “ Taakk ” という。 御客様には、デザイナーの経歴など、どうでもいい話ではあるが、我々にはそれなりに意味がある。 この森川君は、ISSEY MIYAKE で、Paris Collection の企画・デザインを担っていた。 その後、二〇一二年に独立し、森川デザイン事務所を設立。 “ Taakk ” を自身のブランドとしてスタートさせた。 また、三宅先生のところかぁ。 業界に長く居ると。 … 続きを読む

Category :

二百六十九話 林檎が腐ったぁ!

困った、ほんとに困った。 遂に、この時がきた。 愛用の Mac が逝く。 しかも、データが取出せない。 Time Machine で、バックアップされていたはずのデータも、破壊されていて。 どうにもこうにも、にっちもさっちも、いかない。 そもそも、こんなトラブルに対処できる知識の欠片も持合わせていない。 この blog は、もちろん、仕事も、連絡も、ままならない。 こんな箱ひとつで、こんなにも困るなんて。 いつも、なんか困った事があると、御客さんを頼る。 悪い癖で、いけないと承知しつつも、大抵の場合そうなる。 長年 Musée du Dragon をお支え戴いた顧客様方。 医療、教育、建築、出版、デザイン、サービス、マスメディア、芸能、法曹等、果ては宗教まで。 あらゆる業界に於いて、一流の方々がおられる。 今回も、困っていると言うと、日曜日だというのに来て下さった。 「なんとかなりますか?」 「重傷だね、買替えないと無理だと思うけど」 「買替えるのはいいんですけど、中身のデーターは大丈夫ですか?」 「そっちも、此処で、今となると、かなり厳しいねぇ」 「マジですかぁ? お願いしますよ」 「まぁ、出来る限り手を尽くしてあげるから」 携帯電話で、どっかの誰かと話しながら作業されているけど。 とても人間が操る言語とは思えなくて、一体なんの話なのかさっぱり解らない。 さっきまで真っ暗だった画面には、使っていた六年間一度も見た事もない画面が映しだされていて。 「あのぉ〜、これって、なにされてんですか?」 「う〜ん、まぁ、いろいろと」 「あっ、すいません、馬鹿に説明しても手間なだけですよねぇ、続けてください 」 で、結局のところ、愛用の腐った林檎は諦めることになり。 … 続きを読む

Category :

二百六十八話 ANSNAM 発、謎の facebook ?

前回、二百六十七話からの続きです。 ANSNAM の facebook なるものを初めて読んだ。 こんな洒落た書出しで始まっている。 “  二回目にして、早くもしんどいです。” “ その制作時に起こった様々な事柄への感情や、行間のニュアンスが伝わらないからです。” 感情? 行間? はぁ? 中野靖の日々揺れ動く感情を、行間の細部までぇ? 知りたくない、知りたくない、全然知りたくない。 知りたいのは、もっと肝心な事柄で、あなたの心の闇じゃありませんから。 心の機微が綴られた、謎の facebook にも登場していたのが、この TROUSER 。 前回、冬にまさかの白と言ったが、さすがに灰色もございます。 って事で、ちょっとご紹介いたします。 未精錬の絹糸の風合を損ねないように、染色を施さずに生成りで織る。 なのに、何故 、灰色なのか? 経糸には、前回お話した未精錬の絹糸をたてる。 緯糸には、その絹糸二本とポッサム一本を通す。 ポッサム? 韓国料理の “ 茹で豚肉 ” かと思ったら、どうやらそういう生きものがいるのだそうだ。 ちょっと調べてみると。 英名では、 Possum で、和名では、袋狐と呼ばれているみたいだ。 体長 三五センチから五五センチの樹上動物で、オーストラリア辺りに棲んでいるという。 見た目は、尾っぽの太い肥えた鼠みたいな奴だ。 全身を、灰色の毛で覆っている。 … 続きを読む

Category :