月別アーカイブ: November 2020

五百五十七話 晩秋

海辺の庭。 今年の紅葉は、いつになく綺麗だった。 なんて、愛でる余裕はない。 業者並に塵袋を買って、それでも足りない量の爆弾落葉に見舞われる。 庭用の電動掃除機も悲鳴をあげ、駆動部分が熱くなって、時々ファンが限界に達して止まる。 騙し騙し使うのだけれど、だいたい二年ほどで御陀仏という始末だ。 桜に、藤に、紅葉に、百日紅に、木蓮に、雪柳に、紫陽花に、柿にと、切りがない。 実際には切りはあるのだが、気分的には切りがない。 庭師に頼むという手もあるにはある。 が、庭師の方も抱えている家すべてが同じ状況と化しているので、いつのことになるかわからない。 くわえて、其れなりのものを払ってということにもなる。 剪定、寒肥、防虫、雑草除去、掃除、石積修理など。 これら一連の仕事をすべてお任せすると、年の暮れに一枚の紙切れが届く。 そこには、庭手入れ一式とあって、あぁ、そうですか、とは言い難い数字がならんでいる。 先代の家主だった義母が元気でいた頃。 仕事の合間を縫って庭仕事を手伝いに訪れるとよく言っていた。 「あなた、今晩なに食べたい?」 「お寿司? 鰻? 中華? ステーキ? 仏蘭西料理? 」 「なんだって、どこだっていいわよ、わたしが奢るから、遠慮しないで好きなものを言って」 えらく気前がいいもんだと思って聞いていたが、今となってはよくわかる。 そりゃぁ、そうなるわな。  

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五百五十六話 家主が愛した花

この季節になると、海辺の庭は野菊で埋まる。 庭の場所によって、黄色、紫色、桃色、燕脂色など色々と種類も混ざってある。 なかでも先代の家主であった義母が好んだのは、この白い野生菊だった。 ほんとうに、好きだった。 そして、最期にこの海辺の家を後にした夕刻にも、見送るようにこんな感じで咲いていた。 だから、今でも大切に育てている。 とは言っても、格別になにかをするわけでもなくて、ただ増えるにまかせているだけなのだけど。 義母の庭仕事は、草木を矯正させることなく、奔放に育ててその姿を楽しむといったものだった。 “ あなたの好きなようにすれば良い ” と言い遺されたもののなるだけその意には沿いたい。 奔放な庭は、ほったらかしの庭とは違う。 仕事の跡を目立たなくしているだけで、実はけっこうな作業をしいられたりもする。 煉瓦ひとつ積むにも、これで良いのか迷うこともよくある。 病で庭仕事が難しくなった義母から、譲られて一五年が経つ。 あの頃から、ずいぶんと庭の様子も変わった。 家の改築を機に、あちこちに手も加えたし。 だけど、この庭の奔放な雰囲気は、なんとか遺せていると想う。 先日、親子ほど歳の離れた友人が、一年ぶりに海辺の家にやってきた。 「なぁ、庭だいぶと変わったやろ?」 「 そう言われればそうですけど、馴染みすぎててどこがどうかよくわからないですね」 甲斐のない台詞だが、これほど嬉しい一言もない。 手を尽くして、なにも変わらないでそこに在る。 この一事こそが、理想だから。 先代の家主が、どう思ってるかは知らないけど。                           … 続きを読む

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