月別アーカイブ: December 2016

四百七十二話 Happy Christmas

ちょっと遅くなってしまいましたけど。 皆さん。 Happy Christmas です。 今年は、家で Christmas を祝った人が多かったらしい。 で、我が海辺の家でもそうすることにする。 調子に乗って、二回もやった。 見よう見まねの祝宴だったけど、それなりに楽しい。 宴を終えて、坂を下り友人を駅まで送った帰り道。 途中ふたつの教会が在って。 ひとつは、八〇年ほど前からの被昇天聖母教会で、建物も古い。 もうひとつは、Jesus Christ 教会で、こちらは国内外で数々の賞に輝いた近代建築だ。 鉄筋コンクリートで建てらている。 Catholic と Protestant 教義も異なり、建物としても対照的なふたつの教会が坂の途中に仲良く在る。 実際に、仲が良いのかどうかは知らないけれど。 信者同士が揉めているという話はあまり聞こえてこない。 これが、一六世紀宗教改革の頃だったらどうだろう? 多分、この坂は真っ赤に血で染まっていたんじゃないかなぁ。 こうしてみると。 異教徒との和解という難題も、存外時が経つと解れるものなのかもしれない。 では、今、世界を震撼させている異教徒による残虐なテロも終息する日が訪れるのだろうか? 獨逸 Berlin の方々は、眠れぬ Christmas を過ごされたのだと想う。 崇高な信仰という名のもとに、世界から寛容さが失われ、ひとが殺されるというのは我慢ならない。 信仰なんてものは。 見よう見まねでやっているくらいがちょうど良くて、大抵の日本人はそうしているように思う。 僕も、そんな日本人のひとりで、さらに物知らずの門徒だけど。     … 続きを読む

Category :

四百七十一話 老香港

もう三〇年近く前の話になるけど。 香港をよく訪れていたことがある。 欧州へと向かう途中だったり、中国への入国手続きのためだったりで。 香港というその地に特段の仕事があった訳ではない。 なので長く留まることはなかったが、なんとなくこの港街が好きだった。 三〇年前だから、返還以前の英国統治下にあった香港ということになる。 実際には、東莞あたりで採れた香木の集積地であった湾という由来らしいが。 港が香るというその名にも、なんとなく情緒が潜んでいそうで惹かれる。 中環駅のほど近く士丹利街に香港で最も古い茶館があった。 今でも大戦前夜に創業されたこの茶館は営まれているが。 噂では、近年改装され訪れた当時の面影はもう失われてしまったらしい。 「陸羽茶室」  開閉を重ねて褪せた大きな扉を白装束にターバン姿の印度人が開けてくれる。 植民地時代そうであったような名残の儀礼で迎え入れられ、客で埋めつくされた喧騒の店内へ。 そこには、もう写真で見るしかかなわないと思っていた古き良き老香港の姿がそのままに在った。 誰にとっての良き時代だったかは別にしても。 こうして、過ぎ去りし時代が実像として眼前にあることに圧倒される。 茶館なので、大抵が昼時の飲茶目当てで出掛ける。 何を食っても高級茶館の名に恥じない品の良い旨さで、もう晩飯は汁も入らないほどに堪能した。 そんなことを懐かしく思い出していたら、無性に香港流広東点心が食いたくなったなぁ。 神戸元町に老香港を掲げた飯屋が在る。 「香港茶楼」 先日 、長く香港に駐在していた友人に連れられて行ったばかりの中華飯屋だ。 地元では名の通った老舗なので、知ってはいたが訪れたのはその時が初めてだった。 すっかり髪の毛がなくなって、もはや誰かもよくわからなくなった香港通の友人が。 「 なぁ、ここの点心旨いやろ?」 「確かに旨い、旨いんやけど、おまえ、ずっと焼豚と胡瓜食いながら紹興酒煽ってるだけやなぁ」 「まだ昼の一時やぞ、そんな昭和な飲み方してるから禿げんのとちゃうんか?」 「知らんけど、のうなったもんを追いかけてもしょうがない」 「のうなったって、毛根のことか?」 「 まぁ、それも含めていろいろとや、そんなことより此処の焼豚は神戸一とちゃうかなぁ」 「俺は、並びに在る新生公司が一番やと思うけどなぁ」 「これやから素人は困る、あれは邦人向けの味や、ほんまもんの華人好みとは匂いも風味もちゃう」 「って、おまえ生粋の日本人やろ、禿げてから華人に宗旨替えか?」 たしかに、香港茶楼の焼豚は、八角が香りあっさりと仕上げられている。 そして、香港茶楼もまた懐古的な造りとなっていて、ちょっとした老香港気分にも浸れる。 年の瀬に。 … 続きを読む

Category :

四百七十話 アリか?ナシか?

  本屋で、雑誌をペラペラめくっていた。 どこが頭なんだか尻尾なんだかさっぱりわからない服ばっかりで。 わざわざ買うまでもないと頁を閉じかけた時、妙なコートが目につく。 うん? なんだこれ? 今時、こんなのを創る奴もいるんだぁ。 誰? 歳はとりたくないもので、このところ小さなクレジットの文字がよく見えない。 doublet ? えっ?doublet ? この Mods Parka って、井野君が創ったのかぁ。 doublet デザイナーの井野将之君で、二〇一三年にデビューした頃からの付合いだ。 なので、実際の服は見てなくても大体の想像はつく。 コート全面に施されたワッペンについては。 当然、着心地にも気を配るだろうから。 ジャガード織機を用いて、こういった一枚の布として表現したんじゃないかと思う。 いくら紋紙が電子化されているとはいえ、手間の懸かる手法だろう。 でも、デザイナーとして井野君が表現したかったものが最短距離で伝わってくる。 Mods Parka という主題は、世代によってその解釈が異なる。 一九五一年に、米国陸軍に採用された野戦パーカー。 その軍制品が、英国の若者に支持されるようになったのは一九六〇年代初頭のことである。 彼等は、Mods と呼ばれ自立した文化を育む。 以来、Mods Parka は、音楽・文学などのサブ・カルチャーと密接に関わっていく。 一九六〇年代の R&B から七〇年代の PUNK へと変わりゆくなかで。 … 続きを読む

Category :