月別アーカイブ: June 2015

三百八十六話 DEER SKIN

生々しい写真で申訳けありません。 しかし、Musée du Dragon にとってとても大切な素材はこいつから産まれます。 Deer Skin です。 Deer Skin は不思議な皮革である。 しなやかで強く、動きに添って伸び、空気を通すというひとに心地良い性格を備えている。 繊維の結合具合によるものらしいが、詳しくは知らない。 もう一七年ほど前の話になるが。 雑誌編集者から鹿革製品を創っている職人集団がいると聞く。 Native American じゃあるまいし、個体によって調子が異なる鹿革なんかで製品化出来るものなのか? 当時そういったものはなかったように思うし、少なくとも僕は目にしたことはなかった。 埼玉県に在る工房に出向く。 そこで出逢った一着の Deer Skin Shirt が Musée du Dragon での革製品の始まりだった。 モノとの出逢いは、ひととの縁の始まりでもある。 工房を率いておられた後藤惠一郎さんとの付合いもそこからで、以来途切れることなく続いている。 妙な具合で、どうもこの方とは商売をする気がしない。 創ったものがヒットし結構儲かったりもするが、互いにそれを気にかけることもない。 儲かったんだからまた次を狙いましょうとはならない。 原価や売価などといった銭の話は三◯秒ほどで、一分を費やしたことはないんじゃないかなぁ。 そんなだから、定期的になにかを創るわけでもなく、この頃では ID すら付けない。 気儘で、いい加減で、褒められたはなしではないが。 おとなのおとこの遊びとしてはなかなかに面白く、やめられないでいる。 仕事では打算がついてまとっても、遊びとなると無垢である。 … 続きを読む

Category :

三百八十五話 泉州の地場野菜

“ 職に貴賎はない ” と言うひともいるけれど。 それは、やはりあるのだと思っている。 ひとの生命と直に関わる職業に就くというのはそれだけで尊いような気がする。 医者もそうだが、農家もそのひとつだろう。 なんせ、喰うものを喰わないとひとは生きてはいけない。 こういう稼業では、適当にやっておればなんとかなるという横着な考えは通用しない。 若手農家として活躍されている顧客の方がおられる。 これは、その顧客さんが丹精込めてつくられた野菜で。 とても上等な野菜である。 春にも頂戴して、この度は夏野菜という贅沢な旬を届けて戴く。 トウモロコシ、ズッキーニ、ピーマン、トマトなど。 朝採野菜がいろんな種類で沢山にある。 並べて眺めてみると、美しく、力強く、艶やかだ。 「これだけのものを育てられるとなると大変なご苦労じゃないですか?」 「えぇ、まぁ、朝から晩まで正直大変です」 「だから安く売るのはどうしても納得出来なくて」 そりゃぁ、そうだろう。 ご苦労の詳しい中身は分からないが、大変であろうことくらいは想像がつく。 誰だって、掛けた手間に見合った対価が欲しい。 だが、この国の農業政策はどこか不完全で、いつも生産者が割を喰うようにできている。 そこで、自分が育て収穫した作物は自分で売ろうとなったらしい。 力強い味方も現れた。 南海電気鉄道株式会社、大阪南部地域で鉄道事業を中核として発展してきた企業である。 難波駅構内に、沿線が抱く農村部で採れた地場野菜を販売する店舗を常設するというのだ。 沿線農村部活性化事業への取組みが、今月から始まる。 生産・流通・販売は地元の農家が担い、店舗を提供し集客を担うのは鉄道会社らしい。 どこぞの駅ナカやデパ地下の貧困な発想とは違い、真っ当で素晴らしい企みだと思う。 当日泉州近郊の畑で収穫された朝採野菜を、新進気鋭の若手農家が自ら運搬し対面で客と向き合う。 ちゃんとした野菜とはどういったものなのか? 此処を訪れればそれが分かるのかもしれない。 その泉州ブランド野菜直売所 「 Vege Sta. 」は、南海電鉄難波駅二階改札内に在ります。 そして、◯ に … 続きを読む

Category :

三百八十四話 決して変わらない味

元町で旨い中華飯屋は何処か? 港街神戸の住人に尋ねるとかなりのひとがこの名を告げると思う。 “ 神戸元町 別館牡丹園 ” 高校生の頃からそうだったので、もう四◯年、いやおそらくはもっと昔からの評判だったのだろう。 久しぶりに行くと、相変わらずあの注意書きが掲げられている。 “ 本館牡丹園と当店とは一切関係がございません。何卒お間違えのないようお願い申し上げます。” もう何年も前から、店前の目立つところにそうやってあるのだ。 いきなりお願いされても、事情を知らない客にとっては謎でしかないだろう。 ずいぶんと前になるが、本館と別館の諍いについて中華街の友人に訊いてみたことがある。 昔、此処には、L字に並ぶ二棟のビルが在った。 表通りに面した方が本館、路地に面したもう一方が別館となっていたらしい。 本館と別館併せて同じ一軒の中華飯屋で、屋号は “ 牡丹園 ” だった。 その後、本館は屋号を変え “ 広東料理 廣州 ” と名乗るようになる。 ところが阪神淡路大震災の後、突然、再び屋号を変え “ 本館牡丹園 ” とした。 別館側からすると、この改名の経緯が騙りだということなのだろう。 港の街場で起こる華人同士のいざこざの真実は分からないが、珍しいことではない。 たが揉めているからといって、“ 別館牡丹園 ” が神戸を代表する名店であることに変わりはない。 陳舜臣や小津安二郎といった巨匠達も通ったという。 先代の王熾炳さんもまた、広東料理界の巨匠として知られた存在だった。 「熾」も「炳」も、火が盛ることを意味するのだそうである。 その名の通り、“ 火候 … 続きを読む

Category :

三百八十三話 普通の服って?

普通が一番なんだよねぇ。 最近、こういう間抜けなことを朝に夕に唱えている同業の者がいる。 まぁ、言いたいこともわからなくはないんだけれど。 服飾業界に於いて。 “ 普通 ” なんていう言葉がトレンドとして成立するのだろうか? そもそも “ 普通 ” ってなんなのか? 言葉通りに解釈すれば。 “ 特筆すべき属性を有さないもの ” となる。 言い換えれば “ 凡庸 ” だろう。 一端の玄人が、そんなもん創ったり売ったりするんじゃねぇよ! ほんとに横着極まりない始末である。 確かに、奇抜な格好や華美な格好が求められる時代ではない。 だからと言って普通はないんだろうと思う。 じゃぁ、どんなものが良いんだ? いちいち説くのも面倒なので、ANSNAMの中野靖とちょっと創ってみました。 それが、これです。 馬布で、麻布で、丁寧に仕立てた Trouser です。 手間は内に隠していますが、この履き心地とシルェットはなかなかのものですよ。  そして、これを以って二◯一五年春夏の最終アイテムとさせていただきます。  

Category :

三百八十二話 石の声を聴け!

“ Garment Hunter ” ほんとは、そんなカッコ良いものではないのだけれど。 自身の稼業が何か?と尋ねられると、ある意味で的を得ているかもしれない。 長い歳月モノを巡って彷徨ってきたような気がする。 いろんな話を聞いて、いろんなものを見て、北半球の様々な場所を渡り歩いたこともある。 ひととの出逢いもまたモノを通してだった。 モノの世界には、性別も、年齢も、学歴も、素性も、国籍も、いかなる隔たりも存在しない。 モノ自体の存在をどう捉えるか? つまり、己の内に於いてその存在を是とするか?非とするか?それだけの事でしかない。 ただ、平等だが非情でもある。 人格者だろうが、美人だろうが、賢者だろうが、富豪だろうが、なんの担保にもならない。 創られたモノが非となれば、創った者への興味も沸かないし、結局どうでもよい存在となる。 では、あなたにとって究極の是となるモノとは如何なるモノか?と問われれば。 素材を熟知して、素材に逆らわず、簡素に創られたモノ多分そう答えると思う。 天正時代、安土城築城の際に石積みを担った石工集団が存在した。 穴太衆と呼ばれ、その天下に知られた技は一四代経た今も滋賀県大津市の粟田建設に継がれている。 穴太衆の石積みの奥義は、文書には記されてはいない。 すべてが口伝である。 粟田建設の一四代石匠粟田純司会長の言葉でしか知ることは叶わない。 “ 石の声を聴けという言葉がある ” “ 石がどうして欲しいかを深く考えてこそ、良い仕事ができる ” これは、素材を活かすというモノ創りの基本概念に於いて、全ての分野に通じる教えだと思う。 だが、実際にモノで表現するとなるとなかなかに難しい。 この難題に一晩で応えたひとがいる。 後藤惠一郎さんである。   “ 䕃山さんのおしゃっておられることは、こういうことでしょ? ” “ これは商品にはなりませんけど、問答を解く糸口にはなると思います ” 送られてきたのは、鹿革の筆記具入れ。 … 続きを読む

Category :

三百八十一話 真夜中の反省会

今、我家はこんなものを見たり買ったりしている場合ではない状況下にある。 代を継いで溢れたモノを片付けなければならない。 玉と石が混ざり合ったにっちもさっちもいかない暗闇からなんとか脱け出そうと足掻いているのだ。 あるモノは棄て、あるモノは譲り、あるモノは売る。 そんな事にもう一◯ヵ月以上費やしている。 だから、こんな骨董屋を覗いてはならない。 「ちょっと覗くだけ覗いてみる?」 「ぜったいに買わないからな!」 「だよねぇ、うちらそこまで馬鹿じゃないもんね」 「大体、そうそう買うモノもあるはずもないしね」 夫婦でそう言い合って、アンティークの大きな扉を開けて骨董屋の中に。 「マズい!」 「駄目!此処危ないよ!」 店主は、胡散臭い爺いではない。 お若くて、美人で、物静かな女性だ。 「いらっしゃいませ」 「いや、僕達買いませんから、絶対こういうの買いませんから、完全な冷やかし客ですから」 「まぁまぁ、どうぞご覧になってください」 御夫婦で、建築設計事務所を営まれながら、この仏骨董店もやられているらしい。 訊くと、著名服飾デザイナーの店舗設計を数多く手掛けられているという。 なかには知合いの店舗もあった。 さらに、互いに共通の友人もいることがわかった。 そんなこともなにも知らずにお邪魔したのに、不思議な縁である。 それにしても、お若いのにこの感覚をどうやって身につけられたのだろうか? 「どちらにお棲いなんですか?」 「今日は箕面の方からだけど、神戸の海際にもボロ屋が在って行ったり来たりなんだよね」 「へぇ〜、わたしも主人と一緒になる前は神戸の海際だったんですよ」 「塩屋の旧い洋館で産まれて育ったんです」 「塩屋? そりゃぁウチから近いわぁ」 「ホントですかぁ?そこで父も設計の仕事をしてまして、だから仕事は親子二代なんです」 旧い洋館に産まれ親御さんの建築設計の仕事を眺めながら育つ。 なるほど、そうであればこの感覚にも納得がいく。 「では、本日は、こちらと、こちらと、こちらをお求め戴くということでよろしいですか?」 「えっ?まぁ、はい、カード使えますか?」 頭陀袋から財布を取出そうとすると。 「あっ?そのバック Poul Harnden さんのじゃないですか?わたしも持ってるんです」 … 続きを読む

Category :

三百八十話 画家の正体

休日の月曜日。 点検修理で一◯日間ほど阪神高速道路の一部区間が通行止めになると聞いた。 地道を通って海辺の家に行くのも面倒なので、何処か他所へ出掛けることにする。 久しぶりに画家の女房の顔でも拝みにいこうか。 吉田カツ。 今でも、大抵の日本人が一日一度はその作品を目にして暮らしている。 商業美術を離れ画家となり、東京から此処丹波篠山へと移り棲んだ。 生涯を絵描きとして過ごし、画業は最期のその時まで絶えることはなかった。 カツさんほど、絵を描くこと以外なにもしなかった人を僕は他に知らない。 微塵の妥協も許さない画業が産んだ作品群は、現代美術界に於いて陽の当たる場所を棲家とした。 没後、主要作品は四散することなく “ 何必館 ”  京都現代美術館に所蔵されている。 なんだかんだ言っても、才にも運にも恵まれた良い画家人生だったろうと思う。 業界では心底怖いひとだと評判だった。 一緒に仕事をすることになったと言ったら、皆に大丈夫か?と訊かれたくらいに。 だけどひとの相性とは異なもので、怒られても不思議と怖いと思ったことは一度としてない。 僕が企業を退職して独立する時、これを企画事務所の ID に使えと一枚の絵を渡された。 「え〜、こんなの名刺に刷ったら相手に恥ずかしくて渡せませんよ」 「なんで?」 「なんでもなにも、これってオチンチンでしょ?」 「馬鹿!こんなんで恥ずかしがってたら、この先やっていけるかぁ!いいから黙って使え!」 「いまいち説得力ないけど、カツさんがそう言うんなら、まぁ、どうもありがとうございます」 オチンチンの御利益かどうかは不明だが、この名刺を差出した最初の相手からでかい仕事が舞込む。 とにもかくにも、仕事につけ遊びにつけこの画家夫婦にはよくして貰った。 が、四年前の暮れに画家は逝ってしまう。 なので、この山里に足を向けるのは命日にあたる年の瀬で、初夏の丹波篠山は初めてである。 いつもの色に乏しい山合いの風情ではなく、一面緑の濃淡に染められた田圃をゆくことになる。 こういう土地での暮らしも悪くはない。 晩年、絵筆が持てなくなった画家は、それでも色鉛筆を握って絵と向き合う。 画家の視点は、この地の風景や産まれ育った古屋での暮らしに向けられていて。 誰に見せるための絵でもない。 自身の欲求を満たすためと、残して逝くであろう女房のためにだけ描かれた絵である。 その一連の素描は、今でも画家の女房の手に残されている。 描かれた日付毎に整理されていて、その一番新しい日付の作品には直筆の文が添えられてあった。 “もはやぼくにとって、絵は自身の性癖によるものでしかない” … 続きを読む

Category :