カテゴリー別アーカイブ:

六百四十二話 小正月

お飾りをはずして、菩提寺のお札を新しいのに取り替える。 一月一五日、小正月。 この日、小豆を粥や善哉にして食べる慣わしがあって、食べると一年を息災に過ごせるらしい。 小豆には、魔除けの力があり、鏡餅には神様の力が宿ると云われる。 そういえば、暮れに友人に貰った丹波篠山の小豆があったよなぁ。 享保十九年(一七三四年)創業の小田垣商店のありがたい丹波大納言小豆。 無病息災を祈願して、餅を炙り善哉にしていただく。 食べ終えた嫁が。 「わたし、風邪ひいたかも、ちょっと熱っぽいみたい」 ええっ!このタイミングでぇぇ!アカンやん!

Category :

六百三十九話 本年の〆飯

年の瀬に従姉妹の息子が、やって来るという。 手首が、いまひとつ調子良くなかったので助かった。 迎春のしつらえと庭掃除などの作業を手伝ってもらう。 海辺の家の勝手は家人に次いでよく知っているので、あれこれ言わずともこなしていく。 お陰で早目に無事片付いた。 晩飯でも食うかぁ。 知合の猟師カーリマンが獲った猪肉を塩胡椒して焼肉に。 画家の女房が送ってくれた丹波産山芋は薯蕷ご飯に。 酒は、Bordeaux の銘酒 Chateau Lagrage Saint – Julien 。 素朴だが、妙に贅沢な食卓になった。 図らずも、すべて貰いもの。 この酒も、そうだ。 一〇年近く大学に居座り続け晴れて博士になった従姉妹の息子が、初給料で買ってくれた。 本年の〆飯として、言うことなし! ありがとうございました。皆様、良いお年をお迎えください。              

Category :

六百三十八話 背徳の Stollen !

独仏国境の Alsace 地方にもBerawecka という干果物と木の実を使った似たような菓子がある。 Bera (梨)のパンとして古くから伝わるが、風味という点では、 Stollen には敵わない。 しかし、この Stollen も、その昔は、宗教上の供物で、たいして旨いものではなかったらしい。 変わったのは、バターを使うことが法王に赦された一四世紀以降。 今では、どんどん洗練されて、この季節の代表的な菓子として世界中で愛されるようになった。 そういった意味では、バターを使わない Berawecka の方が、原型に近いのかもしれない。 Stollen は、Christmas の四週間ほど前から一切れづつ食べていく。 聖夜へのカウントダウン的発想なのだろう。 だが、僕は、仏教徒なので、そんな悠長な食い方はしない。 毎年いろんな Stollen をかき集めて、好きな時に好きなだけ食べる。 ただ、買い求める場所によってその味が大きく異なる。 一番気になるのは、食感だ。 パン屋のは、パサパサして乾いた食感であることが多い。 元々の成立ちからすると良いのかもしれないが、菓子としての背徳感に乏しい。 そんな際には、これをぶっかけて甘くしっとりさせる。 伊の伝統的混成酒 “ Sambuca ” ラム酒でも良いのだけどアニス特有の香りが Stollen にはより合うように思う。 パン屋とは逆にケーキ屋のは、しっとりと甘く干果物を漬けたラム酒もよく香る。 だが、残念なことに宗教上の供物であった Stollen の禁欲的な感じが全くしない。 これでは、ただのドライフルーツ・ケーキだ。 パン屋とケーキ屋、帯に短し襷に長しで、なかなかいい塩梅だねとはならない。 … 続きを読む

Category :

六百三十三話 東郷梨

夏も過ぎようかというこの時期、決まって届けてくれるのを待っている。 送り主は、鳥取の従姉妹。 出荷元は、鳥取県湯梨浜。 届け物は、東郷二〇世紀梨。 毎度しつこく箱に添えられてくる冊子にはこうある。 二〇世紀梨は町の文化であり、主要産業であり、象徴であって、民の誇りでもある。 どんだけの梨やねん!と、思わぬでもないが確かに美味い。 昨年の今頃、届いた数を食い尽くし、自ら選果場に連絡し送ってもらったほどに美味い。 二〇世紀梨には、収穫時期によって食べ頃が三通りあるという。 八月初旬の鮮やかな緑色の梨は、早熟の酸味がすっきりと口に広がる。 九月上旬のやや黄色味がさした梨は、熟度と甘味の均衡がとれた味わい。 九月下旬の淡黄色となった梨は、熟度と甘味がともに極まる。 好みは、ひとそれぞれだが、僕は、緑色が残っている間が最良の食べ頃だと思う。 シャキッとした歯応え、特有の酸味、この清涼感は他の果実ではなかなか味わえない。 そんな東郷梨は、少し冷やしてそのまま食うのが一番美味しいのだろう。 だが、こんなにあるんだから、数個ひと工夫凝らして食うのも悪くないかも。 梨に合う酒といえば Rum か Gin だが、Cocktail で飲むのは勿体無いし、西洋梨でもまかなえる。 なんかこうもっと東郷梨を活かして食う術はないものか? そこで、これ! “ 梨と葡萄の Rum 酒サラダ ” 梨と葡萄に Coconut Oil と Rum 酒をまわしかけて全体を混ぜるだけ。 だけと言っても、やるの嫁だけど。 そして、庭に生えてる Rosemary と Mint … 続きを読む

Category :

六百二十六話 華人街の新たな扉

六月の初日。 神戸市立博物館で “ ジブリパークとジブリ展 ” を観終えて、予約していた中華料理屋へ。 目当ての “ 楽関記 ” は、元町駅から北長狭通りを少し上った処に在る。 二〇一七年開業で中華街では新参の類だが、今や神戸華人の間で知らぬ者はいない評判の店屋だ。 昼飯に立ち寄りその 小籠包と鶏唐揚の旨さに驚き、一度ちゃんと晩飯を喰ってみたいと思っていた。 しかし、都合よく予約が取れる機会に恵まれず今日に至る。 一階はカウンター席のみのちいさな構えで、奥に地下部屋へと続く錆びた鉄階段がある。 降りると、薄暗い空間に五卓ほどの席が設られていて、そのひと席に案内された。 中華街にありがちな怪しい雰囲気だが、こと中華飯に限ってはこういう店屋ほど味は期待できる。 前菜から。 “ 鹵水叉焼 ”  鹵水には、中華香辛料と水を一週間かけて煮出し、調味料を加えたタレを用いる。 料理人の手間と舌が頼りの複雑な料理だ。 “ クラゲと胡瓜の和物 ” “ 蒸し鶏 ” “ 皮蛋 ” “ 帆立貝の刺身 ” “ 酔蝦 ” 香辛料などを加えた紹興酒に海老を漬ける料理で、頭部の味噌が絶品。 “ … 続きを読む

Category :

六百二十五話 竹の花

昔、無類の筍好きだった親父によく連れて来られた料理屋が、京都長岡京にある。 明治期創業の老舗で、長岡天満宮の杜に囲まれるように数寄屋造りの座敷が並ぶ。 此処 “ 錦水亭 ” の名物は、隣接する広大な竹林から掘りだされる朝堀の筍を使った筍料理。 これを目当てに、春になると親父は毎週のように通っていた。 親父はもうとっくにおらんけど、代わりに腰痛の友達を無理矢理誘って久しぶりに足を向けてみる。 八条ヶ池を眺めながら、会席仕立ての皿が供されるという趣向は当時もそうだったように想う。 会席仕立ての都合上、一〇種くらいの料理が続くのだが、正直食べたいのは二皿だけ。 直径一五センチ程の輪切にした筍を出汁で煮た “ じきたけ ” 朝堀の筍を皮付で焼いた “ 焼 竹 ” この二品は、ほんとうに絶品。 あとは、筍飯でおにぎりを握ってもらえればそれで充分なんだが、商い上そうはならないらしい。 それでもそれなりに春の旬を堪能し、天満宮へのお参りも済ませた後、竹細工の工房を覗くことに。 かつて大阪万博の頃、筍懐石料亭 “ 錦水亭 ” は宿屋も営んでいたが、今は廃業している。 そして、跡として残された建屋には、“ 高野竹工 ” が、嵯峨野に在った工房を移して構えた。 竹細工技能集団として良質の竹の産地を求めてのことだったらしい。 斯くして、広大な竹林の整備・伐採は、“ 高野竹工 ” の職人達の手に委ねられる。 丁寧に油抜きし、数年寝かし乾燥させた竹から製作される作品群は見事だ。 野点の道具箱、茶筅、茶筒、茶杓などの茶道具から竹筆までさまざまにある。 さまざまにあるんだけど、親父の道具収集癖の後始末で懲りているので、竹箸を求めるに留めた。 職人の方に、いろいろとご案内いただいて、竹林を眺めながらお茶をいただく。 途中、煙草を吸って戻ってくる際、意外なひとに声をかけられる。 「こんにちわ、もしよろしかったら一本お持ちになりませんか?」 … 続きを読む

Category :

六百二十一話 午餐菜單

海辺の家から東へ一駅、同じ区内の徒歩圏内に在る塩屋町。 細い路地が絡み、崖の所々に旧い洋館がへばりつくように建っている。 今尚居留地が残り、そのせいか英国人、獨逸人、華人なども多く暮らすちいさな海辺の街だ。 嫁が仕入れてきた街の噂によると、駅近くの路地裏で商いを始めた二軒の店屋がかなり人気らしい。 一軒が、英国人の旦那と日本人の嫁が始めた Baked Goods Shop 。 もう一軒が、日本人の旦那と台湾人の嫁が始めた臺灣料理屋。 まずは、臺灣料理へ。 食事の予約は月一回で、数分で1ヶ月先の予約が埋まるらしいので とりあえず喫茶利用で。 路地裏からさらに奥まって建つ大正時代築の民家がその店屋。 屋号は、“ RYU Cafe ” 。 劉 晏伶さんが出迎えてくれる、ご主人は調理を担っていて厨房に。 凍頂烏龍茶と臺灣式 Nougat みたいな雪花餅を味わいながら晏伶さんに訊く。 台湾で学んだという日本語は、素晴らしく堪能で疏通になんの支障もない。 「こちらで食事したいんだけど、大変な人気で予約が難しいらしいね」 「店がちっちゃいのもあるけど、ありがたいことです」 「だけど、来週の木曜日午前十一時ならキャンセルがでたので大丈夫ですよ」 「ほんとに!近所だからその日に来させてもらうわ」 で、再び “ RYU Cafe ” に。 「塩屋産海苔粥と花雕雛麺の二種類からお選びいただけますが、どちらになさいます?」 「えっ?海苔粥は分かるけど、もうひとつのファデァウジーメェンってなに?」 鶏を花雕酒、生姜、特製香料で煮込んだ出汁に麺を合わせたものらしい。 「じゃあ 、その花雕雛麺で」 小鉢には皮蛋、南瓜と豚の蒸籠蒸しが添えられている。 … 続きを読む

Category :

六百十八話 初 “ 恵方巻 ”

二〇二三年二月三日。 今日は、節分。 毎年、豆撒きはするが他のことはしない。 のだけれど、今年は初めて恵方巻なるものを食ってみようかと思う。 先日、店屋物を頼んでいる近所の蕎麦屋の亭主が、丼鉢を下げにやってきた。 この亭主、もうずいぶんの歳なのだけれど労を惜しまない働き者で通っている。 麺は手打ちで、丼物も旨い。 そのうえ、釣ってきた鯛やら、茹でた筍を持ってきてくれたりもする。 鯛や筍は、商売ものではないので銭は受け取らない。 僕は、この亭主が商いをやめると言いだすのが怖くてしょうがないのだ。 ほんとうに困ってしまう。 コロナ禍で休業を迫られた時や、値上げを余儀なくされた時も、詫びの品を持ってやって来る。 「ごめんなぁ、ごめんなぁ、堪忍やでぇ」 商人の鏡のような亭主で、心底立派だと想ってもいる。 そんな亭主が言う。 「あんなぁ、今度節分の日になぁ、上巻つくろう思てんねんけど、いる?」 「恵方巻食うって、やったことないけど、せっかくだから注文させてもらうわ」 恵方巻かぁ。 節分の日、どこぞの旦那が、大阪新町で芸妓衆相手に披露した座興だろ。 船場の馬鹿旦那が考えそうなくだらない座興に付合う気もおこらなかったのだが。 この亭主に言われたら、曲げてやってみるかとなる。 日が暮れて。 玄関、勝手口、東側出入口と順に、“ 福は内、鬼は外 ” とやり終えて、いよいよ人生初の試み。 七福神にあやかって七種類の具が巻かれた “ 恵方巻 ” を南南東を向いて黙って食べる。 普通に旨いけど、なんかこういまいち冴えない儀式だ。 とりあえず、今年一年災いなく無事過ごせますように。  

Category :

六百十六話 ふたつの顔をもつおとこ

海辺の家に泊まっていた鳥取の従姉妹が帰るというので、三宮まで送っていくことにした。 途中、どこかで昼飯でもとなって。 兵庫県庁前の山手通りにポツンと在る薄汚い古屋で営む飯屋に向かう。 雰囲気もあって旨い Thai 料理を食わせるのだが、残念な難点を抱えた飯屋だ。 古木戸を開けると、その難点が奥からやってきた。 「いらっしゃいませ!ご予約のお客様でいらっしゃいますよね!」 「してねぇよ!予約なんて」 「えぇぇっ〜、この大人気店に予約無しで来ちゃったんですかぁ〜」 「うるせぇ!空いてんのはわかってんだぁ!あがるぞぉ」 「じゃぁ、お二階にどうぞ」 ほんと面倒臭い。 「おい、なんかギシギシいってるけど、大丈夫なのかぁ、この階段?」 「大丈夫じゃないです、お気をつけて」 「直してから案内しろよ!」 「お金ないんですぅ!」 鬱陶しい。 二階は、座敷で奥の卓を囲むことにした。 座ると、尻がプルプルと震える。 「なぁ、ちょっとお尻が震えてんだけど」 「あぁ、空調機の上なんでその振動で揺れるんです」 「マッサージ・チェアみたいだねって、修理しろ!」 残念な店屋だ。 品書を眺めていると、また難点がやってきた。 「二〇二三年、令和五年、卯年版、Baan Thai Market 新たな逸品をご紹介いたします」 「えぇっと、どれにしようかなぁ」 「あぁ、今日はこれにしよう!この生春巻です、絶品です」 「あのなぁ、オメェ去年の暮れにも、生春巻きがお勧めとかなんとか言ってなかったかぁ?」 「去年といいますとぉ、虎年ですね、子年からずっと言ってますから」 「どこが卯年版で、なにが新たな逸品なんだぁ!いい加減なことばっか言うんじゃないよ!」 「あっ、なんかあったら、このドラ鳴らしてくださいね、すぐ参りますので」 「ドラなんか鳴らさねぇよ!恥ずかしい!それに鳴らしてやって来るのどうせお前だろ」 まったくもって適当なやつ。 厨房のタイ人も、従業員も、ほんとにちゃんとした真面目な連中なのに、こいつだけがこうなのだ。 生春巻き、鶏とカシュウナッツの炒めもの、パッタイ、パイナップル焼飯などを注文する。 これが、子年から四年間変わらぬ Baan … 続きを読む

Category :

六百六話 島の魚屋

海峡に浮かぶ島へ魚を買いに。 海辺の家からは、世界最長の吊橋 “ 明石海峡大橋 ” を渡って三〇分くらいで着く。 橋を渡り終えると、淡路島北端の街 “ 岩屋 ” 。 ここ数年、次々と巨大商業施設が建設され、全国から訪れる観光客 で賑わっている。 しかし、ここ岩屋港辺りは、すっかり時代に取り残され一時の栄えた面影はどこにもない。 かつて一番の繁華街だった岩屋商店街も昭和映画のセットみたいで、生気なくひとの姿もまばらだ。 その商店街からバイク一台通るのが精一杯の細い路地に入る。 その先に、目当ての “ 林屋 ” 鮮魚店があるはず。 友人からこの店屋を教わったのだが、その友人はどうやってこの隠れ家鮮魚店を知ったんだろう? それほど見事に隠れているにも関わらず、店前には注文を待つ客が列をなして並ぶ。 周りに自販機ひとつない寂れた漁村にポツンと在る魚屋に客が寄るという謎。 客の注文を受け、数人の職人が丸魚を捌いて次々と渡していく。 立派な真鯛が横たわっている。 店主に訊く。 「鯛のカマわけてくれるかなぁ?」 「養殖モンのカマで良かったらその辺のやつ勝手に持って帰ってぇ」 「 いや、大将の手元にあるカマが欲しいんやけど、なんぼ?」 「 これは天然の上物やで!一八〇〇円、いや一五〇〇円でええわ」 側にいた嫁に。 「奥さん、湯に通して鱗立ててから取った方がええでぇ」 「・・・・・・・・・。」 「なぁ、ひとの言うてること聞いてる?」 「えっ?あぁ、そうなん」 まったく聞いてません。 そりゃぁ、そうだろう、海峡の対岸で生まれて育ったおんなに鯛の鱗の轢き方は言わない方が良い。 … 続きを読む

Category :