月別アーカイブ: August 2014

三百八話 わさびと魚

神戸元町で、魚を喰いたくなったら此処が良いと思う。 銭に糸目をつけないって言うんなら、他に敷居の高い割烹や寿司屋もあるけど。 そこそこの値で、文句なく旨いとなると、やっぱり此処が思い浮かぶ。 週の始めを港街に暮し、坂を下れば漁港があって、昼網の魚が安値で手に入る。 そんな具合なので、魚貝の類に大枚をはたく気にはあまりなれない。 だからと言って、鮮度や味を我慢しようなどという気にもなれない。 銭はけちるし、口はうるさいという料理屋にとって一番いらない客である。 そんな客でも納得させるというのだから、この飯屋はなかなかのものだと思う。 “ わさびと魚 ” という解り易いような難いような妙な屋号を掲げていて。 元町駅から鯉川筋を北へすこし上がった通り坂の東側で営まれている。 屋号に謳っているとおり、品書きに肉気はなく、魚と季節ものの野菜だけしかない。 かんぱち、蛸、鰯を刺身で、好物の鰯は煮付けでも注文する。 鱧は、品書きには天麩羅とあったのだが、湯引きにして梅肉を添えて貰う。 鱧は、此処元町から電車で一五分ほど西へ行った須磨の沖合でも良いのが獲れる。 神戸では、” 地物 ” のひとつとして数えられる食材である。 夏には欠かせない魚で、炙っても、天麩羅でも、鍋でも旨いのだが、僕は、湯引き派だ。 皮をそのままに供してくれるのも嬉しい。 鯛のかま、鮭のはらすは、塩焼きで、鰆は、西京焼きで、少量づつ三品盛りに。 開店以来六〇年の売りは “ 焼き魚 ” だといわれるだけあって、三者三様見事に焼きを加減してある。 特に、はらすは、どんなはらすでもそうだが、脂がのっていて焼いて喰うとこの上ない。 ここまで魚が続くと、さすがに箸を休めたくなる。 そこで、季節野菜の炊き合わせと、無花果の揚げ出しで一息入れさせてもらう。 此処には、焼き魚の他に、もうひとつ売りがある。 “ 鯖鮨 ” なのだが、残念ながら今晩は売切れ。 鯖好きの嫁が、執拗に迫っても無いものは無い。 それでも諦めない。 酔っている時は、なおのこと諦めない。 … 続きを読む

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三百七話 同病 The Crooked Tailor

誤解を招くかもしれないが。 僕は、服を創ったり売ったりして稼いだ銭を糧に生きてきた。 その間、自分の嗜好を仕事に持込んだことは一度としてない。 創り手の時は、クライアントの意向が全てだったし、 売り手の時は、顧客の欲求を満たす事が全てだった。 だから、クライアントに対しても、顧客に対しても、言う事はひとつ。 「なんだって、やれますよ」 Musée du Dragon が、こだわった服屋だとよく言われる。 それも、僕がこだわってるんじゃなくて、顧客がこだわられた結果そうなっただけだ。 こういう話をすると。 「嘘でしょ? もし、そうだったら、ちょっとした詐欺ですよ」と、言う奴もいる。 だが、そういう奴に限って仕事が半端で、もうこの業界にはいない。 生残る方が圧倒的に少ない、それがこの稼業の実像なんだろう。 幸い良いクライアントに恵まれ、良い顧客に恵まれ、三十五年近くなんとかやってこれた。 そして今、幸運ついでに、ささやかな我が儘を叶えてみようかと思っている。 終幕くらい、自分と気の合う相手と、自分が創りたいものを創って、それをお見せして引きたい。 な〜んて青臭いことを、昨年くらいから考えていた。 ちょうどそんな折、中村冴希君が、The Crooked Tailor を始めると言ってきて、 彼のアトリエで、彼自身が縫った服を見ることになる。 服創りということに関して言えば、この人は、間違いなく懐古主義者だろう。 若いのに、明らかに精神病理学上の歴とした病に冒されている。 服飾史に埋もれた十九世紀の服創りを仕立製法から検証し、既製服として蘇らせようというのだ。 衣服が、耐久消費材にまで成下がったこの現代にである。 服屋の店主としてではなく個人的な嗜好として、この病んだ試みにかつてないほどの魅力を感じた。 なぜなら、僕は、こと服に関してだけではなく、全てに於いて懐古主義者だから。 湿気た巴里の下町をひとりで徘徊し、 オスカー・ワイルドの居宅だったという妖しげな宿屋に泊まって、 朽ちかけたような食堂で飯を喰い、 かつてコルビジェが愛したという煤ぼけた眼鏡屋で眼鏡を物色し、 盗人か、故買屋か、少なくとも真っ当な骨董屋とはいえない店屋で古物を漁る。 そんな時間を至福とする病人である。 歳も離れているし、彼が、服だけでなく他に関しても病んでいるのかは訊いたことがないけれど。 The … 続きを読む

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三百六話 ANSNAM 中野靖が、迷走の果てに辿り着いた先とは?

「ちょっと打合せしたいことがあるんだけど、今時間ある?」 「すいません、ちょっと手が離せないんで、今晩にでもこちらから連絡します」 って言ったきり、二日経っても三日経っても梨の礫である。 痺れを切らして、再度電話すると。 「あっ、一昨日はすいません、いや、昨日もすいません、あ〜ぁ、今日もかぁ〜」 「そうやって憶えてんのに、返事を寄越さねぇっていうのは、どういう了見なんだよ?」 「ひょっとして、俺の事嫌ってるのかぁ?」 「へっへっへっ」 昔っから、万事この調子で。 最近ようやく解ってきたけど、この男は、ふたつの事柄を同時に処理出来ないようだ。 また、もの事を順序立てて考えるのも苦手みたいだ。 そのうえ意外と頑固で、他人の言う事は基本聞かない。 実際、なんの因果でこんな男と出逢って、なんでこんな長い間付合っているのかと思う事がある。 こうやって書くと、身も蓋もないどうしようもない人間のようだが。 天は、欠落した多くと見合うひとつの才能をこの男に授けたように思う。 それは、服を創るという才で、幸いにしてその才が生かされる稼業に就いている。 ANSNAM デザイナー 中野靖そのひとである。 デビュー以来一〇年近い付合いになるが、いまひとつ狙いが定まっていなかったように思う。 だが、ここ数シーズンの仕事振りには、 模索すべき事がなんであって、その結果成すべき事がなんであるかが、はっきりと見て取れる。 それは多分、中野靖でしか到達しえない領域でのクリエーションなんだろう。 あたりまえの事だが、ほとんどの衣服は糸からできている。 しかし、一着の服を 原糸工程から発想し、 いくつもの中間工程に於いて特異な手法を駆使し、 仕立という最終工程に着地させるという流儀を、 服創りに課しているデザイナーが果たして何人いるだろうか? それでも、我々は、そうやっていると答えるデザイナーはいるだろうが、 ほとんどはメゾンという組織としてであり、チームとしてであって、 全てをたったひとりでとなるとあまり聞いたことがない。 たったひとりなんだから、納得するまでやって、納得できなければ、まるごと棄てる。 結果、コレクションが、ジーンズ一本という体たらくな事態も生じたりもする。 ほんとなら、勝手にやってればという始末だろうが、それが中野靖の流儀なんだからしょうがない。 もうひとつ違った視点から、この男の仕事を眺めると。 かつてそうであったように、服創りが、ひとの手で一着づつなされていた時代を想起させる。 だが、ANSNAM の服には、懐古的な要素は見受けられない、 どちらかと言うと前衛的ですらある。 … 続きを読む

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三百五話 TYPHOON !!

八月四日に施餓鬼会、八月七日に初盆法要と一五日まで続いていく。 遠くから御参りに来てくれるひともいる。 せっかくなので泊まってもらって、ゆっくり飯でも食いながら話もしたい。 そのために古館の片付けを急いだようなもんだから。 まぁ、楽しいんだけど、仕事も休むわけにはいかないので、きついっちゃぁきつい。 そんな盆中日の一〇日、翌日の月曜日は、店も定休日。 この日は、御参りに来るひともなく、ちょっとゆっくり過ごせそうだと思っていた。 ところがぁ、まさかの TYHOON !! 強い台風十一号が、四国から瀬戸内海を渡って姫路辺りに再上陸するという。 姫路って、海辺の家と目と鼻の近さじゃん。 この地で生まれ育って、台風慣れした嫁に大丈夫か?と訊いても。 「 ぜ〜んぜん大丈夫、まったくもって OK ! 」 「いつも思うんだけど、あんたのその根拠のない自信って、どっから湧いてくるの?」 真に受けると碌なことがないので、車庫の木製扉をロープで縛る。 そして、水が流れて来そうな場所に煉瓦と土嚢を積み、庭の植木鉢を非難させ出勤した。 昼頃。 「窓から見える明石大橋がこんなことになってますけど、それでも大丈夫なんでしょうか? 」 「嘘ォ〜、マジでぇ〜、全然駄目じゃん 」 「でもウチは大丈夫、奴らを飼ってるから、いつだってちゃ〜んと守ってくれるんだから」 奴らとは、古館が建つずっとずっと昔から居る山桃の大木と姥桜のことである。 仕事を終えて晩方海辺の家に戻る。 屋内は、雨漏りも浸水もなく、水を含んだ雨戸が開きにくくなっている程度で大した不具合もない。 が、一夜明けて、朝庭に出てみると。 風で千切れた枝が庭中に散らばって、 ハーブは根っこから倒され、排水溝に落葉が詰まり水溜まりになっていて、もう、滅茶滅茶。 元通りにするには、今日一日費やさなければならないかも。 実際、朝七時頃から始めて、終えたのは晩の八時過ぎだった。 そんなでも、山桃と姥桜の大木は堂々と立っていて、海側から家を守るように覆っている。 嫁の言っていたことは真実なのかもしれない。 度々の台風や、地震から、齡六〇歳を越えたこの古館を庇護してきたのだろう。 お隣さんや電気屋のオヤジが、様子を見にやって来てくれた。 「どう? … 続きを読む

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三百四話 肌着

なに? これ? ただの白い T-Shirt じゃん。 まぁ、そう言われたら、そうなんだが。 じゃぁ、こんな T-Shirt 何処かにあるかと訊かれれば、多分他に無いんじゃないかな。 Musée du Dragon では、丈の長いヴィンテージ仕様に仕立てられたシャツを提案させて戴いている。 一九世紀中頃くらいの Work Shirts を想起させるシャツで、数年前に始めた。 最近この Long Shirt が妙に人気で、皆さんよく愛用されている。 そんな方々のおひとりが。 「このシャツ気に入ってよく着てんだけど、こういうのって下にどんな肌着着りゃ良いの?」 「そこら辺の百貨店に売ってるタンクトップでも着られりゃ良いんじゃないですかぁ」 「そこら辺とか、タンクトップでもとか、雑な商いすんじゃねえよ!だいいち俺そんなの着ねえし」 「T-Shirt 派なんだよ!たまには、これでも如何ですかって、スンナリ勧められねぇのかよ! 」 「ちぇっ!面倒くせえなぁ」 「あっ、この野郎舌打ちしやがったな!それが、てめぇの仕事だろうがよ!」 創って創れないことはないのだが、素材からとなると少量生産とはいかない。 専業の下着メーカーを知らないわけでもないし、デザインを請負っていたこともあるけど。 さすがに、一品番だけを仕入れるっていうのも互いに辛い。 そこで出逢ったのが、この T-Shirt 。 藤田将之君が創った JOINTRUST のロング T-Shirt … 続きを読む

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三百三話 最後の JULIA 。

“ JULIA ” ジュリアって、このオネェちゃんの名前じゃないよ。 でも、このモデルの歳を知って驚いた。 十五歳らしい。 末が恐ろしい。 外人の女の子は、やっぱり早熟なのか。 もっとも、今時日本女子の十五歳がどんな調子なのか? と訊かれてもオッサンは知らんけど。 で、JULIA とは。 彼等が羽織っているカーディガンに使われている手編糸の名称で。 ベルギーのフランダース地方に所在する Kortrijk という街で紡がれた亜麻糸である。 ブリュッセルにほど近いレイエ川に沿って開けたこの街は、ちょっとした規模を誇っている。 ベルギーという国名が麻に由来するように、Kortrijk は、古来より最高峰の麻産地として知られる。 今でも在るのかどうか定かではないが。 街中には、 Vlasmuseum とかいう麻にまつわる立派な博物館まで建てられていたように思う。 亜麻は自然作物で、天候や土壌や水質の影響を受けやすく、人の想い通りにはなかなかいかない。 そういった意味に於いて、葡萄酒の醸造に似ている。 飛切り良い時もあるし、まぁまぁの時もあって、まったく残念な時もある。 だから、Kortrijk の人々は、暮し向きのほとんどを天に任せて生きてきたのだと思う。 そんな Kortrijk Linen のなかでも JULIA は、特に土の香が染付いた素材かもしれない。 ファイバーになる手前の段階をスライバーという。 スライバーは、繊維を一本一本棒状に平行して引き揃えた状態で、これを撚ると糸となる。 JULIA は、完全にではないが、見たところスライバー段階に近い形状をしている。 撚糸による影響をあまり受けず、柔らく、植物としての亜麻本来の風合が楽しめる。 JULIA … 続きを読む

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三百二話 初盆 

この盆という風習がいつの頃から始まったのかは知らないが。 昔は、祖先の霊が子孫のもとを訪れるのは、 一年に二度とされていたらしい。 初春と初秋の満月の夜。 それぞれに、同じ意味合いで行事が執り行われていたのだという。 後に、初春の行事を神道が核となって正月祭となり、 初秋の行事は盂蘭盆会と習合して、佛教のもとで供養されるようになった。 八世紀頃には、今みたく夏に先祖供養がなされていた。 禅宗、特に曹洞宗の盂蘭盆会は、厳しい戒律に則って進められる。 七月の月命日法要に、老師がやって来て。 「八月四日は施餓鬼会や、喪服着てふたりで寺へ来なあかんで」 御釈迦様から伝わる経文を唱え、何百何千倍にも膨れ上った供物をありとあらゆる霊に施す法要。 それが、施餓鬼会である。 「えぇ〜、この糞暑いのに喪服で明石までって、ちょっとキツくない?」 「阿呆かぁ!本堂に入ってから上衣着たらええやないかぁ!」 言われなくっても、そうするけど。 問題は、冷房が効かないほどデカイ本堂なんだよ。 そう思っても、口にはしない。 「は〜い」 「それから、儂は、七日に此処に来るさかいな」 「えっ? また来んの? 何しに? 副住職に仕事奪われて暇なの?」 「なにを言うとんやぁ! 七日から、おかぁちゃんの初盆供養が始まるんやないか!」 「儂が来んで、どなしてやるつもりにしとんねん!」 「それまでに、ちゃんと設えとくんやで」 また、どうせ団子でしょ? 嫁は、そう思ったらしい。 だが、団子だけで済まなかった。 もはや我家の定番となった団子はもちろん、素麺、変わりもののぼた餅に始まり、水の子まで。 水の子とは、米に生茄子と胡瓜などを賽子の目に細かく切って蓮の葉に盛ったものである。 このお膳を、一五日までの一週間欠かさず供さなければならない。 他にも、精霊棚、茄子牛、胡瓜馬、初盆だけの白無地提灯、白木の精霊船など。 いろいろと整えなければならない。 面倒だと思えば、確かに面倒ではある。 だが、この慣れない作業が妙に楽しかったりするのが不思議だ。 初盆には、近場の親類縁者だけでなく、遠くに暮す従姉や学生時代の友人がやって来てくれる。 生と死の境界を越えて集う儀式と言えば、少しおどろおどろしいけれど。 … 続きを読む

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