月別アーカイブ: December 2014

三百四十六話 大晦日の吊り橋

海辺の家の東側に見える明石海峡大橋です。 そして、航行安全用の明かりは、大晦日バージョンに切替りました。 訊くところによると二八パターンもあって、時々に夜空を彩るらしい。 主塔の高さは、海面から二九八.三メートル。 東京スカイツリー、東京タワー、あべのハルカスに次ぐ高さなのだそうだ。 こんな世界最長の吊り橋も、竣工から十六年という月日が経つとすっかり風景に馴染む。 住人達は、普段ことさらに見上げないし、灯の色が変わっていても気づかないこともままある。 橋を企画管理している方々にとっては、少々甲斐のない始末ではあろうが。 そうなのだから、しょうがない。 僕が、初めて海辺の家を訪れた三六年前には、もちろんこんな吊り橋は無かった。 だけど、橋が無かった頃の情景を想い浮かべようとしても、いまいちボヤけていてうまくいかない。 それほどに、もう橋の在る景色があたりまえになってしまっているのだろう。 ひとの記憶なんて、いい加減なものである。 向島や阿倍野の下町から見上げる塔やビルも、やがてはそうなるんだろうと思う。 街場の情景は、そこに暮らす人々が好むと好まざるをよそに変わっていく。 この港街も、変わった。 吊り橋のように新しく描かれたものもあるし、逆に掻き消されたものもある。 かつて海沿いに建ち並んでいた古びた洋館が取壊され、高層マンションへと姿を変える。 情緒的には残念な気もするが、実利的には功を奏した。 街場で暮らす人の数は増え、寂れることなくこうして賑わっているのだから。 やはり、情緒が実利に勝るといったようなことは起きないのかもしれない。 たいていの物事には、それぞれに役割が備わっているものだが。 時が経つとその役割も新しい担い手が現れ、代わって果たされるようになる。 今の時代では、役割そのものが 無くなったりもする。 十六年前まで、島へと人や貨物を渡す役割を担っていたのは船だった。 吊り橋が竣工した時、その船舶会社の存続を皆が危ぶんだのだが、それでも運行は続けられていた。 だが、昨年の春、明石港と岩屋港を結ぶフェリー航路は、五八年の歴史に幕を閉じることになる。 当事者の方々にとっては一大事であったろうけれど、街場の暮らし向きにはさほどの変わりはない。 島から商いものを仕入れている駅前の卵屋の婆さんが、 世も末だみたいなことをほざいていたが。 最近では、自分達が船に頼って商ってきたことすら忘れてしまっている。 こんな巨大な吊り橋にしてそんな具合なのだから。 街場に在る店屋の新陳代謝など、いちいち気にかける話でもない。 古い店屋の幕が降りて、新しい店屋の幕が上がる。 ただそれだけの事だろうし、またそうでなくてはならない。 今年一年 Musee du Dragon … 続きを読む

Category :

三百四十五話 仕事に、念が、入っている。

高倉健さん。 二〇一四年十一月一〇日に旅立たれて四十九日目の今日。 中陰が過ぎ、ちょうど天界にお着きになられる頃だろう。 亡くなられて間もなくは、こんな blog で、逝かれる道を邪魔してはと思い控えさせていただいた。 もっとご縁の深かった多くの方が、立派な弔辞を送られるだろうし、語れるほどの人間でもない。 ただ、一言お礼だけはお伝えしておきたい。 高倉健さんにしてみれば、たまたま場末の服屋の品に目を止められただけなんだと思う。 気に入って欲しいと仰られたので、神田の “ 山ノ上ホテル ” までお届けさせてもらった。 それだけでも、とても有難く、この上もなく光栄な事なのに。 後日、数々の映画衣装を手掛けられた高名な女史が、Musée du Dragon までやって来られた。 「高倉のいいつけで、お礼とお届けに参りました」 そのとき、言付けられた言葉がある。 “ 仕事に、念が、入っている ” 一介の服屋と職人には、あまりにも過ぎた礼節だった。 高倉健さんは、誰に対しても、そういう気遣いを生涯貫かれた方だったんだろうと想う。 この言葉、今日まで、稼業の励みとしてまいりました。 ありがとうございました。 ほんとうに、ほんとうに、お疲れさまでございました。

Category :

三百三十四話 それは言えない

これ、年が明けた二〇一五年新春に発売予定の試作品です。 Over The Stripes の大嶺保さんと一緒に創りました。 袖裏とか。 ボタンとか。 ポケット裏とかに。 或るところのヴィンテージ・スカーフを随所に配して。 さらに、背裏に描かれているグラフィックに目を移すと。 何かが溶けだしている。 何かとは何か? それは言えません。 僕ら、もうこの歳になると、なぁ〜にも怖いもんなんてありませんから。 かかってきなさい! 素材には、Coolmax Wool を使って、細部まで丁重に真面目に仕立てました。 よりフォーマルに、よりブラックに、あの名品が蘇ります。 ほんとは、ちょっと怖いんだけど。

Category :

三百三十三話 PUNK の父が愛した帽子

スタッフが、期末の倉庫整理をしていたら、奇妙な帽子が出てきたという。 なんかジャガ芋みたいな帽子で、なかなかに良いじゃん。 二◯◯九年冬の入荷とあるから、五年ほど前になるのかぁ。 SLOWGUNの小林学氏が創った帽子だ。 まぁ、その時には売れなかったから、こうして倉庫にあるんだろうけど。 しかし、なんか今時な感じで新鮮に映る。 五年前と言やぁ、“ ROCK ” だの “ LUXURY ” だのといった言葉が飛交っていた時分だろう。 小林氏が言うこの Hippy Hat にとっては、旬とは言い難い不遇の時だった。 遅くても駄目だが、早くてもこれまた駄目で、残念な結末となる。 帽子好きとしては、このまま眠らしてしまうのも惜しい気がする。 ひとつは、いきがかり上僕が買うとして、残りを店に出すことにした。 店に出すにあたって、ちょっと帽子の話をさせて戴く。 この Hippy Hat とは、多分 Mountain Hat のことじゃないかと思う。 だとしたら、Mountain Hat は、やはり山高帽の一種で。 英名 Bowler Hat と呼ばれる山高帽が考案されたのは、一八五◯年頃だと言われている。 倫敦の St. James 街で生まれたらしい。 … 続きを読む

Category :

三百三十二話 街場の良い店、悪い店

“ 食べログ ” みたいに奇妙な物差しで、店屋の良し悪しを測ることが当り前のようになってしまった。 “ 口コミ ” とかいう書込み欄があって。 気の効いたことを書込むならまだしも、一度暖簾を潜った程度で、あれこれ悪口を叩く輩もいる。 大抵が、長年見知った常連客を相手に、ひっそりと商っている店屋が槍玉にあがることが多い。 店屋にとっても、その店屋に通い続ける御常連の方々にとっても、侮辱に他ならない。 街場の店屋がなんたるか? その分別も身につけぬままに、悪評を曝すのは品のある大人の行為とはいえないだろう。 銭さえ払えばなにを言っても許されるというものではない。 なんか、年寄の説教みたいな話になってしまったけれど。 ほんとうに止めてもらいたいと思う。 ちょっと前、急に焼鳥が喰いたくなって、中山手通りの中程に在る店屋の暖簾を潜った。 “ いのうえ ” という屋号で、カウンター一〇席ほどを女将さんひとりで切盛りしている。 店員に笑顔がなく愛想が悪い、値段が法外だ、味はそこらの焼鳥屋と変わりはない。 書込みを要約すると、こんなところだ。 言っておくけど、僕は、この焼鳥屋になんの義理もない。 この女将の馴染みでもなく、通い詰めた常連でもなく、ただの一見の客である。 だからいちいち反論するのも大人気ないし、面倒なのだが、この言草にはちょっと黙っておれない。 まともな職人は、焼き台から片時も目を離さないものだ。 ちょっとした加減の不具合で、味が台無しになるから。 へらへら愛想振り撒きながら、鳥を焼く職人がいたとしたら、そいつは碌なもんじゃない。 どう見ても女将ひとりの焼鳥屋に入っておいて、愛想が悪いもないもんだと思う。 此処の鳥は、地鶏で、丁重に下処理されてあって臭みも無いし、噛み応えもしっかりとしている。 よほどに信用がおける鶏業者が出入していなければこうはいかないし、鮮度も申分ない。 希少部位もあって、多分仕入値も張るだろうから、ことさら高くはないだろう。 少なくとも、“ 法外に ” という表現は妥当ではない。 旨い不味いは、ひとそれぞれだろうから一概にそうじゃないとは言えないが。 新鮮な地鶏を、いろいろな部位ごとに指先で丁重に仕込み、備長炭でゆっくりと焼いていく。 あたりまえの仕事を、きっちりとこなされていて、いい加減なところなんてひとつもない。 … 続きを読む

Category :

三百三十一話 未完の完?

うん? 刺繍まだ途中じゃないの? あれ? まだ編終わってないんじゃないの? いいえ、“ doublet ” の井野君的にはこれで完成です。 “ 未完の完 ” 無い話ではない。 但し、芸術分野での話だけど。 喩えば、Katherine Mansfield の短編「ある既婚者の話 」には、編者でもある夫がこう言添えている。 “ Unfinished yet somehow complete piece ” “ 未完でありながら、なぜか完成した作品 ” 絵画では、Henri Matisse の名作 “ The Dance ” なんかもそうだろう。 描き終わっていない未完成作品である。 ちょっと異なるかもしれないが、有名な “ Venus de … 続きを読む

Category :

三百三十話 Fuckin Dead Leaves!

十二月一日の月曜日、海辺の家に居た。 この一年の間、月曜日はだいたい此処で過ごしている。 朝早くに起きて、先に庭へと出た嫁がニヤニヤしていて。 「おはよう、そしてご愁傷様でございます」 「えっ? なんかあった?」 「庭がね、枯葉でね、埋まっててね、そんでもってね、雨が降ってね、濡れてますの」 「本日は、あまりご無理なさいませんようにって言ってあげたいけど、こりゃぁ大変だわ」 恐る恐る庭に出てみた。 Jesus Christ ! Fuckin dead leaves ! 庭には、桜、梅、藤、楓、紫陽花といった連中がいて。 どれも古くて、どれも大きくて、落とす枯葉の量も半端ない。 毎年の例で言うと、リッター換算で九〇〇ℓから一〇〇〇ℓ位の量となる。 大型の塵袋に、パンパンになるまで詰込んで十二袋以上収集しなくてはならない計算だ。 それでも庭の一部で、全体をくまなくやればその倍はあるだろう。 そして、濡れた枯葉ほど始末に悪いものはない。 電動バキュームどころか、場所によっては熊手すら、濡れてへばりついた枯葉には役に立たない。 道具は、自分の手だけとなる。 乾くまで放っておけば良さそうなものだが、週に一度となるとそうもいかない。 一週間このままで置くと、溝という溝は詰まり排水不全に陥る。 また風でも吹けば、ご近所に迷惑の種を撒き散らすことにもなってしまう。 なので、今日やるしかない。 俯いて、集めては袋へという作業を黙々と繰返す。 これは、もはや作業というより修行に近い。 そうしていると、頭の上にハラハラと何かが落ちてくる。 枯葉だ、紅く染まった桜の落葉だ。 嫌な予感がして上を見上げる。 桜の枝には、もういくらも葉は残っていない。 いったい何処から? Oh My God !!!!! 庭には、松や、柘や、ヒマラヤ杉や、山桃といった葉を落とさない良い子の常緑樹達もいる。 … 続きを読む

Category :

三百二十九話 遠州の布

三百二十八話 “ まさかの店干し! ” をなんとか終えた Trouser です。 Musée du Dragon が、ANSNAM の中野靖先生にお願いしてお創り戴いた有難い Trouser です。 「先生、年末のお忙しい最中、お手を煩わせまして申訳ありませんでした」 「洗い加工の際、お手など冷たくはございませんでしたでしょうか?」 「荒れると大変なので、高級ハンド・クリームでも送らせて戴きます」 ってな事、言うわけもねぇし、送りもしねぇよ! そもそも、こう見えても服屋なんだよ! うちは、洗濯屋じゃねぇんだぁ! なんで、店ん中で干し物なんかしなきゃなんねぇんだ! blog を読まれた方がいらっしゃって。 「あの店干しパンツって、どれですか?」 ほれみろ!すっかり “ 店干しパンツ ” なんて干物みたいな名称に成り下がってんじゃねぇかよ! 情けない、ホント情けない。 これで出来が悪ければ、迷わずオサラバするとこなんだけど、そうもいかない所が厄介なのである。 とても残念なことに、この仕立服をこなせる人間はそうはいない。 だから、こうやって毎度毎度危ない橋を渡ることになるのだ。 今回は、同じ産地の全く異なる布を使って、ふたつのボトムを考えてみた。 遠州地域は、江戸中期から続く日本有数の綿織物産地として知られる。 一時期、遠州織物はその量に於いて世界を席巻した。 その後の衰退期を凌ぎつつも織布技術の研鑽を怠らなかった遠州織物は、 今、量ではなく質で世界に認められようとしている。 そんな産地で織られたひとつ目の布は、遠州ツィードと呼ばれる厚地織物です。 紡毛糸で織られたツィード生地は、五センチ以下の梳かない毛で織られる。 … 続きを読む

Category :