月別アーカイブ: April 2014

二百八十話 百鬼夜行の A Midsummer night’s dream  

昨年の夏頃だったかなぁ。 OVER THE STRIPES の大嶺さんと飯を喰っていた時。 「これから、何が流行るんだろう? っていうか、何が売れるんだろう?」 「さぁ〜、ほんとどうなんでしょうねぇ」 まったく、当事者意識を欠いた無責任にもほどがあるオジサンふたりのやりとりである。 「なんてことないジーンズと、白シャツみたいな感じじゃないですかねぇ」 「へぇ〜、そうなの、ミニマルとかっていうやつ?」 「大嶺さんって、そういうの好き?」 「嫌い!」 「だよねぇ、どうでもいいけど、この豚肉のソテー美味しいよねぇ」 「蔭山さんは、そういうのどうですか?」 「昔は牛肉派だったけど、今は豚肉が主かなぁ」 「いや、そっちじゃなくて、ジーンズと白シャツの話なんだけど」 「あぁ、それ、嫌い!」 「じゃぁ、なんか創る? ちょっと笑えるようなやつでも?」 「それ、いいかも」 「それにしても、この豚肉、ほんと旨いわぁ」 「おかわりしますぅ?」 こういった、な〜んの危機感もない、な〜んの勝算もない、服創りが始まって出来たのが、これ。 背裏のどっかで Musée du Dragon の龍が、街をぶっ壊していて、そんな惨状にも PGGR は無関心。 背景は僕が、初公開の帽子を脱いだ PGGR は、大嶺さんが描いた。 このパンクなヘアー・スタイル、どっかで見たような気がするけど、どこかは言えない。 そして、胸には、コサージュの替わりに ROCKY 君が。 そして、一着一着に、違ったキャラクターが用意されている。 PGGER … 続きを読む

Category :

二百七十九話 Bedouin が、遺した布。

僕には、何かを収集したりとかいう癖はない。 他人は、意外に思うかもしれないが。 モノへの固執度合いは、そんなに高い方ではないのかもしれない。 だから、壊れたり、なくなったりして、途方に暮れたりすることもあまりない。 大概のものは、同じか、それ以上の機能のものに買替えれば済むから。 たけど、そうはいかないものも、なかにはあって。 これも、そのひとつである。 砂漠の民 ベドウィンが、暮らしのなかで実際に使っていた布。 布は、キリムと呼ばれていて、十九世紀のベドウィンが遺した。 その昔、駱駝にまたがり輸送業を営んでいた者達をベドウィンと呼んだ。 砂漠の宅急便屋みたいなもんだろう。 よく遊牧民と勘違いされるが、運搬業と放牧業という生業の違いから、生活様式が異なる。 遊牧民は、主に牧草地で、ベドウィンは、砂漠で暮らす。 その姿は、広くサハラ砂漠の大西洋岸から、アラビア砂漠へと伸びるほぼ全域で見られる。 いや、正確には見られた。 一九五〇年代頃から、伝統的移動生活を捨て、都市部で暮らし始め、今では砂漠に彼等の姿はない。 遊牧民にとっては、干ばつによる牧草地の減少が、 ベドウィンにとっては、交通手段の発達による需要の減少が、暮らし向きを悪くさせたらしい。 キリム自体は、定住者となった今でも織られているのだが。 ベドウィンが、純粋な砂漠の民であった時代。 その暮らしの中で、織り上げ、繕いながら、世代を超えて継いできたキリムとなると、数は少ない。 とても、希少な布といえるだろう。 この布にも、数世代に渡って、空いた穴に別布をあてがい繕われた痕が、幾つも残っている。 紋様には、それぞれに意味があって、この布を読み解くと。 Ejder 紋様は、龍を表し、龍は、大気・水の支配者の象徴で、守護が願われている。 また、Kocboynuzu 紋様は、羊の角を表し、勇敢さの象徴で、繁栄を願っている。 電気も通わない砂漠、そもそも電気自体があったかどうかも定かではない頃の話である。 キリム創りには、途方も無い手間と時間を要しただろう。 それだけに、込められた想いも強かったのではないか。 二十数年前、僕は、伊 Verone で、仕事上の知合いだったイラン系伊人から、この布を譲って貰った。 父祖の代から、絨毯業を営む家系に産まれたその男は、親の代で伊に渡ってきた。 伊でも、業界の元締的存在で、構えていた会社も相応に大きく立派だった。 この布は、売物ではなかったが、タダで譲って貰ったわけではない。 安月給の割に頑張ったつもりだったが、到底値打ちに見合った額ではなかったように思う。 そんな経緯で、この … 続きを読む

Category :

二百七十八話 縦が駄目なら、横に使ってみな! 的な。

「うわぁ〜、なに!これぇ!」 朝、起きてくると、洗濯機の槽に頭を突っ込んで騒いでいる。 「どうしたの?」 「ちょっとぉ、洗濯機になんか変なもの入れなかったぁ?」 「べつに入れてねぇよ、昨日着てた服は入れたけど」 「中が、糸屑だらけになってんのよ」 「どうして?」 「それが、解んないから訊いてんじゃん!ちゃんと、頭使ってよ!」 犯人は、昨日着ていたスウェット・シャツだった。 綿一〇〇%素材で、裏面のパイル地が起毛してあるヴィンテージ・スウェット・シャツ。 嫁が言う糸屑の正体は、裏起毛の際に生じたものだろう。 「そういや、学生時代に着てた MADE IN USA のスウェットって、こんな感じだったよね」 「でも、今時、こんなスウェット何処で売ってんの? 古着屋?」 「何言ってんの、うちだよ、Musée du Dragon だよ、悪いけど」 「マジでぇ〜、これうちのなのぉ?駄目じゃん!」 「駄目じゃない、駄目じゃない、糸屑も含めて、ヴィンテージ感を再現するのが狙いなんだから」 「意味わかんない!とにかく、今から、洗濯槽の掃除やんなきゃなんないんだから!」 まぁ、この手の話が通じる女っていうのも、それはそれで問題だけど。 NUMERO UNO × Riding High 両社によるスウェット・アイテム。 King of Sweat と言えば、米国 Champion 社による製品だろう。 学生時代に着ていたのも、やはり Champion … 続きを読む

Category :

二百七十七話 病の果てに、THE CROOCKED TAILOR !

花見を挟んで、二百七十五話からの続きです。 謎が謎を呼び、病が病を呼寄せる。 三〇年以上培ったキャリアの全てが、警告を発している。 「こんな腐れ話に耳を貸してはならない」 「こんな男に関わってはならない」 どうする?どうなる?俺の華やぐはずの Happy Retire Life は? 現役生活の終幕に於いては、善人面して、あくどく稼いで、オサラバするはずじゃなかったのか? なのに、全然駄目じゃん、これじゃぁ! 一枚の名刺を眺めている。 “ S.L.C co.ltd for the splendid life’s creation 中村冴希 ” と記されてある。 「はぁ?なにがぁ? splendid life なんだよ?」 「間違いなく、地獄の一丁目一番地じゃねぇかよ!」 健全なひとの営みというのは、明るい未来を信じて、日々希望抱きながら暮すものである。 未来どころか、現世にも背を向けて、不穏で、暗く、荒んだ過去に、居場所を求めて彷徨う。 これは、もう立派な病であって、行着く先は、良くて病院、悪くすれば墓場だろう。 ぶっちゃけ、この中村冴木君は、何を僕にやれというのだろうか。 話を訊いた。 まず、縫製機を使わず、職人も雇わず、たったひとりで、自らの手だけを頼りに服を仕立てるという。 なので、布地が服となるまで、アトリエの外に出ることはない。 内部付属品から、縮絨加工、釦穴縢りに至るまでの全てをである。 言わば、究極の Haute Couture なのだが、華やかさの欠片もなく、モードの先進性も感じさせない。 それは、古典的で、枯れた風情を纏った普段着なのである。 … 続きを読む

Category :

二百七十六話 東の桜 と 西の桜

二百七十五話の続きで、病に冒された男の話をさせて戴くつもりでしたが、その前にちょっと。 花見です。 と言ったところで、桜を見上げながらの酒宴というわけにはいかない。 喪が明けるまで、 後八ヵ月は、そういった事も慎まなければならないのだろう。 夕暮、嫁とふたりで、目黒川沿いを歩く。 花冷えというには、寒過ぎる。 そのせいか、人出もそう多くはない。 だが、両岸に咲誇る桜は、見事である。 川巾があまり広くないのもまた良い、左右の岸から川に被さるように咲く。 夕日に、川面が染まり、桜も染まる。 「綺麗だよねぇ〜、寒いよねぇ〜、お腹減ったよねぇ〜」 「じゃぁ、まだちょっと日が高いけど、今からでも焼鳥屋に潜り込む?」 「マジでぇ!ナイスじゃん!今でしょ!」 と、まぁ、そんな感じで、東に咲く桜を見た。 西の桜は、海辺の家に咲く姥桜だ。 東の桜を眺めながら、西の桜を想う。 この庭に根づいて半世紀、咲けば家族の誰かが見上げた、母ひとりだけの時もあっただろうけれど。 少なくとも、誰も眺めないという時は、一度としてなかった。 しかし、この春、この家に、この庭に、母は、もういない。 見ようと見まいと、勝手に咲いて、勝手に散るんだから、気にするほどのことはない。 とは言うものの、ちょっと不憫になって、嫁に訊く。 「なぁ、月曜日にでも、ちょっと帰ってやろうか?」 「うん、でも、週末に雨降るらしいし、散っちゃわないかなぁ?」 「意外と、婆の桜は、しぶといと思うよ」 海辺の家に着いて、庭に出て、見上げると、婆が待っていた。 東の桜みたく何百本も連なっているわけではない、一本どっこで海を睨んで立っている。 身贔屓もいいとこだが、近隣のどの桜よりも大きくて、立派で、艶やかだ。 年増の意地も、こうしてみると、なかなかに大したものだと感心する。 年月を重ねた木々には、家人とちょっとしたやりとりが出来る奴がいて、この姥桜もその内である。 「遅ぇんだよ! 年寄を待たせんじゃないよ!」 「根が生えてんだから、のこのことこっちから咲きに行ってやるわけにはいかねぇんだよ」 「 ところで、もうひとりの婆にも見せてやんな、せっかくこうして咲いてやってんだから」 「もうひとりの婆?」 「家の中に居るんだろ? 仏様だからって、薄暗い部屋に閉込めとくんじゃないよ!」 「なんのための庭なんだぁ!気がきかない野郎だねぇ、まったく! 」 … 続きを読む

Category :

二百七十五話 それは、懐古か? 反逆か?

危うく見逃すところだった絵を観に行く。 会期終了間近の “ ラファエル前派展 ” 観るべき作品は、ただひとつ。 John Everett Millais  “ OPHELIA ” そして、観るべき視点は、ただ一点、描かれた背景にのみに集中する。 それが、この絵画を理解するうえで、正しいのか、誤りなのか、そんなことは知らない。 また、ここで、その解説を披露するつもりもない。 ただ、このヴィクトリア朝の傑作と称される名画を眺めていて、或映画を想った。 奇才 Woody Allen 監督作品 “ Midnight in Paris ” 確かこんな粗筋だったように記憶している。 一九二〇代の巴里を敬愛する現代の作家が、過去の巴里へとタイム・スリップする。 そこで、心酔してやまない当時の芸術家達と巡り会う。 Fitzgerald夫妻、Cocteau、Hemingway、Picasso といった文豪、画家、詩人達と夜毎興じる。 やがて、Picasso の愛人 Adriana と恋仲となるが、彼女は、ベル・エポックの巴里に憧れていた。 そして、再度、巴里が最も輝いていた時代ベル・エポックへと遡ってタイム・スリップする。 そのサロンには、Lautrec、Cezanne などが集っていて、彼等は言う。 一五世紀のルネッサンスこそが、芸術の黄金期だったと。 現代を生きる男は、一九二〇年代に産まれたかったと言い。 一九二〇年代を謳歌する女は、一九世紀末のベル・エポックに憧れ。 一九世紀の芸術家は、一五世紀のルネッサンスに想いを馳せる。 … 続きを読む

Category :

二百七十四話 男目線と女目線

父親は、映画業界から服飾業界へと渡った。 どっちも、碌でもない稼業だとよく言っていた。 息子である僕も、その碌でもない稼業の一方に就いて、今に至っている。 ただ、父親が創業した婦人服屋を、後を継いだ僕は、紳士服屋にした。 その点に於いて、親子の生業に違いがある。 何故、そうなったのかと言うと。 おんなの人が、怖かったから。 良く言えば合理的、悪く言えば打算的。 或時、顧客の奥様が、御主人に言われた。 「お金使う前に、頭使ったらぁ?」 ほんとに怖い、だが、間違いなく正論で、だからこそ、なおのこと怖い。 ハーバード大学の医師である御主人にして、この始末なのだから、他は、推して知るべしである。 おんなの人は、服飾に何を求めるか? それは、他人の目に自分の姿がどう映るか? 服飾は、その自己演出のための小道具であって、それ以上でも、それ以下でもない。 堅実、裕福、妖艶、可憐、洗練、素朴など、その時々の化身に応じて、費用対効果を測る。 だから、似たような服を、何着も求めるというような行為は、まさに愚行なのである。 あくまでも、見た目のバリエーションなのだから。 たま〜に、他の手が塞がっていて、奥様方の接客をすることがある。 そんな時、間違っても、この素材は、希少繊維でとか、縫製仕様が、細部にまで凝っていてとか。 能書を垂れてはいけない。 もし、その禁を破れば、こうなる。 「ふ〜ん、で、なに?」 「なにって、返されても」 「そうやって、頑張って、おっしゃるからには、これって、お高いんでしょ?」 「いや、まぁ、高いような、安いような、なんというか、そこは、どうなんでしょうか?」 「はっきりなさい!」 「はいっ、ちょっと、お高いですぅ」 「それは、しょうがないとして」 「主人の格好が、いつも鼠色ばっかりで印象が暗いのよね、春なんだから、なんとかならないの?」 もう、こうなったら、思い切った手を打たなければ、地獄を見る。 御主人の好みが、どうのと言ってる場合ではない。 こっちも、玄人なんだから、やる時はやる。 で、こうなった。 「あらぁ、良いじゃない」 「なんだぁ、やれば出来るんじゃないの」 「えぇ、まぁ、頑張れば、なんとかならなくもないというかぁ 」 「じゃぁ、いつも頑張れば?」 「頑張れない事情でも、なにかおありになるの?」 … 続きを読む

Category :