四百九十二話 どっちの BABEL が好き?

これが、Boijmans Van Beuningen 美術館収蔵のPieter Bruegel 作「BABELの塔 」
今、国立国際美術館にいる。
さらに。
これも、Pieter Bruegel 作「BABELの塔 」
多分、Wien 美術史美術館にいる。

もうひとつ、Pieter Bruegel 作「BABELの塔 」はあったらしいが。
今、どこにいるのか誰も知らない。
ふたつの「BABELの塔 」
で、どっちの BABEL が好き?
まぁ、一般人にとっては、どっちでも良いはなしなんだけれど。
中世西洋美術愛好家の間では、意外と真面目に交わされる論議のひとつでもある。
なにが違うか?
まずは寸法が違っていて、面積比で Wien 美術史美術館収蔵の方が五倍ほど大きい。
そこで、「大BABEL」と「小BABEL」と呼んで二作品を区別している。
そして、「大BABEL」を観てから二〇年以上経った先日「小BABEL」を初めて観た。
僕は、ある期待をPieter Bruegel 作品に抱いて観る。
くだらない下衆な私見だが。
西洋美術史上でも指折りの謎とされる奇妙な美術が、一五世紀の和蘭陀に出現する。
全くもって Surrealism だとしか言いようのない存在なのだが。
これは、一九二四 年の超現実主義宣言から遡ること四〇〇年前の出来事である。
怪異にして諧謔、仮想であって現実、安堵にある不安。
主犯は、悪魔の画家 Hieronymus Boss で、その悪魔の追随者が  Pieter Bruegel なのだ。
だから、喩え宗教画であったとしても、Bruegel 作品には、その悪魔の足跡を期待してしまう。
その視点から改めて「大BABEL」と「小BABEL」を観てみよう。
要は、どちらが悪魔的か?
「大BABEL」画面左下には、箱船 Noah の末裔 Nimrod 王も登場させ壮大な物語として描いている。
確かに細密ではあるが、病的な仮想現実描写というほどではない。
どこか笑いを誘う諧謔的な人間描写も見当たらない。
「小BABEL」は、どうだろう?
王の姿は見当たらない、主題の塔のみが画面に居座っているだけ。
それでも、諦めず目を凝らしていく。
すると、塔のあちこちに米粒よりちいさな白い点が描かれているのがわかる。
なんだ?さらに目を凝らす。

人間?
塔上階で作業している左官職人が漆喰桶をひっくり返してしまい。
お陰で、下の者が頭から漆喰を被るという場面を微細な筆法で描いている。
Bruegelは、こうした人間を「小BABEL」において一四〇〇体画面上に配した。
現代の CG 技術で、この三ミリほどの人間をトレースし動かしてみると。
創世記時代の左官作業が見事に再現されたらしい。
塔本体は、どうだろう?
新しい煉瓦ほど赤く彩色されている点は、二作品とも同じだ。
だが階調の数が違う。
「小BABEL」では、より細かな階調で塔建設の時間経過を克明に表現していて。
煉瓦を日々ひとつひとつ積み上げていった様子を、現実のものとして受け入れさせられる。
浮かぶ帆船にしてもそうだ。
いくら語っても、これではきりがない。
神は Nimrod 王に怒り、言語による情報を遮断し「混乱」という罰を人間に下した。
それが、主題の本質で「大BABEL」 ではそうなのだろう。
しかし、「小BABEL」では。
塔構造、施工過程、滑車重機、資材運搬、港湾施設の様子が、驚愕の細密画法で描かれている。
そして、頭に漆喰を被りながらも愚直に煉瓦を一段一段積んでいく一四〇〇体もの人間。
「BABELの塔」は文明そのもので、ひとは力を合わせ必死に高みを目指して頑張る。
神様に怒られたって、やめやしない!
画家の労苦のほとんどは、そうしたことの表現に費やされたのではないか?
「小BABEL」の主題は、「Humanism」なのかもしれない。
わずか五年の間に二作の「BABELの塔」を描いた Pieter Bruegel の真意は謎だけれど。
どっちの BABEL が好き?と訊かれたら。

僕は、断然「小BABEL」だ。

Category :

四百九十一話 梅雨に履く靴 

よほどの雨でも降らない限り傘はささない。
梅雨時。
いくらなんでも、今日は傘を持っていけと言われて持って出て。
無事に持ち帰ることは、自慢じゃないが稀だ。
どこかに忘れるか、似ても似つかない別の傘を手にして帰るか。
どうして、いつもそうなのか?馬鹿なの?と訊かれても。
習性だとしか答えられない。
そうやって、長年この歳になるまで傘と縁のない生活を続けている。
じゃぁ、西欧人みたく濡れても気にならないのか?というと、それはそこそこ気になる。
だから、この時期 Gore Tex Parka は必須アイテムとして欠かせない。
雨が降れば、どんな場所にでも着ていく。
先日も、北新地のママさんに。
「ちょっとぉ!何してんの!あんた!裏にまわって!」
黒色の Parka をフードまですっぽり頭から被った姿で扉を開けた途端、そう叫ばれた。
どうやら、配達業者だと思ったらしい。
ちぇっ!この Parka 一着で、 てめぇんとこの客が羽織ってる背広三着は買えるんだけど。
せっかく気を使って、数ある Parka から選んで着てきてやったのに、この仕打ちかよ!
でも、まぁ、ママさんの言分の方が正しい。
洗面所で鏡の前に立つと、配達業者でも上等なくらいで、もう盗人の域だ。
お絞りを手に、おろおろしてるママさんが。
「このジャケット格好良いやん、わたしもこんなん欲しいわぁ」
「嘘つけ!遅せぇわ!」
「それより、なんか運ぶもんあったら言いつけてよ、俺、業者だから!」
しかし、どんなに世間受けが悪くとも、この雨装束を改めるつもりは毛頭ない。
さらに進化させていこうと思う。
喩えば、この靴。
Authentic Shoe & Co. の竹ヶ原君から送られてきた靴で、新作らしい。
Solid Kicks no.6 という名のスニーカーで、とても気に入ってる。
古典的意匠への敬愛と、凡庸であることへの反骨が、竹ヶ原敏之介の源泉だと思う。
スニーカーとしての原型に、軍靴の仕様を取込み、最新機能を付加させた異形の作品。
異形だからといって、履き心地や着脱具合は、微塵も欠いてはいない。
むしろ、向上していると言って良い。
一流の靴職人がスニーカーなんて!と考える靴マニアのひとも少なくないだろう。
正直、僕もそのひとりだったけれど。
このスニーカーには、そうは言わせない奇妙な説得力があるように感じる。
竹ヶ原敏之介の流儀が漂う一足で、安易な再構築とは一線を画した靴じゃないかと想う。
素直さの欠けらもない歪んだ思考と仕事ぶりは、相変わらずだけど。
そして、このスニーカー。
全天候型で、雨天でも平気なのだそうだ。
鬱陶しい梅雨が続く日々。

Gore Tex Parka の足元には、Solid Kicks no.6 を。

 

 

 

Category :

四百九十話 鯖寿司は、好きですか?

京都生まれ京都育ちで、京都で物書きをしている知合のおとこが言うには。
脂がのっていない鯖を押した鯖寿司ほど不味いものはないらしい。
異を唱えるのも面倒なので、そうだねと返したが。
実は、肉厚で脂がのり過ぎる鯖を押した鯖寿司ほど苦手だ。
加えて、表面を覆っている白板昆布もどうしたもんだろう?
昆布の旨味を付加するためだとか、青魚の臭みを和らげるためだとか、劣化を遅らせるためだとか。
いろいろと説はあるらしいが、どうもあのヌメッとした感じが食うに辛い。
鯖のべっとりとした脂と昆布のヌメヌメ感の重なりは、何故に?と思わざるをえない。
だが、始末の悪いことに味はことの外美味い。
ほんとうに残念な喰いものだと思う。
鯖にもっとも脂がのる季節は秋から冬にかけて。
そんなに脂がのった鯖が好きなのだったら、鯖寿司も冬に食えば良い。
そう思うのだが、京都人にとっての鯖寿司の旬は初夏から夏にかけてだとされている。
なるほど、お中元に鯖寿司をいただいても、お歳暮にいただいたことはない。
京都人には、祭りの日に鯖寿司を食する習わしが生きている。
初夏の葵祭り、盛夏の祇園祭り、晩夏を過ぎて間もない一〇月の時代祭。
どの祭りの日にも鯖寿司が、晴れの卓へと供される。
先日も、梅雨に入ろうかという京都を歩いていると。
「鯖寿司あります」と書かれたのぼり旗が、嫌でも目につく。
古い商店が建ち並ぶ通りだと、五分毎にはためいていて。
もう鯖寿司以外に食うものはないというほどの脅迫めいた風情が、街中を覆っている。
ここまでされると、そんなに好きでもない鯖寿司を口にしようかという気にさせられてきた。
数件の店屋の屋号が浮かぶ。
祇園「いづう」、八坂下「いづ重」、下鴨「花折」いずれも鯖寿司の名店として知られている。
そこで、考えてみた。
鯖の脂量と鯖寿司の値は比例しているのではないか?
肥えて脂がのった鯖ほど値が張るのだから、原価に応じて鯖寿司の値も張る。
白板昆布にしたってそうかもしれない。
肉厚の昆布ほど滑っていて、やはり値も張る。
脂と滑りを抑えたければ、買値を抑えれば良いのではないか?
ちょっと安値の鯖寿司であれば、具合良く食えるのではないか?
潜った暖簾は、東福寺山門前「いづ松」
誤解のないように言っておくけど、この「いづ松」も老舗であり名店だ。
祇園「いづう」から暖簾を分けられた先代は、現代の名工と称された寿司職人だった。
ただ、お茶屋通いの常連が集う親店とは違って、此処は庶民相手に営まれる駅前の寿司屋である。
看板の品は、鯖寿司。
竹皮に包まれた鯖寿司は、ずっしりと重い。
何切れからでもとご亭主から告げられたけれど、姿で一本の方が見栄えが良いのでそうした。
想定通りそんなに肉厚ではなかったが、用済みの白板昆布は早速にめくって外す。
滑りもさほどには気にならず、酢加減、塩加減、なにより鯖の脂加減もちょうど良い。
しっかりとした味で、そのままに食うのが旨いだろう。
いや、これは悪くない。
ひとそれぞれだろうが、僕にはこの塩梅がちょうど舌に合っているような気がする。
とは言うものの、「鯖寿司は、好きですか?」と訊かれて。
「はい、好物です」と返すには至らないのだけれど。
それにしても、京都の魚といえば、鯖に、鱧に、鰊といったところだろうか。
どうやら京都人は、妙に癖のある魚を好むようだ。

だけど 、やっぱり魚は、明石の鯛にはかなわない。

 

 

 

 

 

 

 

Category :

四百八十九話 やっぱり頼みは、稲荷大明神!

嫁に付合って京都山科で午前中の用事を済ませた後だった。
「近くだから、御稲荷さんの顔でも拝んでいく?」
「わたしお参りしたことないんだけど、伏見稲荷って商売の神様じゃないの?」
「商売やめて、伏見稲荷ってどうなの?」
「まぁ、それもそうだけど、参ったことがないっていうのもまずいんじゃないの?」
「無事に商ってこられた御礼がてら行こうよ」
伏見稲荷大社には、関西を始め全国の商人にとっての守護神が祀られている。
この国には、お稲荷さんと呼ばれる神社は三万社を超えて在る。
その全てのお稲荷さんを束ねる総本宮が、此処伏見稲荷大社だ。
一三〇〇年経った今もなお、商売繁盛・五穀豊穣を祈願するひとは後を立たない。
本殿に参って、千本鳥居へ、嫁が妙なことを言い出した。
「この千本鳥居 って、ほんとに千本あんの?」
「そりゃぁ、千本以上はあるんじゃないの、これが稲荷山の山頂までずっと続くんだから」
「ええっ!マジですかぁ!で、稲荷山って何処にあんの?」
「此処だよ!この鳥居を際限なくくぐって山頂へと登っていく訳よ」
「凄いねぇ、じゃぁ、行こうよ」
「う〜ん、ちょっとした登山だから無理じゃないかなぁ」
「って、ひとの言うこと聞けよ!」
説明も忠告もなにも聞かずもう登り始めている。
稲荷山は、伏見稲荷大社の神体山で、二三三メートルほどの標高である。
たいした標高ではないが、それでも山は山だ。
二度ほど連れられて登った記憶だと、九〇分ほど石段を登り続けたような。
意外ときつい。
一〇分おきくらいに茶店が在って、茶店毎に登るのを諦めたひとが引き返していく。
四〇分ほど登りつめると、四ッ辻に着く。
視界が一気に開け、洛中が一望できる中腹地点だ。
たいていの参拝者は、この眺望を土産に引き返すみたいで。
「さ〜て、俺らも戻るかぁ」
「だから、ひとの言うこと聞けって!」
嫁には、この眺望も単なる通過地点に過ぎなかったようで、さらに登っていく。
「あんた、なんか狐かなんかに憑かれてるんじゃないの?」
一 時間を過ぎると、膝というより股間が痛い。
麓でごった返していた参拝者も、今はもう数えるほどしかいない。
しかも、白人四人、中国人一人、どっかの浅黒いのが二人といった具合で。
日本人は、我々だけ。
どうやら外国人は、参拝者ではなくアニメ・オタクみたいだ。
伏見稲荷を舞台にした作品の聖地になっていて、その筋では海外でも広く知られているらしい。
ようやく、一 ノ峰の祠に手を合わしたのは、九〇分ひたすら登り続けた後。
これまで一言の文句も口にせず登ってきた嫁は、なにやら熱心に拝んでいる。
このひと、こんなに信心深かったけ?
稲荷大社を後にした帰り途、嫁の携帯電話が鳴る。
「うわぁ、ごめんね、なんかに当たって掛かったみたい、間違いだから」
「えっ!ちょっと待って、そんな話だったら主人に代わるから、側にいるんで」
偶然間違って掛かった相手は、もう一年以上ご無沙汰の知人だった。
用件は、売却しようとしていた不動産に興味があるという友人がいるとのことで。
来週にも、その件で飯を喰おうということになった。
さらに、翌朝には、大阪国税局から。
記載間違いによる返還金が確認できたので、至急出頭してもらいたい。
さらに、さらに、昼過ぎには、会計士から。
最終決算の勘定を終えてみると、予定納税額との差額で戻り金がだいぶと発生している。
どれも想定外の件で。
それらすべての連絡が、僕にじゃなくて嫁の携帯電話に。
さすがに、嫁と顔を見合わせた。
「お稲荷さんのご利益って、半端ねぇな」
「マジ、凄いねぇ」
「この際、鳥居寄進しちゃう?」
「それは、結構つくんじゃないの?」
「ちっちゃいのだったら一五万円からで、そこから四段階で高くなるみたいよ」
「あんた、もうやる気満々じゃねぇの!」
「だって、あれだけ鳥居が建ってるってことは、それだけ願いが叶ったっていう証じゃん」
「おんなじひとで、 四本も建ててるひともいたもん」
「ずるいよねぇ」

兎にも角にも、やっぱり頼みは、稲荷大明神!

Category :

四百八十八話 まさかの同居人! 其の参

ひつこいようで申し訳ありませんが、四百八十七話からの続きです。
捕獲撃退作戦の要領は、こうだ。
まず、天井にいくつか点検口を設ける。
そして、屋内の子供連を燻煙剤で追い込み捕獲する。
次に、授乳のために通って来る親が屋内に進入できないように全ての床下通気口を塞ぐ。
さらに、念のため点検口に忌避剤を置く。
これら作業を、親の居ない昼間に完了しなければならない。
嫁に大工を加えた五名による人間対正体不明の獣との最後の闘いだ。
午後〇時ちょうど作戦開始!
客用寝室と玄関の天井に点検口設置用の穴を開け始める。
音に怯えてか、寝室の天井裏から鳴き声はするのだが、移動の気配はない。
開けた穴から、懐中電灯で照らし内部の様子を探ってみた。
梁の下の空間から鳴き声は聞こえるが、梁が邪魔して姿は確認できない。
やはり燻煙剤を投入して、追い出すしかなさそうだ。
先に点検口を付けて燻煙剤を仕込み扉を閉じる。
煙が充満し始めたと同時に、ギャーギャーという鳴き声がして、バタバタと動き回る音が響く。
音は、西の玄関方向へ。
よ〜し、作戦通りの行動で、玄関に設けた点検口で待ち受ける。
あれ?来ない?鳴き声もやんだけど?どこ行った?
しばらくすると、 途中にある応接間と玄関とを仕切る壁内部から気弱な鳴き声が。
壁の間に落ちやがった!
「どうします?」と訊く棟梁に。
「いいから!壁ぶち抜いて!」
「えっ?マジですか?本気ですか?」
「冗談こいてる場合かよ!捕まえるためにはなんだってやるんだよ!」
「了解!だけど電気ドリルは使わず手作業で抜こう!怪我するといけないから」
「あのなぁ、オメェいったいなんの心配してんだよ?どっちの味方なんだぁ?」
壁に五〇センチ四方の穴を開けた。
全員手に棒を持ち周りを固めて、火箸を手にした棟梁の動きを見守る。
「デカッ!なんだぁ!コイツ?あっ!二匹いるぞ!なんか箱を!早く!」
そうして遂に、火箸に挟まれて穴から出てきた敵の姿を全員が見た。
騒動の主は、イタチでも、ハクビシンでもなく、アライグマだった。
「嘘ぉ〜、どんだけ可愛いねん」
皆棒を捨て、代わりに手にしていたのはスマホ。
で、撮った写真がこれです。
聞くところによれば、アライグマは、一度の出産で三匹から六匹の子を産むらしい。
見つかったのは二匹、他に?どこかに?まだ?
客用寝室の片付けをしていた大工のひとりが、なんか鳴き声がすると言う。
先程の梁下で、垂れ壁の内部だ。
「どうします?」
「だから、躊躇なくやるのみだろ!抜くんだよ!壁を!」
「了解!よーし、助けるぞぉ!待ってろよぉ!」
「いやいや、それはおかしいんじゃないの?」
もはや、作戦の趣旨がまったく違った方向に向かっている。
捕獲でも撃退でもなく、救助して保護的な感じの色合いになってしまっている。
ひとも獣も見た目は大事だ。
痛がったら可哀想だからと、火箸に布なんか巻きながら棟梁が言う。
「なにも、こんなに怖い目に遭わさなくってもいいのに」
「ええっ?なんか俺、悪者になってない?此処、俺の家だよね?」
「じゃぁ、一緒に棲めって言うこと?無理だから!家賃だって払いそうにねぇし!」
箱の中で、立ち上がって、縋るようにこっちを見ている。
「やめろよ、そんな眼で見るなよ、どうにもなんねぇよ!」
信じられないはなしで、想像もつき難いのだが。
この可愛い奴らが一ヵ月も経つ頃には、恐ろしく凶暴で狡猾な成獣に育つのだそうだ。
その気性の荒さは、動物園ですら手を焼くらしい。

さて、どうしたもんだろう?

Category :

四百八十七話 まさかの同居人! 其の弐

四百八十六話からの続きです。
得体の知れない同居人との闘いは、その後二〇日間に及んだ。
その間ずっと海辺の家に居たわけではないが、離れていても気になってしょうがない。
なので、頻繁に通う。
どうやって追い出すか?
そもそもどんな性分の輩なのか?
鳴声だけが頼みなのだが。
それぞれを聞き分けて、何匹いるのかがわかるほどに耳慣れてもいない。
ただ、家にはこどもだけが居て、親は通いで育てているらしい。
こうして正体も何も分からぬままに、捕獲及び撃退作戦開始!
まず庭師を呼んで、親が出ていった隙に床下の通気口をステンレス製の網で塞ぐ。
授乳の時間帯は深夜から明方のようなので、作業は夕方に終えて様子を窺う。
草木も眠る丑満時。
ガサゴソ、バタバタと、明らかにこどもの動きとは異なる音が響く。
親だ!
どうやって侵入したのか?
翌朝、塞いだ通気口を見にいく。
ステンレス製の網は、見事に引き破られている。
ふ〜ん、なかなかやるもんだ。
今度は、大きな座金に変え壁に網をネジ留めした。
さらに、網の前面にレンガとブロックを積む。
結果は?
レンガやブロックを蹴散らし、網も破られ、こどもは腹一杯乳を飲んでご機嫌で騒いでいる。
くそ〜、なめやがって!
こうなったら、こっちもガチだ!
二〇キロ近い重さの礎石四枚を、網の前面に敷く。
勝敗は?
完敗!!!
さすがに蹴散らされてはいないが、引きずるように礎石はどかされ、網は破られ侵入。
二〇キロ近い礎石を動かせる腕力を備え、床下を這い、内壁を登り、天井裏をゆく。
こいつ、ほんとにイタチなのか?
もう、ここまでいいように振舞われると。
ホモ・サピエンスとしての誇りは打ち砕かれ、マジで怖い。
これは、庭師だけでは手に負えない。
大工も投入して、家を潰す覚悟で戦いに臨んでやる!
棟梁を含む大工三名が参戦。
イタチですかぁ、大変でしょ、寝れないですよねぇ、まぁ、追出すしかないですよね。
とか、余裕ぶっこいていた大工に、携帯で撮った侵入路の写真を見せた。
えっ?これ何者?こんなもの動かせるイタチなんかおらんでしょ?怖ぁ〜!
おいおい、腰引けてんじゃねぇよ!おたくらが、最後の砦なんだよ。
遂に、これが最終決戦だ。

続きは、四百八十八話で。そして、その正体を撮った姿をお見せします。

Category :

四百八十六話 まさかの同居人! 其の壱

ようやく法人解散の手続きにも終わりが見えてきて。
海辺の家で一息入れることにした。
庭仕事を終えて床で寝んでいると。
ガサガサと音がする。
場所は、一階と二階の間にある隙間からで、明らかに何者かがそこにいる。
真夜中に得体の知れない者の音だけを聞くのは、かなり不気味で怖い。
嫁とふたりで階下に降り、一階の天井を棒でちょっと突いてみた。
ガサッという擦れるよな音に加えて、ピィーという微かな鳴声が聞こえる。
「ふざけないでよ!なに?だれ?」
「何時だと思ってんの!やめてよ!」
で、力一杯ドンドン突いた。
これが、いけなかった。
バタバタ、ギャァギャァ、近所にも響きわたる騒音に変わる。
こうなると、相手もパニックだが、こちらも相応にパニックに陥る。
ドンドン、バタバタ、ギャーギャー、明け方までずっと続く。
海辺の家で一息どころか、ここ最近の運動量としては限界に近い。
「もうやめよう」
「イタチだな、これだけやれば身に危険を感じて出ていくんじゃないの」
「とにかく、庭師を呼んで追い出して、進入路を塞げばいいじゃん」
こうした人間の浅知恵が通じるような相手ではなかった。
写真は、イタチなのだが。
固定資産税の一文も払わず、海辺の家で子を産み、不法に居座っている輩はこいつではなかった。
もっとヤバくて、厄介な無法者との長い闘いの幕はこんな感じで開いた。

続きは、四百八十七話 其の弐で。

Category :

四百八十五話 奮闘中!

桜の花が散って。
こうして、藤が垂れてもまだ終わらない。
ほんとうに面倒臭い。
法人解散というなんの生産性も伴わない作業に没頭している。
賢い先輩から。
「そんなもの休眠させて、放っとけばいいじゃん」
まぁ、それはそうなんだろうけれど。
この法人は俺が創ったものでも始めたものでもない。
先代の親父から継いだものだから、中途半端に投げ出すのも寝覚めが悪い。
事業会社の解散も、ひとの葬儀も似たようなものだと想う。
ちゃんと始末をつけなければ。
だけど、もうちょっと楽にやれるようにならないものか?

この国には九〇〇〇〇社ちかく営業実態のない会社があるというのも頷ける。

 

Category :

四百八十四話 桜は咲いたけれど

海辺の家に桜が咲いた。
咲いたけれど、見上げて愛でる余裕もへったくそもない。
こんな blog を書いてる場合でもない。
Musée du Dragon の閉店に続き、一年後のこの二月で百貨店に在った店舗も閉じた。
これで事業会社として全ての営業活動を終えたことになる。
円満に事が運んで良かったのだが、問題はその後である。
役目終えた組織を解散させなければならない。
大変だと聞いていた以上に大変だ。
会計士や司法書士の先生方に。
ここまでは、経営者としてちゃんとやりなさい、後は僕らが責任を持って処理するから。
落ち着いて、ひとつひとつ手順通り進めていけば出来るのだそうだ。
って、クソ面倒臭ぇ〜。
大体なんで俺が、この歳になって。
駈出しの公務員のおにぃちゃんやおねぇちゃんに。
「はい、ここにこの事項を記載してくださいね」
「あっ、そこ間違えてますよ」
「さっきも言いましたよねぇ」
「判子は持ってきましたか?」
うるせぇよ!小学生じゃねぇぞ!やりたいようにやらせろ!
「駄目ですよそういうのは、お絵描きじゃないんですから」
人には、向き不向きがあるのだ。
自分の年金額も知らないおとこに、社会保険がどうのこうのって言われても。
無理だ!
こんな事なら、自分でやるなんて言わなきゃ良かった。

もう、やめるのをやめたい。

Category :

四百八十三話 由比ヶ浜伝説

街場の店主から語られる物語の舞台は、大抵がその店屋だ。
舞台がなくなってしまっては、物語の値打ちも失われてしまう。
旅先で供される旨い地物に箸をつけながら。
ほら、まさに腰をかけておられるその席から.......。
などという至極のひと時を偶然にも過ごせたなら、得難い幸運に恵まれたといって良いと思う。
ここ由比ヶ浜に通うようになったのも、そうした幸運が重なったからかもしれない。
湘南の小さな街の小さな名店には、昭和の伝説がひっそりと継がれている。
無頼派作家と銀幕女優との仲を結んだ小花寿司の店主、三倉健次さん。
昭和とともに消えた「なぎさホテル」を語る獨逸料理屋 Sea Castle の女主人、Karla 婆さん。
相応に癖は強いが、僕にとっては、かけがえのない店屋であり人でもある。
しっとりと落ち着いたこの浜も、桜が咲き始めると賑やかになり、夏にはひとで溢れる。
できればそうなる前に訪れたい。
いつものように Manna で晩飯を食う。
この Manna の女料理人 原優子さんは、以前 Nadia という飯屋を長谷で営まれていた。
Nadia 時代から、伝説の女料理人が湘南にいると噂されるほどの腕前で、文句なく絶品の味だ。
まぁ、こちらの方の伝説は、語るより調理場での彼女の仕事振りを眺めたほうが分かりが良い。
忽然と姿を消すひとらしいが、今なら間に合う。
この歳になっても早食いは治らず、宿に帰るにはだいぶと間がある。
そういや、閉じられていた湘南屈指の名門 BAR が、再開したと聞いた。
駅としてはひとつ鎌倉寄りの和田塚だが、由比ヶ浜のと言っても間違いではないほどに近い。

THE BANK

ひと通りも絶えた薄暗い路を駅から浜へと向かうと三叉路に行き当たる。
中洲に乗りあげた朽ちかけの座礁船のような風情で、もうすでに建物自体が異形の様相である。
家屋ほどのちっちゃなビルで、灯が妙に怪しい。
これが、あの聞こえた THE BANK かぁ?
一見の身で BAR の扉を開けるには若干の躊躇が伴うものだが、ここは北新地や祇園や銀座ではない。
そもそもこちらの風体も怪しいが、この BAR も充分に怪しいんだから、どっちもどっちだろう。
真鍮製の取手に手をかけ年代物の扉を引く。
ほどよく暗い店内は、いらぬ手を加えず簡素で古く褪せた感じのままにある。
どこかピシッとした空気感も漂うが、名門 BAR にありがちな拒むような雰囲気でもない。
くだけていて、ちゃんとしている。
不可思議な BAR だが、とても居心地が良い。
肝心の酒も丁重に供される。
ピックで削られた Lump of Ice も見事だし、肴の Fig Butter も旨い。
だけど、THE BANK の真髄は、この場としての佇まいにこそあるのだと想う。
ひとりのおとこの美学が濃密に凝縮された空間。
酒肴とはなにも口にするものだけではない、この BAR では 空間そのものが上等な酒肴として在る。

渡邊かをる

VAN Jacket の宣伝部意匠室長として、日本のメンズ・ファッション創成期を牽引した後。
アート・ディレクターとして数々の作品を手掛けられた業界の大物である。
その造詣と見識は、服飾だけでなく陶磁器・美術全般にまで及ぶ。
僕は、世代が少し下だったので、遂にお目に懸かることは叶わなかったけれど。
たいそう格好良い方だったと聞く。
その酒と葉巻を愛したおとこが、 理想の BAR として構えたのが THE BANK である。
設計は、日本を代表する空間演出家の片山正道が担った。
片山の事務所 WANDERWALL の初仕事だったのだそうだ。
場所は、旧鎌倉銀行 由比ヶ浜出張所として昭和二年に建てられたこのビルが選ばれた。
こうして、二〇〇〇年四月。
作家、画家、写真家など多くの文化人や、地元の商店主達が夜毎集う奇妙な酒場の幕が上がる。
そして昨年、渡邊かをるの逝去とともに THE BANK は伝説上の BAR となった。
外観はそのままだったが、家具や備品は全て撤去され、もぬけの殻。
そんな THE BANK に再び灯が燈るという。
それも家具や備品もそのままに。
ちゃんとした志をもったひとが現れた時には、お戻ししたい。
そういう想いで、ビルの所有者が 大切に保管していたらしい。
志を持ったひととは、片山正道で、WANDERWALL が THE BANK のこれからの運営を継ぐ。
実際の切盛りは、湘南をよく知るふたりの男女で。
酒は、鎌倉の BAR で修行した野澤昌平さんが、料理は、葉山出身の荒井惠美さんが担っている。
帰りがけ荒井さんに。
「良いお店ですね」
「 ありがとうございます」
「お近くにお住まいなんですか?」
「うん、近いといえば近いけど大阪だね」
「ええっ!うそぉ〜!なんでぇ?」
「わかんない けど、近々またお邪魔するのだけは確かだね」
渡邊かをるさんが、よく口にされていた言葉があると聞いた。
俺は、やかましいモノが好きなんだよなぁ。
やかましいモノとは、多分骨董屋の世界で使われる業界用語だろう。
とにかく希少で、手放すと二度と手に入らないモノ。
さらに、語りどころの多いモノを意味する。
まさに、この THE BANK がそうだ。

そして、浜の新たな伝説がまた始まる。

 

 

 

 

Category :