六百九十五話 孤独の・・・・・

“ 誰にも邪魔されず 気を遣わず物を食べるという孤高の行為 ”
久住昌之原作漫画「孤独のグルメ」冒頭シーンでの一節。
作画を担ったのは故 谷口ジロー先生。
鳥取県鳥取市のご出身だったらしい。
その「孤独のグルメ」鳥取編で登場したのが此処。
“ まつや ホルモン店 ”
鳥取市在住の従姉妹が、予約が取れたというので行ってみることに。
道路脇の一軒家で、外観は一九六五年創業当時からの経年劣化そのままにボロい。
そして、暖簾を潜った店内は脂と煙で燻されてさらにボロい。
どこを触ってもペタペタとしていて、粘り気を含んだ独特の艶めきがある。
焼場前のカウンター奥に通され、一五センチほど先にある熱々の鉄板で亭主が肉を焼く。
鉄板は、長年の営みで真ん中が擦り減って窪んだ挙句全体が亭主側に傾いている。
溝状に窪んだ先の亭主足元にはドラム缶のようなバケツが。
この窪みと傾き具合が絶妙で、雨樋みたく余分な脂が伝ってバケツに落ちていく。
なかなかのオープン・キッチンシステムだ。
こういった風情は、狙って醸すわけにはいかない。
ひとつひとつが積み上げた信用の証みたいなもので、それがまた食欲を誘う。
飲み物は梅酒をソーダ割で頼んで、後の注文は従姉妹に任せて待つ。

品書には、オーカク(上ハラミ)とあるが横隔膜のことだろうか?
此処まつや名物のひとつなのだそうだ。
たしかに内臓肉特有の臭みも癖もなく肉厚で旨い。
注文の際に塩か?タレか?と訊かれるのだが、このタレがなんとも言えない味で肉によく合う。
言ってしまえばただの味噌ダレなのだが、果実の甘味と唐辛子の辛味が良い塩梅で複雑に絡む。
肉そのものは大阪鶴橋でもなくはないのだが、ここまでのタレはちょっと記憶にない。
これは病みつきになるかも。
店に電話があって女性が応じる。
「えっ?六月のいつ?三日ですかぁ?ちょっと訊いてみますね」
なにがあっても手を止めない亭主が肉を焼きながら。
「六月って三ヶ月先かいね?さぁなことわからんけど、きんさったら」
そして。
「すいません、一応大丈夫なんですけど、先なんでまたそん時にでも」
はぁ?それって、結局のところ予約出来たの?出来なかったの?大丈夫なん?謎だ。
それにしても、ホルモン屋の予約を三ヶ月前にするというのも凄い。
ふと気づくと、カウンター席から小上がりの座敷席まで客は鮨詰め状態。
客と客が肩を付けながら箸を動かす始末で、嫌でも話が耳に入ってしまう。
隣のひとり客が、カウンターを挟んで調理中の亭主と喋っている。
ホルモン文化が深く根付いた京都からわざわざこの食堂に通っているらしい。
母親の介護をしながらの暮らしで、まつやでの一食が唯一の楽しみだと言う。
聞き手の亭主は、それは大変ですねとも返さないし安っぽい感謝も口にしない。
ただ肉を焼く。
心得たものだと想う。
ただ旨いとか、ただ安いとかではない店屋の矜持がひとを呼ぶ。
“ 誰にも邪魔されず 気を遣わず物を食べるという孤高の行為 ”
この平等に与えられた最高の癒しを堪能できる店屋がまつやホルモン店だ。

ごちそうさまでした。

 

 

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六百九十四話 港街で継がれる蕎麦打ち

通えるところに在ってくれて良かったと、心からそう想える店屋が数軒ある。
“ 堂源 ” もそうした店屋の一軒だ。
個性的な店屋が隠れて潜む  Tor Road 西側界隈に建つ旧い雑居ビルの二階。
開店して間もない頃、こんな場所で蕎麦屋なんて大丈夫なのか?と想いつつ暖簾を潜った。
およそ蕎麦屋の印象からはほど遠い構えで、ひとり切り盛りしているのは若い女性。
入口付近の椅子に敷かれた毛布のうえには、近所の野良猫が蹲って寝ている。
なんで、こんな緩い Café みたいな蕎麦屋に入って座っているんだろう?
普段ならありえないことで、今想い返しても不思議だ。
注文した “ せいろ ” が運ばれてきて、手繰ってみる。
一本一本が、正確に細く角立って切られていて見栄えもよい。
しっかりとした固さのある打方で、甘味があって香りがわずかに鼻へと抜けていく。
見た目も風味も淡麗な蕎麦だと想う。
これを、このおねえさんが?
他に客もいなかったので、食べ終えた後に声をかけさせてもらった。
「ねぇ、この蕎麦って九一?」
「はい、九割です」
「ほんとに旨いわぁ、凄いねぇ、いったいどこで?」
「ありがとうございます、修行先は、加納町の “ 堂賀 ” です」
もともと商売ものと同じ凛とした佇まいの女性だが、きっぱりとそう応えたときは特にだった。
この港街に手打蕎麦をもたらしたとも云われる名店 “ 堂賀 ” 。
屋号にその “ 堂 ” 一文字を懐いて商う気概の一端を見たような気がする。
以来、蕎麦を食いたくなったら “ 堂源 ” にとなって随分と刻が経つ。
久しぶりに訪れて 滅多に注文しない “ つけとろ蕎麦 ” をいただく。
すりおろした長芋、蕎麦つゆ、生卵が別々に用意され、好みに合わせて食べる。
いつも良い塩梅に整えられた蕎麦つゆは、これらをどう合わせても旨い。
また、ちょっとした味変も楽しめて、たまにはこういうのもありだな。
無類の蕎麦好きなだけで、講釈を垂れるほどの通ではないのだが。
僕は、気取らず素朴でいながら、少しばかり洗練されている “ 堂源 ” の蕎麦が好きだ。
それは、どことなく神戸という港街の有様にも通じているように想う。
見送っていただいた亭主の東野朋江さんに。
「ありがとうございました、今日は長くお待たせしてしまってすいません」
「いいえ、良い客筋でいつも繁盛されていてほんと良かったよねぇ」
「猫がいたあの頃からどれくらいになる?」
「十二年目です、もう必死でやってきました」
師匠が産み、弟子が継いで育てた名店の味。

これからも通わせていただきます。ごちそうさまでした。

 

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六百九十三話 海峡に降る雪

海辺の家からいつもの海峡を見下ろす。
対岸の紀伊半島どころか、前の家すら真っ白で見えない。
瀬戸内の玄関口であるこのあたりで、こんな景色は稀だ。
あまりに珍しいので撮ってみた。
ところが、一時間ほど経つとこうして何事もなかったように。

雪で難儀されている方々には申し訳なく想うけれど、温暖な風土であるというのはありがたい。
従姉妹が暮らす鳥取市も大雪で外出厳重注意らしい。

そりゃぁ、衆議院議員選挙どころじゃないわなぁ。

 

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六百九十二話 日本国の顔

まもなく第五一回衆議院議員選挙の投票日を迎える。
急に解散ですとか選挙ですって言われてもなぁ。
なかには迷惑なひともおられるだろう。
だいたい “ 先生 ” とか呼ばれている奴に碌なのがいたためしがない。
そんなのに、己の身上をなんとか良くしてもらおうと考える方がどうかしている。
Ask not what your country can do for you.
Ask what you can do for your country.
国家に要求するな、国家に尽くせ。
こっちの言分の方がまだ腑に落ちるような気がする。
とは言え、日本国民の末席にいる者としての権利だけは一応行使しておく。
当日投票所は混むだろうから期日前投票に駅前の区役所へ。
平日の午後でも結構なひとで賑わっていて、長い列に並ばされる。
さて、どこのどいつにするか?
そこで、たいした興味もなく目にした啖呵売の口上みたいな政見放送を想い出す。
中道なんとか連合共同代表ふたりの絶妙な Performance には笑ってしまった。
一糸乱れず同期して動くおじいちゃんふたり。
まるで読経のような口調。
最初 AI 作成かと思ったが、そうではなく生爺いらしい。
これが政見放送?
俺は、いったい何を見せられているんだろうか?
それでも我慢して読経の中身によくよく耳を傾けてみると。
減税の原資は、SWF を創設し株式配当や債券などの運用益で無理なく確保するのだそうだ。
一方で運用損が生じた場合への言及は一切ない。
無理筋にもほどがある。
証券会社の新入社員でも、今時こんな馬鹿噺を客先で口にはしないだろう。
駄目だな、このおじいちゃん達は。
そうこうしているうちに、投票順がまわってきた。
選挙区候補者名に大学の後輩が名を連ねていたので、もうこいつにしとくかぁ。
別に期待しているわけでもなんでもないが、経験だけは積んでいそうなので無難だろう。
それにしてもである。
衆議院議員選挙なんだから、勝利した党の党首が首班指名で内閣総理大臣として議決される。
果たして日本国の顔は誰に?

やっぱり、これ?

 

 

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六百九十一話 鬼は外、福は内。

新しい節を迎えるために炒った大豆の古い皮を剥ぐ。
だから、旧作がどうであれ新作にすべてを賭ける興行師にとっても、これは大切な儀式なのだ。
幼い頃そう言い聞かされた覚えがある。
蠟梅薫る立春、二月四日の前夜に執り行う。

魔除けの大豆を用意して、鬼遣(おにやらい)の鬼役は隣家の犬に担ってもらうことに。
よもや自分が鬼にされているとは知らぬまま、鬼の面を被せられての強制参加。

海辺の家の出入口三箇所で、鬼は外、福は内。
願いを込めて豆を蒔く。
そうして、災いを退け、幸福を招いた後の晩飯。

献立は、 鰯の梅煮と恵方巻。

二〇二六年節分の厄除、平穏でありますように。

 

 

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六百九十話 春一番

仙人は、天にあるを天仙、地にあるを地仙、水にあるを水仙というらしい。
海辺の庭にもある。
なんの世話もしたことがなく、普段どこに植わっているかを気にすることもない。
それでも、冬の終わり頃になると寒風に揺られながらこうして庭のあちらこちらに咲く。
いろんな奴がいて。
なかには、花内側にある盃形の副花冠が白いのもいる。

洋の東西を問わず春を告げる花として世界中で愛される水仙。

“ 春一番 ” もうすぐ春ですねって、古るすぎてわからんかなぁ。

 

 

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六百八十九話 海街 BURGER

Hamburger を食べたくなったら此処と決めている店屋がある。
駅舎の南階段を降りた目の前、砂浜にポツンと一軒建っている Hamburger Bar 。
“ Grateful’s ”
厨房に立っているのは、印度人と日本人。
客はというと、近隣に暮らす外国人達にも人気で、いつも半数くらいの席を占めている。
欧米、印度、中国、台湾、韓国や、どっかしら国からやってきたのだろう。
線路北側には Marist Brothers International School が在って、 学生達の姿も。
彼等の人種もさまざまで、Slang だらけの英語に時折神戸弁や広東語が飛び交う。
この界隈独特の Local Community 言語だ。
ちょっとした Chaos で、かつてこの地が居留地だった日の名残りかもしれない。
さて、肝心の Hamburger だが。
この店屋の一日は、 毎朝 Buns を店内で焼くことから始まる。
肉も塊で仕入れ、自らの手で挽いて Patty へと加工していく。
四種類ある Sauce は、一から手作り。
野菜もとびきり新鮮で申し分ない。
どれを注文しても間違いないのだが、僕はこの NY BLT Burger  を気に入っている。
店内では、家の Living Room のような設で Sofa に腰掛けて過ごす。
冬、人気が少なくなった海岸から海を眺めながらの最高に旨い Hamburger 。
頬張っていると、どこか異国の寂れた港街にでもいるような不思議な気分にさせられる。
それは、異国情緒というような洒落たものからはほど遠い。
神戸の西端に残るどこか田舎臭くて、垢抜けもしない Local な日常の一幕に過ぎないのだが。
噂では、駅の逆側に北欧 Danish が営んでいる Denmark Hot Dog 屋もあるらしい。
店主は、Hansen さんというひとで、もう棲みついて随分になるという。

次は、散歩がてら Copenhagen 名物の Hot Dog でも食いにいこうか。

 

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六百八十八話 WASTE NOT , WANT NOT

久しぶりに服の噺をしてみたい。
同年代のおっさんから訊かれることがある。
歳をとったらおとこはどんな服を着れば良いのか?
まともに答えるのも面倒臭いので適当に返すことにしている。
もう、誰も気にも留めないし、見てもないんだから好きにすれば良いんじゃないの。
だけども、我が身の事となるとそうも言ってられない。
なかなかに難しい。
これは、私見なので真に受けずに聞いていただけるとありがたいのだが。
流行を意識して着飾るのはやめたほうが無難だろう。
高級 Maison の服で身を固めても、肥えた鴨が葱背負って歩いてるようにしか見えない。
では、Fast Fashion Brand ではどうか?
無難は無難だが、道ゆくただのおっさんでそれ以上でもそれ以下でもない。
前者は Waste (無駄) で、後者は Want (不足) だ。
また、この両者を組み合わせて着ることを自慢げに提唱する無能な Stylist もよくいる。
婦人服についてはわからないが、紳士服の領域ではそんなことはあり得ない。
高齢になればなるほど質感の統一は大事だと思う。
要は、Waste (無駄) は Want (不足) を補わないということだ。
では、何をどうすればいいのか?
ここで一番大切なのは服に対する愛着があるか?どうか?だ。
もし無ければ、これはもうこの時点で諦めてもらう他ない。
箪笥のなかを覗いてみてると愛着の有無がわかる。
愛着があるひとに限ってだが。
着倒してもう諦めて捨てるしかないほど着た挙句、それでも捨てられない服が数着あるはず。
Trench Coat だったり、M-51だったたり、Tweed Jacket だったりという感じで。
ひょっとしたら手編みの Cowichan Sweater という方もおられるかもしれない。
おそらく、それらは誰もが一度は目にしたことがある普通の ITEM だと思う。
しかし、それぞれのひとにとっての Archive であり原点ともいえる服。
今更、それらを引っ張り出して着ろとは言わないが、労を尽くせば市場で探し出せるだろう。
大枚を叩いてでも自身の原点であるとびきりの一着を再び手に入れてもらいたい。
その一着がお釈迦になる頃には、自分も棺桶で横になってると思えば安いもんでしょ。
後は、今の自分とその一着に合う他の ITEM を吟味するだけ。
気を衒わず、普通に、着心地と質を大切にして。
おとこは、おんなと違って化けるという才に恵まれていない。
おとこの装いは、良くも悪くも自身そのものを映しだす。
髪の毛がなくとも、瓜みたいなかたちでも、背が縮んでも、それらすべての三重苦であっても。
堂々と隠さず自分らしくあることが一番だと想う。

なんとかなりますよ、きっと。

 

 

 

 

 

 

 

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六百八十七話 七草粥

七日に七草粥を喰うと、無病息災・健康長寿の願いが叶う。
ほんとかどうかは、知らんけど。
値の張る Supplement は服用しないが、こういう安上がりの決まり事はとりあえずやっておく。
だから、冬至の柚子湯にも毎年入ったりもする。
芹・薺・五行・繁縷・仏座・菘・蘿蔔といった春の七草。
このうち庭で五種類くらいは採れるのだが、味・食感とも最悪で食えたもんじゃない。
なので、八百屋でちゃんとした草を揃えて買うことにしている。
炊き終えた七草粥を食籠によそって、縁側ですこし冷ます。
粥だけでは味気ないので、醤油をつけて炙った奥出雲の蕎麦餅を中に落として喰う。

こんな草粥が、思いのほか旨いから不思議だ。

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六百八十六話 偽りの一皿

忌明けの正月も三日がすぎて、新年の四日。
用意した御節料理もそろそろ尽きてきた。
我が家の祝膳。
口取り・焼き物・酢の物などは料理屋に注文する。
今年は、東門街で営む人気の Bistro “ HEEK ” にお願いした。
毎年決まった店屋というわけでなく、年によっては中華料理屋だったりもする。
ただ他はそれで良いのだが、大好物の煮〆だけは他人任せというわけにはいかない。
僕的には、煮〆さえあれば正月を迎えられるというほどだ。
筑前煮みたいな柔らかな食感は駄目で、充分な歯応えが欲しい。
箸上げがしづらいくらいに、ごろっと大きく。
具材それぞれの味が活きるように、できるだけ煮出しは薄味で。
蓮根・里芋・筍・椎茸・人参・蒟蒻・牛蒡の七種を、別々に煮る。
毎年、厨に立つ嫁にしてみれば。
“ じゃぁ、あんたが作ってみろよ!” となるのだが、機嫌を取りつつなんとかありついている。
そして、我が家の祝膳にはもうひとつ他家にはない決まり事があって。
それは、膳のどこかに偽りの一皿を仕込む事。
蟹のように見える蟹蒲鉾的な感じと思ってもらえれば良い。
嫁、渾身の Marine de saumon 。

これのどこが偽りなのか?
Caviar  に見立てた “ とんぶり ” かと思うかもしれないけれど違います。
これは、正真正銘の蝶鮫の卵です。
偽りは、そもそも Marine de saumon ではなくて、ただの Tomato というのが正解。
正月早々、くだらない!
しかし、恒例のくだらない一皿を毎年楽しみにしている酔狂なひともいてこうして続いている。
画像を見た甥が訊いてきた。
「おじちゃん、これって偽りなんだろうけど旨いの?」
旨いわけないだろう!ただの Tomato の味で、それ以上でもそれ以下でもない。
で、これは、偽りのない本物。

元日に訪ねてきてくださったお客さんのお年賀。
牛腿肉の Roast Beef 。
明治期創業、神戸で知られた名店 “ 大井肉店 ” の逸品。
Roast Beef  ってこんな旨かったかなぁ?
あたりまえだけど、やはり本物は違う。

おかげさまで、穏やかで食に恵まれた正月を迎えられました。感謝です。

 

 

 

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