五百八十九話 庭のジプシーが、やって来た!

海辺の家の庭。
外出自粛の間、一部改庭も含めた修理をずっと進めてきて、最後に手付かずだった場所が残った。
三段になっている庭で、一番低く、窪んでいて、日当たりも良くなく、一般的な作庭には向かない。
ここに日陰ならではの庭を作ろうと思い立つ。
色々工夫し、労力も使い、刻も費やした結果、半分ほどはなんとか満足のいく出来に仕上がった。
が、そこから先がなにをやってもうまくいかない。
行き当たりばったりでやっていては、いつまで経っても形にならないのではないか?
そこで、こうしたいという姿を絵にしてみた。

好き勝手に描いているうちに、素人がひとりでなんとかなる代物ではないと気づく。
先代からずっと庭の面倒をみてくれている庭師もいるにはいるのだが。
この庭に関しては、その熟練の腕も役どころが違うように思う。
洋の東西を問わない雑然とした雰囲気で、少し荒れた風体を醸した庭。
さすがにこれは無理かも。
そこで、たまたま別件で訪ねてきた建設会社の担当者に駄目もとで相談してみる。
“ 海辺の家 ” の改築で、 無理難題への免疫は充分に獲得していて、理解も素早い。
「あぁ、なるほどですね、䕃山さんとなら気の合う変な庭師をひとり知ってますよ」
「まぁ、気が合いすぎて、とんでもないことになるかもですけどね」
「マジでかぁ! 誰? 紹介して!」
「紹介はできますけど、今、日本にいるのかなぁ」
「はぁ? それって、外人の庭師なの?」
「いえ、日本人ですけど」
「 “ 庭のジプシー ” って呼ばれていて、いろんなところで庭を作って歩いてるひとなんですけどね」
「なんだぁ、それ? さすらいのカウボーイじゃなくて、庭師ってあんまり聞いたことないな」
「庭の話しかしない、まぁ、変わったひとですよ」
翌日、早速連絡してみる。
どうやら、米国で庭を作る予定だったのだが、このコロナ騒ぎで延期になった。
なので、当分の間国内で仕事をするつもりらしい。
とは言え、来週は北海道、翌週は東京でという具合で、その後にうかがうとの事だった。
“ 庭のジプシー ” とは、まさにその名の通りの働きぶりだ。
そして、十一月九日、庭のジプシーが、海辺の家にやって来た。
想像していたよりずっと若い。
門から入ってきて、四百年超えの山桃や桜の大きな老木を眺めて。
「うわぁ〜 、凄いなぁ〜、良いですねぇ、庭にこんなのがあるんだぁ!」
「この山桃の根元辺りに庭を作りたいんだけど、出来る?」
「はい」
「あっ、僕、ここでちょっとやることがあるんで、奥様とふたりは家に入っててもらえますか」
しゃがんで土を触ったり、周りの植物の葉の様子を調べたり、一向に戻って来ない。
朝方にやって来て、昼時になって。
「そろそろ昼飯時だけど、あんたも食べる?」
「はい」
店屋物が届いたので、呼びに行ってようやく家に入ってきた。
「あっ、恐縮です、いただきます」
食べながら、資料やスケッチを前にこちらの意向を伝えた。
「どう?やってもらえるかなぁ?」
「はい」
「で、そもそも、庭を作るっていう行為は……………………….。」
人呼んで、“ 庭のジプシー ” 橋口陽平先生の講義が始まった。
普段ならブチきれるところだが、不思議とすんなり耳に入ってくる。
それは、この若い庭師が提唱する作庭が、意外と論理的で筋道が通っている事。
また、作庭家という職業に情熱と愛情をもって向き合っている事。
世界中どんな環境に於いても、その事を貫こうとする矜持が感じられる。
でなければ、こんな面倒臭い話は聞いていられないだろう。
San Francisco では、Steve Jobs 氏のガレージに寝泊まりし、日本庭園を作ったこともあるという。
地上の植物に起こっている事象は、地下で起こっている事象を映している。
植物は、土壌の映し鏡で、その映し出された様子から全てを学ぶ。
作庭とは、見た目ではなく、土をどのように管理するかとういう行為の追求である。
こういった話が、ずっと続く。
あたりまえの事だけれど、いざ実際に行うとなると難しい。
冬場に土壌を整え、暗渠排水を施し、石を積み、春先に植栽を行う。
「まずは、六甲山に石積みに使う石を見に行きましょう」
「えっ、俺も行くの?」
「はい」

庭のジプシー、ここはひとつ任せてみるかぁ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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五百八十八話 庭の果実

海辺の家の庭に “ 柿 ”が生る。
隣の家の庭に “ あけび ” が生る。
持ち寄られた果実を盛ってみた。
秋だねぇ〜。

だけど、残念なことに “ 柿 ” も “ あけび ” も、どちらもそれほど好きじゃないという現実。

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五百八十七話 Chocolate Tailor

“ 海辺の家 ” のほど近くから北東に、神戸市街地を山塊が跨ぐ。
その山系の最高峰が六甲山である。
昭和の時代、この山は避暑地だった。
関西 Modernism の香り漂う洋館が点在する山上街でひと夏を過ごす。
西洋的でもあり、田舎臭くもあり、気取りのない神戸独特の別荘文化が育まれていた。
その面影もすでに消えつつあるが、幼少の頃から学生時代を通じて、何かと馴染みのある場所だ。
その玄関口が、麓にある阪急電鉄神戸線の六甲駅である。
駅近くの店屋に用があって、何十年ぶりかでやってきた。
駅舎前の垢抜けない雰囲気は、記憶にあるそれと変わりない。
とりあえず目当ての店屋を探す。

Chocolate を仕立てるという店屋が、六甲にあるらしい。
Chocolate Tailor というその謳い文句に惹かれ、何かの機会に一度と思っていた。
屋号は、“ QUEEN’S JET ”。
外観からして倫敦 Savile Row の仕立屋然とした構えで、迎えてくれる。
コロナ禍の二〇二〇年十一月二七日、この地に開業した。
緊急事態宣言中の休業を経て、この日久しぶりに店を開けたという。
正面の木製棚に、同じ形状の Chocolate Cake が、一四種類整然と並ぶ。
背面には、磨き上げられた工房が覗いている。
ここはひとつ、最近お世話になった方達への御礼の品も含めて、全てを此処で注文させてもらおう。
配送の依頼を済ませて、帰宅後早速食ってみる。

まずは、“ Opéra ” を皿にのせる。
巴里の名菓子店 “ Dalloyau ” が、Opéra 座の踊り子へ敬意を込めて考案した逸品だ。
巴里に出向くと必ず口にする CoffeeとChocolate を組み合わせ層になった世界的に有名な Cake 。
だが、“ QUEEN’S JET ” の “ Opéra ” は、その新解釈版で、ちょっと趣が違う。
薄くパリッとした Chocolate の殻に覆われていて、割ると内部は三層構造になっている。
一層目は、Grand Marnier 風味の苦い Coffee Sauce 。
二層目は、濃厚な Chocolate Cream 。
三層目は、Sweet Chocolate を使った Ganache 。
殻を割ると流れ出す Coffee Sauce 、これを Chocolate Creamに絡めながら食べる。
複雑な構造の割に相性良く一体化していて、食感こそ柔らかいが 、味は確かに “ Opéra ” だ。
はっきり言って、これは人を駄目にする食い物だろう。
Chocolate Tailor “ QUEEN’S JET ”
この時期、この店構え、この場所、この業態、すべてに於いて本気だ。

不自由なご時世に、忘れかけていた店屋の矜持を思い起こさせてもらった。

 

 

 

 

 

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五百八十六話 夏の終わりに、真っ白な “ T-SHIRT ” を

何を撮りたかったかと言うと、海辺の家の庭に居座る櫻でも、僕でもありません。
この真っ白な “ T-SHIRTS ” です。

櫻の葉もところどころ色づいて落ち始めたものの、残暑は衰えず暑い日が続いている。
そんななか、数枚の T-SHIRTS が届く。
誰?
送り主からのメールが届いていて、その名前で驚き、内容を一読してさらに驚いた。
Musee du Dragon の顧客様からだった。
大学生の頃に彼女と来店され、その後、卒業、就職、結婚、出産、育児へと。
その間ずっと、おふたりで通っていただいた。
そのうち奥様の腕に抱かれたもうおひとりも加わって。
結婚指輪を創らせてもらい、京都鴨川で挙げた結婚式の写真を持って報告に来られたこともあった。
店の幕を引く際には、華道家 “ 東信 ” の作品を、わざわざ東京で注文し手持ちで届けていただく。
その温情に見合う仕事が出来たか否かは疑わしいのだけれど、これは冥利だとずっと想っている。
メールの書き出しには、“ 憶えておられますか? ” の一言があった。
もし忘れていたのであれば、認知症を患ったと諦めてもらう他ないが、まだなんとか大丈夫です。
就職先は、大手の繊維会社で、同じ稼業に進まれたことは知っていた。
メールには、 この度、新しいブランドを立ち上げたとある。
また、そのブランドは、我々夫婦の “ 海辺の家 ” での暮らしが基になっているらしい。
えっ?
いやいや、介護用品じゃないんだから、ポンコツ爺婆の暮らしを映したら駄目だから!
側から短パンに T-SHIRTS 姿の嫁が。
「 嘘でしょ?コッワァァ!ヤッバァァ!」
「泥だらけで庭の煉瓦積みしてる爺の着る服って?それはそれでちょっと見てみたい気もするけど」
「 ウッセェよ!包丁持って魚捌いてる婆の着る服の方が見てみたいわぁ!」
互いに罵り合いながら、届いた箱を開けて、変哲のない無地の T-SHIRTS を取り出す。
サイズ04のホワイトを僕が、サイズ01のブラックを嫁が、それぞれに着てみる。
「うん?この触り良いかも」
多少くたびれているとはいえ、紡績出身の玄人として四〇年近くこの稼業に就いてきた。
この T-SHIRTS が、どれほどにちゃんとしているかは解る。
目線を気にせず言わせてもらえば。
服は、肌に近いほど生理的な欲求を満たす必要に迫られる。
良い原料を、丁寧に適正値で製品に仕上げるまで面倒臭がらず工程を重ねる他ない。
手間と時間を要し、その分製品価格にも影響する。
だから、僕は、“ 安価で良い服 ” という世迷言は信じない。
納期を急かされ、工賃を叩かれ、耐久消費材としての服創りが当たり前となった今。
真っ当な知識を持つデザイナーも、腕のある職人も、生産機械も、この国から消えようとしている。
そんな現状のなか、改めてこの変哲のない T-SHIRTS を眺めてみる。
訊くと、異種交配綿の “ Superior Pima ” を原綿段階で一定期間寝かせることから始めるらしい。
甘く撚って、開反せず染めて仕上げる手法で、この肌合いを実現しているのだそうだ。
創り手の良識と腕前は、一見で判じることは難しいが、モノの価値はそこで決まると思う。
いやぁ〜、掛け値なしに良い仕事だと感心いたしました。
新ブランドの名は、“ LIFiLL ”

ひとりでも多くのひとに共感してもらえるブランドに育つよう祈っております。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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五百八十五話 海辺の月見

二〇二一年九月二一日。
海辺の庭から見上げる満月。
で、ふたりぼっちの “ 観月の宴 ”。
侘しいので、弥勒菩薩さまにもお付き合いいただく。

とっておきの酒を、弥勒菩薩さま、嫁さん、僕で。
日本酒通の若い友人に勧められた秋田県新政酒造の “ 秋櫻 ”。

“ 鰯の梅煮 ” を肴に一献。

にしても、この酒うめぇなぁ。

 

 

 

 

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五百八十四話 粥

横濱の山下町、倫敦の “ SOHO ”、巴里の “ Ménilmontant ” など。
華人街の風情は、おおよそその造りに於いて似たようなものだ。
通りに面した店屋では、余所者相手に表の顔を装い、裏通りの路地には、裏の顔がある。
どちらが、彼らのほんとうの顔か?は、当の本人だって解りはしない。
まぁ、その時々の都合で表だったり裏だったりするんだろう。
異国で暮らし、代を継ぎ、根を張るためには、相応の知恵と工夫を伴わずにはやってはいけない。
その一筋縄ではいかない曖昧さが、異人街の魅力でもあると思っている。
神戸。
山と海を結ぶトア・ロードの西側通り沿いに、親子三代に渡って継がれた一軒の上海料理屋が在る。
初代創業時は、港街に漂い着いた船員相手の大衆食堂だったらしい。
二代、三代と店屋は次第に繁盛し、今では、老舗高級中華料理店として知られている。
“ 新愛園 ”
よく通ったのは、学生時代。
今ほど高級ではなかったが、それでも学生の身分で気軽にというわけにもいかない。
開店前に訪れ、ちょっと店を手伝って、まかない飯をご馳走になったこともあった。
女将の徐さんが、どういう経緯で何を気に入ってくれたのかは知らない。
それでも華人でもない僕に良くしてくれた。
そんな “ 新愛園 ” が、近くの路地裏でもう一軒の店屋を営んでいる。
あまりにも趣を違えたその店屋が、高級中華料理店 “ 新愛園 ” の系列と知る者は地元でも少ない。
ビルの室外機が左右に迫る華人街の路地奥に構えられた飯屋は、“ 圓記 ” という。
アルミサッシの引戸に、パイプ椅子と安物の卓が並んだだけでなんの装飾もない店内。
数年前、初めて嫁と晩遅くに、あまりの妖しさに惹かれて訪れた。
剥き出しの調理場にも客席にも広東語が飛び交い、日本人は我々夫婦だけ。
品書を手にやって来た女性を見て驚く。
「随分昔に、おねえさんとそっくりなひとがこの近くで飯屋をやってたんだけど」
「あぁ、“ 新愛園 ” やろ」
「そうそう、じゃぁ、おばちゃんの娘さん?」
「わたし、姪やねん、よう似てるって言われるんよ」
「おばちゃんは?元気にしてはる?」
「それが、二年前に亡くなったんよ」
四〇年も時が経つと仕方がないけれど、あまりにも似ていて時が戻ったような気分にさせられた。
もうひとつ驚いたのは、“ 圓記 ” の味だ。
僕の中では、今、神戸でも一番二番を競える味じゃないかと思っている。
先日、大阪宅から海辺の家へ移動の途中。
中途半端に減った腹を満たそうと思いついたのが、中華粥。
そういや “ 圓記 ” の看板に赤字で “ 粥 ” って書いてあったと思い出す。
人気のない路地を通って “ 圓記 ” へ。
華人は、朝・昼・晩と時間を問わずちょっと小腹が空くと粥を喰うと聞いたことがある。
“ 圓記 ” の粥は、香港式の鶏殻スープで炊かれる。

あっさりとコクのある粥に、刻んだピータンが混ぜられ、揚げたワンタン皮の食感が良い。
手間のかかった飽きない味に仕立てられている。
粥なら “ 圓記 ” へとの噂は、ほんとうだ。
食べ終えて、屋台に毛の生えたような飯屋だが、華人街の宝だと染み染みそう想う。
“ 新愛園 ” が表の顔だとしたら、“ 圓記 ” は、華人による華人のための裏の顔。
路地裏に隠された飯屋で、蛙や鶏足をしゃぶりながら絶品の老酒を煽り、〆に謎の善哉を啜る。
華人街の奥には、余所者が覗いて知れるほど浅くはないそうした景色があるものだ。

それにしても、徐おばちゃん、表でも裏でも立派に良い店屋を遺したよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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五百八十三話 仮想から理想へ、そして、想像から創造へ。

“ TSUBURAYA EXHIBITION 2021 ”
コロナ禍だろうとなんだろうと、詣でないという選択肢はない!
問題はいつお参りするかだが、終盤の昨日にした。
兵庫県立美術館へ。
館地下の駐車場は満杯。
会場受付には夏休み中の子供、その息子以上に興奮している父親、開催期間中無限に通うオタク。
そして、無理矢理連れ出されて不機嫌な母親や嫁達で溢れている。
コロナ禍の開催終盤にして、この人気とはなぁ。
昭和という時代。
映像・音楽業界の天才達が、寝食を厭わず取り組んだ傑作中の傑作 “ ウルトラ・シリーズ  ”
一九六六年一月二日、その初号となる “ ウルトラQ ” が TV放映される。
全編映画用三五ミリ・フィルムでの撮影という常識外れの制作体制で臨んだ作品だった。
僕は、当時、後数日で六歳になるという頃。
一族郎党の皆が映画人という奇妙な家に産まれ、“ TV は敵だ!” という空気を吸って育った。
“ 活動屋の息子が、TV なんか観るな!” という斜陽側の屁理屈を押付られる。
正月の二日は、映画人にとっての掻き入れ刻、子供達は劇場にほったらかしにされる。
おとなの目を盗んで、裏手の事務所でひとつ歳上の従兄弟と禁断のテレビにかじりついて観た。
古代怪獣ゴメスが目に飛び込んでくる。
もう鼻血が吹き出すほどの興奮で、原始怪鳥リトラが登場する頃には気絶しそうだった。
そして、同じ年の七月、巨大変身ヒーロー 「 ウルトラマン 」がテレビに現れる。
“ ウルトラQ ” に続き、円谷英二監督が撮られた。
世界中の映画人が崇めた “ 特撮の神様 ” である。
科学に基づく発想、芸術的な作画、最新の技術を纏った撮影、妥協のない舞台美術設定など。
どれもが、神様の域にあった。
円谷英二監督は、私財はもとよりその人生を一欠片も残さず特撮に捧げられた。
「ウルトラマン」放映から数日後、父親から普段滅多にしない仕事の話を聞かされた。
「今度怪獣映画を撮ることになって、ウルトラマンの円谷特技プロダクションに頼むことになった」
「来年春頃の封切りになるけど、学校で言うなよ」
「わかってる」
息子への自慢から口にしたのだろうけれど、興奮した子供の口ほど軽いものはない。
教室に着くなり口が乾くほど喋りまくってやった。
実際には、盟友であり片腕の “ ゴジラ ” 特技監督 渡辺明さんがメガホンをとられたんだけど。
そして、円谷英二監督が亡くなられた後も、その遺伝子は渡辺明監督達に引き継がれていく。
特撮の系譜は、未だ途絶えてはいない。
その証ともいえる作品が、近日劇場公開される。
「シン・ウルトラマン」
監督は、“ シン・ゴジラ ” の樋口 真嗣。
企画は、“ シン・ゴジラ ” や “ 新世紀エヴァンゲリオン ” の庵野義明。
音楽は、“ 新世紀エヴァンゲリオン ” の鷺巣 詩郎。
樋口 真嗣・庵野義明 は、円谷英二監督や渡辺明監督を。
鷺巣 詩郎は、“ ゴジラ ” の映画音楽を担った昭和の大作曲家 伊福部 昭先生を。
それぞれに継いで、今、日本特撮映画の系譜に新たな一頁を加えようとしている。
そもそも庵野義明の大阪芸大卒業制作は、「ウルトラマン」だったような気がする。
今回 “ TSUBURAYA EXHIBITION 2021 ” に、「シン・ウルトラマン」のモデルが出品されていた。
おそらくだが、庵野義明によるものに違いない。
おぉ、いいねぇ、いいですよ、さすがに同い歳、よくわかってらっしゃる。
これこそが、僕らのウルトラマンだよね。

って、おい!カラー・タイマーが、ねぇじゃん!まさか、ピコンピコンさせないつもりかぁ?
 

 

 

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五百八十二話 蝉は、意外と生きる。

はぁ? うっせぇ、うっせぇ、うっせぇわ!
なんなん? こいつら?
毎年毎年、夏の盛りになると地べたから湧き出てきて、鳴きまくる。
海辺の庭に “ ジージー、ジリジリジリジリ ” と響く。
早朝から夕刻まで、容赦なく飽きもせず鳴き続け、興が乗ってくれば夜鳴きだってする。
一体何匹いるんだろうか?
何百?いや千匹は超えるかもしれない。
正体は、間違いなくアブラゼミだ。
その名に由来する通り、油で揚げた際の撥ねる音を最大限に増幅させたような声で鳴く。
耳障りで、頭に響く、碌でもない音質で、なんの風情もありはしない。
ひとの頭に平気で上から小便を引っかけたりもする。
そして、地面は穴だらけ。
ほんとうに、なんの役にも立たない、ただうるさいだけのどうしようもない輩だ。
蝉は、幼虫として地中で六〜七年暮らし、成虫となってからは、地上で一週間ほどしか生きれない。
だから、その儚さに免じて虐めたり殺してはならないと教わってきた。
しかし、二〇〇〇年以降の研究で、アブラゼミは、結構ちゃっかり生きていることが解ったという。
一ヵ月程度は、元気に生きるらしい。
どうりで、一向に鳴き止まないはずだ。

茹だるような暑さに、この騒音、とっとと逝ってくれ!

 

 

 

 

 

 

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五百八十一話 狂騒の時代が、今にもたらした惨事

Cornelius 小山田圭吾に続いて、Rahmens 小林賢太郎までもかぁ!
音楽・演出担当の辞任解任という東京五輪開会式を明日に控えてのこの惨事。
まぁ、そりゃぁ、こうなるわなぁ。
何者なのか?と訊かれて。
九〇年代の Sub Culture Scene を想起しない業界関係者はまず日本にはいないだろう。
では、このふたりが傾倒し担った九〇年代の Sub Culture とは何だったのか?
九〇年代は、写真にある Sub Culture 史の中でも特異で異様な時代だった。
その表現には、大抵の場合、世紀末・悪趣味・鬼畜・叛逆などの言葉が躍る。
狂気に満ちたこの時代の提唱者だった故・村崎百郎さんの言葉を借りると。
“ 徹頭徹尾加害者であることを選び、己の快楽原則に忠実に生きる利己的なライフスタイル ”
この文脈が全てを語っているかどうかは疑わしいが、何らかの闇を孕んでいたには違いない。
それは、倫理的に完全に間違った闇で、次世紀に於いて決して容認されない闇だった。
しかし、九〇年代。
創作に関わる分野で、こうした闇に救いを求めたひとは多くいたと記憶している。
自身も決して無縁だったとは言い切れない。
そして、今でも周りには 九〇年代の Sub Culture を引きずっているデザイナーがいるのも事実だ。
そこで、今回の惨事である。
九〇年代の Sub Culture を全く理解していなかった人達が、人選したとしても許されない。
そもそも Sub Culture とは、主流文化の価値観に反する少数集団を担い手とする文化である。
主流文化の祭典である五輪に相応しいか?否か?ちょっと考えれば解りそうなもんだろう。
何故要請したのか?何故受諾したのか?
“ Main Culture ” と “ Sub Culture ” の双方を知る錬金術師である巨大業者が係っていながら。
この惨事を招いた現代の闇も深い。
この期に及んでは、何ひとつ擁護できないし、してはならないのだろう。

が、それでも、小山田圭吾と小林賢太郎の両人が創った作品は、どうしても嫌いになれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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五百八十話 接種完了!

初回接種から三週間経った昨日、二回目の接種を終えた。
一夜明けて。
腕は痛いものの、なんの変化もなし。
頭が痛いわけでもないし、熱があるわけでもないし、身体がだるいわけでもない。
こんな調子で、抗体できんのかなぁ?
副反応があったらあったで鬱陶しいし、逆になかったらないで効果を疑う。
ワクチンとは、結構面倒臭い代物だ。
しかし、先端科学技術の結晶を我身をもって体感できるというのは、ちょっと嬉しい。
昔、接種時に小学校で教わったワクチンの原理を思い出した。
感染した状況を擬似的に誘発させ、対抗する免疫を人為的に体内で形成させる手段である。
そう述べた保健教員に対して、同級のひとりが歓声をあげた。
「仮面ライダーや!」
生体置換技術によって身体を変異させ武装強化するという発想は、確かに近いかもしれない。
この同級生にとっては、注射の恐怖より仮面ライダーへの期待と感動の方が遥かに大きかった。
そして、残念なことに仮面ライダーにはなれなかったが、後に生化学の研究者としては成功した。
そんな頃から半世紀経った今、人類はコロナ禍を生きている。
地球規模の大量ワクチンを一日も早く!を、世界は願ったけれど。
それには、ウイルスを大量に培養し複製しなければならない。
隔離製造施設建設を含め膨大な時間を要する旧来型の手法では、到底間に合わないのではないか?
実際そういう報道もされていた中、 人類は、“ Messenger RNA Vaccine ” なるものを生み出した。
スパイク蛋白質の設計図を脂質の殻で保護し、人体に送り込む。
設計図に基づいたスパイク蛋白質が体内で形成され、免疫の発動を促し抗体をつくる。
しかも、スパイク蛋白質( mRNA )は、分解し人間のDNAが存在する細胞核には侵入できない。
よって、ヒトの細胞内に取り込まれることはないとされている。
結果、攻撃方法を覚えこまされた免疫細胞が、効率的にウイルスを撃退するという。
もちろん “ Messenger RNA Vaccine ” 作成には、ウイルスそのものは必要としない。
培養も複製の手間も要らず、遺伝子情報だけで開発が進められる。
まるで、空想漫画の世界のようだが、今まさに自分の体内で起きている現実なのだ。
マジに凄い!
“ Messenger RNA Vaccine ” ごちそうさまです!
ありがとうございます。

よろしく、お願いしまぁ〜す!

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