五百三十七話 生存報告

半年も blog を放置していたら、碌でもない噂が広まるらしい。
blog が更新できないほどの病だとか、遂に死んでしまったとか。
顧客だった方から、なにか自分にできることはないか?的な mail まで頂戴した。
これはもう、ちょっとした病を患っていることにした方が格好がつくような気もしたけれど。
それはそれで、もっと面倒なことにもなりかねない。
なので、正直にお伝えいたします。
頭は悪く身体はいたって元気に、変わらず生きております。
何度か blog を更新しようかとも思ったのですが。
ずっと、“ 海辺の家 ”の改築現場につめていたので これといった噺もなく。
写真を撮ろうにも、小汚い工事現場風景しかなかったのでその気にもなれず。
気がつけば半年 経っていたという始末です。
しょうもない次第で、ご心配をいただいた方には、ほんとうに申し訳ありませんでした。
その “ 海辺の家 ” も、一年近くの改築期間をようやく終えようとしております。
古いボロ館から新たなボロ館へと、たいして姿も変えず無駄に大きな図体を晒しています。
そして来週、撮影をし、先代家主であった義母の7回忌法要を執り行って完成という運びです。
まぁ、出来栄えについては、世間的に一切賛同されることはないと承知しております。
しかし、嫁とふたりで望んだかつてこの港街にあった住処の風情は残せたような気がしていて。
ささやかな満足感に浸っている今日この頃です。
今後は、死亡説が流れない程度の頻度で blog も更新していくつもりでおります。
懲りずにご一読賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

取り急ぎ、生存報告まで。

Category :

五百三十六話 古材柱

海辺の家を改築し始めてから、間も無く四ヵ月が経とうとしている。
で、その進捗はというと未だ半分にもならない。
工務店の担当者に。
「ねぇ、家建てるのって、もうちょと楽しいもんだと思ってたけど、全然楽しくねぇんだけど」
「こんなもんなの?」
「いやいや、段々とできてくると気分もあがってきますから」
って、いつのはなしだよ?
古館の改築は、図面通りにはいかない。
半年かけて建築家の先生がひいた設計図面も、解体してみると現実的ではない部分もある。
その都度、再考し仕様を変更していく。
どうしても手探りの作業を強いられる。
棟梁が。
「ご主人、二階の柱二本が、図面通りには抜けませんねぇ」
「柱を新材に入れ替えて残さざるをえないんですけど、真新しいのが露出しても良いですか?」
「まずいなぁ、ここにピッカピッカの白木の柱はないよなぁ」
「どうしますか?塗装でなんとか誤魔化します?」
「誤魔化すっても、太柱二本となると面が広すぎて無理じゃない?」
「ちょっと知ってる古材屋に訊いてみるわ」
そんなこんなで、古材屋の倉庫に。
“ BULLET JAPAN ” 古材輸入建材の扱いでは知られた会社で、名たる店舗の内装を手掛けてきた。

あるある、ところ狭しと解体古材が並んでいる。
百年以上の歳月を風雨に晒されて過ごしてきた木材は、やはり迫力がちがう。
が、しかし、住居内装に使用するには、古材としての主張が強すぎて使いづらい。
店舗材と住居材では、目指すところがどうしても異なる。
案内してくれた男前の若い職人に。
「もうちょっと節度のある古材ってないの?」
「はぁ?」
「いや、築七〇年くらいの家にあった柱とか」
「ないですけど、経年変化を想定してつくれますよ、僕でよければですけど」
「あのさぁ、俺、おんなだったらキミに惚れてるわ」
「ありがとうございます」
「でも、結構です!注文だけで」
「あっ、そう、じゃぁ注文するわ」
傷跡の程度や色合いを相談して、工程上一週間ほど要するという時間を待つ。
「一ヵ月程度で色は落ち着いてきますけど、これでいかがでしょう?」
「ありがとう!良い腕してるわ!」
自然な飴色で、傷や擦れ具合もよく馴染んだ檜の太柱が二本仕上がっていた。
「ところで、おにいちゃん、この稼業楽しい?」
「ええ、おかげさまで、好きでやってるんで」
「そうなんだぁ」
「ちょっと相談なんだけど、俺、ここで雇ってくんないかなぁ?」
側にいた嫁が。
「だいぶとポンコツだけど、かなり器用だよ」
「給料とかいらないから、面倒みてあげてよ」
「いやぁ〜、楽しげな方だとは思うんですけど、うちの社長に雰囲気が似てるんで」
「あっ、そういえば、社長ちょうどいるんで」
そして、別部屋から出てきた社長と面を合わせた。
歳は、相手の方が下だろう。
海坊主みたいなおっさんで、道で出逢ったら絶対目を合わせたくない輩だ。

どのへんの雰囲気が似てるっていうんだよ!いい加減なことを言うんじゃない!

Category :

五百三十五話 新元号

平成三一年四月一日昼。
“ 大化 ” より数えて二四八番目の新元号が、国民に無事伝えらた。
「 令 和 」
まさかの 万葉集からの出典らしいけど、日本の情緒が込められた素晴らしい元号だと想う。

おめでとうございます。

 

 

Category :

五百三十四話 六本木歌舞伎 “ 羅生門 “ 

新元号を迎えると、市川團十郎白猿が誕生する。
期間限定、平成十一代 市川海老蔵の舞台姿もそろそろ見納めかという今日この頃。
原作 芥川龍之介 演出 三池崇 六本木歌舞伎 第三弾 “ 羅生門 ”
大阪公演を観た。
第三弾の共演者は、“ V6 ” の三宅健らしい。
そう耳にしても顔すら思い浮かばんけど。
第二段 ” 座頭市 ” では、女優寺島しのぶさん。
オンナの次は、アイドル?
まぁ、客としては、木戸銭分楽しませていただければつべこべいう筋合いではない。
そもそも、文句を口にするほど歌舞伎にも芝居にも通じてはいないから。
そんな俄客でも ” 座頭市 ” の寺島しのぶさんは艶っぽく映ったし、舞台も充分に面白かった。
しかし、気になるのは演目だ。
芥川龍之介の “ 羅生門 ” って、登場人物はふたりだけだったような。
たしか、老婆と下人。
となると、市川海老蔵と三宅健のふたり芝居?
早変りもなし?
序幕 第一場 羅生門
いきなり、芥川作品には描かれていない場面が舞台に。
市川海老蔵演じる渡辺綱と市川右團次演じる茨木童子の大立ち回りから始まる。
幕前の武者と鬼の斬り合いの後、幕があがり荒れ果てた羅生門が闇の中に浮かぶ。
絢爛な装束と派手な動きから、静寂の薄汚れた闇へと一瞬で暗転する。
舞台が化けて、一気に異世界へと引き込まれていく。
この感覚は、なかなか他では味わえるものではないと思う。
今回の “ 羅生門 ” は、序幕が三場、二幕が二場の構成で成っている。
なので、芥川龍之介の “ 羅生門 ” とは、だいぶ様相が違う。
歌舞伎の “ 茨木 ”と“ 戻橋 ” 能の “ 羅生門 ”そして芥川の“ 羅生門 ”を基に仕立てられた脚本らしい。
古典の Remix Scenario ともいえるこの物語は、巧みで斬新でいて “ 羅生門 ” の本性を語っている。
市川海老蔵の役者としての身上は、“ 廃れることのない古典こそが新しい ” なのだそうだ。
まさに、舞台からは、当代成田屋のそうした想いが伝わってくる。
二幕目 第二場 羅生門の彼岸
この場面は、全く独創の世界なんだろうけれど。
それだけに一番の見所なのかもしれない。
唐突に登場する人物。
役名に成田屋の紋 “ 三升 ” を冠した “ 三升屋兵庫之助三久 ” を市川海老蔵が演じる。
成田屋に代々伝わる「荒事」は、歌舞伎一八番を彷彿とさせ、“ 附け ” が響く舞台は最高潮へ。
鬼や魔を退ける呪術的な舞は、ありがたく力強い。
これが、これこそが、当代市川海老蔵。
よっ!成田屋!
いやぁ〜、浮世の憂さも今宵限りだわ。
そうしていると、舞台天井から一本の紐が、するすると降りてくる。
芥川龍之介 の “ 蜘蛛の糸 ” って趣向かぁ?

粋だねぇ。

 

Category :

五百三十三話 傷跡

一九五〇年頃の木造家屋は、そのほとんどが布基礎を土台として建てられた。
布基礎は、建物の壁に沿ってコンクリートを打って造る。
なので、床を捲れば、下には土の地面が覗く。
海辺の家も、そういう具合になっている。
基礎の補強もあって、床材を剥がして床下を確認した。
現場監督、家曳屋、建築家、施主、その場に居た皆が顔を合わせて。
「見た?」
「見たよね?」
幅一〇センチ長さが二メートルほどだろうか、地面に亀裂が走っている。
深さは、相当に深く実際にはどれくらいなのか?見当がつかない。
「これが傾きの原因かぁ、怖ぁ!」
「しかし、よくまぁ、ご両親もご無事で」
地面がこれだけの始末なのに、建屋自体には、傾いているものの構造上大きな問題はなさそうだ。
木と土で建てられた古屋も馬鹿にしたものではない。
結果として家人を守ったんだから。
それにしも、この辺りの硬い地盤を裂くとは、地震の怖さを改めて知る。

そして、今も国道沿いに遺る地震の遺構が思い浮んだ。
そりゃぁ、高速道路の橋脚を捻じ切るほどだから、もう何をやっても無駄のような気もするけれど。
そんな諦めの境地でいたのに。
「こうやって、見ちゃったらしょうがないよねぇ」
「布基礎のコンクリートを打替えて補強するつもりだったけど、見ちゃったらそうもいかない」
「えっ?そうもいかないって?じゃぁ、どうすんの?」
「硬い地盤まで杭を打って、ベタ基礎に変更して、衝撃を強固な面で受ける方向でやるかぁ」
「いやいや、それってもはや補強じゃないだろ?新たな基礎をってはなしじゃないの?」
「そんなの誰が銭払うの?」
「それは、もうご主人が」
「阿保かぁ!」
「いや、うちはもともと基礎屋出身だから、この手の仕事には良い腕してっから」
「そういうはなししてんじゃないだろう!銭をどうするんだって言ってんだよ!」
「だからぁ、それは、ご主人が」
建築家の先生に訊く。
「先生の見解はどうなの?」
「まぁね、お金は持って死ねないから」
「うるせぇよ!」

ほんと、見なきゃ良かった。

Category :

五百三十二話 家曳き屋

海辺の家は、二四年前の大震災で大きな傷を負っている。
当時、一応の修繕は施したものの元通りというにはほど遠い。
何度かちゃんと治そうという話もあったが、病を抱えた高齢の家主は踏み切らなかった。
「わたしが逝った後で、あんた達の好きなようにしなさい」
義母は、そう言っていた。
好きなようにと言われて、義父や義母の趣味に合わない家を、潰して建替えたのでは身も蓋もない。
そこが、まったく厄介だ。
家は、西側部分の傷みが特にひどい。
建築家の先生の見解としては。
「西側平屋部分だけは、さすがに新築された方が、費用的にも手間的にも良いと思うけど、駄目?」
西側の端は納戸になっていて、家の三分の一ほどの床面がその方向に傾いている。
床面を水平にするには、家全体を持ち上げて基礎全面をやりかえなければならない。
屋根瓦・壁・床を撤去して家を軽くした後、水平値にまであげる。
その際、もの凄い衝撃と負荷が家に加わる。
築七〇年近いこの家は、それに耐えるのだろうか?
一体誰が?どうやってあげるのか?
建築会社が方々をあたり、そして、やって来たのがこの連中。
鳥取県に在る “ 鈴木家曳業 ” の鈴木さん。
作業着の胸には、◯ に “ 曳 ” の一文字が描かれている。
なんかこうとても頼りがいがありそな雰囲気がするんだけど。
っうか、家曳業なんていう稼業があんの?
「まぁ、家あげて曳くだけなんだけど、ちょっととりあえず図面みせて」
「あぁ、ここね、随分と下がってるねぇ」
「可能ですか?」
「えっ?なにが?」
「いや、水平になるかどうかですけど」
「なるよ」
腕の良い職人ほど、自らの仕事をいとも簡単に言う。
「家への負荷は、やはり相当なものなんでしょうね?」
「負荷?そんなものかかんないよ、瓦一枚落ちないから」
「でも、屋根瓦とか全部おろして軽くした方が」
「いやいや、そのままで、そのままで、あげるだけなら棲んでてもできるから」
「で、どのレベルまで水平になりますか?」
こう訊いた時、顔が険しくなる。
「どのレベル?一ミリでも下がっていれば、水平とは言わないだろ!」
「水平は、水平だよ」
かっけぇ〜!
周りを囲んでいた建築家も棟梁も大工も施主も、みんなでマジ・リスペクト!
こうして家あげ工事が始まった。
口で言っていたような簡単な工事ではない。
四班に分かれて、泊り込みで二週間かかるらしい。
こんな機会滅多とあるもんじゃないので、関係者皆で弁当でも食いながら見学しようと思っていた。
建築会社が請け負っている他の現場の棟梁も覗きにやってくる。
だが、実際の工事は、おそろしく地味で慎重な作業の連続だった。
ベリベリ、バリバリといった派手な工程は、どこにも存在しない。
家屋への負荷どころか、音すらしない。
別部屋では、壁の剥離作業を進めていて、そのヘラで壁面を擦る音が聞こえるほどに静かだ。
だが、しかし、家は着実にあがっていて、水平位置で次々に固定されていく。

最大あげ高二一センチ、見事に水平固定。
ただ一ヵ箇所、外側の基礎梁が中央で一センチほど膨らんでいる。
家癖といって、傾いた家を自力復元しようと頑張ったことによるものらしい。
「これは、俺たちにはどうにもならない」
「基礎を打ち替える際に、棟梁に引っ張り下げてもらうしかないな」
そう言いながら、仕様指図画を床板に描く。
なるほどね、家をあげれるけど下げられないんだ。
世の中には、面白い稼業があるものだと想う。
数々の家屋、文化財をあげて曳いてきた  “ 鈴木家曳業 ” は、現当主で五代目になる。
山形県で創業したが、大戦中に起きた鳥取大地震の災害復興要請を請けて鳥取へ。
以来、新潟地震を始め自治体に請われる度に尽力してきた建設屋なのだそうだ。
一度災害地に入ると、復興が終わるまで何年も現地で働いてきたという。
海辺の家をあげ終えた日も、鳥取には帰らず東京にそのまま向かうらしい。
国際救助隊 “ THUNDERBIRDS ” みたいな会社だ。

いやぁ〜、ありがとうございました!

 

 

 

 

 

Category :

五百三十一話 解体

遂に、というかようやく解体に。
海辺の家です。
解体屋さんが、人力で 丁重に進めてくれる。
硝子板に、床材に、天板など、再び使う部材を取出し、いらないものは撤去。
これから、家を上げ、梁を新しく何本か追加し、基礎を補強していく。

棟木を見上げると、御幣があった。
上棟式に、棟梁が飾ったのだろう。
嫁に訊くと、二度目に増築した際の扇らしい。
それでも半世紀以上前の話で、その記憶も怪しいのだが。
海辺の家には、これまで四人の棟梁が係わってきた。
この度の改築で、五人目となる。
昭和、平成、改築を終える頃には新しい年号を迎えているはず。
齢 六六歳の古館。

なんとか無事に良い住処となりますように。

Category :

五百三十話 あけまして、おめでとうございます。

あけまして、おめでとうございます。
亥の年、一二支の一二番目の年。
そして、この年で平成の世が終わるらしい。
昭和、平成と良いことも悪いこともあったけれど。
新しい元号の時代は、穏やかであって欲しい。

皆様にとって、良き年でありますように。

 

Category :

五百二十九話 QUEEN

友人の弟から。
「BOHEMIAN RHAPSODY もう観ましたか?」
「あぁ 、なんか話題になってるみたいね」
「観ないとかなり後悔しますよ」
「ヘェ〜、そんなに 」
「僕なんか、毎週観て次で四回目ですから」
「マジでぇ?」
「毎回、泣けますよ」
「えっ?泣くの?」
生 Freddie ならわかるけど、所詮映画でしょ?
早速、嫁と劇場へ。
その嫁は、Queen を神と崇め、日本公演には二回、滞在しているホテルへも。
窓から顔を出してくれた四人を仰ぎ見たことが、この歳になっても自慢だ。
「わたしは、Roger Taylor のファン」
と他人に吹聴しているが、実は筋金入りの Freddie Mercury 信奉者だということを僕は知っている。

“ BOHEMIAN RHAPSODY ” を観た。

で、泣きました。

高校生の頃、ラジオの深夜放送から流れてきたこの曲を聴いた。
なに?これ?
Ballard? Opera? Rock? 転調なんていう生易しいもんじゃない。
そもそも、これっていつ終わるの?
そして、プロモーション・ビデオの映像を。
当時 P.V. なんて名称すらなかったと思う。
そこで初めて神の姿を拝する。
こっ、こっ、この方が、このおっさんが、Freddie Mercury?
なにもかもが、島国に暮らす高校生には理解不能の衝撃だった。
エンターティメントにおいて、この衝撃を超える存在にいまだ出逢ってはいない。
僕らにとって。
Queen というバンドはなんだったんだろう?
Freddie Mercury という天才はなにをもたらしてくれたんだろう?
Bohemian Rhapsody が流れると何故切なくなるんだろう?
We are the Champions を聴くと根拠のない自信が湧いてくるのはどうしてだろう?
一九九一年、Freddie Mercury は、AIDS 発症による肺炎で逝く。
天才が愛してくれた日本人の皆が、夢のような好景気は過ぎ去ったのだと気付かされた頃だった。
馬鹿馬鹿しい世代の馬鹿馬鹿しい郷愁。
だけど、Queen を聴いていたあの時代。
そう悪い時代でもなかったような気がする。

まぁ、おっさんが劇場で泣く言い訳にはならんけれど。

 

 

 

 

Category :

五百二十八話 俵屋の秋

一ヶ月半ぶりで、ご無沙汰しております。

海辺の家の改築にともなう設計や材料手配や荷物整理やらで、落ち着かない日々を送っていて。
そんな最中、友人から “ 俵屋 ” に泊まるから一緒にどうか?と誘われた。
どうしようかと迷ったが。
友人とも久しぶりだったし、“ 俵屋 ” も久しぶりだったので誘いに乗ることにする。
京都麩屋町姉小路、文豪川端康成が愛した “ 柊屋 ” と向かい合って “ 俵屋 ” は在る。
作家は、 “ 柊屋 ” を何事にも控目な宿と評したそうだ。
その控目加減で言うと向かいの  “ 俵屋 ” は、それ以上だろう。
しかし、そうした究極に控目な宿屋の評判は、驚くほど高い。
おおよその贅を知り尽くした世界の上客が、つまるところ “ 俵屋 ” が一番の宿屋だと言う。
Steve Jobs、Tom Cruise、名前をど忘れしたが BOSS珈琲のあの宇宙人も、皆がそう言う。
なにをもって、そこまで心酔させられるのだろう?
幾度かこの宿屋で床を敷いてもらったが、そこがよく分からない。
妙な話だけれど、そのよく分からないところを気に入っている。
” 俵屋旅館 ” には、つかみどころがない不思議な魅力があるのだ。
設え、接客、料理など、どれもが確かに行き届いてはいる。
だが、格別な何かがあるのか?と問われると答えに困ってしまう。
まぁ、そういう格別を求めるのなら、鴨川のほとりに建つ5ッ星宿屋へと勧めた方が無難に思う。
実際には、” 俵屋旅館 ” にも” 俵屋旅館 ” なりの格別は存在する。
ただ、格別の性格、質、在り方が、普通ではなく難解で、すぐにどうこう言える類のものではない。
そして、客は、ふとした拍子にその格別に気づく。
客によっても、季節によっても、気分によっても、同じではなく、様々に違う格別に触れる。
夕餉を終えての一服 。
廊下の庭側、一段下がった場所に鉄平石を敷いた一畳ほどの喫煙場が設けられている。
床と地面は同じ高さで、足元の硝子窓が内と外を隔てる。
擦り切れて古びたペルシャ絨毯が敷かれ、低く構えた木製ソファーの前に手捏ねの灰皿がひとつ。
壁の脇には、宿泊客が著した数冊の本が並ぶ。
時折、仕切りのない廊下をひとが行き交うが、不思議と気にならない。
僅か数一〇センチ床面を下げることで、 全くの独立した空間として成り立っている。
狭くてほの暗いが、とても居心地が良い。
なにひとつ贅沢な代物は、此処にはない。
それどころか、見上げると空調の管が見えないように杉板が釘で適当に打ちつけられてある。
数寄屋大工として ” 俵屋旅館 ” を支えてきた中村外二氏の仕事ではない、明らかに素人の仕業だ。
気にはなるけど、棟梁をわざわざに呼ぶほどでもない、誰かなんかで隠しといて。
多分そんなところだろう。
絨毯の擦り切れといい、適当な目隠しといい、ざっくりとしていてどこか素人臭さが覗く。
宿屋というよりは住処に近い場所。
たまたまなのだろうけれど、いい加減なというのとも違う。
” 俵屋旅館 ” にはそんな姿もあって、僕みたいな客には、そこもまた格別のひとつだ。
鎌倉時代、本業とはせずに好きな芸事に打込む様を “ 数寄者 ” と称したらしい、
代を譲られた佐藤年さんと写真家だったご主人 Ernest Satow さんも “ 数寄者 ” なのかもしれない。
宿屋としてではなく、自分達がほんとうに居心地の良いと思える空間をひたすら追求された。
それが、いまの ” 俵屋旅館 ” に至ったのではないかと想う。
とにもかくにも、ゆったりとした一晩を過ごさせていただきました。

誘ってくれた友人にも感謝です。

Category :