四百九十六話 終了!

終わったぁ〜。
終わりました。
二月にすべての営業を終えた後、半年経った。
その間、法人解散の手続きに衰えた能力を絞って取り組んできた。
そして本日、ようやく完了の運びとなりました。
結果、店主として、事業主として、清算人として、その役割を終えたことになる。
勝った負けたの話ではないけれど、無事に成ったことに正直安堵している次第です。
さぁ〜て。
祈願の達磨に目を入れて、眼前の山中にある勝尾寺に納めにいくかぁ。
達磨さんにも、関わっていただいた皆さんにも感謝です。
ありがとうございました。

まぁ、こんなとこかな。

 

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四百九十五話 暮らしに添って在る豆腐屋

歳をとると、しょうもないことで揉めることがある。
京都で、豆腐屋の店先を通りすがった際に友人が言う。
豆腐なんて喰い物が、なんの為にこの世に存在しているのか解らない。
色も、味も、食感もはっきりしない。
はっきりしないものを有難がって喰うやつの気が知れない。
明日にでもなくなったところで、どうということもない喰物のひとつである。
日本人の食文化を根こそぎにするかのような聞き捨てならない暴言だ。
中国で生まれ、東亜細亜を中心に広く食されている豆腐だが。
白くて柔らかい豆腐は、日本人による日本人のための食品としてある。
そして、豆腐は豆腐屋がつくる。
この豆腐屋、ひと昔前には町内ごとに一軒は営まれていた商いだった。
だから、豆腐はわざわざ遠くに足を運んで買い求めるものではない。
今でも、京の町屋から鉢を手に豆腐屋へと向かう姿を見かけたりもする。
その町に棲まうかぎり、いつもの豆腐屋のいつもの豆腐をずっと喰って暮らす。
日々のことであるから、暮らす者にとっては我町に在る豆腐屋の腕前は肝心である。
嘘か真か定かではないけれど。
豆腐好きで知られた泉鏡花は、豆腐屋の評判で居を移したこともあったらしい。
つくり手が、一丁一丁手売りするのがあたりまえで。
百貨店や量販店で売られている機械生産の豆腐は豆腐ではなく、味を似せた模造品の類だ。
一軒で日に三〇〇丁ほど売れば、家族の暮らしが立つという意外と採算性の良い豆腐屋稼業だが。
水に浸した大豆を臼でひき、煮て搾った豆乳に苦汁を入れて固めたものを包丁で四角に切る。
暑かろうと寒かろうと、夜に仕込み陽が昇る前からこの作業をこなさなければならない。
その繰り返しが生涯続くとなると、横着な者には到底務まらないだろう。
本来、豆腐屋とはそうした商いで、豆腐とはそうした喰物である。
先日、鳥取からの帰り途。
地元民の従姉妹が、 あんたの好きそうな店屋があるから送りがてら連れていってやるという。
辺り一面田圃に囲まれた集落で営む一軒の店屋。
豆腐屋だった。
「ここんちのお兄ちゃん、それはもうイケメンだから」
「えっ?そこなの? 俺、イケメンだろうがなんだろうが、お兄ちゃんに興味ねぇし!」
まぁ、たしかに、店主は若いし良い面なのだが、この豆腐屋それだけではない。
引戸を開けた右手すぐに構えられた工房。
道具のひとつひとつが、よく使い込まれ、よく手入れされてある。
夕暮れの薄陽に浮かぶその姿は、稼業への精進を映していて美しい。
もう食わなくてもわかる、此処の豆腐はちゃんとした旨い豆腐だ。
この集落で暮らすひとには。
旨い豆腐に日々ありつけるというささやかではあるけれど贅沢な幸運に恵まれている。
祖父から孫へと継がれた「 平尾豆富 」の味
見事です。
ごちそうさまでした。
この豆富、鳥取市河原町佐貫へ行けば味わえます。

そして、奥様方へは、イケメンお兄ちゃんの接客もご希望によりオプションで追加されます。

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四百九十四話 もうひとりの座頭市 

六本木歌舞伎の第二弾、座頭市。
寺島しのぶさんって尾上菊五郎さんのお嬢さんだけど、歌舞伎の舞台に女優?
盲目の座頭市を演じられるのは市川海老蔵さんだとすると、あの眼力は?
映画 SCOOP! の薬中オヤジ、リリー・フランキーさんが歌舞伎の脚本?
その存在自体が R-15 指定、鬼才三池崇史監督が演出?
これで、ほんとうに良いの?
だけど、これほどの個性と才能を布陣させて挑んだ芝居となると是非観てみたい。
で、大阪公演の初日に観た。
歌舞伎にも通じていない、芝居にも通じていない。
そんな僕が観ても、とにかく面白い。
盲目の侠客座頭の市は、故勝新太郎さんが役者人生を賭けて演じ続けられた役柄だ。
以降、どなたが市を演じられても、どうしても大好きな勝さんの立居が浮かぶ。
そして、これが座頭市?という想いしかなかった。
逝かれてちょうど二〇年経ったこの舞台で、まったく異なる市の姿を観た。
坊主頭で、ひとの動きを超えた抜刀術で斬って舞う盲目の侠客。
見えるはずのものが見えず、見えないはずのものが見える。
朱の衣を羽織って洗練されてはいるけれど。
これは、もうひとりの座頭の市だ。
当代随一の歌舞伎役者って、こんなにも凄い者なのか。
芝居の最中、時々に演者が客を弄る。
幕間ですら、なにかと絡んできて飽きさせない。
歌舞伎役者とは、ひとを楽しませるあらゆる術を心得た玄人中の玄人だと想う。
あっという間の二時間半だった。
明日ご覧になられる方もおられるかもしれないから、詳しくは言わない。
ただ、寺島しのぶさん演じる薄霧太夫との濡場の一幕も必見ですよ。
三池崇史演出六本木歌舞伎、これは病みつきの芝居だ。

三池監督、煙草場では失礼いたしました。

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四百九十三話 Shabby Look!

UNDERCOVER 2017 Fall & Winter Collection に登場したロング・ベスト。
普段は、親交のあるデザイナー達の服しか着ないので、店屋で求めることは滅多にない。
だけど、UNDERCOVER のデザイナー高橋盾氏とはお会いしたことは多分ないと思う。
素直に欲しいから手に入れた。
もう随分こういう衝動から遠ざかって過ごしてきたような気がする。
稼業としての Fashion と、嗜好としての Fashion とは違う。
まったく違うと言ってしまえば偽りだが、好きだけを貫いて食っていけるほど甘い世界でもない。
刻々と流行が変わっても、ほんとうに好きなものはそうは変わらないんじゃないかと想っている。
流行と嗜好が、ぴったりと合致するなんてことはよほどの幸運だろう。
だから、どこかで自己の嗜好を殺して、流行に媚びながらやりくりしていく。
今更愚痴っても仕方がないが、Fashion屋というのも因果な商売だ。
では、そうは変わらない自分にとっての好きは何か?
一九八〇年代、贅沢な服への反定立から生まれたスタイルがあった。

「 Shabby Look 」

駆け出しの頃、倫敦 King’s Road 四三〇番地でその正体を初めて目にする。
Vivienne Westwood と Malcolm McLaren の服屋 Worlds End だった。
当時は、PUNK という概念すら解らなかったが、それでも衝撃的で。
ボロボロの服が、なんでこんなに格好良く映るんだろうか?と想った。
ガキは 単純だから、Fashion って凄ぇなぁとも想う。
あの感動から三〇年が経って。
Malcolm McLaren はこの世を去り。
かつての PUNK の女王 Vivienne Westwood は、Dame の称号を授かって体制側のひととなった。
そして、UNDERCOVER のこのロング・ベスト。
ゴミ袋みたいな素材、ボロボロに破られたリブ、大きな樹脂ファスナー、背面のグラフィック。
さらに、馬鹿みたいに大きなサイズ感。
「みすぼらしい格好」が、格好良いと感じたあの時代を蘇らせてくれる。
ちいさなカルト・ブランドだった UNDERCOVER も今では世界のトップ・ブランドだ。
その立ち位置で、こういった服を創る高橋盾というデザイナーは素晴らしい。

にしても、買ったはいいけど、これって、いつ?どこで?着たものか。

 

 

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四百九十二話 どっちの BABEL が好き?

これが、Boijmans Van Beuningen 美術館収蔵のPieter Bruegel 作「BABELの塔 」
今、国立国際美術館にいる。
さらに。
これも、Pieter Bruegel 作「BABELの塔 」
多分、Wien 美術史美術館にいる。

もうひとつ、Pieter Bruegel 作「BABELの塔 」はあったらしいが。
今、どこにいるのか誰も知らない。
ふたつの「BABELの塔 」
で、どっちの BABEL が好き?
まぁ、一般人にとっては、どっちでも良いはなしなんだけれど。
中世西洋美術愛好家の間では、意外と真面目に交わされる論議のひとつでもある。
なにが違うか?
まずは寸法が違っていて、面積比で Wien 美術史美術館収蔵の方が五倍ほど大きい。
そこで、「大BABEL」と「小BABEL」と呼んで二作品を区別している。
そして、「大BABEL」を観てから二〇年以上経った先日「小BABEL」を初めて観た。
僕は、ある期待をPieter Bruegel 作品に抱いて観る。
くだらない下衆な私見だが。
西洋美術史上でも指折りの謎とされる奇妙な美術が、一五世紀の和蘭陀に出現する。
全くもって Surrealism だとしか言いようのない存在なのだが。
これは、一九二四 年の超現実主義宣言から遡ること四〇〇年前の出来事である。
怪異にして諧謔、仮想であって現実、安堵にある不安。
主犯は、悪魔の画家 Hieronymus Boss で、その悪魔の追随者が  Pieter Bruegel なのだ。
だから、喩え宗教画であったとしても、Bruegel 作品には、その悪魔の足跡を期待してしまう。
その視点から改めて「大BABEL」と「小BABEL」を観てみよう。
要は、どちらが悪魔的か?
「大BABEL」画面左下には、箱船 Noah の末裔 Nimrod 王も登場させ壮大な物語として描いている。
確かに細密ではあるが、病的な仮想現実描写というほどではない。
どこか笑いを誘う諧謔的な人間描写も見当たらない。
「小BABEL」は、どうだろう?
王の姿は見当たらない、主題の塔のみが画面に居座っているだけ。
それでも、諦めず目を凝らしていく。
すると、塔のあちこちに米粒よりちいさな白い点が描かれているのがわかる。
なんだ?さらに目を凝らす。

人間?
塔上階で作業している左官職人が漆喰桶をひっくり返してしまい。
お陰で、下の者が頭から漆喰を被るという場面を微細な筆法で描いている。
Bruegelは、こうした人間を「小BABEL」において一四〇〇体画面上に配した。
現代の CG 技術で、この三ミリほどの人間をトレースし動かしてみると。
創世記時代の左官作業が見事に再現されたらしい。
塔本体は、どうだろう?
新しい煉瓦ほど赤く彩色されている点は、二作品とも同じだ。
だが階調の数が違う。
「小BABEL」では、より細かな階調で塔建設の時間経過を克明に表現していて。
煉瓦を日々ひとつひとつ積み上げていった様子を、現実のものとして受け入れさせられる。
浮かぶ帆船にしてもそうだ。
いくら語っても、これではきりがない。
神は Nimrod 王に怒り、言語による情報を遮断し「混乱」という罰を人間に下した。
それが、主題の本質で「大BABEL」 ではそうなのだろう。
しかし、「小BABEL」では。
塔構造、施工過程、滑車重機、資材運搬、港湾施設の様子が、驚愕の細密画法で描かれている。
そして、頭に漆喰を被りながらも愚直に煉瓦を一段一段積んでいく一四〇〇体もの人間。
「BABELの塔」は文明そのもので、ひとは力を合わせ必死に高みを目指して頑張る。
神様に怒られたって、やめやしない!
画家の労苦のほとんどは、そうしたことの表現に費やされたのではないか?
「小BABEL」の主題は、「Humanism」なのかもしれない。
わずか五年の間に二作の「BABELの塔」を描いた Pieter Bruegel の真意は謎だけれど。
どっちの BABEL が好き?と訊かれたら。

僕は、断然「小BABEL」だ。

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四百九十一話 梅雨に履く靴 

よほどの雨でも降らない限り傘はささない。
梅雨時。
いくらなんでも、今日は傘を持っていけと言われて持って出て。
無事に持ち帰ることは、自慢じゃないが稀だ。
どこかに忘れるか、似ても似つかない別の傘を手にして帰るか。
どうして、いつもそうなのか?馬鹿なの?と訊かれても。
習性だとしか答えられない。
そうやって、長年この歳になるまで傘と縁のない生活を続けている。
じゃぁ、西欧人みたく濡れても気にならないのか?というと、それはそこそこ気になる。
だから、この時期 Gore Tex Parka は必須アイテムとして欠かせない。
雨が降れば、どんな場所にでも着ていく。
先日も、北新地のママさんに。
「ちょっとぉ!何してんの!あんた!裏にまわって!」
黒色の Parka をフードまですっぽり頭から被った姿で扉を開けた途端、そう叫ばれた。
どうやら、配達業者だと思ったらしい。
ちぇっ!この Parka 一着で、 てめぇんとこの客が羽織ってる背広三着は買えるんだけど。
せっかく気を使って、数ある Parka から選んで着てきてやったのに、この仕打ちかよ!
でも、まぁ、ママさんの言分の方が正しい。
洗面所で鏡の前に立つと、配達業者でも上等なくらいで、もう盗人の域だ。
お絞りを手に、おろおろしてるママさんが。
「このジャケット格好良いやん、わたしもこんなん欲しいわぁ」
「嘘つけ!遅せぇわ!」
「それより、なんか運ぶもんあったら言いつけてよ、俺、業者だから!」
しかし、どんなに世間受けが悪くとも、この雨装束を改めるつもりは毛頭ない。
さらに進化させていこうと思う。
喩えば、この靴。
Authentic Shoe & Co. の竹ヶ原君から送られてきた靴で、新作らしい。
Solid Kicks no.6 という名のスニーカーで、とても気に入ってる。
古典的意匠への敬愛と、凡庸であることへの反骨が、竹ヶ原敏之介の源泉だと思う。
スニーカーとしての原型に、軍靴の仕様を取込み、最新機能を付加させた異形の作品。
異形だからといって、履き心地や着脱具合は、微塵も欠いてはいない。
むしろ、向上していると言って良い。
一流の靴職人がスニーカーなんて!と考える靴マニアのひとも少なくないだろう。
正直、僕もそのひとりだったけれど。
このスニーカーには、そうは言わせない奇妙な説得力があるように感じる。
竹ヶ原敏之介の流儀が漂う一足で、安易な再構築とは一線を画した靴じゃないかと想う。
素直さの欠けらもない歪んだ思考と仕事ぶりは、相変わらずだけど。
そして、このスニーカー。
全天候型で、雨天でも平気なのだそうだ。
鬱陶しい梅雨が続く日々。

Gore Tex Parka の足元には、Solid Kicks no.6 を。

 

 

 

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四百九十話 鯖寿司は、好きですか?

京都生まれ京都育ちで、京都で物書きをしている知合のおとこが言うには。
脂がのっていない鯖を押した鯖寿司ほど不味いものはないらしい。
異を唱えるのも面倒なので、そうだねと返したが。
実は、肉厚で脂がのり過ぎる鯖を押した鯖寿司ほど苦手だ。
加えて、表面を覆っている白板昆布もどうしたもんだろう?
昆布の旨味を付加するためだとか、青魚の臭みを和らげるためだとか、劣化を遅らせるためだとか。
いろいろと説はあるらしいが、どうもあのヌメッとした感じが食うに辛い。
鯖のべっとりとした脂と昆布のヌメヌメ感の重なりは、何故に?と思わざるをえない。
だが、始末の悪いことに味はことの外美味い。
ほんとうに残念な喰いものだと思う。
鯖にもっとも脂がのる季節は秋から冬にかけて。
そんなに脂がのった鯖が好きなのだったら、鯖寿司も冬に食えば良い。
そう思うのだが、京都人にとっての鯖寿司の旬は初夏から夏にかけてだとされている。
なるほど、お中元に鯖寿司をいただいても、お歳暮にいただいたことはない。
京都人には、祭りの日に鯖寿司を食する習わしが生きている。
初夏の葵祭り、盛夏の祇園祭り、晩夏を過ぎて間もない一〇月の時代祭。
どの祭りの日にも鯖寿司が、晴れの卓へと供される。
先日も、梅雨に入ろうかという京都を歩いていると。
「鯖寿司あります」と書かれたのぼり旗が、嫌でも目につく。
古い商店が建ち並ぶ通りだと、五分毎にはためいていて。
もう鯖寿司以外に食うものはないというほどの脅迫めいた風情が、街中を覆っている。
ここまでされると、そんなに好きでもない鯖寿司を口にしようかという気にさせられてきた。
数件の店屋の屋号が浮かぶ。
祇園「いづう」、八坂下「いづ重」、下鴨「花折」いずれも鯖寿司の名店として知られている。
そこで、考えてみた。
鯖の脂量と鯖寿司の値は比例しているのではないか?
肥えて脂がのった鯖ほど値が張るのだから、原価に応じて鯖寿司の値も張る。
白板昆布にしたってそうかもしれない。
肉厚の昆布ほど滑っていて、やはり値も張る。
脂と滑りを抑えたければ、買値を抑えれば良いのではないか?
ちょっと安値の鯖寿司であれば、具合良く食えるのではないか?
潜った暖簾は、東福寺山門前「いづ松」
誤解のないように言っておくけど、この「いづ松」も老舗であり名店だ。
祇園「いづう」から暖簾を分けられた先代は、現代の名工と称された寿司職人だった。
ただ、お茶屋通いの常連が集う親店とは違って、此処は庶民相手に営まれる駅前の寿司屋である。
看板の品は、鯖寿司。
竹皮に包まれた鯖寿司は、ずっしりと重い。
何切れからでもとご亭主から告げられたけれど、姿で一本の方が見栄えが良いのでそうした。
想定通りそんなに肉厚ではなかったが、用済みの白板昆布は早速にめくって外す。
滑りもさほどには気にならず、酢加減、塩加減、なにより鯖の脂加減もちょうど良い。
しっかりとした味で、そのままに食うのが旨いだろう。
いや、これは悪くない。
ひとそれぞれだろうが、僕にはこの塩梅がちょうど舌に合っているような気がする。
とは言うものの、「鯖寿司は、好きですか?」と訊かれて。
「はい、好物です」と返すには至らないのだけれど。
それにしても、京都の魚といえば、鯖に、鱧に、鰊といったところだろうか。
どうやら京都人は、妙に癖のある魚を好むようだ。

だけど 、やっぱり魚は、明石の鯛にはかなわない。

 

 

 

 

 

 

 

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四百八十九話 やっぱり頼みは、稲荷大明神!

嫁に付合って京都山科で午前中の用事を済ませた後だった。
「近くだから、御稲荷さんの顔でも拝んでいく?」
「わたしお参りしたことないんだけど、伏見稲荷って商売の神様じゃないの?」
「商売やめて、伏見稲荷ってどうなの?」
「まぁ、それもそうだけど、参ったことがないっていうのもまずいんじゃないの?」
「無事に商ってこられた御礼がてら行こうよ」
伏見稲荷大社には、関西を始め全国の商人にとっての守護神が祀られている。
この国には、お稲荷さんと呼ばれる神社は三万社を超えて在る。
その全てのお稲荷さんを束ねる総本宮が、此処伏見稲荷大社だ。
一三〇〇年経った今もなお、商売繁盛・五穀豊穣を祈願するひとは後を立たない。
本殿に参って、千本鳥居へ、嫁が妙なことを言い出した。
「この千本鳥居 って、ほんとに千本あんの?」
「そりゃぁ、千本以上はあるんじゃないの、これが稲荷山の山頂までずっと続くんだから」
「ええっ!マジですかぁ!で、稲荷山って何処にあんの?」
「此処だよ!この鳥居を際限なくくぐって山頂へと登っていく訳よ」
「凄いねぇ、じゃぁ、行こうよ」
「う〜ん、ちょっとした登山だから無理じゃないかなぁ」
「って、ひとの言うこと聞けよ!」
説明も忠告もなにも聞かずもう登り始めている。
稲荷山は、伏見稲荷大社の神体山で、二三三メートルほどの標高である。
たいした標高ではないが、それでも山は山だ。
二度ほど連れられて登った記憶だと、九〇分ほど石段を登り続けたような。
意外ときつい。
一〇分おきくらいに茶店が在って、茶店毎に登るのを諦めたひとが引き返していく。
四〇分ほど登りつめると、四ッ辻に着く。
視界が一気に開け、洛中が一望できる中腹地点だ。
たいていの参拝者は、この眺望を土産に引き返すみたいで。
「さ〜て、俺らも戻るかぁ」
「だから、ひとの言うこと聞けって!」
嫁には、この眺望も単なる通過地点に過ぎなかったようで、さらに登っていく。
「あんた、なんか狐かなんかに憑かれてるんじゃないの?」
一 時間を過ぎると、膝というより股間が痛い。
麓でごった返していた参拝者も、今はもう数えるほどしかいない。
しかも、白人四人、中国人一人、どっかの浅黒いのが二人といった具合で。
日本人は、我々だけ。
どうやら外国人は、参拝者ではなくアニメ・オタクみたいだ。
伏見稲荷を舞台にした作品の聖地になっていて、その筋では海外でも広く知られているらしい。
ようやく、一 ノ峰の祠に手を合わしたのは、九〇分ひたすら登り続けた後。
これまで一言の文句も口にせず登ってきた嫁は、なにやら熱心に拝んでいる。
このひと、こんなに信心深かったけ?
稲荷大社を後にした帰り途、嫁の携帯電話が鳴る。
「うわぁ、ごめんね、なんかに当たって掛かったみたい、間違いだから」
「えっ!ちょっと待って、そんな話だったら主人に代わるから、側にいるんで」
偶然間違って掛かった相手は、もう一年以上ご無沙汰の知人だった。
用件は、売却しようとしていた不動産に興味があるという友人がいるとのことで。
来週にも、その件で飯を喰おうということになった。
さらに、翌朝には、大阪国税局から。
記載間違いによる返還金が確認できたので、至急出頭してもらいたい。
さらに、さらに、昼過ぎには、会計士から。
最終決算の勘定を終えてみると、予定納税額との差額で戻り金がだいぶと発生している。
どれも想定外の件で。
それらすべての連絡が、僕にじゃなくて嫁の携帯電話に。
さすがに、嫁と顔を見合わせた。
「お稲荷さんのご利益って、半端ねぇな」
「マジ、凄いねぇ」
「この際、鳥居寄進しちゃう?」
「それは、結構つくんじゃないの?」
「ちっちゃいのだったら一五万円からで、そこから四段階で高くなるみたいよ」
「あんた、もうやる気満々じゃねぇの!」
「だって、あれだけ鳥居が建ってるってことは、それだけ願いが叶ったっていう証じゃん」
「おんなじひとで、 四本も建ててるひともいたもん」
「ずるいよねぇ」

兎にも角にも、やっぱり頼みは、稲荷大明神!

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四百八十八話 まさかの同居人! 其の参

ひつこいようで申し訳ありませんが、四百八十七話からの続きです。
捕獲撃退作戦の要領は、こうだ。
まず、天井にいくつか点検口を設ける。
そして、屋内の子供連を燻煙剤で追い込み捕獲する。
次に、授乳のために通って来る親が屋内に進入できないように全ての床下通気口を塞ぐ。
さらに、念のため点検口に忌避剤を置く。
これら作業を、親の居ない昼間に完了しなければならない。
嫁に大工を加えた五名による人間対正体不明の獣との最後の闘いだ。
午後〇時ちょうど作戦開始!
客用寝室と玄関の天井に点検口設置用の穴を開け始める。
音に怯えてか、寝室の天井裏から鳴き声はするのだが、移動の気配はない。
開けた穴から、懐中電灯で照らし内部の様子を探ってみた。
梁の下の空間から鳴き声は聞こえるが、梁が邪魔して姿は確認できない。
やはり燻煙剤を投入して、追い出すしかなさそうだ。
先に点検口を付けて燻煙剤を仕込み扉を閉じる。
煙が充満し始めたと同時に、ギャーギャーという鳴き声がして、バタバタと動き回る音が響く。
音は、西の玄関方向へ。
よ〜し、作戦通りの行動で、玄関に設けた点検口で待ち受ける。
あれ?来ない?鳴き声もやんだけど?どこ行った?
しばらくすると、 途中にある応接間と玄関とを仕切る壁内部から気弱な鳴き声が。
壁の間に落ちやがった!
「どうします?」と訊く棟梁に。
「いいから!壁ぶち抜いて!」
「えっ?マジですか?本気ですか?」
「冗談こいてる場合かよ!捕まえるためにはなんだってやるんだよ!」
「了解!だけど電気ドリルは使わず手作業で抜こう!怪我するといけないから」
「あのなぁ、オメェいったいなんの心配してんだよ?どっちの味方なんだぁ?」
壁に五〇センチ四方の穴を開けた。
全員手に棒を持ち周りを固めて、火箸を手にした棟梁の動きを見守る。
「デカッ!なんだぁ!コイツ?あっ!二匹いるぞ!なんか箱を!早く!」
そうして遂に、火箸に挟まれて穴から出てきた敵の姿を全員が見た。
騒動の主は、イタチでも、ハクビシンでもなく、アライグマだった。
「嘘ぉ〜、どんだけ可愛いねん」
皆棒を捨て、代わりに手にしていたのはスマホ。
で、撮った写真がこれです。
聞くところによれば、アライグマは、一度の出産で三匹から六匹の子を産むらしい。
見つかったのは二匹、他に?どこかに?まだ?
客用寝室の片付けをしていた大工のひとりが、なんか鳴き声がすると言う。
先程の梁下で、垂れ壁の内部だ。
「どうします?」
「だから、躊躇なくやるのみだろ!抜くんだよ!壁を!」
「了解!よーし、助けるぞぉ!待ってろよぉ!」
「いやいや、それはおかしいんじゃないの?」
もはや、作戦の趣旨がまったく違った方向に向かっている。
捕獲でも撃退でもなく、救助して保護的な感じの色合いになってしまっている。
ひとも獣も見た目は大事だ。
痛がったら可哀想だからと、火箸に布なんか巻きながら棟梁が言う。
「なにも、こんなに怖い目に遭わさなくってもいいのに」
「ええっ?なんか俺、悪者になってない?此処、俺の家だよね?」
「じゃぁ、一緒に棲めって言うこと?無理だから!家賃だって払いそうにねぇし!」
箱の中で、立ち上がって、縋るようにこっちを見ている。
「やめろよ、そんな眼で見るなよ、どうにもなんねぇよ!」
信じられないはなしで、想像もつき難いのだが。
この可愛い奴らが一ヵ月も経つ頃には、恐ろしく凶暴で狡猾な成獣に育つのだそうだ。
その気性の荒さは、動物園ですら手を焼くらしい。

さて、どうしたもんだろう?

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四百八十七話 まさかの同居人! 其の弐

四百八十六話からの続きです。
得体の知れない同居人との闘いは、その後二〇日間に及んだ。
その間ずっと海辺の家に居たわけではないが、離れていても気になってしょうがない。
なので、頻繁に通う。
どうやって追い出すか?
そもそもどんな性分の輩なのか?
鳴声だけが頼みなのだが。
それぞれを聞き分けて、何匹いるのかがわかるほどに耳慣れてもいない。
ただ、家にはこどもだけが居て、親は通いで育てているらしい。
こうして正体も何も分からぬままに、捕獲及び撃退作戦開始!
まず庭師を呼んで、親が出ていった隙に床下の通気口をステンレス製の網で塞ぐ。
授乳の時間帯は深夜から明方のようなので、作業は夕方に終えて様子を窺う。
草木も眠る丑満時。
ガサゴソ、バタバタと、明らかにこどもの動きとは異なる音が響く。
親だ!
どうやって侵入したのか?
翌朝、塞いだ通気口を見にいく。
ステンレス製の網は、見事に引き破られている。
ふ〜ん、なかなかやるもんだ。
今度は、大きな座金に変え壁に網をネジ留めした。
さらに、網の前面にレンガとブロックを積む。
結果は?
レンガやブロックを蹴散らし、網も破られ、こどもは腹一杯乳を飲んでご機嫌で騒いでいる。
くそ〜、なめやがって!
こうなったら、こっちもガチだ!
二〇キロ近い重さの礎石四枚を、網の前面に敷く。
勝敗は?
完敗!!!
さすがに蹴散らされてはいないが、引きずるように礎石はどかされ、網は破られ侵入。
二〇キロ近い礎石を動かせる腕力を備え、床下を這い、内壁を登り、天井裏をゆく。
こいつ、ほんとにイタチなのか?
もう、ここまでいいように振舞われると。
ホモ・サピエンスとしての誇りは打ち砕かれ、マジで怖い。
これは、庭師だけでは手に負えない。
大工も投入して、家を潰す覚悟で戦いに臨んでやる!
棟梁を含む大工三名が参戦。
イタチですかぁ、大変でしょ、寝れないですよねぇ、まぁ、追出すしかないですよね。
とか、余裕ぶっこいていた大工に、携帯で撮った侵入路の写真を見せた。
えっ?これ何者?こんなもの動かせるイタチなんかおらんでしょ?怖ぁ〜!
おいおい、腰引けてんじゃねぇよ!おたくらが、最後の砦なんだよ。
遂に、これが最終決戦だ。

続きは、四百八十八話で。そして、その正体を撮った姿をお見せします。

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