月別アーカイブ: July 2014

三百一話 IRREGULAR 

「今年の夏は、冷夏です」 とか仰っていた気象予報士の方、一度顔を見せて貰えませんか。 とても、糞暑いんですけどぉ。 これって、冷夏なんですかぁ? 適当な事、物知り顔でほざくんじゃないよ! 油断してた分、余計暑いわ! なので、冬服の話でもしようと思ったけど、やめておく。 この暑さの最中、コートだのセーターだのを送りつけてくる輩も多いなか。 凄腕スタイリストでもあるデザイナーは違う。 さすがに、空気を読んでタイムリーなモノを届けてくれる。 T-SHIRTS の新作です。 “ IRREGULAR ” なにが、Irregular かと言うと。 ヴィンテージの T-SHIRTS から解体された部材を、前身頃にパネル状で縫い繫いでいる。 一枚として、同じグラフィックのものは存在しない。 「良さそうなのを、ちゃんと送ってね」 そう事前に無理を伝えてあったので、品質、グラフィックとも上々な素材が揃えられてあって。 とても満足です。 なにより、Numero Uno 小沢宏さんらしい T-SHIRTS だと思います。 気候の Irregular は辛いけど、こんな Irregular だったら楽しめるかも。

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三百話 師友と

大勢の方にお読み戴いて、この馬鹿 blog も三百話を数えました。 感謝です。 さすがに、三百話なのだから、書出しだけでもちょっと為になる話で始めさせて戴きます。 Good artists copy , great artists steal . 優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む。 巨匠 Pablo Picasso が、この世に遺した言葉です。 あまりに偉大過ぎるので、もう少し身近な方の言葉を借りると。 良いと思ったものをコピーしよう。コピー、コピー、ひたすらコピー。その先に自分が見つかる。 デザイナー山本耀司先生の有難いお言葉です。 先生も充分偉大なんだけど、Picasso よりは親しみやすい。 まだまだお元気だし、それどころか現役だ。 Steven Paul Jobs をはじめ創造を糧の源泉として成功した者は、必ず同じような言葉を口にする。 なのだから、これは真理なんだろう。 他者の技を盗み習得することは、創造の原点といえると思う。 問題は、盗む前と後で、なにが進化し、どこがより優れているかという点である。 この一点を正面から見据え挑む行為こそが、創作活動であると定義しても良いのではないか。 ひとつの鞄が送られてきた。 世には、出ていない。 値段も、知らない。 それ以前に、これが商品化を目指したものか、そうでないのかすら訊いていない。 しかし、用いられた技術が、何処の Maison に由来しているものかは一目瞭然である。 送り主の後藤惠一郎さんから、お電話を戴く。 … 続きを読む

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二百九十七話 野良な靴

こんな靴を、誰が最初に創り始めたんだろう? やっぱり、あの Brighton に棲む大男の顔が思い浮かぶ。 Mr. Poul Harnden 一九八〇年代の半ば頃だったか、倫敦で面白い靴を創っている男がいると聞いた。 見に行ってみると、なんとも評価に窮する靴が並んでいて。 「これって、どうなの?」 「この野良な感じは、なんなんだろう」 「で、幾らなの?」 値を訊いて、高額なのに驚く。 デザイナーの経歴を知ってさらに驚く。 名門 Cordwainer College で靴製作を学び、John Lobb で木型職人を務めていたという。 これだけの価格で、これだけの経歴なのだから、きっと良い靴なんだろうけど。 このコバ磨きも施されていない靴が、さほどに値打ちがあるものなのか? 正直なところ答を出せなかった。 国内で名の知れた腕利き編集者に、評価を尋ねてみる。 「ねぇ、この靴なんだけど、どう思う?」 「 俺は、そういう疑問を持つこと自体あんたの見識を疑うよ」 「この靴の何処に評価すべき技術の跡があるっていうわけ?」 この編集者は、断じて認めない派だった。 今度は、顔見知りの名物バイヤーに、同じ問いを投げかけてみる。 バイヤーを務める巴里の店は、当時飛ぶ鳥を落とす勢いで、先を見通す力量には定評があって。 出逢った時まさに Poul Harndenの靴を履いていた。 「この風情は良いよ、僕は、手縫い靴の新しい潮流として理解出来るし、認めてもいるよ」 「大体、日本人は、ファッションに理屈を持込み過ぎだよ」 「出し縫いを虫眼鏡で視るような感覚の方が僕には受け容れ難い、意味が解んないよ」 これほどに、評価を二分する靴も珍しい。 Poul Harnden の靴を肯定するか否定するかで、ファッションに於いての立ち位置が知れる。 … 続きを読む

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二百九十六話 これは、アートか?ガラクタか?

いつかは、パンドラの箱を開ける時がくると覚悟はしていたが。 これほどエライ目に合うとは想像できなかった。 これ以上先に延ばすのは得策ではないと考え、今、週に一度か二度三軒の家を整理している。 自宅と、嫁の実家である海辺の家と、僕の実家と、合わせると三軒になる。 仕事と片付け、もう数ヶ月、身体を休めていない。 三軒の内、最も厄介な存在が、我が実家である。 高さ三メートル、床面約五〇坪を越える地下倉庫にモノがビッシリと詰まっている。 ちょっと気の弱い人間なら、意識が遠のくような惨状が眼前にあって。 此処は、魔窟か迷宮かという具合だ。 そして、この魔窟を創出した親爺は、十二年前に逝って、文句を言う訳にもいかない。 この途方も無い量の物品を、遺産とみるか、負債とみるか、人それぞれだろうけど。 正直、投出したい気分になる。 一番の難点は、玉石混合の状態で収められていることにある。 玉だけなら、然るべき筋にまとめて売飛ばせば良い。 石だけなら、廃品業者を呼んでケリをつければ済む。 しかし、混ざっているのだから、玉と石に誰かが仕訳しなければならない。 その誰かが、僕というわけだ。 実の親子なんだから、趣味も似ているし、嗜好も理解できるでしょ? 言っときますけど、似てねぇし、解んねぇし、解りたくもねぇよ! こんな blog で愚痴ってもしょうがないと承知していても、ついつい口を衝いて出てしまう。 実のところ、目利きには多少の自信があったのだが、甘かった。 喩えば、親爺は茶の湯を嗜んだが、息子の僕はやらない。 そこに、楽茶碗が出てきて、これの値打ちは如何にと訊かれても、はぁ?ってなもんである。 それでもまだ茶器は許せる。 箱書に来歴が記されていて、調べようもあるから。 次に、焼締めた馬鹿デカイ大壺が出てくる。 なんだぁ〜、これ? 昔の肥壺じゃねぇの? 花器なのか? 肥壺なのか? 知りたくもないが、知らねばならない。 万事が、この調子で捗らないのだ。 意味不明なのは、和物に限らない、洋物にもそんなのがある。 写真中央の鉄製の壺なんかまさにそのひとつで、何処の?何時代の?何の為の?さっぱり解らない。 高さ九〇センチくらいの大きな鉄製水筒を想像して貰いたい。 朽ちかけた木製の蓋、側面に頑丈な掛け具が装着されている。 途方に暮れている所へ、嫁が恐る恐る様子を覗きにやって来た。 「あぁ、それ、昔イスラム圏で使われていたヨーグルト製造機だよ」 … 続きを読む

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二百九十五話 食品模型の妖しい誘い  

骨董屋を数軒まわって、旧居留地へ、三宮本通を東に向かって歩く。 そうして、これといった収穫もなく昼飯時となった。 昨晩は、韓国焼肉だった。 塩タンに、骨付きカルビに、ハラミに、トッポギに、〆の石焼ビビンバを腹一杯仕込む。 そのせいか、昼飯は、あっさりとしたものでやり過ごしたい。 はずだったのに、この看板が目に入ってしまった。 “ 丸萬食堂 ” 店先の透明ケースに並ぶ食品模型が、誘っている。 酢豚、芙蓉蟹、雲呑湯、五目麺など。 このちょっと色褪せた食品模型の誘惑に敵う理性は、遥か昔に捨て去った。 僕くらいの通になると、そんじょそこらの食品模型に惑わされることはない。 出来立ての真っ新な模型など、相手にせず通り過ぎる。 が、しかし、ほど良く褪せて、朽ちて不潔感が漂う一歩手前の食品模型。 これは、もう、魔性の魅力である。 年増女の妖しい誘惑に等しい。 そんな食品模型が、今こうして誘っているのだ。 腹具合がどうしたとか、体型がどうなるとか、言ってる場合ではない。 “ 据え膳喰わぬは男の恥 ” なのである。 「こんちわぁ」 「いらっしゃい」 「え〜と、酢豚定食と、芙蓉蟹と、それから雲呑湯も頂戴!」 此処、丸萬食堂の店歴は旧い。 居留地時代には、もう在ったと疑われるほどに旧い。 ただ、いつ頃から在ったのかを訊くには、亭主の目つきが怖すぎる。 そして、その老舗が名物としているのは、雲呑だ。 香港の鮮蝦雲呑、上海の菜肉雲呑、台湾の太平燕を現地で喰うより旨いという食通もいたりする。 注文した皿が運ばれてくる。 店構えや、亭主の目つきから、濃厚な味を想像しそうだが、拍子抜けするほどあっさりとしている。 塩や醤油といった調味料は最小限に抑えられ、素材の良さを頼りに旨味を引出すといった感じで。 最初は、ちょっと頼りないが、食べ進むと、上品で確かな味だと納得させられる。 引いた薄味ではなく、攻めの薄味で、明快な個性が味として皿にある。 神戸中華というものが、実際に存在するのかどうかは知らないが。 もし存在するのであれば、多分こうした味なのだろう。 それほどに神戸らしく、神戸人が好みそうな味だ。 下町で出逢う食品模型、その魅力はやはり侮れない。

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