月別アーカイブ: February 2017

四百八十話 春に着る服 

服屋を営んでいると。 好みの服を、好きな様に、好きな時に着るというわけにはなかなかいかない。 でも今は、商いの縛りも、しがらみも解けて自由だ。 そんな身の上で、この春に着る服をちょっと考えてみた。 欲しいアイテムは、ふたつ。 ひとつは、軽く羽織れる一重仕立ての Coat 。 もうひとつは、究極に着心地の良い T-Shirts 。 まぁ、こんなところだろう。 Pants は、このところ Jeans で過ごしているのでそれで良い。 経糸が濃茶色、緯糸が黒色、平織りの麻布一枚で仕立てられた Coat 。 肩線は落とされ、ゆったりとした皺くちゃの Work-Coat 的な風情だが。 その袖は、完璧な仕立ての流儀で付けられている。 精緻に仕立てられた粗野な服。 今、気分としてはそうなんだけれど、適う服を探すとなると難しい。 で、結局この春も、 The Crooked Tailor の中村冴希君が届けてくれた服に袖を通すことになる。 麻生地も中村君が考えたのだそうだ。 白色もあるらしいが、肥えた冬大根みたくなりそうなので茶色にした。 春には少し暗い気もするけれど、深みがあって、これはこれで良い色だと気に入っている。 海辺の家には、梅花が香る。 花香を嗅ぎながら、こうして春の衣替えを待つのも一興だと想う。 中村冴希君、良い服を届けてくれて有難うね。  

Category :

四百七十九話 眼前の島 其の二

眼前の島 其の一からの続きです。 まぁ、とにかく水産加工場脇の空き地に車を停める。 大きな鉄骨組の加工場は、海側と両側面を壁で閉じ、陸側を全面開放した簡素な造りで。 薄暗く錆びた感じの場内を窺うと。 コンクリート製の水槽が並び、床には数台の水上バイク、壁にはウェットスーツが掛けられている。 ヘぇ〜、水産加工ってこんなとこでやるんだぁ。 と、感心はしたけれど、別に社会見学に訪れているわけではない。 飯は?貝焼きは? そこへ、いかにも漁師の娘的なおねぇちゃんがやって来て。 「こんにちは、こっち入って」 加工場内の左角に小屋らしきものが入れ籠のようにあって、そこが食堂らしい。 四卓と十畳ほどの小上がりが設えられている。 食堂というより漁師の休憩所みたいな風情に近い。 「河豚は前日予約でないと無理だから、貝焼きで良いよね」 「蛸飯はどうする?」 貝焼きと蛸飯を注文して待つ。 そして、盆に盛られた貝を目にした瞬間、これは儲けたと確信した。 街中の店屋で、こういう高揚感を味わうのは難しい。 鮑、さざえ、大鯏、蛤、檜扇貝などが盛られている。 檜扇などという貝は、見たことも聞いたこともなかったが。 貝柱を食用とする帆立に似た貝で、市場にはあまり出回らない貝だそうだ。 「この檜扇貝だけは養殖なんよ」 「ところで自分達で焼く?」 「焼き加減とか貝によって違うんじゃないの?素人でも大丈夫?」 「う〜ん、ちょっとどうかなぁ」 「 なら、せこいんだけど、値の張るやつは、おねぇさんがやってよ」 「ええよ、じゃぁ、鮑から焼くね」 おねぇちゃんの捌きを眺めていて思った。 なんの領分でも、玄人の仕事を素人が真似るものではない。 貝それぞれに、それぞれのやり口というものがあるらしい。 喩えば。 鮑は、肝と身を分けて、肝だけを殻のうえで煮立たせ、身だけを網で焼く。 良い具合になったところで、身を殻に戻し耳掻き一杯分ほどのバターと醤油を垂らす。 また、大鯏は、酒粕でとか。 料理屋とは違い一見雑だが、喰うと見事に的を射ているといった具合だ。 これは、ほんとうに旨い。 蛤にしたって。 銀座の寿司屋で喰う煮蛤も、それはそれで確かに旨い。 だけど、どうも職人の手間を喰っているような気分で、貝そのものの滋味からは遠いように想う。 … 続きを読む

Category :

四百七十八話 眼前の島 其の一

窓を開けると、海辺の家の西側から島が眺められる。 淡路島。 明石海峡に架けられた大橋を渡ると島の北端に着く。 目と鼻の距離で、時間もそうはかからない。 割と評判の良い観光地らしいが、眼の前にあると存外関心が湧かないもので。 架けられてからすでに二〇年近く経つ橋を渡らずにいた。 そんな島に、今更ながら向かうことにする。 なんの期待感もなく、日曜日にただ暇だったからというだけなのだが。 実際向かってみると、橋を渡る時点ですでに結構盛り上がる。 遠くから眺めているとただの橋だが、 世界最長の吊り橋は想像を超える巨大さで迫ってくる。 同じ海を東から眺めるか 西から眺めるかで、たいして変わりがないだろう。 そう思っていた風景も、橋の上からでは全く違った眺めだと気づく。 この島は食材の宝庫とも呼ばれる豊かに恵まれた土地で、魚、牛、鳥、野菜などの全てが揃う。 そのほとんどは産地ブランド化された逸品として扱われている。 対岸にある海辺の家で消費される普段の食材も、淡路産のものが多い。 なので、近場に暮らしていると、わざわざ淡路で喰わねばという食材が思い浮かばないのだ。 同じことを考えて検索していた嫁が。 「貝は?」 「えっ?貝ってなに貝?」 「知らない、いろんな貝の盛合せ」 「よくわかんないけど、どうやって喰うの?」 「焼くみたい」 「なに味?」 「知らない、醤油じゃない」 「で、なんの店屋?和食屋?」 「知らない、なんか洲本の水産会社だって」 「行こう、行けばわかるじゃん、今予約したから」 「はぁ?どうしようかじゃなくて予約済み?」 洲本インターチェンジで降りて、国道二八号線から県道七六号線へ。 海沿いの県道に入ると、海峡の村らしい風景が続く。 こんな、とが逸平さんの絵にあるような。 で、対向できない細い村道をくねくね進んで、抜けると看板が見える。 株式会社 新島水産 看板の先には、錆びた数本の鉄柱に支えられた建物が。 って、これ、どっから眺めてもただの水産加工場だろう。 「マジかぁ?ここのどこで飯喰うの?」 「知らない」 … 続きを読む

Category :