月別アーカイブ: August 2016

四百六十一話 Salvador Dari 展

巴里は、二〇代の頃からうろついていて、もっとも馴染み深い異国の街でもある。 もっとも遊びで訪れたことはなく毎度仕事絡みで。 振り返れば、イラついたり、悩んだりして過ごす時間が長かったように思う。 そうした時、決まって訪れる場所がある。 Espace Dari Montmartre 巴里一八 区、有名な Tertre 広場突当りの細い石段を下ると。 石段の脇に、ひと一人がようやく入れるような扉がある。 うっかりすると見過ごしてしまうほど変哲もない扉だ。 だが、その扉は、現実世界から超現実主義的異界への入口でもある。 扉をくぐって、薄暗く黴臭い階段を降りてゆくと地下はさらに暗い。 場末のお化け屋敷を想像してもらいたい。 そういったいかがわしい暗さに包まれた空間だ。 地下空間は、美術館と言われるほどの広さはなくとても狭い。 画家のアトリエ部屋ほどでしかない。 暗さに慣れた眼で部屋を見渡すと。 二〇 世紀最高の天才芸術家が創造した傑作が、眼に飛び込んでくる。 溶けるように捩れた時計「記憶の固執」を始め「宇宙像」「ダリ的不思議の国のアリス」など。 彫像や原画が 、無造作に並んで在る。 中には、手を触れられる作品も。 作品と鑑賞者を隔てるものはなく、監視する者もいない。 訪れるひとが少ない美術館だが、不思議に想うことが在る。 大人の数よりも子供の数が多く、いつも数人の子供が夢中になって遊んでいる。 四歳や五歳くらいだろうか、中には彫像に跨っている奴までいて。 いつも皆楽しそうだ。 腰が引けるような薄暗い超現実主義的異界に遊ぶ子供達の姿を眺めていると。 天才によって二〇世紀の美術界に突きつけられた難題。 surréalisme とは一体何なのか? Espace Dari Montmartreでは、それを体現出来るように仕組まれているような気にさせられる。 したり顔の美術評論家が展開する surréalisme 論を子供達と一緒に嘲笑う天才 … 続きを読む

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四百六十話 百日紅

海辺の家に、また夏が来て。 仏間の縁側から眺めると百日紅が咲いている。 背丈は、軒を超えて見上げるほどになった。 暑い盛り、他に咲く花はない。 庭には、この百日紅の花だけが揺れている。 そういえば、「百日紅」と題した漫画があったよなぁ。 一九八〇年代中頃、杉浦日向子先生が四年間ほど連載されていた。 奇才の絵師葛飾北斎の娘が主人公で、名はお栄という。 娘自身もまた凄腕絵師だったという設定から、Miss HOKUSAI と題されている。 が、お栄は、物語上の人物ではなく実在の人物で実際の絵師でもある。 北斎は、二人の息子と三人の娘に恵まれた。 お栄は、たしか末娘で画号は葛飾応為だったと思う。 美人画、枕絵の名手として近世日本美術史に名を残すほどの腕前だったらしい。 オムニバス的に物語は進行するが、全編を通じて江戸風俗を細い描写で描く。 さすがに時代考証家としても知られる杉浦作品だけあって、江戸情緒が満喫できる傑作だろう。 昨年、その「百日紅」が原恵一監督の手で長編アニメーションとして映画化された。 浮世絵の数々が登場するこの作品を大画面で展開しようなんて。 心意気は分からなくはないが、さすがに無理じゃないかなぁ。 本作で浮世絵を鑑賞しようとは誰も考えないだろうが、それにしてもである。 とにかく観てみた。 C Gと手描きの溝は否めないが、そこには江戸庶民の暮らしぶりがしっかりと映像化されている。 往来賑やかな昼、蝋燭の灯りが揺れる夜、雪積もる椿の冬、茹だるよな江戸の夏に咲く百日紅など。 それは、杉浦日向子の偽りのない江戸世界そのものである。 映画「百日紅」は、海外での評価が高い作品だときく。 無理に無理を重ねて西洋化を図った手前の時代。 世界に類を見ない大衆文化が日本には存在していた。 そして、浮世絵は、その特異にして奥深い情緒の証を生々と今に伝えている。 しかし、世界が憧れる江戸の姿は、東京にはもうない。 そういった意味では。 映画「百日紅」は、現代の動く浮世絵と評しても良いかもしれない。 花木の百日紅は、一〇〇日の間紅色に染まるところからそう名付けられたのだそうだ。 夏の終りまで庭に色を添えてくれる。 どこにでも咲く珍しくもない花木だが、ちょっとした江戸の粋を感じさせなくもない。

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四百五十九話 それでも、この服が好きだ。

The Crooked Tailor の中村冴希君から Musée du Dragon に一緒にやって欲しいと話があった時。 後数年で辞めようと腹を決めていた。 手縫いで仕立てた服を売る。 そんな厄介な仕事を持ち込まれても、残された時間でものにする自信が持てない。 辞めるつもりであることは誰にも漏らさずにいたが、中村君だけには伝えることにした。 「俺もうちょっとで辞めるから、引受けても責任持てないよ」 それを承知の上でという返事を受け扱うことにする。 誰も知らない、手縫いだけに値も張る、生産背景も難しい。 下手をすれば、Musée du Dragon は情けない幕を引くことにもなりかねないだろう。 良いことは、なにひとつとして無い。 なんで、こんな馬鹿げたことに関わったのか? 今、思い返しても不思議なんだけれど。 それでも、この服が好きだったとしか言いようがない。 やれることはすべてやった。 兎にも角にも時間がない。 もの創りには一切口を挟まず、店屋として売ることだけに専念する。 春に始めて秋頃には。 北は小樽から、南は福岡から、The Crooked Tailor をという方々がお越しになられるようになる。 通販をしないという服屋なのだから、来店していただく他はない。 嬉しかったし、有難かったし、なによりホッとした。 もちろん The Crooked Tailor に服としての魅力があったればこそであるが。 場末に在る服屋の力も捨てたものではない。 先日、中村冴希君がこの冬の新作を送ってきてくれた。 … 続きを読む

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四百五十八話 月光怪獣

人呼んで月光怪獣 ELECKING です。 九谷焼の伝統工芸品なのだそうです。 作陶は、竹内瑠璃氏による。 馬鹿馬鹿しい! けど。 買おうかなぁ。

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四百五十七話 港街のみなと

暑い。 暑すぎる。 な〜んも喰いたくねぇ。 暑さのせいか? 歳のせいか? そのどちらもか? いづれにしてもやってられない。 嫁に。 「暑い暑いって、うるさいよ!」 「念仏じゃないんだから、唱えたって涼しくなんないでしょ!」 「それより、昼御飯どうする?」 そう言われても。 「いらない、おひとりでどうぞ」 「ふ〜ん、土用の丑の日だから鰻でもと思ったけど、そんな調子じゃ駄目だね」 「えっ? 鰻? 何処の? 横丁? 青葉? 三宮の竹葉亭? あそこはもうなかったよなぁ?」 「あらんかぎりの屋号を口にするんじゃない!」 「どうせ行かないんだから関係ないじゃん、食欲ないんでしょ?」 「いや、それはどうでしょうか?」 「鰻は食事というより薬ですから」 「食欲増進、滋養強壮の妙薬としていただくというのであれば悪くないかもしれませんよ」 「先ほどもお伝えいたしましたが、少し弱っておりますので、いただけるものであれば……………」 「あぁ、面倒くさい! で、行くの? 行かないの?」 「行きます、行かせていただきます!」 鰻があまり好物でない嫁が、鰻をと言い出すのは珍しい。 鰻を喰うならひとりで、というのが常である。 嫁が鰻を旨いと評したのは、ただの一度しかない。 原宿の大江戸で、小一時間待たされた挙句出てきた鰻重を口にした時だけだ。 今日は、何処か目当ての鰻屋でもあるんだろうか? こっちは、鰻ならなんでも美味しくいただける派なんで何処でも別に構わないけど。 江戸焼鰻の名店として地元神戸ではよく知られた店屋があるという。 僕は知らなかったけど、かなり旨いらしい。 さすが、鰻通だった義父に育てられた鰻嫌いの娘だけのことはある。 … 続きを読む

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