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五百八十八話 庭の果実

海辺の家の庭に “ 柿 ”が生る。 隣の家の庭に “ あけび ” が生る。 持ち寄られた果実を盛ってみた。 秋だねぇ〜。 だけど、残念なことに “ 柿 ” も “ あけび ” も、どちらもそれほど好きじゃないという現実。

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五百八十五話 海辺の月見

二〇二一年九月二一日。 海辺の庭から見上げる満月。 で、ふたりぼっちの “ 観月の宴 ”。 侘しいので、弥勒菩薩さまにもお付き合いいただく。 とっておきの酒を、弥勒菩薩さま、嫁さん、僕で。 日本酒通の若い友人に勧められた秋田県新政酒造の “ 秋櫻 ”。 “ 鰯の梅煮 ” を肴に一献。 にしても、この酒うめぇなぁ。        

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五百八十二話 蝉は、意外と生きる。

はぁ? うっせぇ、うっせぇ、うっせぇわ! なんなん? こいつら? 毎年毎年、夏の盛りになると地べたから湧き出てきて、鳴きまくる。 海辺の庭に “ ジージー、ジリジリジリジリ ” と響く。 早朝から夕刻まで、容赦なく飽きもせず鳴き続け、興が乗ってくれば夜鳴きだってする。 一体何匹いるんだろうか? 何百?いや千匹は超えるかもしれない。 正体は、間違いなくアブラゼミだ。 その名に由来する通り、油で揚げた際の撥ねる音を最大限に増幅させたような声で鳴く。 耳障りで、頭に響く、碌でもない音質で、なんの風情もありはしない。 ひとの頭に平気で上から小便を引っかけたりもする。 そして、地面は穴だらけ。 ほんとうに、なんの役にも立たない、ただうるさいだけのどうしようもない輩だ。 蝉は、幼虫として地中で六〜七年暮らし、成虫となってからは、地上で一週間ほどしか生きれない。 だから、その儚さに免じて虐めたり殺してはならないと教わってきた。 しかし、二〇〇〇年以降の研究で、アブラゼミは、結構ちゃっかり生きていることが解ったという。 一ヵ月程度は、元気に生きるらしい。 どうりで、一向に鳴き止まないはずだ。 茹だるような暑さに、この騒音、とっとと逝ってくれ!            

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五百七十三話 酒と薔薇の日々?

  “ 海辺の家 ” 西の端にずっと昔から植っていた薔薇。 正直なところこうしてあったことすら忘れていた。 坂の下に広がる海を眺めようと、今回の改築で壁を抜いて窓を設けたところこんな感じに。 二〇年以上前に、義父が散歩の途中で摘んできた薔薇を挿木して大きく育てたらしい。 屋内に入り込んできそうなほどに咲く薔薇。 鑑賞用に品種改良を重ねた今時の薔薇ではないけれど、 昭和な風情で古館によく似合う。 大酒飲みの親父が遺した薔薇。 “ 酒と薔薇の日々 ”ってかぁ? 似合わない!      

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五百七十一話 日本の観桜

日本の花と言えば、桜。 日本の水と言えば、富士ミネラルウォーター。 富士山、標高八五〇メートルで採水される日本初の軟水ミネラルウォーター。 主要国首脳会談の卓上にも置かれた名水。 ラベルの意匠も桜によく似合う。 是非、海辺の家での花見の宴でも登場させよう。 これこそ日本の花見、週末です!  

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五百六十六話 須磨離宮

海辺の家に居た梅の老木が、二〇一八年の台風で倒れて以来、早春の庭が寂しくなった。 他所の梅でも眺めに行くかぁ。 皇室ゆかりの須磨離宮が近場で良いかもしれない。 ちょうど “ 寒梅会 ” が催されていて、その初日だった。 が、冬の花見は駄目だ! 眼前に海が広がる広大な庭園に、だ〜れもいない。 噴水だけが、派手に水飛沫をあげている。 やめろ!糞寒いわぁ! 薔薇の一輪も咲いていない。 肝心の  “ 寒梅会 ” も、写真では満開そうに写っているけれど嘘です。 ほとんど枯木状態で、このひと枝がようやくといった始末。 写真を撮そうにも撮すものもないので、池の鯉でも撮って気を紛らわせる。 挙句、“ 子供の森 ” で、人目の無いのを確認しながらひとりジャグリングをするという暴挙に。 情けないことに、これが一番楽しめた。 まぁ、良い運動になったと諦めるほかないわ!

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五百五十七話 晩秋

海辺の庭。 今年の紅葉は、いつになく綺麗だった。 なんて、愛でる余裕はない。 業者並に塵袋を買って、それでも足りない量の爆弾落葉に見舞われる。 庭用の電動掃除機も悲鳴をあげ、駆動部分が熱くなって、時々ファンが限界に達して止まる。 騙し騙し使うのだけれど、だいたい二年ほどで御陀仏という始末だ。 桜に、藤に、紅葉に、百日紅に、木蓮に、雪柳に、紫陽花に、柿にと、切りがない。 実際には切りはあるのだが、気分的には切りがない。 庭師に頼むという手もあるにはある。 が、庭師の方も抱えている家すべてが同じ状況と化しているので、いつのことになるかわからない。 くわえて、其れなりのものを払ってということにもなる。 剪定、寒肥、防虫、雑草除去、掃除、石積修理など。 これら一連の仕事をすべてお任せすると、年の暮れに一枚の紙切れが届く。 そこには、庭手入れ一式とあって、あぁ、そうですか、とは言い難い数字がならんでいる。 先代の家主だった義母が元気でいた頃。 仕事の合間を縫って庭仕事を手伝いに訪れるとよく言っていた。 「あなた、今晩なに食べたい?」 「お寿司? 鰻? 中華? ステーキ? 仏蘭西料理? 」 「なんだって、どこだっていいわよ、わたしが奢るから、遠慮しないで好きなものを言って」 えらく気前がいいもんだと思って聞いていたが、今となってはよくわかる。 そりゃぁ、そうなるわな。  

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五百五十六話 家主が愛した花

この季節になると、海辺の庭は野菊で埋まる。 庭の場所によって、黄色、紫色、桃色、燕脂色など色々と種類も混ざってある。 なかでも先代の家主であった義母が好んだのは、この白い野生菊だった。 ほんとうに、好きだった。 そして、最期にこの海辺の家を後にした夕刻にも、見送るようにこんな感じで咲いていた。 だから、今でも大切に育てている。 とは言っても、格別になにかをするわけでもなくて、ただ増えるにまかせているだけなのだけど。 義母の庭仕事は、草木を矯正させることなく、奔放に育ててその姿を楽しむといったものだった。 “ あなたの好きなようにすれば良い ” と言い遺されたもののなるだけその意には沿いたい。 奔放な庭は、ほったらかしの庭とは違う。 仕事の跡を目立たなくしているだけで、実はけっこうな作業をしいられたりもする。 煉瓦ひとつ積むにも、これで良いのか迷うこともよくある。 病で庭仕事が難しくなった義母から、譲られて一五年が経つ。 あの頃から、ずいぶんと庭の様子も変わった。 家の改築を機に、あちこちに手も加えたし。 だけど、この庭の奔放な雰囲気は、なんとか遺せていると想う。 先日、親子ほど歳の離れた友人が、一年ぶりに海辺の家にやってきた。 「なぁ、庭だいぶと変わったやろ?」 「 そう言われればそうですけど、馴染みすぎててどこがどうかよくわからないですね」 甲斐のない台詞だが、これほど嬉しい一言もない。 手を尽くして、なにも変わらないでそこに在る。 この一事こそが、理想だから。 先代の家主が、どう思ってるかは知らないけど。                           … 続きを読む

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五百五十二話 夏の終わりに

夏の間、ずっと海辺の家で咲き続けた “ 浜木綿 ” もこれが最後の一輪。 真珠のような色をした花を咲かせる海浜植物で、海の日差しによく映える。 もう半世紀以上こうして庭にいるけれど、今年はいつになく大きく立派に花弁を広げた。 咲き終えると、夏も終わる。 碌でもなかったこの夏も、これでお仕舞い。  

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五百四十九話 梅雨

暇で、閑で、どうにもならんわぁ! 梅雨の長雨に、感染の第二波。 裏手に在る中学校の教員から生徒へと広がり、もう大騒ぎ。 先生に悪気があってのわけじゃないけれど、父兄の方々にとってはそうもいかないだろう。 “ なにやってくれとんじゃ! ” と、なってしまうんだろうな。 気の毒に。 見えない敵も怖いけど、見える世間はもっと怖い。 従姉妹にも言われた。 “ あんた達、用もないのに街中をうろつくんじゃないよ! ご近所に迷惑かけるんだから!” “ はぁ?” やんちゃな従姉妹が、いつのまにか良いひとになってしまっている。 こうして、この国独自の相互監視網が、しっかりとした足取りで形成されていく。 怖っ! そんな事情で、外出も憚られ、豪雨で庭にすら出れず、ウジウジと家に居る。 元気なのは、庭に咲く紫陽花の葉を食らう蝸牛だけ。

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