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六百五十六話 あの日

街は、綺麗になった。 “ 鉄塔の美女 ”とも謳われる KOBE PORT TOWER の改修工事も終わった。 そして、当時半壊だった “ 海辺の家 ” もこうして元の姿を取り戻した。 普段、あまりもう口にすることも少なくなった。 それでも、やっぱりこの日にはあの日を想い出す。 もう三〇年経ったのかぁ。 長かったような、短かったような・・・・・。  

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六百五十五話 良いお年を

仏道の決まりで、新年のご挨拶は控えさせていただきます。 皆様、良い年を迎えられますように。 明年もよろしくお願いいたします。                  二〇二四年大晦日      

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六百五十四話 異世界ビジネス

Main culture どころか Sub culture にすらなれない。 しかし、いつの時代にもそれは確かに存在する。 Culture の周縁に居座る異彩の領域。 日本美術史の系譜にも、江戸時代?いや、もっともっと昔から隠れるようにして在る。 怪奇美術とも暗闇美術とも言われ受け継がれてきた。 一九八〇年代の業界にも継承者はいた。 「あいつ、上手いのになんであんなひとの身体から膿が出るような絵ばっか描いてんの?」 「気持ち悪いよなぁ、でもあれでどうやって飯食ってんだろう?」 「きっと、ああいうの好きな輩が意外といるんじゃないの」 「でも、あれ、描けって注文されて描けるもんかなぁ?」 「一枚二枚なんとかなっても、ずっとは無理じゃねぇ」 「ところで、あいつ、なんていう名前のやつだった?」 失礼極まりない話だが、だいたいがそんな感じだった。 とはいえ、この異界の扉をまったく開けたことがないという人もまずいないだろう。 一九六〇年代、まだ貸本漫画が流通していた時代に現れたふたりの天才によるところが大きい。 ひとりは、“ 墓場の鬼太郎 ” の水木しげる先生。 もうひとりは、“ 紅蜘蛛 ” “ 蛇少女 ” の楳図かずお先生。 巨匠が描く怪奇漫画は、少年少女を虜にし居所は周縁ながら一躍皆が知るところとなる。 そして今、怪奇美術界で筆をふるう絵師達の多くがこの時代に生まれ多大な影響を受けている。 最初に読んだ漫画が楳図かずおの “ ミイラ先生 ” だったという伊藤潤二もそのひとりだと思う。 先日、伊藤潤二展 … 続きを読む

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六百五十三話 邸宅で観る Andrew Wyeth の絵

もし、米国という国家に一片でも善良な心があるのだとしたら。 その心を画業に於いて表現しえた唯一無二の画家だと僕は信じている。 “ Andrew Wyeth ” 一九七四年、初めて目にする Wyeth の絵に受けた衝撃を今でもよく憶えている。 徹底した基礎訓練による圧倒的な技術。 解剖学の領域にまで達する写実的人物像への探究。 当時中学生だったが、こんな絵を描く画家が世界のどこかにいるという事実に驚いた。 自分は十四歳、画家は五七歳。 事と次第によっては、自分も将来一枚なりとも描けるようになるかもしれない。 そうした錯覚から水彩画を始めた。 努力も探究心もなにより才能も到底足らざるまま今だ一筆たりとも描けていない。 画家は生涯を米国北東部の原風景とそこに暮らす人達を描くことにひたすら費やした。 夏場は Maine 州 Rockland 郊外、冬場は Pennsylvania 州 Chadds Ford と居を移しながら。 一九八七年頃、米国出張で初めて両地を訪れた。 建国時代に遡る清教徒的な雰囲気は、画家の青年期から比べると随分薄らいでいたのだと想う。 それでも物質至上主義を謳歌する他の地域にはない禁欲的な空気感が僅かだが確かにあった。 実は、米国という国の始まりは善良な精神に基づいていた。 四〇年近く経った今、そんな与太話を信じる者はもう誰もいない。 今、米国のどこを掘り返してみてもそんな証はどこにもない。 だが、善良な精神の記憶は Wyeth の絵にだけはこうして残されている。 一九四八年 Andrew Wyeth は、現代米国具象絵画の最高傑作とも評される作品を産む。 “ Christina’s … 続きを読む

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六百五十一話 忌明け

母が他界したって blog に載せたもんだから、いろんな方に気を遣わせてしまった。 ほんと、すいません。 お気持ちだけを有り難く頂戴いたします。 まもなく満中陰の法要を営み忌明けとなりますが、急な事でまだピンとこない始末です。 東京の友人から電話があった。 「大変だったねぇ。おいくつ?」 「九六歳」 「そんなに頑張っちゃたんだぁ」 「で、スッと幕引かれたんでしょ、立派だよねぇ、息子孝行じゃん」 「実感ないけどね」 「いらないよ、そんなもん、ご本人だって気づいてないんだろうから、きっとそうだよ」 「最高じゃん」 「俺の口からは言えないけど、いや、お互いの仲だから言っちゃうかぁ」 「ご逝去おめでとうございます!俺も見習わせていただきます!」 「これから四九日、百箇日と続くけど、しっかり長男の務め果たしてあげてください」 「この度は、ご愁傷さまでした」 まったくその通りだと想う。 ひとに祝ってもらえる死なんて、そうそうあるもんじゃない。

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六百五十話 極楽往生

八月九日の夕刻。 「口寂しいからなんかお菓子持って来てよ」 「いやいや三日後に帰ってくるんだから、ちょっと我慢しろよ」 「まぁ、じゃぁ、そうするわ」 「帰って来たら、焼肉でも食べにいく?」 「いいねぇ、焼肉、ありがと」 施設でリハビリテーション中の母から 掛かってきた電話でのやりとりだった。 二時間後、別の相手からまた電話が掛かってきた。 「急に倒れられて、意識をなくされているので今から救急搬送いたします」 「えっ?誰が?そもそもあなた誰?」 「お母さまです!施設の看護師です!」 「まぁ、とにかく搬送先の病院に向かいます」 台所で、夕食を支度していた嫁が。 「どうしたの?」 「婆さんが倒れたって施設が騒いでんだけど」 「なんかの間違いじゃないの?さっきの電話お母さんからだったんじゃないの?」 「うん、口寂しいとか、焼肉食いたいとか言ってたけどな」 向かった先は、国立循環器病センター。 救急救命の病床で、いびきをかいて寝ている母と対面する。 「先生、母の容体は、どうなんでしょうか?」 「多分、急性心筋梗塞だと思いますが、容体は、たいへん厳しいです」 「いや、母に心臓疾患なんてありませんよ、ってか、歯医者にすらかかっていないですから」 「雑なもの言いになりますが、どんな方でも九六歳の心臓は、九十六歳なりの心臓なんです」 端的に的を得た診断だと納得した。 「どうされますか?此処でなら積極的に手術という手も尽くせますよ」 「専門医の先生を前に失礼ですが、もう、いいです、それより、今、本人苦しいんですかね?」 「倒れられた瞬間ウッという感覚はあったかもですが、以後はなんの感覚もないと思います」 「じゃぁ、このまま・・・・・・」 「えぇ、逝かれるんじゃないかと」 翌朝五時、医師の推察通りそのまま亡くなった。 生前、母親はよく言っていた。 「わたし、蝋燭の灯がフッと消えるみたいに逝くんやから、勝手にいらんことせんといてな」 マジで、その通りに逝きやがった。 改めて想う。 これまでの人生で、母ほど生きたいように生きた人と他に出逢ったことがない。 運と人に恵まれ続けた九六年間。 ほんと羨ましいかぎりだわぁ。  合掌       … 続きを読む

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六百四十九話 梅雨時の一席

それにしても蒸し暑い! そんなじめついた梅雨空の下、大阪に落語を聴きにいく。 木戸銭叩いての落語なんて久しぶりだ。 “ 春風亭一之輔のドッサリまわるぜ!二〇二四 ” の大阪公演。 前座は、二番弟子の与いちで “ 磯の鮑 ” その後、一之輔師匠の “ 反対俥 ” “ 千両みかん ” と二題続いて仲入り。 この頃には、冷房と師匠の軽妙な話芸ですっかり汗もひき、良い心地で本日最後の演目へ。 大抵の寄席では、演目が前もって明かされることはない。 そのお題を噺家が本題に入る前に自分の中で言い当てるのも落語の楽しみのひとつだと思うのだが。 これが、なかなかに難しい。 師匠が、枕を振る。 米国大統領 Joe Biden が酷い老いぼれぶりで、世界はこの先どうなるのか?という時事ネタで誘う。 そして、外は梅雨時で雨。 雨のなか老いた隠居が登場する人情噺? “ 道灌 ” ? “ 天災 ” ? いまひとつわからんなぁ。 いよいよ本題に。 大店のご隠居ふたりが、縁側で碁を打つところから噺は始まる。 隠居?雨?そして碁? … 続きを読む

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六百四十七話 銀煙管

一七年ほど前、親父の遺品を片付けていた際の噺。 書棚から一本の煙管が出てきた。 煙草をやらない親父が煙管?不思議に思って嫁に尋ねると。 「お義父さん、なんか京都の煙管師に注文してたみたいよ」 鬼平犯科帳で長谷川平蔵役を演じた中村吉右衛門さんが劇中愛用されていた銀煙管らしい。 「馬鹿じゃないの!なんでまた?」 「さぁ?なんでだろうね、欲しかったんじゃないの」 原作者・池波正太郎先生は、 “ 大川の隠居 ” でこの煙管について語っておられる。 平蔵の亡父・宣雄が京都奉行時代、京の名工・後藤兵左衛門に造らせた銀煙管。 二〇センチほどの銀胴には、長谷川家の家紋 “ 釘抜 ” と “ 昇鯉 ” の意匠が凝らされてある。 結局のところ、何故親父がこれと同じ煙管を注文したのかは今でも分からない。 そもそも遺品整理の際に交わした噺などすっかり忘れていた。 そんな記憶の片隅にもなかった煙管が、昨日劇場で蘇る。 新時代の “ 鬼平犯科帳 ” が幕を開けた。 叔父に代わって、五代目火付盗賊改方長官・長谷川平蔵 役を務めるのは、一〇代目松本幸四郎さん。 若き日の平蔵・銕三郎役を、長男・八代目市川染五郎さん。 密偵・同心・盗賊など、欠かせない役所にも納得のいく役者の方々が顔をそろえられている。 見事な配役だと思う。 また、山下智彦監督はじめ脚本・撮影・照明・録音・殺陣・美術・衣装・床山など、製作陣も一流。 “ 分とくやま ” 亭主・野崎洋光さんまでが、料理監修として名を連ねる。 … 続きを読む

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六百四十四話 Calla ?

九〇歳になられる友人の母親からなんか描いてと頼まれた。 「えぇ〜、なんかって何描くの?」 「これ!描ける?」 “ Calla ” の写真が携帯に送られてきた。 ちょうど都内の仏料理屋で昼食中だったらしい。 ちょうど目の前の食卓にたまたま生けてあったのが “ Calla ” だったようだ 。 そこそこ雑な注文だなぁと思いながらも。 「そりゃぁ、描けますよ、それなりの腕してんだから」 「号お幾ら?年金暮らしなんだから出来るだけお安くね」 都内の一等地で暮らし、昼から☆付の仏料理食ってる方の台詞とも思えない。 まぁでも、せっかくそう言っていただいたんだから描いてみることにする。 普段植物画を描く際は、実物を眺めて正確にそのかたちを映す。 だいたいが海辺の家の庭に咲く植物を描くのだが、あいにくと  “ Calla ” は植わっていない。 画像検索してみたところ、花の写真ばかりで葉形や根の形状がいまいち不明だ。 解説文に、葉は里芋に似ており、根は球根上部より張ると記されている。 よく解らんが、葉は里芋を参考にして、tulip 球根の上部から根を描いてみるかぁ。 おぉ、筆を進めると、なんか “ Calla ” な感じに仕上がってきた気がしなくもない。 気に入っていただけるかどうかは知らんけど、とりあえずこれで筆をおく。 お待たせしました。 “ Calla ” みたいな水彩画をお送りいたします。 おばさん、いつまでもお元気で! … 続きを読む

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六百四十三話 舞台 Odessa

今月の始め芝居を観にいく。 三谷幸喜作・演出 柿澤勇人 宮澤エマ 迫田孝也 出演。 “ Odessa ” 大阪公演初日。 中身もまったく知らず、ただ誘われるままに観た。 Odessa の地名から Ukraine 港湾都市のことで戦争に絡めた重たい話かと思ったけど違った。 そもそも舞台は、米国 Texas 州の Odessa という田舎町。 登場人物は、三人。 地元署の日系米国人女警官、鹿児島出身の殺人事件容疑者、偶然にも容疑者と同郷の通訳。 警官を宮澤エマさん、容疑者を迫田孝也さん、通役を柿澤勇人さんが演じている。 言語は、二つ。 日本語が解らない警官、英語が解らない容疑者、そして双方の言語が解る通訳。 真実は、一つ。 容疑者は、黒か?白か? 或いは、真実は白なんだけど実は黒? この後、福岡、宮城と公演は続くので、結末には触れないでおく。 舞台は、 Texas 州の幹線道路沿いにある diner 。 警官が、言葉の通じない容疑者を通訳を介しながら聴取していく。 その奇妙なやりとりが進む中、繰り広げられる三つ巴の心理戦を描く密室劇。 米国の Odessa と日本の鹿児島、Global だけど Local という設定がまた絶妙。 二つの言語と二つの文化が交錯する言葉の世界。 なにがどう面白いか? 伝えることが儘ならないけれど、確かに笑える。 膨大な台詞を巧みに回す三人の演者も凄いが、劇作家 三谷幸喜先生の着想も素晴らしい。 … 続きを読む

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