月別アーカイブ: July 2016

四百五十六話 南無阿弥陀仏

毎年、この時期は忙しい。 施餓鬼に、盆供養にと、北摂の自宅と海辺の家を行ったり来たり。 その上、今年は父の一三回忌の法要が重なる。 もう逝ってから一二年も経つのかぁ。 なのに、その片割れはピンピンしている。 母親だ。 どうでも良いのだけど、よく喰い、よく喋り、よく寝る。 朝、菩提寺へと向かうため喪服を着て庭で黒靴を磨いていた。 その背中を眺めていた母親が嫁に小声で訊く。 「こちらの方どなた?」 「えぇっ!!!!」 「きたぁぁぁ〜!」 「おっ、おっ、おかあさん大丈夫?」 「誰って? マジでぇ? 怖ぇぇぇぇ!」 「これはさぁ、おかあさんが可愛いって言張ってやまない、ほんとはちっとも可愛くない息子だよ」 「えぇっ!!!!嘘ぉ? ほんとに?」 「あはははは、そうなの? 見慣れない服着てたから分かんなかったぁ」 「てっきり庭師のひとかもと思っちゃったわぁ」 「それに、あたまもなんかいつもよりちっちゃそうだったし」 って、笑って誤魔化すんじゃない! 遂に、背中とはいえ息子を忘れやがったなぁ! たしかに、その日庭師はいたけど。 喪服で松の剪定する庭師なんかいねぇだろうがぁ! だいたい、てめぇの息子は、日によってあたまがちっちゃくなったりするのかよ? 俺は、妖怪かぁ? 言訳すんなら、もうちっとましなのにしろよ! お寺について、有難いお経を聞きながら手を合わせる。 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、親父、あんたの連合いのことなんだけどさぁ。 どうしたもんかなぁ?  

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四百五十五話 DARE T0 BE WILD

生まれて初めて、Ireland の映画を観た。 Dare to be wild 原題をそのまま訳せば「敢えて野生となれ」だろうか? 解り難いと考えたのか、日本では Flower Show という題名で配給されている。 現在公開中だが、一般的にはあまり知られていないマイナー・フィルムの類だと思う。 大阪公開楽日の前日、劇場の入りは二割程度で少し残念な始末だったが。 観終わった今、この映画を観逃さなくてほんとうに良かったと思っている。 若きアイルランド女性園芸家の実話を基に映像化された作品で。 主人公でもある園芸家は Mary Reynolds 女史。 物語は、無名の彼女が世界で最も偉大な Landscape Designer のひとりとなるまでを描いている。 英国王立園芸協会が主催する  Chelsea Flower Show は、世界最古にして最高の権威を誇る。 その権威は、Chelsea Flower Show の行方如何によって世界中の園芸の方向性が決するほどに高い。 アイルランドの田舎町出身の Mary Reynolds は、その Show に金無し人脈無しで挑む。 彼女が目指した世界一美しい庭とは? 山査子の古木数本と野草のみが石積みの空間に咲く庭。 故郷 … 続きを読む

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四百五十四話 老铺子

神戸という港町には、代々の華人が腰を据えていて。 その華人達に人気の商いのひとつが飯屋。 なので、ちっちゃな饭 店から立派な構えの餐 厅までが街中にひしめいて在る。 地元民は、都合に合わせて向かう飯屋を選ぶ。 大学時代の友人とそんな神戸で中華飯でも食うかとなった。 この友人、良家に産まれ育ち良家に嫁いで、今でも恵まれた暮らしを享受している。 商家にあって、手堅く裕福に変わらず過ごしていくのは口で言うほどに簡単ではない。 少しはそういうことも承知しているだけに、この友人も実は賢く有能なのだと思う。 相手によって、飯屋を選ぶのも一興で面白い。 普段上等なものを食っているのだろうから、やっぱりそれなりに上等な飯屋にするか? 逆に、身の毛もよだつ路地裏に潜む飯屋で、食いつけないものを食うか? どちらもそれなりに楽しい。 だけど、身の毛がよだつ頃合は、ひとそれぞれなので其処は気をつけなければならない。 ほんとうに身の毛がよだってしまったのでは洒落にならないから。 婆ぁの親指が汁に浸かっていたり、鍋を振る亭主の汗が滴り落ちていたりでは駄目だ。 実際、この街にはその手の飯屋が少なくない。 不思議なことに、潰れずなにひとつ改善されぬままに老舗として在る。 そして、華人が云うところの「老铺子」に数えられている。 いろいろと迷った挙句「中國酒家」に決めた。 此処も 老舗は老舗だが、ちゃんとした老铺子らしい。 高級中華食材を比較的安価で食わせるという飯屋で、フカヒレが旨いとの評判をよく耳にする。 無難な飯屋に落着く。 薄味に仕立られてあるが、味が深くさすがに旨い。 評判のフカヒレも丁重に煮てあってそれなりに良いのだが、他の皿の方が気に入った。 フカヒレの煮凝りと鯛の刺身のジュレ掛け、海老のマヨネーズ和え、烏賊のXO醬炒めなどで。 特に、鯛と海老の擂り身団子スープは、擂り身にしっかりと食材の風味が閉じ込められている。 広東料理と掲げているが、潮州菜なのだろうか? とにかくあっさりと旨い。 ただ、老舗飯屋ならではの申分のない旨さなのだけれど、どこか勢いというものに欠ける。 路地裏の飯屋には、旨い不味いでは計れない奇妙な勢いがある。 所帯が小さく家賃が安いだけに賭けにも出易いのだろう。 客にとっては当たり外れもあって、其処を嗅いで分けるのがまた面白い。 帰りがけ、近くの路地裏に在る薄っすら身の毛もよだつ中華飯屋の前を通りがかったので。 「此処も旨いよ」 「今度、ご主人か友達と食いに来たら」 「えっ?此処?旦那は無理!友達も無理!」 「あんたら夫婦して、最初どんな了見でこの店入ったん?」 … 続きを読む

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四百五十三話 Bubbly Night in KOBE

後の世代にとっては、ほとほと迷惑な存在でしかない世代が未だこの国には生息している。 世の中は、いつだって幸福に満ちているもんだと信じて疑わない団塊の世代。 きっと今日より明日は良い日なんだと自分に言い聞かせて暮らしているバブル世代。 もう希望はないのだと諭しても聞き入れやしない。 こういう昭和の無形文化財的な人達には共通した好物があって。 その好物を眺めるとどんな嫌なことだって忘れられるらしい。 もうここまでくると、ちょっとした特技だといっても良い。 その好物のひとつが夜景。 なんせキラキラ光るものが堪らなく好きだ。 Disco Ball とか Mirror Ball とかそういった類の光物を想起させるのかもしれない。 まぁ、どちらも今や死語だけど。 そして、小洒落た外車を駆って山に登り夜景を見下ろせば、どんなおんなも落ちると確信している。 恥ずかしいのを通り超えて憐れみたくなるほどの馬鹿だ。 なんせ、夜景評論家などというふざけた肩書が通じた時代だったんだから。 先日、そんな馬鹿の好物を眺めようと世継山に登った。 夕刻、新神戸からロープウェイに乗って頂へ。 そして、陽が暮れると。 こうして、神戸の夜景が眼前に。 Bubbly Night in KOBE 綺麗は綺麗なんだけれど、国史上稀に見る不出来な世代の事情があたまを掠めたりもする。 悪気があったわけではないが、それだけに罪が重い。 これから先も。 浮かれた時代を知らない若い方々に、ご苦労をおかけすることになるのだろう。 ほんと、ごめんなさい。

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