月別アーカイブ: June 2016

四百五十二話 海峡の夏

海辺の駅から商店街を抜けた坂の手前に古ぼけた一軒の饂飩屋が在る。 庭仕事に追われた昼時などにはよく出前を頼んだりしている。 ここんちの亭主にとっては、饂飩は手打ちであることが当り前なんだろう。 わざわざそうだとは謳ったりはしないが、正真正銘の手打ちで旨い。 今時、手打ちの饂飩を出前してくれる飯屋なんてないんじゃないかなぁ? 義母も晩年この味に救われた。 食にはうるさく店屋物で済ます横着なひとではなかったが、患ってからはそうも言っておれない。 渋々取った出前だったが、馬鹿に出来ないと機嫌良く食べていた姿を思い出す。 もう最期のほうは、声を聞いただけで相手が知れるほどになっていた。 義母が逝った後も、いろいろとよくしてくれる。 先日、久しぶりに注文した丼物を届けに来て。 「これ、良かったら食べてぇ」 無口な亭主はいつもこんな調子で、なにとは言わず鉢を差出す。 「旬やから、煮付けてみたんよ」 明石蛸の煮付けだった。 淡路島と明石に挟まれた海を明石海峡と呼んでいる。 航行には難所だと畏れられているが、漁場としては豊かで獲れた魚介は高値で取引される。 なかでも、明石鯛と明石蛸は、明石とあたまに掲げるだけに別格品だ。 明石蛸は、一時期絶滅に瀕したことがある。 地元漁師は、産卵用の蛸壺を仕掛けるなどして、今日まで代々必死に漁獲を守ってきたのだそうだ。 潮の流れが速い難所の海底に棲む明石蛸は、がっしりとした図体で引締まった身をもつ。 また、豊富な海老や蟹を食するため甘みが強い。 もっとも旨いといわれるのが五月から七月で、歯応えや甘みが増す。 饂飩屋の亭主は、そんな明石蛸を丸々一匹煮付けて持ってきてくれた。 もちろん刺身も旨いが、やはり煮付けは格別だ。 甘辛い濃厚なタレが、芯まで染み渡るまで煮付けるのだが、塩梅は難しいのだと思う。 甘すぎても、辛すぎても、硬過ぎても、また軟らか過ぎてもいけない。 亭主は、地元の飯屋だけにそこはよく心得ていて。 そのうえ、飯をつくるのが、なにをしている時よりも楽しいというのだから心強い。 実際、どんな料理屋で喰うよりも旨かった。 それにしても、丼二杯注文されて、明石蛸一匹付けたんでは一文の儲けにもならないだろう。 どういう了見なのかは計り兼ねるけれど、有難いはなしだと想う。 思わぬ施しで、海峡に夏が近いのだと知った。  

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四百五十一話 日陰の庭?

Paul Smither という庭師がいて。 この景色は、彼の手による。 英国Berkshireに生まれた庭師は、倫敦郊外のWisley Gardenや米国Longwood Gardensで園芸を学び。 一九九七年、有限会社Garden Roomsを設立し、庭の設計施工を日本国内において手がけている。 園芸業界では、かなり名の知れた庭師だ。 Paul Smither氏の作庭に興味を抱くようになってから、もうずいぶんになる。 本が出版される度に買込み、真似られることは真似てみたりもした。 真似始めて一〇年ほど経った庭を眺めると、なんとなく様になりつつあるような気もする。 義母から託された海辺の家の庭は、ちょっと変わっている。 深く窪んだ下段の庭、狭く細長い中段の庭、テラス状に平たい上段の庭という具合で。 おおよそ三段に積まれたような地形をそのままに庭だと言い張ってきた。 なんとなく様になりつつあるというのは上段の庭で、中段や下段には未だ手をつけていない。 ちょっと時間的余裕もできたので、いよいよ下段の庭も整えようかと考えている。 斜面も勘定すると四〇坪ほどの下段の庭は、あまり作庭に適した環境ではない。 三分の二程度が濃い日陰となっていて、薄暗い。 樹齢一〇〇年を超える下段の山桃や、家全体を覆うまでに育った中段の桜の仕業だろう。 もはや木陰などという洒落たものではない。 何者か?よからぬ生物が出てきそうな雰囲気ですらある。 日陰の庭? 家のどこかにあったはずの一冊が頭に浮かぶ。 「日陰でよかった」 表題そのままに、日陰に於ける庭造りを指南した内容となっている。 著者は、Paul Smitherだ。 淡い日陰から濃い日陰まで、段階別に植生を紹介し、土壌の改良法から設計までが記されていて。 まことに心強い。 師曰く。 日陰こそが、庭を素晴らしくするのだ。 マァ〜ジですかぁ? その言葉を糧に、ひとつ Shade Garden なる日陰の庭に挑んでみようかぁ!   … 続きを読む

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四百五十話 残余の美

青時雨に湿る高瀬川のほとり。 森鴎外や吉川英治が綴った情緒を、この歓楽街に嗅ぐことはもはや叶わない。 三〇年前、上席に連れられ通った小汚い小料理屋も姿を消した。 甘鯛の酒焼きを喰い終わると、女将が膳を下げ再び椀を手に戻ってくる。 頼んでないと告げると、失笑された。 喰い残した皮と骨に出汁をかけ吸物として供するのだと云う。 齢八〇近い女将が、誰が喰った皮と骨かを一々確かめているとは到底思えない。 京都人と付合うには、潔癖であっては務まらないのだと悟ったのを憶えている。 訊けば、外でそんな喰い方をする京都人は、今はもういないのだそうだ。 ひとも街も、時と共に変わりゆく。 久しぶりにこの界隈に宿を取り、仕方がないと言い聞かせながら木屋町をぶらつく。 そういや、川のどん突きに骨董屋が在って、時折足を運んでいたのを思いだした。 まだ、営んでいるのだろうか? 素晴らしい骨董屋だったが、その分敷居も相応に高い。 Galerie 田澤 都屈指の名店は、昔と変わらぬままそこに在った。 Galerie 田澤は、骨董屋というよりは古美術商の域に近いかもしれない。 事実それだけのものを所蔵し、商われている。 坪庭へと続く町屋を場として。 鋭利な審美眼を通して許された名品が臆することなく設えられてある。 洋の東西を問わない美がそこに凝縮され異彩を放つ。 多くの芸術家や文化人や収集家を魅了し続けてきた空間は、いささかも褪せてはいない。 その名を知られた店主の田澤とし子さんはご不在で、息子さんに迎えられる。 一八世紀から一九世紀の硝子器を中心にご案内していただく。 製法にまで及ぶ講釈は、もの静かで、的確で、奥深く、興味深い、なにより耳に障ることがない。 店屋の亭主とは、斯くあるべきなのだろう。 しかし、懐の具合も鑑みると、なんでもというわけにはいかないのが辛いところで。 あれこれと辛抱強くお付合い願った末、一九世紀初頭に英国で創られた硝子器を求めることにした。 二室に分かれた心臓みたく不思議なかたちをした硝子器で、他所では見たことがない。 せっかくの Galerie 田澤なのだから、此処ならではという目利きで決める。 「ところで、おかあさんは?」 「父が亡くなってから少し弱りましたけど、なんとかやっております」 「今、山科の自邸から店に向かっておりますんで、逢ってやってください」 若奥様に添われてやって来られたとし子さんにお逢いする。 少し目を患われていて、杖をつかれてのご出勤だ。 「二〇数年ぶりでしょうか?お元気そうでなによりです」 「近くに参りましたもので、なにかいただこうと思い、息子さんにお相手願っておりました」 … 続きを読む

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四百四十九話 Surréalisme とは?

  先日、Edward Gorey 展を観た。 そして、夜中にちょっと描いてみた。 〇.一ミリの製図ペン一本で仕上げる。 朝、嫁が起きてきて。 「なにチマチマ描いてんの?」 「あのさぁ、一八八八年の時点では、エッフェル搭は一層部分までしか出来てなかったんだよ」 「ちょうど、この麒麟の膝ぐらいの高さまでしかなかったわけ」 「で、なに?」 「そんな一八八八年の巴里に、麒麟に跨った冒険家が凱旋してきたとするよね」 「そして、建設途中のエッフェル搭と麒麟が、搭完成時の高さで重なると」 「 ほら、この絵のようになります!」 「どう?シュールでしょ?」 「はぁ?」 「さらにだよ」 「Surréalisme の巨匠といえば、Salvador Dali でしょ」 「Dali といえば、名作『燃える麒麟』と頭に被った仏蘭西パンでしょ」 「だから、麒麟と雲に見立てたパンを描いてみました」 「以上!」 「ったく、朝から頭痛がするような話を聞かせないでよ!」 「あのさぁ、今まであんたが気にするから言わずにいたんだけどね」 「あんたさぁ、マジで医者に掛かったほうがいいよ」 「 まぁ、精神科か?心療内科か?脳神経内科か?それはどうかわかんないけど」 「念のため、全部行ってみれば?」 「お願いだから」 「でね、Surréalisme とは?っていう話なんだけど」 「うるさいよ!Surréalisme を語る前に病院行って!」       … 続きを読む

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