月別アーカイブ: September 2016

四百六十四話 洗うだけで増える?

用事は江ノ電鎌倉駅近くにあったのだが。 久しぶりだったのでひとつ手前の北鎌倉駅で降りて歩くことにする。 ここ北鎌倉を愛した映画人は多い。 松竹が、撮影所をそれまであった蒲田から大船に移した頃からだろうか。 木下恵介監督・小津安治郎監督・小林正樹監督など往年の巨匠から山田洋次監督まで。 皆さん、松竹組である。 松竹大船撮影所も今はもうなくなってしまったが、 その頃の風情はこの街から消えてはいない。 それは、昭和のインテリ達が好んだ雰囲気で。 激することなく淡々と風潮に抗って暮らす様が、まだこの家並みには窺えるように想う。 風情は申し分ないのだけれど、それにしても蒸して暑い。 北鎌倉在住の知合いによると。 湿気だけは何年暮らしても慣れるものではないのだそうだ。 切り通しの肌もじっとりと濡れている。 線路脇の看板に「銭洗い弁天まで二〇分」とある。 弁財天は水神で、弁財天の水で銭を洗うと浄めた銭が何倍にもなる。 こういった民間信仰は各地にあるが、鎌倉にもあるらしい。 洗うだけで銭が増えるという魅力的で手間いらずの御利益に是非とも与かりたい! 嫁に訊く。 「遠回りになるけど、洗う?」 「 うん、洗う」 鎌倉に建ち並ぶ数々の古刹名刹を素通りしてきた挙句に夫婦が口にしたのは。 お参りしようでもなく、手を合わせようでもなく、拝もうでもなく。 「洗う」の一言で、 もうお金頂戴と言っているに等しい。 が、欲に駆られた人間に待っているのは御利益ではなくお仕置きというのが相場だ。 銭洗い弁天までの道のりは、平坦ではなく山道で途中崩れて足場の悪いところも。 そもそも参道ではなく、葛原ヶ岡ハイキングコースと記されている。 のこのこ革靴で出掛けるような道筋ではない。 気温は三四度を超えていて。 湿度は MAX に達して。 頭から水を浴びたような姿で、服は何色だったか分からないほどに変わってしまっていて。 仲良く銭を洗おうとか言っていた夫婦仲も険悪に。 「これいつ着くの?もう遠に二〇分経ったよねぇ?さっきの看板嘘じゃん!」 「知らねぇよ!」 「ねぇ、ちょっとぉ!側に寄んないでよ!気持悪いんだからぁ!離れなさいってぇ!」 「なんで、そうやってオッサンは馬鹿みたいに汗かくのかなぁ?どっか悪いんじゃないのぉ?」 … 続きを読む

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四百六十三話 夏の終わりに

夏の間ずっと騒がしかった海の家もすっかり片付けられて。 浜が、地元湘南人の暮らしへと戻ってくる。 波乗りに、犬の散歩に、爺いの徘徊にと。 過ごし方はひとそれぞれだが、住人にとってはなくてはならない浜なんだろう。 僕は、夏の初めと終わりにこの浜が好きで来る。 由比ヶ浜は、ほんとうに良い浜だと想う。 さて、そろそろ晩飯時かな。 MANNA へ。 由比ヶ浜には、数件知った飯屋があるけれど。 伝説のおんな料理人 原優子さんの皿はどうしても外せない。 浜から江ノ電駅に向かって七分ほど住宅街を抜けて歩く。 途中、立派な構えの蕎麦屋が一軒在って。 垣根越しに蕎麦屋の広い庭を覗くと。 庭先の卓をふたりの爺いが囲んでいる。 ふたりとも八〇歳くらいだろうか? とにかく髭面の日焼けした年寄りである。 麻の白シャツに短パン姿でむっつりと向き合って酒を飲んでいる。 卓には、バケツほどもある銀製のアイスペールに山盛りの氷が積まれていて。 そこには、値の張りそうなシャンパンが二瓶突き刺してあって。 どうやら、ふたり別々の銘柄をそれぞれに手酌で注いでいるらしい。 夏の終わりの夕暮れに潮風にあたりながらシャンパンを煽って、〆に蕎麦を啜るって趣向かぁ? 早よ死ね! だけど、そういう格好が嫌味なく板についていて、見事に粋な風情を漂わせている。 銀座や北新地辺りの無理と無駄を重ねた贅沢なぞ寄せつけない余裕と貫禄だろう。 あぁ、おとこもこうなると上等だよなぁ。 おそらく、このふたりの爺いは由比ヶ浜の住人に違いない。 蕎麦屋の垣根越しにではあったが、この海辺の街が継いできた底堅い格を見たような気がした。 そして、近い将来このふたりの爺いも由比ヶ浜の波打ち際を徘徊するのかもしれない。

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四百六十二話 日本特撮への挽歌

シン・ゴジラ まだ公開中なので内容については言えない。 ただ劇場動員は盛況で評判もすこぶる良いと聞く。 気に病んでどうなるもんでもないけれど、ほんとうに良かったと思っている。 劇場経営者の一族に産まれて。 活動屋だった父に育てられ。 昭和という時代を過ごした。 そんな僕にとって、空想特撮映画は夢であり希望であり誇りでもある。 二〇一四年に Hollywood 版 「GODZILLA」が公開された。 圧倒的スケール感と卓越した VFX 技術による完璧な視覚効果。 また一部撮影には一九六〇年代初頭に使われていたヴィンテージ・レンズを用いるという懲りよう。 さすがに、これを観て。 それでも怪獣映画は日本の特撮だねと口にしたひとは、おそらくいなかっただろう。 だけど、しかしである。 「GODZILLA」は「GODZILLA」であって、やっぱり僕らの「ゴジラ」じゃぁない! この違いを語るのは難しいのだが。 「GODZILLA」には、匂いがない。 怪獣の匂いではない、製作現場の匂いだ。 対して「ゴジラ」には、ゴムや火薬や機械油や汗の匂いが混ざった独特の現場臭が漂っている。 それは、戦後日本のどの街にもあった吹けば飛ぶような町工場に漂っていた匂いだったように想う。 勘と経験を頼りに工夫を重ねた職人達が、資金繰りに追われながら必死に注文品を仕上げる。 そうやって、ちょっとでも良いものをと腕を磨き頑張ってきた。 あがきにも似た愚直さが戦後の日本を支えていた。 かっこ悪く、鈍臭く、垢抜けない時代が、一九六〇年代にはまだ続いていたような気がする。 「ゴジラ」は、そんな時代に、そんな国に産まれた。 良くも悪くもその匂いが日本人の体臭であり、ゴジラの体臭でもあったんじゃないかなぁ。 「ゴジラ」が「ゴジラ」であるためには、この体臭をどう纏わせるか? 「GODZILLA」の洗練さとは異質の表現がなされなければならない。 妙に小洒落た今の日本で、「ゴジラ」を「ゴジラ」として撮れるひとは誰か? 一九六〇年日本生まれで、特撮映画の現場を知り、新世紀EVANGELIONを世に出した庵野秀明氏。 東宝幹部じゃなくとも、このひとをおいて他にないと考えるのは当然だろう。 僕でも思っていた。 二〇一二年に「館長 庵野秀明  特撮博物館」を観て。 特撮短編映画「巨神兵東京に現わる」を観て。 … 続きを読む

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