四百二十五話 怖れ

店屋にとっての客とは?
僕は、養い親だと思っている。
今の Musée du Dragon が在る同じ場所に父親が婦人服店を構えたのは一九七六年の事である。
営んできた四〇年の間、多くのお客様がお越しになられ、服の代金として銭を置いていかれた。
その銭が、家族の暮らしにとって糧となり今があるのだ。
三度の飯を食い。
学校に通い。
夜露を凌ぐ住処を建て。
ちょっとした贅沢まで。
そんなことが、この歳になるまで許されてきたのである。
店主だけではない、従業員だって皆そうだろう。
これは、有難い話ではあるけれども一方で怖い話でもある。
御客様には、われわれを養っているという意識はない。
そんな義理も義務もどこにもないのだから。
服がつまらなければそれまでのことである。
そうなると、暮らし向きは悪くなり、下手をすれば路頭に迷う羽目に陥る。
代金に見合った値打が提供出来るという自信と覚悟があるのか?
自問すると、その度不安になる。
ずっとそうだったし、先日もそうだった。
Musée du Dragon には、二〇歳代の顧客様は数えるほどしかおられない。
これだけの値段なのだから、それはそれで仕方ないことだとは思っているのだが。
山形出身で静岡に勤められているその顧客様は、昨年大学を出られて就職されたばかりの方だった。
数ヵ月前に二〇万円近いコートを注文戴いて、年明けに大阪まで引取りにお越しになられる。
他に用事はなく、そのためだけに。
帰省されている山形からか?勤務地の静岡からか?いづれにしても遠方には違いない。
発送を申し出たが、Musée du Dragon が閉じると聞いてどうしても伺うとのことだった。
失礼ながら。
コートの代金はもちろん。
その上に交通費だって勤められて間もないのであれば馬鹿にならないのだろうと思う。
今晩のお泊まりはと訊くと。
近くのサウナで過ごされるらしい。
ちょうど店内が混み合っている時で、碌にご挨拶も出来なくて。
それでも、仕立上りに納得されておられるか?否か?が気になる。
親子ほど歳の離れたこの顧客さまに、ちゃんと向き合えるほどの仕事ができたのだろうか?

そう想うと、幕を引く今となっても怖いものは怖い。

 

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