月別アーカイブ: December 2021

五百九十三話 孤高のおんな厨师 !

予約一年待ちとか言う飯屋をたまに耳にする。 たいていが噂ほどでもなかったりするが、此処は違う。 “ 溢彩流香 ” 高槻の古びた雑居ビルの二階で、広東人女性がたったひとりで営んでいる。 たったひとりで奮闘しているので、これ以上人気になったところでどうにもならない。 なので、なるだけ他人に言わないようにしてきた。 それが、この度、百貨店への出店を機に長期休暇をとるのだと聞いた。 出店の事情についてよくは知らないが、それは本人の手によるものではないらしい。 まぁ、百貨店によくある話で、珍しくもないし、どうでもいい。 とにかく、彼女の料理を当分の間口にできないというのが問題だ。 友人から、そういうことなので食べに行かないか?と誘ってもらい、久しぶりに訪ねることにした。 この友人は、“ 溢彩流香 ” の常連を友人にもっていて、当日、その友人が店を貸し切るらしい。 洒落た扉を開けると、元気そうな笑顔で迎えてくれる。 Lin さん。 「どうしたの?百貨店にでるんだって?」 「ちがう!ちがう!わたしが、この手で創る料理は、わたしの知ってるひとにだけ!ここだけ!」 「長く休むって?具合でも悪いの?」 「それもちがうよ!まず、美味しものを創るために身体を鍛えなおす!」 「それから、やりたかったことをやる!」 「自ら食材を育てて、もっと凝った料理を考えて創る!そして、もっともっと良い店にする!」 広東人らしい端的なもの言いだが、こうした短く交わした会話からでも伝わるものがある。 この Lin さんが、どれほど真っ当な料理人であり、どれほど真摯な店屋の店主であるかが。 自身を含めた店屋や店主の良し悪しをどうやって量るのか?に長年あたまを悩ませてきた。 店主が、店屋をやるにふさわしい豊富な知識と経験と技量を人並み以上に備えている事。 店主は、どんな時も店に居て細かく気を配る事。 店は、徹底して清潔である事。 気取らずどこか家的な雰囲気で、いつも変わらずにいる事。 今日の商いモノが、昨日の商いモノよりも良い出来である事。 これらは、立地・収益・効率よりも大切で、算盤勘定だけではどうにもならない。 口で唱えるのは簡単だが、日々毎日休みなくとなると心身が擦り減る。 もし、何かひとつにでも自信が持てなくなったその時は、客に気づかれる前に幕を引いた方が良い。 多分 … 続きを読む

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五百九十二話 石の銀行?

庭のジプシーこと橋口陽平君からの業務連絡。 「明日、ご自宅にお迎えにあがりますので、それから銀行に行きましょう!」 「えっ、作庭料?前払いなの? 額にもよるけど銀行に行かなくても手元にあるけど」 「いやいや違いますよ、“ 石の銀行 ” にご一緒していただきたいんです」 「石?銀行?どこへ?」 翌日昼過ぎ、海辺の家に二トン・トラックに乗ったジプシーがやって来た。 “ 石の銀行 ” は、六甲山に在るという。 そもそも “ 石の銀行 ” とは何か? もともと、海辺の家から北東部に跨る六甲山系は、御影石の産地であった。 阪神間の “ 御影 ” とつく地名や駅名は、石の名称に由来する。 またこの辺りには、石塀などに高級石材である御影石をふんだんに使った邸宅群が多く残っていて。 それが、街に此処ならでは景観を映していた。 しかし、現在、六甲山麓部での石の採掘は厳しく制限されてしまう。 山からの供給は絶たれ、街では次々と建物が壊され、使われていた石材は廃棄物処理されていく。 地産の石がもたらした街並みも失われ、どこにでもある新興の風情と変わらなくなってしまう。 そう危惧した地元の石材屋が一計を案じた。 廃棄物の減量、景観の保護、需要者と供給者の相互利益を保証する組織の構築である。 需要者とは、この街で新たに創る構造物に石を利用したい者。 供給者とは、この街の既存構造物を壊して石を廃棄したい者。 前者には石の購入代金、後者には石の処理代金が、それぞれに発生する。 両者を繋ぎ、後者の石が前者に渡るようにすれば双方ともに利を得る。 そして、石は、姿を変えながらも街の構造物の一部として残り、景観はある程度維持されていく。 さらに、石は、捨てないのだから、その分廃棄物は減る。 需要者と供給者は、共に行員登録し組織の一員となり利用を許されるのだ。 なるほど、石屋が考えたにしては頭の柔らかい発想で、まさに “ … 続きを読む

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五百九十一話 IKEBANA !

嫁の作品。 ようやくこの歳になって、年の瀬に花でも生けてみようかという余裕ができたらしい。 嫁と違い華道の欠片も知りはしないが、野趣で、奔放で、なかなか良いと想う。 だけど、これって、Christmas 用?それともお正月用?ただ生けただけ? よく分からない。 でも、まぁ、そっとしておこう。

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五百九十話 里山からの贈りもの

世話になった画家が、東京から故郷の丹波篠山に移り住んでからもう随分になる。 画家本人は、もう亡くなってしまったけれど、その女房は、その後もこの里山に暮らしている。 渋谷のど真ん中にアトリエを構え、時代の最前線で奮闘する業界人達が集う。 画業への名声と共に華やいだ日々が、あたりまえのように続いていた。 唐突に、そうした東京での日常と対極にある暮らしに転ずると云う。 無理だと思った。 或日、画家の女房が、うちの嫁に訊いた。 「ねぇ、日々のご飯って、どうやってつくるの?」 「はぁ?どうやってって、今までどうしてたの?」 「お菓子ならつくれるけど、ご飯なんかつくってこなかったから」 画家も忙しいが、画業を支える画家の女房も忙しい。 打合せ中の客に供する菓子はつくれても、終わった後は外で会食となる。 なので、基本、日々の飯はつくらない。 しかし、皆が案じた画家夫婦の里山暮らしも年を重ねる毎に板についてくる。 そんな画家の女房と久しぶりに逢って、神戸元町で中華飯でも食おうとなった。 画家が逝ってから祥月の十二月は毎年笹山を訪ねていたのだが、去年は遠慮したので二年ぶりだ。 駅前のベンチで降ろしたリュックから取り出した包みを 渡される。 「山の地物、自然薯と黒豆味噌だよ」 「自然薯って、おろしたり、灰汁抜いたり、面倒臭くないの?」 「まぁ、そうでもないわよ、意外と旨いからやってみて」 ひとは、変われば変わるものだ。 Dior のロング・コートを羽織り、芋と味噌を入れたリュックを背負って、、山から下りてくる。 画家の女房ならではの里山暮らしを、それなりに上手くこなしておられるように想う。 海辺の家に戻った翌日、里山の贈りものを食卓に。 おろし金で自然薯を擦りこね鉢に移し、出汁でのばしていく。 予想通り結構面倒臭い。 とはいえ、やってるのは全部嫁だけど。 一品は、鮪の山かけ。 もう一品は、白葱を入れた黒豆味噌の味噌汁に自然薯を落とした椀物。 鮪の山かけを、白飯にのせて食ってみる。 漢方薬にも似た自然薯独特の臭みもそれほどなく、長芋よりも味は濃い。 鮪は鮪で旨いけれど、これはタレに漬けた焼肉にかけて丼にしても良かった。 と思っただけで、口には出さない。 黒豆味噌の味噌汁は、どうだろう? これは、文句なく旨い! 素朴だが品の良い芳醇な黒豆味噌の香りに、自然薯の風味が引き立つ。 食べ慣れない者にはよくわからないが、これが山の滋味とかいうやつなのかもしれない。 馴染みのない味なのに、なぜか懐かしい。 … 続きを読む

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