月別アーカイブ: March 2016

四百三十九話  異次元の世界

Mac に、Mac Book Air に、i-Phone 6s PLUS にと。 ぜ〜んぶ変えてやった。 其の前はというと、旧型 Mac と Galápagos 携帯でどうにか生き延びてきた。 これからも、そうやって生きていくつもりだったのだが。 嫁の全否定により一新することにする。 「携帯はいつも置きっ放し」 「自分の都合で言いたいことは伝えるけど、携帯鳴っても出ない」 「mail はやらないどころか、見もしないし、開けることもしない」 「そもそもあんたの頑なアナログ志向のお陰で、まわりのみんなが迷惑してるの!」 「うるさい相手だからって、口に出さないだけでそう思ってるんだから!」 「あんたさぁ、そんな糞みたいなことやってたら、いつか死ぬよ!」 もうボロクソなのだが、言われてみればそうなのかもしれない。 結果、ご指摘を受入れて同じ改めるならこの際全部変えてやれとなった。 そうして、この騒動が始まる。 事務所に、自宅にと、それぞれの設置は御客様がしてくださった。 それから先、データーの移動や入力に始まり、新たなソフトやアプリの導入など。 慣れない操作でこなしていかなければならない。 いくらなんでも、御客様にそこまでお願いは出来ない。 着手して三日経って遂にブチ切れた。 「なんで、なにするにも一々こんな面倒な手続きを要求されるんだぁ?」 「ID や、PASS WORD だけでもいくつ設定しなきゃなんねぇんだぁ?」 「Tethering って、そもそもなんなんだぁ?」 「頼むから日本語で喋ってくれ!」 なにかを誰かに訊く度に、あんた馬鹿ですか?的な顔をされるのも我慢ならない。 見かねた嫁が。 … 続きを読む

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四百三十八話 一期一会

このところ一週間ほど、昼飯は蕎麦という日がずっと続いている。 Musée  du Dragon から二分ほど歩いたところに一軒の蕎麦屋が在って。 創業は、昭和五〇年だったと思う。 何故そんなことを憶えているのかというと。 Musée  du Dragon  も先代が営んでいた頃から数えるとほぼ同じ年数になるから。 目と鼻の先で、互いに四〇年間稼業として店屋を切盛りしてきたことになる。 僕とは、もう三〇年を超える付合いだ。 この亭主 、とにかく頑固で気難しい。 店屋の 亭主として許される限度を完全に超えている。 本来、こんな調子で商えば、店はたちどころに潰れてしまうはずだ。 なにより、まったく我慢ということを知らない。 僕も知らないが、亭主はもっと知らない。 なので、客に平気で怒鳴ったりもする。 そうやって、客の立場である僕には一番性に合わない商いの姿勢を見事に四〇年もの間貫いてきた。 大嫌いだ! その大嫌いな蕎麦屋に三〇年以上ずっと通い詰め、亭主ともなんとなくではあるが付合ってきた。 では、我慢出来ない亭主と客をここまで繋ぎ止めてきたものは何だったのか? それは、この亭主の打つ蕎麦の味だ。 旨い蕎麦を食うために暖簾を潜る。 その単純で明快な理由に尽きるのだろう。 亭主の蕎麦は、命を懸けた蕎麦だと言っても大袈裟ではないと思う。 満身創痍、その身を削って打ってきた蕎麦だということには間違いはない。 殻付きの蕎麦の実を石臼で挽き、篩で蕎麦粉を導くというところから亭主の仕事は始まる。 所謂「玄蕎麦の挽きぐるみ」である。 蕎麦粉を塗りの捏ね鉢で練って鞠状にまとめ、それを蕎麦打ち台に下打ち粉を打ってから伸ばす。 丸だし、角だし、幅だし、仕上げのしといった手順で伸ばして出来た生地を畳み包丁で柵状に切る。 そうして、茹で、巻き簀を敷いた皿に盛って供す。 こうやって書けば、たった四行ほどのことではあるが、亭主の人生そのものでもある。 南は九州から北は北海道まで、蕎麦を仕入れる産地を追って移していく。 蕎麦によって、挽き方も打ち方も出汁の合せ方も、その都度に変えてゆく。 蕎麦という簡素な喰物が、一期一会だと云われる所以は其処にある。 たかが蕎麦だが、されど蕎麦なのだろう。 そういった蕎麦打ちの名人である亭主に、三月一九日を以って引退するのだと告げられた。 … 続きを読む

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四百三十七話 豚に真珠

一段落したら。 いろんなところへ行って、いろんな人に逢って、いろんな話をしてみたい。 国の内でも外でもどこでも。 店屋の亭主でいる限り店に縛られてしまう、自分勝手に都合で動くというわけにはいかない。 仕方のない事だと諦めていたけれど、ようやくその枷が解けたのだからそうすることにする。 だが、その前に。 出歩くのだとしたら。 いつでも、どこでも、仕事が出来るようにしなければならないと気づく。 二〇年間というもの出張以外は、ケツに根が生えた如く店か事務所で過ごしてきた。 なので、PC は卓上だけだし、携帯は未だにガラケーという始末である。 それでも別段不自由なくやってこれた。 これを、移動に耐える情報環境に改めよう。 誰に教えて貰うか? 店を閉じても、なんでも客を頼みにする悪い癖は抜けないでいる。 「すいませんけど相談に乗ってもらえますか?」 「いや、そうやって難しそうに訊いてるけど、そんなこと世間のひと皆んながやってることだから」 「 えっ?そうなの?」 「今から購入リストを mail するからそれ持ってヨドバシ行って買ってきて」 「で、買い揃えたら連絡してそしたら行くから」 「説明してくんないの?」 「しない!面倒だから!」 で、ヨドバシ行って。 オタク丸出しのおにぃちゃんが、あれこれ言ってくるのを制して。 「俺になんだかんだ勧めても無駄なんだよ!」 「な〜んも分かってねぇし」 「だから、黙ってこのリストに載ってるものを揃えてここに持ってきて」 「 言い値で払うから」 「お客様、お分りじゃないんでしたら、お預りして初期化を当方で済ませましょうか?」 「うるせぇ!日本語で喋れよ!」 どうしたって、この手の奴とは話が噛み合わないらしい。 まぁ、相手も間違いなく腹のなかで同じように思っているだろうけど。 そうして今、目の前に、Mac Book Air とかいうやつを始め色々とあって。 … 続きを読む

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四百三十六話 玉一

天満宮で、盛った紅梅白梅を仰いで。 本殿に手を合わせて。 空いた腹を抱えて天神橋商店街をいく。 此処天満宮辺りは一丁目なので、地元流に言えば「天一」にいることになる。 天神橋商店街は、町名にならって区分され1丁目は「天一」三丁目なら「天三」と呼ぶ。 「天一」「天二」「天三」「天四」「天五」「天六」という具合である。 全長およそ二.六キロなのだそうだ。 日本で一番長いと称されるこの商店街の両側には、店屋がぎゅうぎゅうにくっついて在る。 大通りだけではない、毛細血管のように左右に路地が延びていて。 そこにも ひしめいて店屋が在る。 大抵が喰い物を商っている。 こうやって眺めて歩くと、浪速人の食道の太さと胃袋の大きさを直に眼で測っているように思えて。 ちょっと気持ちが悪い。 それほどの圧倒的な数である。 この中から一店選べと言われても難儀する。 「食うなら天五で」とかいう噂を信じて、とにかく「天五」へ。 そういや、付合いのあった雑誌編集者が大阪一旨い韓国料理屋が在るとか言ってたような。 たしか「玉一」とかいう屋号で、場所は「天五」だったような。 彼女は、日本語と仏語は堪能だけど、ハングルは読めないという不思議な在日韓国人なのだが。 食の取材では間違いないと評されていた。 そんな彼女が、旨いと言うのだから旨いのだろう。 場所が分からないので、路地裏の八百屋で[玉一って何処?」と訊くと一発で答えが返ってきた。 知らない方がどうかしているといった感じで、「玉一」は界隈で有名な飯屋らしい。 路地沿いに進むと「玉一」は在ったが、この辺りは「天五」ではなく住所表記的には池田町になる。 内も外も昭和のしもた屋といった風情で、靴を脱いで板の間にあがる。 さて、午後三時という中途半端な時間になにを食うか? そもそも韓国料理のなんたるか?をよく知らないのだから、ここは訊くしかない。 「おねえさん、石焼ビビンバと他になに食ったらいいと思う?」 「甘藷湯美味しいよ、今日は冷えるし、暖まるからね」 「マジですか?」 「マジだね」 「ところで、甘藷湯ってなにもの?」 おねえさんが言うには、甘藷湯とはカムジャタンと発音するらしい。 名そのままではじゃが芋の汁物となって、豚の背骨とじゃが芋を石鍋で煮込んだ料理なのだそうだ。 そう聞いても味の想像はまったくつかないのだが、おねえさんに従うしかない。 甘藷湯なるものが卓に置かれた。 確かに大きな豚の背骨が汁に横たわっている。 長葱に、荏胡麻の葉、そして丸のまま皮を剥いたじゃが芋が浸かっていて、汁の色はとにかく赤い。 唐辛子や味噌で赤く染まった汁が、血の池地獄みたくぐつぐつと煮立っていて、熱そうで辛そうだ。 … 続きを読む

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四百三十五話 天神橋へ

嫁が言う。 「ねぇ、あんたってさぁ、大阪生まれの大阪育ちよねぇ」 「ってことは」 「何気に神戸っ子のふりしてるけど、がっつり浪速っ子なんだぁ」 「へっ、へっ、気の毒に」 「そんな生粋の浪速っ子の割には、大阪のことなんにも知らないよねぇ」 「なんでそんな残念なことになってんの?」 まぁ、浪速っ子が残念か否かは別の筋合いとして、確かに大阪で生まれたし育った。 卒業してからの勤先も堂島だったし、その後継いだ会社も店も梅田に在る。 学生時代の一〇年間を神戸に通っていたというだけだ。 しかし、大阪への馴染みが薄いという点では嫁の言う通りなのかもしれない。 何故か? 多分、大阪という土地は僕にとって、働く場所であって遊び場ではなかったのだろう。 北新地の BAR や CLUB を徘徊してはいても。 それは仕事の延長であって気のおけない遊びではなかった。 もうそんな昭和の仕事文化も失われ、今ではなんの説得力もありはしないが実際にはそうだった。 単なる職場としての大阪しか知らない。 そう想うとちょっと寂しい気もする。 これを機会に、大阪の街場で、飲んだり、食ったり、買ったりしてみるのも一興かもしれない。 さて、どこから始めるか? ちょうど梅の季節で、梅と言えば天満宮で、天満宮と言えば天神橋筋だろう。 そういう訳で、天神橋へ。

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