月別アーカイブ: August 2017

四百九十五話 暮らしに添って在る豆腐屋

歳をとると、しょうもないことで揉めることがある。 京都で、豆腐屋の店先を通りすがった際に友人が言う。 豆腐なんて喰い物が、なんの為にこの世に存在しているのか解らない。 色も、味も、食感もはっきりしない。 はっきりしないものを有難がって喰うやつの気が知れない。 明日にでもなくなったところで、どうということもない喰物のひとつである。 日本人の食文化を根こそぎにするかのような聞き捨てならない暴言だ。 中国で生まれ、東亜細亜を中心に広く食されている豆腐だが。 白くて柔らかい豆腐は、日本人による日本人のための食品としてある。 そして、豆腐は豆腐屋がつくる。 この豆腐屋、ひと昔前には町内ごとに一軒は営まれていた商いだった。 だから、豆腐はわざわざ遠くに足を運んで買い求めるものではない。 今でも、京の町屋から鉢を手に豆腐屋へと向かう姿を見かけたりもする。 その町に棲まうかぎり、いつもの豆腐屋のいつもの豆腐をずっと喰って暮らす。 日々のことであるから、暮らす者にとっては我町に在る豆腐屋の腕前は肝心である。 嘘か真か定かではないけれど。 豆腐好きで知られた泉鏡花は、豆腐屋の評判で居を移したこともあったらしい。 つくり手が、一丁一丁手売りするのがあたりまえで。 百貨店や量販店で売られている機械生産の豆腐は豆腐ではなく、味を似せた模造品の類だ。 一軒で日に三〇〇丁ほど売れば、家族の暮らしが立つという意外と採算性の良い豆腐屋稼業だが。 水に浸した大豆を臼でひき、煮て搾った豆乳に苦汁を入れて固めたものを包丁で四角に切る。 暑かろうと寒かろうと、夜に仕込み陽が昇る前からこの作業をこなさなければならない。 その繰り返しが生涯続くとなると、横着な者には到底務まらないだろう。 本来、豆腐屋とはそうした商いで、豆腐とはそうした喰物である。 先日、鳥取からの帰り途。 地元民の従姉妹が、 あんたの好きそうな店屋があるから送りがてら連れていってやるという。 辺り一面田圃に囲まれた集落で営む一軒の店屋。 豆腐屋だった。 「ここんちのお兄ちゃん、それはもうイケメンだから」 「えっ?そこなの? 俺、イケメンだろうがなんだろうが、お兄ちゃんに興味ねぇし!」 まぁ、たしかに、店主は若いし良い面なのだが、この豆腐屋それだけではない。 引戸を開けた右手すぐに構えられた工房。 道具のひとつひとつが、よく使い込まれ、よく手入れされてある。 夕暮れの薄陽に浮かぶその姿は、稼業への精進を映していて美しい。 もう食わなくてもわかる、此処の豆腐はちゃんとした旨い豆腐だ。 この集落で暮らすひとには。 旨い豆腐に日々ありつけるというささやかではあるけれど贅沢な幸運に恵まれている。 祖父から孫へと継がれた「 平尾豆富 」の味。 … 続きを読む

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四百九十四話 もうひとりの座頭市 

六本木歌舞伎の第二弾、座頭市。 寺島しのぶさんって尾上菊五郎さんのお嬢さんだけど、歌舞伎の舞台に女優? 盲目の座頭市を演じられるのは市川海老蔵さんだとすると、あの眼力は? 映画 SCOOP! の薬中オヤジ、リリー・フランキーさんが歌舞伎の脚本? その存在自体が R-15 指定、鬼才三池崇史監督が演出? これで、ほんとうに良いの? だけど、これほどの個性と才能を布陣させて挑んだ芝居となると是非観てみたい。 で、大阪公演の初日に観た。 歌舞伎にも通じていない、芝居にも通じていない。 そんな僕が観ても、とにかく面白い。 盲目の侠客座頭の市は、故勝新太郎さんが役者人生を賭けて演じ続けられた役柄だ。 以降、どなたが市を演じられても、どうしても大好きな勝さんの立居が浮かぶ。 そして、これが座頭市?という想いしかなかった。 逝かれてちょうど二〇年経ったこの舞台で、まったく異なる市の姿を観た。 坊主頭で、ひとの動きを超えた抜刀術で斬って舞う盲目の侠客。 見えるはずのものが見えず、見えないはずのものが見える。 朱の衣を羽織って洗練されてはいるけれど。 これは、もうひとりの座頭の市だ。 当代随一の歌舞伎役者って、こんなにも凄い者なのか。 芝居の最中、時々に演者が客を弄る。 幕間ですら、なにかと絡んできて飽きさせない。 歌舞伎役者とは、ひとを楽しませるあらゆる術を心得た玄人中の玄人だと想う。 あっという間の二時間半だった。 明日ご覧になられる方もおられるかもしれないから、詳しくは言わない。 ただ、寺島しのぶさん演じる薄霧太夫との濡場の一幕も必見ですよ。 三池崇史演出六本木歌舞伎、これは病みつきの芝居だ。 三池監督、煙草場では失礼いたしました。

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四百九十三話 Shabby Look!

UNDERCOVER 2017 Fall & Winter Collection に登場したロング・ベスト。 普段は、親交のあるデザイナー達の服しか着ないので、店屋で求めることは滅多にない。 だけど、UNDERCOVER のデザイナー高橋盾氏とはお会いしたことは多分ないと思う。 素直に欲しいから手に入れた。 もう随分こういう衝動から遠ざかって過ごしてきたような気がする。 稼業としての Fashion と、嗜好としての Fashion とは違う。 まったく違うと言ってしまえば偽りだが、好きだけを貫いて食っていけるほど甘い世界でもない。 刻々と流行が変わっても、ほんとうに好きなものはそうは変わらないんじゃないかと想っている。 流行と嗜好が、ぴったりと合致するなんてことはよほどの幸運だろう。 だから、どこかで自己の嗜好を殺して、流行に媚びながらやりくりしていく。 今更愚痴っても仕方がないが、Fashion屋というのも因果な商売だ。 では、そうは変わらない自分にとっての好きは何か? 一九八〇年代、贅沢な服への反定立から生まれたスタイルがあった。 「 Shabby Look 」 駆け出しの頃、倫敦 King’s Road 四三〇番地でその正体を初めて目にする。 Vivienne Westwood と Malcolm McLaren の服屋 Worlds End … 続きを読む

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