月別アーカイブ: November 2012

百五十二話 作家は BAR にいる

東海道新幹線が品川駅で停車するようになってから、この界隈はすっかりご無沙汰になっている。 数年ぶりに銀座 に宿を取った。 夜この街を往くと一軒の BAR とひとりの作家を思いだす。 銀座の夜を語る上で外せない “ BAR Lupin ” と直木賞作家の藤本義一先生。 先生は先月大きな功績を残され旅立たれたが、 “ Lupin ” はそのままに在る。 先生とは以前勤めていた会社の上席が知合いだった御縁でお目にかかった。 一九九九年に惜しまれながら幕を閉じた大阪の名門 BAR “ Marco Polo ” だったと記憶している。 稀代の洒落者で、文壇にあっては ⎡ 東の井上ひさし、西の藤本義一 ⎦と謳われ、その名は轟いていた。 時代を築いた作家がカウンターに向合っておられる。 当時、先生は五十歳のなかばを越えられる頃で、僕は三十歳手前だったと思う。 何者でもない馬鹿な若造相手に、品のある大阪弁で静かにいろんな話を語り聞かせて下さった。 その話の中に “ BAR Lupin ” は登場する。 ⎡ BAR … 続きを読む

Category :

百五十一話 ANSNAM の魅力

なんでこうやって次から次へと面倒を起こすんだよ? それでなくとも、俺はいま別の知恵の遅れた或糞馬鹿が起こした一件で始末に追われているんだから。 まぁ、こっちはあまりに次元が低過ぎて話もしたくないんだけどいづれ明らかにさせていただく。 そんな時にてめぇまで。 ほんとに。 ほんとに。 みんな死ねばいい。 この頃歳のせいか辛抱という二文字が身体から消えつつある。 それにしても ANSNAM の中野靖だ。 事の次第を俺の携帯にメールしましただとぉ? 俺は見ねぇよ、そんなもん。 俺にとって携帯電話は、言いたい時に言いたい事を言うためだけにある道具なんだから。 だから受信機能は付加されていない NTT 特別仕様なんだよ。 横着かましやがって、二度と送るんじゃねぇぞ。 そんな ANSNAM なんだけど。 先日、ある御客様が Musée du Dragon にやって来られた。 二度目のご来店なんだけど日本人なら皆が知る名家の生まれで洒落者だ。 二時間を過ぎ三時間近く何をお見せしても納得される様子が見受けられない。 そこで、 ANSNAM のロング・ジャケットが仕立上がっていたのを思い出した。 ミシンを使わず仕立職人が手縫いで仕上げた逸品だ。 もちろん別の顧客様用に仕立られた服なのでお売りする訳にいかないが。 ブランドをご紹介がてらお見せした。 ⎡ほぉ〜、今どき良い服ですねぇ⎦ 嫌な予感がした。 ⎡これ戴きます⎦ ⎡いや、これはご注文品でして販売させていただけないんですよ⎦ ⎡あっ、そうなの⎦ ⎡じゃあ、来期分のを注文させて⎦ … 続きを読む

Category :

百五十話 日本の彩

日本人には色について他民族にはない独特の感性が備わっている。 人間はおよそ七五〇万色の色彩識別能力をもつと言われる。 この点では民族によって大した能力差はないらしい。 それでも色彩認識に違いが生じるとしたら、 それは文化の相違によるところが大きいのではないかと思う。 飛鳥時代以降、徐々に独自の生活様式が構築されるに従って色への感性も磨かれていったのだろう。 古代の日本人は、さほど色に通じている訳ではなかった。 古代日本語における色名は、 ⎡白⎦ ⎡黒⎦ ⎡赤⎦ ⎡青⎦ の四種に限られ今でも ⎡い⎦ を付けて形容詞として使われる。 ⎡白い⎦ ⎡黒い⎦ ⎡赤い⎦ ⎡青い⎦ といった具合だ。 では、どうやって色への感性は磨かれたのか? ⎡日本の美⎦について語る時よく取上げられるのが ⎡陰翳礼賛⎦ であろう。 日本では建物の上にまず瓦を伏せて、その庇が生じさせる陰の中に全体の構造を取込む。 この様式は、伽藍であれ町家であれ百姓屋であれさほど変わりはない。 屋根という傘を広げて地面に一廊の日陰を落しその薄暗い ⎡陰翳⎦ の中に家造りをする。 ⎡美⎦というものは常に生活の実際から生まれて育つ。 日本人が特に薄闇での生活を好んだ訳ではなく気候風土から仕方なくそうなったのだろうが。 是非もなかった私達の先祖について谷崎潤一郎先生はこう結論づけられている。 いつしか ⎡陰翳⎦ の内に ⎡美⎦ を発見し、⎡美⎦ の目的に添うように ⎡陰翳⎦ を利用するに至った。 … 続きを読む

Category :

百四十九話 上等なおとな

原宿の駅を降りて竹下通りを少し下って右手の路地を入って行く。 路地とは言っても洗濯物が干してあるような風情ではなく、 ⎡ブラームスの小径⎦とかいう上品そうな呼名の路である。 辺りは原宿駅前とは思えない閑静な住宅街でその一角に一軒屋のようなカフェが在る。 ⎡ Blue Garden ⎦ 贅沢なテラスに緑が植栽された住処みたいな雰囲気の店である。 この五月に開店したというこの店屋は新しいんだけれど何故か懐かしい感じがする。 別に懐古的な内装が施されている訳でもないのに昭和が香っている。 開放的で静かで普通で居心地良いみたいな。 ⎡ Blue Garden ⎦ は Mickey Curtis さんが監修された。 ⎡ Mickey さん、煙草失礼しても良いですか?⎦ ⎡何?吸いたいだけ吸えよ⎦ ⎡此処は煙草だって葉巻だって犬連れだって何だって構いやしねぇ⎦ ⎡いちいち客にあれは駄目だこれは駄目だなんて注文つけねぇよ⎦ 僕は喫茶店の看板ぶら下げて禁煙という店屋に出逢うと思う事がある。 ⎡できるだけ早く跡形も無く潰れてくれ⎦ 今では何処へ行っても通り難い道理だが、此処では違う。 昭和の道理が正当なものとしてまかり通る。 Mickey さんの傍らには格好良い奥様がいらして、足元にはなにやら変った生き物が寝そべっている。 ⎡こいつ何者っすか?⎦ ⎡犬だよ⎦ ⎡いや、見りゃぁ大方の見当はつきますけど、変った犬ですね⎦ ⎡イタリアン・グレイハウンドって、ほら、エジプトの遺跡なんかに座ってる奴がいるだろうあれだよ⎦ ざっくりとした解説で、エジプトの遺跡も見た事ないんだけど。 この犬がそこらの愛玩犬とは別世界の住人だってことはおよそ想像できる。 そこへ日本屈指の Harmonica … 続きを読む

Category :

百四十八話 枯葉

今年の紅葉は綺麗だと聞く。 京都など名所といわれる処では交通規制も始まっているらしいが。 僕はこの色づいた葉っぱを見るとゾッとする。 海辺の家には姥桜や藤が居る。 どれも姥と呼ばれるほどに古く大きく沢山の葉を茂らせている。 ハラハラと舞うという生易しい風情ではなくドサッと落ちてくる。 放っておけば肥になるとかと屁理屈をこねていると酷い事になってしまう。 そこへ雨のひとつも降った日にはさらに無惨な姿になる。 稼業を終えた亭主と同様 “ 濡れ落葉 ” ほど始末に悪いものはない。 こいつの始末を一度でも経験すると、 “ 濡れ落葉 ” に喩えられるような身の上になってはいけないと自戒するに違いない。 湿気を含んでもの言わず褪せた色合いでベッタリとへばりついて容易には離れない。 まことにいただけない代物である。 これこそが世の既婚オバチャンが恐れてやまないある日突然訪れる天敵の正体であろう。 オバチャンは紅葉を愛でる時我身の隣にいる “ 濡れ落葉 ” を想像しないのだろうか? こうやって書いていると後から嫁が覗き込んでいた。 ⎡ハァ〜⎦ ⎡なに溜め息ついてんだよ?⎦ ⎡どうでも良いけど⎦ ⎡あんたはどうなんだっていう話よねぇ⎦ ⎡俺はこうはなんねぇよ⎦ ⎡信じろよ⎦ ⎡マジで気をつけてよね⎦ ⎡目と鼻の先なんだからぁ⎦ なんとなく切ない雰囲気になってきたんで話を変えよう。 僕はそうじゃないけど多くの人は紅葉や枯れ葉というとセンチメンタルな気分になるらしい。 一九四五年 “ Les … 続きを読む

Category :

百四十七話 しあわせのパン

ずいぶんと前の話になるが。 ⎡もしもし、“ しあわせのパン ” のことでお伺いしたいんですけど⎦ ⎡はぁ?うちは服屋ですよ⎦ ⎡どちらかとお間違いでは?⎦ 全然かみ合わないこんな電話がよくかかってきた。 大体が女性の方で話方は上品そうな方が多い。 よくよく話をお訊きするとどうやら“ しあわせのパン ” というのは映画の事らしい。 さらに話をお訊きすると劇中で着られている服が Musée du Dragon で扱われているらしい。 とこんな話ならよくあることで珍しくもないけど。 ただ女性ばかりというのは稀といえば稀である。 ちょっと気になったのでこの “ しあわせのパン ” という映画を検索してみた。 舞台は北海道洞爺湖のほとりにある小さな町 “ 月浦 ” そこでパンカフェ ⎡ マーニ ⎦ を営む夫婦と訪れる客達の人生を描く春夏秋冬の物語。 “ パン ” に “ カフェ … 続きを読む

Category :

百四十六話 秋刀魚の味

ようやく秋刀魚の季節になった。 と言う事でどっかで秋刀魚を喰うことにする。 秋刀魚というと炭火で塩焼きにしてすだち醤油で喰うというのが最上だと思うのだが。 それだと家で喰っても変りない。 せっかく東京で喰うんだからちょっと小洒落た嗜好で味わいたい。 伊料理にした。 恵比寿駅を東口で降りて明治通りに向かって歩く。 駅前の飲屋街が川にあたる手前できれた辺りの露地に目当ての伊料理店はある。 “ Il Boccalone ” 一九八九年に開店したらしいのでもう二十年以上経っていて老舗の域だろう。 この地には日本麦酒醸造株式会社のえびす麦酒出荷駅として停車所があった。 明治三十四年以来その麦酒に由来してこの地を恵比寿とした。 一九八九年と言えば “えびす” 麦酒工場が閉鎖となった翌年にあたる。 想えば再開発によって “ Yebisu Garden Place ” と名を変え何もかもが洒落て高級となったこの街も、 かつては商店街に連なる薄暗い露地に安い定食屋や飲屋が点在する下町だった。 “ Il Boccalone ” はそんな恵比寿の “ 日の名残り ” を感じさせる飯屋である。 薄闇に浮かぶ鰻の寝床みたいな店は入口付近に客は無く奥に進むにつれて賑わっていく。 入口が賑やかで奥は静かという日本の食堂と伊のそれは有り様が異なる。 内装や品書きや給仕のやり方までの細かな商習慣を現地に倣っている。 細かくは伊中部トスカーナ州の流儀にと言うべきかも知れない。 Suppli・Capunata・Frittata … 続きを読む

Category :