月別アーカイブ: January 2015

三百五十四話 桜吹雪が舞わない!

先日三百五十話にてご紹介いたしました Boy Scouts Shirts に続く第二弾です。 第一弾は、Boy Scouts Shirts から、Mountain Parka へと別アイテムに化けましたが。 さすがに今回は、T-Shirts なので、アイテム的には同じ T-Shirts のままです。 昨年も、同手法の製品を販売したところ思いの外ご好評を戴きました。 なので、柳の下の泥鰌と承知しつつ再び狙います。 この T-Shirts は、まんまヴィンテージ同士を組合せているのではありません。 ボディ部分は、新たに作られたものです。 前身頃の下半分をパネル状にくり抜いて、そこにヴィンテージ T-Shirts を嵌め込んでいます。 だから、LOVE SKULL 2003 というグラフィックは固定されていて、どの製品にも共通なのです。 まわりくどい話ですが、この点がこの T-Shirts の面白いところです。 一方が固定されたグラフィックに、 個々に異なるヴィンテージ T-Shirts のグラフィックを継なぎ合わせる。 もちろんある程度は計算しているのだけれど、全てが都合よくマッチングする訳ではない。 その必然性を欠いた意外な効果が魅力的だったりする。 そもそもこんな絵面だったかのように相性良く収まっているものもあれば。 どこかちぐはぐな感じのものもある。 そこがまた馬鹿馬鹿しくて楽しめる。 … 続きを読む

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三百五十三話 難解な Beach Bag

糞寒い最中に恐縮ですが。 Beach Bag です。 というか、Beach Bag みたいな Tote Bag です。 これは、Retro なのか? それとも、Future なのか? 坂を下った海辺に、こんな女性の姿が見られた時代。 手にしていたのは、塩化ビニールで創られた透明なバックだった。 当時、最新の素材で、流行のビーチ・ファッション・アイテムだったんだろう。 そんなアイテムを、二◯一五年春夏コレクションに取込んだブランドがある。 井野将之君がデザインする “ doublet ” だ。 たしか今期のテーマは「 陸サーファー 」だとか言ってたような気がする。 陸サーファーって? うわっつらだけのサーファーを揶揄する言葉で、僕らが学生の頃に生まれた。 まだ、井野君とか産まれてなかったんじゃないかなぁ。 海辺での Beach Bag と 都会での Leather Bag という相反するバックを合体させることで、 うわっつら感を表現しているらしい。 しかし、このバックには、その見掛けからは想像もつかない面倒な手法が用いられている。 剥いだ山羊革の端部分をそのままの形状で使用していて、人為的な裁断は施されていない。 なので、革部分の形状はひとつひとつ異なる。 … 続きを読む

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三百五十二話 夢の肉宴!

馴染みの肉屋で。 「すいません、T-bone ありますか?」 「ねぇなぁ」 「 なんでだよ?」 「仕入れても、切る道具がなけりゃ捌けねぇんだよ」 「 道具ぐらい買えよ!てめぇんとこは、親の代からの肉屋だろうがよ!」 「そんなもん買っても、喰う奴がいなけりゃ邪魔になるだけだろ」 「ここにいるだろうがぁ」 「ひとりじゃはなしになんねぇなぁ」 「ったく!使えねぇ肉屋だよ!」 馴染みの肉屋だけじゃなくて、どこの肉屋でも手に入らない。 無いとなったら、余計に喰いたい。 いや、喰うだけなら、どっかステーキ・ハウスで注文すれば済むのだが。 正確には、自分好みの肉を自分好みに焼いて喰いたいのである。 肉の嗜好は、異性との相性に似ていると思っている。 好みというものがあって、美人でさえあれば良いかというとそうではない。 性格が良ければそれで満たされるかというとそうもいかない。 要は、世間や他人の評価とは異なる次元で好きか嫌いかに分かれるのである。 結果、なんでこんな良い女にこんな駄目男がというあってはならない組合せも出現する。 僕は、意外と外人が好みで Toscana 産などであればもういうことがない。 女じゃなくて牛のはなしなんだけど。 値の張る A五松阪牛とか、流行りの黒毛和牛とかは、肉汁が甘すぎていけない。 あの独特のとろけるような柔らかさも、好みからは遠い。 肉を頬張るという感覚が欠落していて、流動食のような物足りなさが残る。 やはり、肉の雄々しい歯応えを追い求めると T-bone Steak に行き着くのだと思う。 もちろん T-bone の素晴らしさは、歯応えだけではない。 T 字形の骨は、左右に分かれた二種類の異なった部位の分水嶺となっている。 柔らかく木目細かい肉質の Sirloin … 続きを読む

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三百五十一話 あの日の神戸

二〇年前。 一九九五年一月一七日午前五時四六分五二秒 兵庫県南部地震は発生した。 震源は、この海辺の家から目と鼻の先の沖合だった。 家屋は半壊だったが、義理の両親は無事でいてくれた。 半壊指定を受けたことで、 義援金だか補助金だったか名目は忘れたが、いくばくかの金銭が支給されるという。 当時の世帯主だった義父は、その受取を拒んだ。 なにも金銭を受取らなかったことが偉いというわけではない。 そんなひとは多くいたんだろうと思う。 「役目を終えた人間が残って、そのうえ施しを受けるわけにはいかない」 そう伝えろと義母に言ったらしい。 その日の夕刻、退官して灘区に暮らす大学時代の恩師と電話が通じた。 「先生、ご無事でしたか?」 「あぁ、家族も無事だし家も無事だよ、ただ面目無くて外にも出れんよ」 灘区も酷い有様だった。 素直に自らの無事を喜べない光景が、神戸という街のあちこちに広がっていた。 なんであのひとが逝って、俺が残ったのか? いくらでも理屈をつけて、納得しようと思えば納得できなくもない。 断層がどうだったとか、火災の風向きがどうだったとか、そんな類の理屈である。 だけど、どんなにしたって説明のつかない理不尽さが残る。 そして、その理不尽さは、奇妙な罪悪感をともなって心に少しづつ積もっていく。 夜が明けて、食料と水を届けに西へと向った。 鉄道は西宮までで、そこから先はどこへ行くにも徒歩でゆくしかない。 あの日、日本中の誰もが目にしただろう映像の中を歩く。 阪神高速の横倒しになった橋脚の脇を通り過ぎてから。 いろんなものを見て、いろんな匂いを嗅いで、いろんな声を聞いて、いろんなことを感じたけれど。 それらを家族にも誰にも語って聞かせたことはない。 東京に暮らす知人達からも、安否や神戸の様子を尋ねられもしたが。 「まぁ、テレビで見たまんまだよ、俺たちよりそっちの方がよく知ってんじゃねぇの?」 「正直なとこ、なんもわかんねぇよ」 なんでこんな立派な方や、なんでこんな良い奴が、こんな目に遭わなきゃならないのか? いくら考えたってわかりゃしないし、考えたくもない。 逃げだしたい気分で、実際逃げだしたようなもんなんだけど。 あの日以来、神戸は自分にとって少し遠い街になったような気がする。 二◯一五年一月一七日午前五時四六分五二秒 東遊園地では、今年も慰霊祭が催される。 毎年続けられてきたのだが、足を向けたことは一度もない。 この慰霊祭は、ほんとうに愛するひとを失った方々が集うにふさわしい場であって。 家族も失わず、家が傾いた程度でしかない人間が手を合わせるのは場違いだ。 … 続きを読む

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三百五十話 Boy Scouts Shirts がこんなことに? 

知らなかったけど、嫁は Girl Scouts だったらしい。 「マジでぇ? 協調性の欠片もないのに?」 「あのねぇ言っとくけど、五歳からで Brownie にも所属してたんだからね」 「Brownie って、あの英国の座敷童子みたいな奴?」 「まぁ名称の由来はそうだけど、Girl Scouts の子供版みたいなもんよ」 説明がざっくりしていて、今ひとつよく解らないが。 どうやら、昔は誰とでも仲良くできる良い子だったと自慢したいらしい。 暇だったので、ちょっと調べてみた。 一九一二年に米国で創設された Girl Scouts は、英国の Girl Guides を母体としているらしい。 こちらは一九〇八年に発足した Boy Scouts に習って、その四年後創設者の妹が始めた団体だという。 いづれの組織も少年少女訓育を目的としている。 活動の基本原則は「約束」と「掟」なのだそうだ。 人種・国籍・宗教の差別なく幸福で社会に貢献する人間の育成を目指していると定められている。 これを読んで、筋金入りの Girl Scouts だと言い張る嫁を見て思った。 “ だけど今では PUNKER じゃん ” … 続きを読む

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三百四十九話 無駄が無駄を呼ぶ

かつて、よく上席や先輩から言われたことがある。 「無駄なことをするな!開発は、最短距離を行け!」 合理性を追求する企業では、至極当たり前のことで間違ってはいない。 間違ってはいないのだが、どうしてもこの考えにだけは馴染めなかった。 今でも、馴染めないでいる。 逆に、重ねた無駄の量と完成度は比例するのだと信じているくらいである。 昨年の暮れに、Musee du Dragon の革編み鞄を気に入られた顧客様がおられた。 昔から御贔屓にして戴いている方で、たいそう大柄でいらっしゃる。 「う〜ん、どうしようかなぁ」 迷われるのも無理はない。 なんせうちに置いてあるものの中で一番値も張る。 「いや値段はしょうがないから良いんだけど、ちょっと肩に掛けた時きゅうくつなんだよねぇ」 「じゃぁ、ハンドル長くしてお創りさせて戴きましょうか?」 「えっ? そんな事やってくれるの?」 「なんだってやりますよ、仕事ですから」 「じゃぁ、お願いします」 となったものの、問題は果たして長くしただけで済むかどうかである。 後藤惠一郎さんに相談する。 返答は、そりゃぁ、やってみなければわかりませんねぇ。 “ やってみなければわからない ” 僕は、プロ中のプロが口にするこの言葉が好きだ。 “ やらなくてもわかる ” 頼り甲斐のある言葉に聞こえるが、実際ほんとうにそうなのかと疑いたくなる。 どんなに熟練していても、宙で考えた事と現物とでは隔たりがあるものだろう。 ものを創るという仕事は、甘くはない。 些細な匙加減を誤っただけで、全てが台無しになるなんてことは日常的にある。 そういった過ちをせずに済む術は、ただひとつ。 実際に創ってみることでしかない。 当然、無駄に終わることの方が多いが、それでも創る。 もの創りの怖さを知っている人間ほどそうするように思う。 年が明けて後藤さんから初荷で届いたのが、 これ。 … 続きを読む

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三百四十八話 塀 

この街には、海にまつわる稼業に就ているひとが多く暮らしている。 ご近所を見渡しても。 海運会社の経営者や外国航路の船長だったり、元そうだったという方々が多いように思う。 義父もそのひとりだった。 坂を下って、駅を過ぎ、国道を渡ると。 網元や漁師達が、職場である海と向き合って暮らしている。 此処の漁場が恵まれているのは、漁港に居並ぶ船を眺めれば分かる。 錆びついたような船はなく、どの船もピカピカに磨かれていて。 羽振りの良さが窺える。 都会から数駅西に向かっただけで、ひとの暮らしぶりは大きく変わっていく。 船乗りにしても、漁師にしても、海を糧に生きてきたひとは、なんとなく大らかである。 なにかにつけ外向きで、内に籠らない。 この街で産まれて暮らしてきた嫁は気付かなかったらしいが。 「なぁ、ここらの家の塀って妙に低くない?」 「そうかなぁ、でも明るくって良いじゃん」 「いや、そういう問題じゃなくて、道から隣の婆さん飯喰ってんのが見えるんだけど」 「ふ〜ん、で、なんか美味そうなもの喰ってたぁ?」 「いや、そういう話でもないし、そこまで見る気もないんだけど」 「結構でかい館なんだから、もうちょっと高い囲いにすりゃぁ良いと思うんだけどなぁ」 「なんで?見えてた方が用心も良いじゃん」 この塀の有り様は、自宅が在る北摂とでは明らかに異っている。 勝ち誇ったように立派で高い塀を巡らせている御宅が建ち並ぶ。 まるで家主の成功を物語るみたいに構えられていて、一片の暮らしぶりも外からは知れない。 家屋を塀で囲むといった構造は、武家の発想であり、外からの侵入に備えるとともに、 権威の象徴でもあったと聞く。 だとすると、低く構えられた塀はどうなんだろう? 権威にも頓着しないし、外部からの侵入や視線にも鷹揚な家主が居るということなのかもしれない。 それを大らかと言って良いのかどうかはわからないけれど。 この港街を好んで棲み着いた義父は、典型的な駿河人だった。 私事では何事にも大雑把で細かい事にこだわらない、金銭にも頓着しない、なにより人が良かった。 元々あたまが良く、就いた職も良かったお陰で出世は果たしたが。 絶対に商売人には向かないひとで、周りからもそれだけはやってはならないと言われていた。 他人に奢るのが好きで、自らも大酒を喰らい、 元町では飽き足らず、家に連れ帰ってはまた飲むというのが常だった。 ある年の正月、そんな義父が、唐突に言った言葉がある。 「君、此処に住めよ」 それが、義父と交わした最後のまともな会話だったような気がする。 その時は、家族皆んながそんな馬鹿な事をと思ったものだが。 十三年経った同じ正月にこうして漁港を眺めていると。 義父が惜しいと思って、譲りたいと思ったものが、何であったのかがわかるような気がする。

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三百四十七話 明けましておめでとうございます。

皆様、新年おめでとうございます。 本年も Musee du  Dragon 並びにこの馬鹿 blog をよろしくお願い申し上げます。 さて、明けて早々どうでも良いはなしで恐縮なのですが。 今月、僕も五五歳になります。 たいした病にも罹らず、路頭に迷うこともなく、ひとつの稼業でぺろっと生きてきました。 ですが、これから先もずっと同じようにやっていくというわけにもいかない歳です。 ちょうど二十年前、父親に代わって家業に就き、始めたのがこの Musee du Dragon だった。 その際、自分の中で幾つか決めていたことがある。 そのひとつとして、五五歳を目処として営んでいこうと思っていた。 五五という年齢に、なにか特別な根拠があったわけではないけれど。 稼業の性質、生産場の事情、職人の年齢、市場の環境などを考えるとそうなるだろうと思っていた。 そして、現実はどうだったかと言うと。 想像していたより少し動きが早かったように思う。 特に、ここ二年間ほどはそうだったような気がする。 納得のいく仕事の水準を担保するのに、それまでの倍以上の労力と負荷が架かってしまう。 才と能が足りないと言われてしまえば、その通りなのだが。 正直、ちょっときつかった。 な〜んて。 正月からおっさんが愚痴っているのも、みっともない体裁なのでこれからについてを話させて戴く。 とにかく、今国内で叶う最高の技術を用いたものを、Musee du Dragon として創り扱っていく。 そうしていくと。 なにが出来てなにが出来ないのか?どうすれば出来るようになるのか?が、分かってくると思う。 その見極めを年内のいづれかの時点で終えたい。 そして、それをもって Musee du Dragon … 続きを読む

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