月別アーカイブ: February 2016

四百三十四話 景気

景気が思うように上向かないらしい。 株価は低迷し、国内総生産値は伸び悩んでいる。 困ったことなのだそうだ。 誰だって貧乏は嫌なのだから、困るのは当然だろう。 ちょっと聞いた話だが。 文明が一定水準以上に発達し成熟すると、国内総生産量はおのずと減少傾向に転ずるのだという。 喩えば、Smartphone だ。 この小箱を単なる電話だと認識している者は、もはやいないだろう。 中には、恐ろしく多機能な装置が収められていて。 Still Camera や Video Camera には、撮影だけでなく加工・編集・再生機能まで付加されている。 音楽だって、再生して聴くことはもちろん演奏だって可能だ。 テレビも映画もゲームも、見放題やり放題。 細かいところでは、時計、電卓、地図、辞書、計測器など。 ありとあらゆると言っていいほどの多岐に及ぶ。 ここで、一九九〇年代半ばを思い起こしてみよう。 アナログからデジタルへ、そういった頃じゃなかったかと思う。 わずか二〇年前に過ぎない。 当時、この多機能電話と同じだけの満足度を得ようとすると。 電話に、テレビに、カメラにといった具合に買い揃えていかねばならない。 程度の悪い中古品で一部我慢したとしても、一〇〇万円は越えただろう。 それからすると、Smartphone の値段なんてタダ同然だといえる。 少なく見積もっても、差額は一〇〇万円以上にはなる。 あぁ、良かったねぇ。 良い時代になったもんだ。 って、ほんとにそうなの? これって、ひとりあたり一〇〇万円以上の国内総生産量を押し下げていることになるんじゃないの? ひとりあたりなんだから、この額に Smartphone の利用者数を掛けることになるよねぇ? で、いったい総額いくらの国内総生産量が消失したことになるのか? そういった話なんだけど。 コストが下がり満足度が上がったと喜ぶ一方で、国内総生産量が下がったと嘆く。 茶番もいいとこだと想う。 もはや、そもそも論として、国内総生産量なんて統計値にいったいなんの意味があるのだろうか? … 続きを読む

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四百三十三話 経営者?

前回、気楽だとか言っていたんだけど。 想定外の忙しさに見舞われてしまった。 もちろん鼻から分かっていて、考えるのが嫌だっただけだ。 決算、確定申告、棚卸し、店舗撤去、経理処理など。 一気に責め立てられては堪らない。 事務所の机には、書類が山積みになっている。 一応経営者なんだから、ちゃんとやってくださいよ! えっ? 俺ってそうなの? じゃあ、こういうの全部まとめてやってくれる奴に頼めば? それって、どなたですか? 知らねぇよ! だったら、ご自分でやるしかないですね。 海辺の家では、枝垂れ梅が咲き冬空に雪が舞っている。 この調子じゃ、先々のことを考えるのは桜の蕾が膨らむ頃かもしれない。 くだらない blog なんか書いてる暇があるんなら、こっちの書類早く決済してくださいよ! 糞ぉ〜、もう二度と親に頼まれても経営者なんかやんねぇからな!

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四百三十二話 そして、神戸

そして、ひとつが終わり。 そして、ひとつが生まれ。 夢の続き見せてくれる相手探すのよ。 ってかぁ? 一九七二年暮、神戸中のおっさんが口遊んでいたのを憶えている。 千家和也先生作詞の「そして、神戸」 当時は、馬鹿じゃねぇの?と軽蔑していたけど。 妙な具合で、つい口を衝いて出たのがこの歌だった。 う〜ん、プータロウの気分ってなものはこんなものか? まぁ、正確に言えばそうではないのだけれど、気分としてはそんな気分でいる。 この日も、学生時代の先輩が経営している大手会計事務所で用事を済ませて。 いつもなら、蜻蛉返りで店に帰るところだがその必要もない。 久しぶりというか、何十年か振りに北野町を歩いてみる。 会計事務所の在る三宮から北野町まで、一五分ほど坂道を歩いて登る。 路行きに覚えはあるのだが、風景は震災の前と後では大きく変わっていて。 懐かしさを憶えるというには至らない。 山本通りの南辺りで、昔馴染んだ場所に出逢う。 Kobe Muslim Mosque この地に日本で最初のモスクが建てられたのは一九三五年のことである。 この界隈には、今でも印度人が多く住っている。 真珠に、繊維に、不動産を手広く商っている連中で、商いは結構上手なのだときく。 確か、この通りのどこかにこじんまりとした印度料理屋があったけど。 四〇年近く前の話で、学生時代嫁とよく通った店屋だった。 日本人家族で営まれていた飯屋だったが、客のほとんどが近所の印度人で占められていた。 口うるさい印度人が大人しく食っていたんだから、味はそれなりに本格的だったのかもしれない。 在った! Restaurant DELHI 定休日で閉まっていたけど、あるにはあった! こんな店屋がと言っては失礼だが、よくこうして残っていてくれたもんだ。 消え去った風景を彷徨った挙句、ようやく記憶の欠片を拾ったような不思議な気分になる。 嫁が、時間ができたらやってみたいことがあるという。 ちょっと洒落た格好をして異人館辺りの飯屋や BAR を巡りたい。 「ねぇ、来週でも DELHI に行かない?」 … 続きを読む

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四百三十一話 なんとかしないと

最期のお届けに。 そう言って、顧客様が採れたての野菜を山のように届けてくださった。 白菜 ブロッコリー セロリ 人参 葱 蓮根 菊菜 キャベツ など。 どれもこれも特別に丹念に育てられた希少な野菜で。 スーパーやデパ地下で売られている粗略な代物とはわけが違う。 喩えば。 この葱は、原種の葱で “ 難波葱 ” という。 今では痕跡の欠片もありはしないが、その昔難波一帯は葱の一大産地だったらしい。 その難波葱が、京では九条葱となり、江戸では千住葱となる。 蕎麦屋で供される “ 鴨なんば ” の “ なんば ” は、難波ということなのだそうだ。 大阪に暮らして半世紀を超えるというのに、小耳に挟んだことすらない。 ものを知らないというのは怖い。 人参は人参で奇妙なかたちをしている。 先が二股に分かれていて、ひとの形に似ている。 形がひとに似た高麗人参が高値で取引されると聞いたことがあるが。 こういうことなのかも知れない。 大阪の南、岸和田で産まれた品種で彩誉というのだそうだ。 生で食べてみた。 人参特有の臭みはなく、とにかく甘い。 熱を通せばさらに甘いらしい。 … 続きを読む

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四百三十話 節分に

難解なものを贈っていただいた。 銘もない、箱書きもない。 だけど、誰の作陶によるものなのかは一目でわかった。 濱中史朗氏 萩の銘窯 “ 大屋窯 ” を継いだ陶芸家であり、roar 濱中三朗君の弟さんでもある。 訊くところによると。 国内に留まることなく、Milano・Paris・New York など海外へとその評価は高まっているらしい。 一〇年ほど前に巴里でお逢いしたあの繊細そうで無口な若い陶芸家が、今ではそうなのだと知る。 布で巻いて納められた酒器には、兄貴である濱中君の手紙が添えられていて。 “落着かれたら、これで酒でも一献 ” 暮しのなかで用いられる酒器なのだから、端的に “ 用の美 ” と評してしまえばそれまでなのだが。 この酒器は、もっと無形無類の美しさを宿しているような気がする。 石から成る磁器、土から成る陶器、鉄から成る鋳物。 そういった境目を超えて、石のようでも土のようでも鉄のようでもある。 濱中君は、Musée du Dragon に因んで “ 龍の背 ” のようなと説いてくれたけれど。 静謐にして精緻な個性が間違いなくここにある。 一方で、この酒器を萩焼として定めることに躊躇される識者は多いのではないかと思う。 窯元の所在や陶土の出自や陶法の掟など。 萩の七化けも、文禄慶長より育んできた窯元の大事だということも承知している。 だけど、ほんとうに継ぐべき大事とはなにか? ここに同じく、銘もない、箱書きもない茶器がある。 … 続きを読む

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