月別アーカイブ: October 2016

四百六十七話 隔絶された商い 其の二  

四百六十六話からの続きです。 並んで待った挙句に注文したのは。 自家製ピクルスを添えた猪肉のハンバーガー NZ産ゴーダ・チーズと地元野菜のバーガーサンド トマト・ソースとチーズのピッツァ 食い物はその三品で、飲み物は以下の三品を。 Pale Saison 英産麦芽/山口県産蜂蜜/米産ホップ/野生酵母 Chamomile Saison 独産麦芽/クロアチア産無農薬カモミール/チェコ産ホップ/野生酵母 鳥取県産完全放牧牛乳 品書をそのままに写すとこんな具合だ。 で、味はどうか?と訊かれると。 これが、なかなかお伝えするのが難しい。 これだけの人を並ばせるのだから、此処ならではの個性の強い味を想像していたのだが。 拍子抜けするほどに、主張のない控えめな印象を受ける。 猪肉のハンバーガーなどは、言われなければそれが猪肉だと気づかないだろう。 都会の仏料理屋が、Gibier などと気取って供する皿から漂うあの野獣臭さも全くない。 こんな山奥にわざわざ足を運ばせるには、ちょっと物足りない味にも思えたのだが。 食べ進み飲み進むと、その評価は変わっていく。 どれもいままで食べてきたものとなにかが確かに違う。 野獣臭くない猪肉、独特の酸味が残る野菜、干草が香る牛乳、軽い食感のパン生地など。 なんと言ったら良いのか、少しづつ泌みるような旨さが伝わってきて。 いくらでも食べられそうな気がする。 高級料理屋の磨かれた旨さではなく、田舎家の卓にあったような素朴な旨さだ。 だけど、それは、つまらなくはなくて、とても居心地の良い大切な味のように想う。 意外なことがあって。 僕は、食物においてふたつだけ嫌いで滅多に口にしないものがある。 ひとつはビールなどの発泡酒で、もうひとつが漬物だ。 なのに、自家製ピクルスを食いクラフト・ビールを飲んで、これは旨いと感じた。 何故かは分からないが、Talmary は好き嫌いを超えた地物本来の魅力を備えているのかもしれない。 廃園となった保育園を地元住人と改築した店舗。 食材から燃料までの大半を地域内で手当てしつくられた品。 過疎地域への移住者を受入れ雇用した人。 「ヒト」「モノ」「場」が、 これほどに佇まい良く構築された店屋を他に知らない。 それでいて、何気ない雰囲気を装って在る。 Talmary … 続きを読む

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四百六十六話 隔絶された商い 其の一 

鳥取の山奥に連れられて。 考えさせられる光景を見た。 鳥取県八頭郡智頭町 過疎地と呼ぶのもなんだけど、やっぱり過疎地なんだろう。 あなた、明日からここでなんかやって稼いでちょうだいね。 はい、分かりました。 と、応じる商売人はまずいないだろう。 生活費の面倒みるから暮らしてちょうだいねでも、腰が引ける。 閉ざされて在る山の奥だ。 だが、ここでなければというひとがいるらしい。 稼業はパン職人で、ビールも創っている。 廃園となった保育園を店屋としていて、そこで食って飲むこともできる。 TALMARY 一〇時開店で、訪れたのは十一時前。 駐車場は満杯で、扉の前にはひとが並んでいる。 店屋のおんなの子に。 「これって、パンを買うひとの列なんだよねぇ?」 「はい、そうです」 「じゃぁ、ここで食べるんだったら並ばなくてもいいよね」 そんな都合の良いはなしあるわけねぇだろう!このおっさん初めてかぁ?馬鹿じゃねぇの! そう思ってるんだろうけど口には出さず、可愛い笑顔で。 「それはそうなんですけど」 「こちらで召上るのでしたら、廊下で待たれている方から順に案内させていただいております。」 「えっ!マジでぇ!」 入口から見えない奥の廊下にひとが同じように並んでいる。 ここんちのパンには、中毒にでもさせるなんか特別の添加物でも混入されているのか? そして、ふざけるな!パン如きに並べるか!という意固地なおっさん的論理はここでは通用しない。 なぜなら、見渡す限り自販機ひとつない山奥で、嫌なら空腹と乾きを堪えて山を下りるほかない。 だから、こうして並んでいるひとには通じるものがあって。 Talmary のパンやビールにありつくというただひとつの目的だけに来て並んでいるのだろう。 それほどのパン好きやビール好きなのか? そもそも味なのか? それともこの店屋が掲げる理念への共感なのか? 或いは過疎地再生への慈善的意識なのか? いまひとつ納得がいかないし、不可思議だ。 まぁ、こういった店屋をまったく知らないわけではない。 ただ、ここまで購買行動の原理を頭抜けて無視した店屋というのは珍しい。 そういった意味に於いては。 自身の Musée … 続きを読む

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四百六十五話 贅沢な菓子

叔母が、菓子を手土産に海辺の家にやって来た。 この季節しか手に入らない菓子らしい。 Makronen Mandelkuchen  独語では、アーモンドを Mandel 菓子を Kuchen と呼ぶのだという。 そして、Makronen とはマジパンのことみたいで。 だから、この菓子はアーモンドの焼菓子ということになる。 アーモンドは、梅や杏と同じ薔薇科で花姿もよく似ている。 ただ果肉となるとそこは違っていて、アーモンドの果肉は薄く食されることはあまりない。 仁とも呼ばれる種の部分を食べる。 噛むとわずかな苦味と杏仁に似た香りが口に広がる。 そのアーモンド独特の風味が、存分に味わえるのがこの Makronen Mandelkuchen なる独逸菓子だ。 それも、そこらのバーで酒のつまみに盛られる安物のアーモンドではない。 伊シシリー産最高峰のアーモンドをさらに厳選して使っている。 アーモンド・バターをたっぷりと含んだスポンジ生地。 菓子上部には、これまたアーモンドが豊かに香る自家製マジパンが格子状に絞られ。 ところどころに、フランボワーズとアプリコットのジャムが格子の溝にあしらわれてある。 これは、衝撃的に旨い。 Mandelkuchen は独逸語なので独逸菓子だと思ったが、正確にはスイスの伝統菓子のようで。 スイスで製菓技術を学んだ職人が、その味をどうしても忘れられずこの菓子を創ったのだと聞く。 以後、毎年この季節になると常連相手に案内するのだそうだ。 素人の推量に過ぎないが。 多分この菓子を幾らで売ったところでいくらも儲けはないんじゃないかと思う。 最高の製菓食材を使い、ジャムからマジパンまでのすべてを工房で仕上げる。 途方もない手間と原価を要してでも、顧客に届けたいという一念がなければ到底出来ない。 そして菓子職人としてのその矜持が、八〇歳の中を過ぎて足元も覚束ない叔母を店へと向かわせる。 モノと銭金のやりとりだけが商いではない。 正念を入れて創って売るひとがいて、それに応えて買うひとがいる。 なんの皮算用も介さない単純な構図だが、これほど難しいことはない。 だけど、ほんとうの贅沢といったものはそんな構図からしか産まれないのではないかと想う。 贅沢このうえない Makronen … 続きを読む

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