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月別アーカイブ: October 2011
四十九話 ふたつの世界
⎡良いギンガム・チェックの生地が出来てるんですけど。⎦ —けど、何なんだ。 今、公私ともに忙しい。 この男の妖しげな誘いに乗ってはいけない。 なのに、来てしまった。 昼過ぎ、先週に続いて芝浦ウォーター・フロントのビルに。 ⎡どうもで~す。⎦またまた、ANSNAM の中野靖君だ。 生地の切れ端をヒラヒラさせながら登場する。 ⎡どうです?⎦ ⎡どうですって? ギンガム・チェックの話じゃないの?⎦ ⎡だから、これがギンガム・チェック生地だって言ってんですよ。⎦ あんたが、いきなりイラッとしてどうすんだよ。 早めに話を整理しておこう。 ギンガム・チェックとは。 経糸と緯糸との構成が全く同じで、細かな格子柄を特徴とする織物である。 そもそもにおいて、目の前にある生地はストライプだ。 縞であり、ギンガム以前にチェックですらない。 そのストライプ生地に、流水文様みたいな柄がハンド・プリントされている。 少し離れて、裏面の柄を透かすように見てみる。 まさか、下地のストライプと緯方向に施された流水文様が重なってチェックになる? ⎡そこが一番の狙いですね。解りましたぁ?⎦ ⎡解る訳ねぇだろうが。暗号みたいな生地を創るんじゃない。⎦ ⎡ところで、一番というからには、二番もあるの? もう、訊きたくもないけど。⎦ 薄い生地の表面が妙にボコボコしている。 強度の縮絨加工を施したらしい。 それにしても、作り手と同じく、不思議な風合いと面をした生地だ。 嫌な予感がして、生地値を訊いた。 ⎡高けぇ~。で、これから何創るの?⎦ ⎡何創りましょうか?⎦ ⎡えっ、話そこから。⎦ 結局、何かが決まった頃には日が暮れていた。 ⎡悪いけど、俺、これからショーに行かなきゃなんないから帰るわ。⎦ 今日は、“ ファッション・ウィーク東京 ”の最終日。 Mastermind JAPAN … 続きを読む
Category : 衣
四十八話 「 ROAR 」厄明けの十周年。
この国には、いにしえより民族に深く根付いた風習がある。 “ 厄年 ” ある年齢になる度に、災いに見舞われるという。 意味は簡単明瞭だが、見舞われる方は堪ったものではない。 “ 厄祓い ”という頼りない処方箋はあるが、僕には効かなかった。 もっとも処方する方からすると、お陰でその程度で済んだのだと言う。 だが、この上はないというくらい、心身共にボロボロにして戴いた。 誰に言っても、⎡立派な厄だね。⎦と納得して貰えると思う。 ROARのデザイナー、濱中三郎氏に会った。 ⎡ROAR設立十周年、おめでとう。⎦ ⎡ところで、濱中君、厄年じゃないの?⎦ ⎡後厄です。⎦ ⎡ふ~ん、何かあったぁ?⎦ ⎡何かあったかって、知ってるじゃないですか。⎦ あぁ、あの事件ね。 思い当たったが、ここでは書けない。 まぁ、僕の時と同じ、⎡立派な厄だね。⎦と納得する類だ。 ただ僕は、そっちの方だけは円満だけどね。 それにしても、十年かぁ。 最初に会った小汚いビルの事務所、狭い床に転がっていた酒瓶を想い出す。 事務所には似合わない、きらびやかなクリスタルに飾られたコレクション。 ここまで装飾的な Men’s Wear は、かつて憶えがなかった。 ⎡ロアーの濱中です。⎦ 愛想も小想もない無口な兄ちゃんだった。 今では、人懐っこく、義理堅く、繊細で、そつの無い人物だと理解している。 コレクションを観た瞬間思った。 ⎡この兄ちゃん、数年経ったら一財産築くな。⎦ 一財産と思うかどうかは、人それぞれだろうが。 少なくとも、華やかな装飾に見合う、いや其れ以上の事務所と直営店を構えるに至った。 この時代に、見上げた手腕だと尊敬している。 さて、厄明けの十周年。 懇意のデザイナー達とコラボレーションするらしい。 素晴らしく、見応えのあるコレクションとなっている。 … 続きを読む
Category : 衣
四十七話 取扱い説明書
ANSNAM 2012 Spring & Summer Collection. 芝浦の運河沿いのビル。 エレベーターで五階に昇り、部屋番号を確かめて入る。 大きな窓から、ウォーター・フロントが一望出来る。 えらく、小洒落た場所じゃないか。 デザイナーの中野靖君が居た。 ⎡あっ、どうもで~す。⎦ ⎡此処、すぐ分かりましたかぁ?⎦ ⎡分かんねぇよ。⎦ いつも、彼は隠れ家のような場所でコレクションを披露する。 人に見られるのが嫌なのかぁ? ⎡ところで、場所といい、格好といい、妙に小洒落てどうしたの?⎦ この日の中野君、珍しくスリー・タックのクロップド・パンツなんか穿いている。 ⎡宗旨替えかぁ? それとも、三十半ばで色気づいちゃったの?⎦ ⎡何て事言うんですか? 僕だってたまにはお洒落しますよ。⎦ ⎡どうでも良いけど、ちゃんと出来てる?⎦ 来シーズンには、Navy Blazer が欲しいと頼んでおいたんだけど。 ⎡目の前にあるじゃないですか?⎦ エンブレムは? パッチ・ポケットは? 襟の段返りは? ALTOGETHER NOTHING ! ! ! ⎡これって、Blazer ? エンブレムは?⎦ ⎡付いてるじゃないですか。ボタンに。⎦ えっ、何処に? … 続きを読む
Category : 衣
四十六話 しながわ 翁
京浜急行電鉄の北品川駅で降りる。 京急の中で最も乗降客が少ない駅とあって、この日もホームに人影はない。 跨線橋を渡って、南側にひとつしかない改札に向かう。 かつて、ここが品川駅を名乗り始発駅だった頃の面影はない。 踏切を越えて北へ行くと、北品川本町商店街に出会う。 立て替えられた新しい建物の一階部分が、商店として軒を連ねている。 佇まいは新しいのだが、不思議と“ 宿 ”の風情が感じられる通りだ。 商店街を横切り、八ツ山通りを渡ると、戦前の時代へと風景が逆に流れる。 ビルに囲まれた猫の額くらいの界隈に、書き割りのような昭和初期の姿がある。 その一角で、ポツンと一軒の蕎麦屋が営まれている。 屋号には、“ しながわ 翁 ”とある。 ⎡翁⎦と掲げているのは、目白にあった伝説の蕎麦屋“ 翁 ”に連なるお店かも。 知んないけど。 この蕎麦屋さんは、店の二階にある石臼で蕎麦の丸抜きを挽いて手打ちしている。 前にも書いたが、僕は無類の蕎麦好きである。 十割でも二八でも、挽きたて、打ちたて、茹でたて、さえ守って戴ければ大丈夫。 “ 旨い ”の許容範囲が広い、蕎麦屋にとっては適当にあしらえる単純な蕎麦好きである。 食べるのに大盛りで二分足らず、喰い終わればすぐ立ち去る。 蕎麦の産地にも、大してこだわらない。 頑張って蘊蓄を語る気もない。 だから、店の近所に居る気難しい蕎麦屋の親爺とも二十年以上の仲良しだ。 さて、話は “ しながわ 翁 ”。 いつもは、鴨ざる蕎麦だが、この日はもり蕎麦の大盛りを注文した。 良質の玄蕎麦なら二八でも充分美味しいという事を証明してくれる。 というより、鼻に抜けるようなサッパリ感は、二八ならではなのかも知れない。 出汁は、少し辛口で、鰹の香りも程良くすっきりと切れが良い。 薬味も、葱、山葵,辛み大根、選りすぐられている。 … 続きを読む
Category : 食
四十五話 品川宿
ANSNAM の中野君に芝浦に呼び出された。 全く人使いの粗い野郎だ。 しかし、芝浦? 北品川で飯喰えるな、悪くないかも。 僕は、東京で好きな場所が幾つかある。 筆頭は、神楽坂。 此処、夏の暑い盛り、出来れば夕暮時に行ってご覧なさいよ。 お座敷前に、芸妓さんが銭湯から出て支度に向かう。 浴衣姿で、手拭を手に、うなじの汗を拭いながら下駄履きで歩く。 ゆらめく色香が漂う。 あ~、もう堪りませよ。 どうも、すいません。 眺めるだけですから。 そして、北品川。 こっちは、金筋の芸妓さんと違って、少しやんちゃなお姐さんがおられる。 ちょっと前の昼、行きつけの蕎麦屋が閉まっていて、一見で天麩羅屋に入った。 店は小さいながら、磨き上げた無節の木曽檜が台に据えられている。 代を継いだのか、若いのに、いかにも江戸前職人という風情の亭主に迎えられた。 カウンターに落着くと、隣には二十代のお姐さんが。 客は、お姐さんとふたり。 金髪、スッピン、ジャージ姿で、ビールを飲みながら天麩羅をつまんでいる。 亭主と喋っていると横合いから声を掛けられた。 ⎡ねぇ、お兄さん、関西の人?⎦ ⎡兄さんは外れだけど、関西の方は当ってるな。⎦ ⎡お姐さん、昼前からご機嫌だねぇ。⎦ ⎡野郎が浮気しやがってさぁ、昨日店引けてから飲みっぱなし。⎦ 陽の高いうちに聞く話でもなさそうだし、天麩羅屋で喋る話題とも思えない。 が、せっかくなので少し付き合うことにした。 案の定、大した話ではなかったが、お姐さんにとっては一大事なんだろう。 ⎡しかし、宵越しのヤケ酒で、締めに油もんって、姐さんもさすがに若いねぇ。⎦ ⎡あたし? 若いって? もうババァだよ。⎦ あんたが、婆なら、こっちはとうにあの世へ逝ってるよ。 こんな他愛無い痴話言も、焼け残った戦前の路地店で聞くと、それなりの情緒がある。 “ 品川の客ににんべんのあるとなし。” 人偏のあるのは⎡侍⎦、ないのは⎡寺⎦。 薩摩江戸藩邸の勤番武士と芝増上寺寺中の修行僧。 … 続きを読む
Category : 旅
四十四話 互いの気概
三十六話の “ 相場 ”で、銀の高騰について書いた。 その日の夜、顧客の方がやって来られた。 ⎡あのブログに載ってたベルト、どうなりましたぁ?⎦ ⎡まさかと思って来たんですけど、銀を真鍮に変えるとかいう話になってないでしょうな。⎦ ⎡……………。⎦ そのつもりだった。 一言付け加えられた。 ⎡代金払うのこっちやからねぇ。材料ケチるような真似せんといてよ。⎦ 恐ろしい。 腹を読まれた上に、止めの殺し文句。 そして、翌日。 今度は、東京から電話を戴いた。 関西弁と関東弁、アクセントは違っても、言われた内容は同じ。 マズいことになった。 製作者の後藤恵一郎氏に、事情を伝える。 ⎡有り難いですねぇ。そういう方々がおられるから職人でいられるんですよ。⎦ ⎡しかし、蔭山さん。御客様の言葉に甘える訳にはいきませんねぇ。⎦ ⎡こっちは、こっちで、何とかやらないと。⎦ ⎡三割ほど値を下げましょう。⎦ ⎡……………。⎦ ⎡そういう事で。御客様に宜しくお伝え下さい。⎦ タンニンで鞣した上質のヌメ革を背に沿って一本断ちする。 糸を使わず、手で切り出した革紐で縫い上げる。 バックルは、純銀の無垢材を叩いて作る。 一切の機械は使わないで、革包丁一本で仕上げる。 しかも、御客様のサイズに合わせた完全オーダー・メイド。 価格は、四万七千円也。 という事になった。 御客様と職人、互いの気概から産まれた一品である。 結局のところ、腰が引けてたのは俺ひとりか。 情けない。 話は変わりますが、こんなブログを一体どこの誰が読むんだろうと思っていました。 なので、カウントを見て本当にびっくりしてます。 毎度毎度のふざけた話を、お読み戴きまして恐縮です。 また、どんな馬鹿が書いているのか見に来られる方もおられます。 先日の水曜日にも、帰りがけに⎡ブログを読んでいます。⎦とスタッフに伝えられた女性がおられた。 そうとは知らず、愛想悪くってすいません。 … 続きを読む
Category : 衣
四十三話 紅茶
以前に、お金持ちの知り合いから、高級な茶葉を戴いた。 First Flush といって春摘みの茶葉らしい。 ずいぶん昔の出来事を思い出した。 大阪万博の翌年だから、一九七一年、四十年前になる。 当時、家から近いという理由だけで、ちょっとした名門の小学校に通っていた。 十年前、報道を賑わせた不幸な事件が起きて、多くの幼い命が奪われた小学校である。 僕みたいなベタベタの庶民に混ざって、関西を代表する名家の子女も多く通う。 その中に、帰り道が同じで、仲の良かった女の子がいた。 繊維事業で財を成した裕福な家に育ち、女優張りの母親に似た可愛い子だった。 夏休み前の日曜日、その彼女と映画を観に大阪に出かけた。 想えば人生初デートだったかもしれない。 観たのは、英国映画で、“ Melody Fair ”だったと思う。 チキン拉麺みたいな頭のマーク・レスターという子役が主演を努めていた。 帰りに家まで送っていくと、美しいお母さんが寄っていきなさいと言う。 たいそうな洋館の一室で、彼女と向き合って座っているとメイドさんが入って来た。 ⎡紅茶、何になさいますか?⎦ ⎡アッサム? ダージリン? ウヴァ? 今日は、アールグレイは切らしてますけど。⎦ 何言ってんだ? この人。 しかし、彼女の手前ここでオドオドしてはいけない。 見栄と胸を張って答える。 ⎡リプトンをお願いします。⎦ 呆れたメイドさんが、少し経って紅茶をポットで運んで来た。 僕は、彼女に訊いた。 ⎡お前ん家の紅茶、紐無いね。⎦ ⎡えっ、紅茶に紐?⎦ 彼女が不思議そうな顔をすると、メイドさんが答えた。 ⎡お嬢様、ティー・パックといって、近頃流行のインスタントみたいなものです。⎦ ⎡私、それ飲んでみたい。⎦ メイドさんが、睨むように言った。 ⎡この家には、ございません。⎦ 僕は、彼女にそっと伝えた。 … 続きを読む
Category : 食
四十二話 異端の迷宮
我々ファッション屋は、およそ一般の人には理解出来ない稼業でもある。 真夏の暑い時に冬に着るものを売り、真冬の寒い時に夏に着るものを売る。 季節の先取りと言うには度を超えているが、この業界では当然とされている。 だが、こういった業界の了解事項を全く意に介さない男もいる。 夏に涼しい服を売り、冬に暖かい服を売る。 ある意味において、常識をわきまえている。 この業界の異端者は、中野靖という。 ANSNAM のデザイナーである。 もう、十月にもなろうかというこの時期。 ANSNAM 2011-2012 FALL & WINTER COLLECTION は、何処へ? 販売するに難しいマニアックな服を、販売するに難しい時期にショップに納める。 見上げた度胸だ。 そして、僕にとって不幸な事がある。 Musée du Dragon には、この異端者の服を心待ちにされている顧客が多勢おられる。 さらに悪い事に、この方々は、かなり服というものに通じておられる。 したがって、他の何かでという訳にはいかない。 何で、俺が、こんな危ない橋を、毎度毎度、渡らなくちゃならないんだ。 そこで、中野君に尋ねた。 ⎡もうちょっとで良いから、何かこう、こなれた感じの仕事になんないかなぁ。⎦ ⎡何言ってんですか、この巾の狭いところでの服造りが難しいんじゃないですか。⎦ ⎡だから、その事を言ってんだよ。何とかなんないのかって。⎦ 理由は今ひとつ解せないが、何ともならないらしい。 今度は、御客様に尋ねた。 ⎡この服ですけど、外見的に良さが解り難くないですか?⎦ ⎡何言ってんですか、そこが良いんじゃないですか。⎦ ⎡あっ、そうですか。ちょっと色々と厄介なんですけどねぇ。⎦ 駄目だ。 異端のデザイナーと異端の顧客様。 完全に板挟み状態だ。 “ … 続きを読む
Category : 衣