四百二十三話 義父が愛した港街

朝、新聞を読んでいると。
神戸港の貨物取扱量が、震災以前と比べてほぼ同量までに回復したという記事が載っていた。
加えて来航する外国客船の年間入港数も過去最高を記録したらしい。
二一年前。
一九九五年一月一七日の阪神淡路大震災から一ヵ月ほど経った頃だった。
義父が、実家である海辺の家を片付けに帰ってきた娘に言う。
「港が見たい」
不自由な身体となっていた義父を車に乗せ国道二号線を東へと向かう。
国道の両脇には瓦礫が積み上がっている。
ずっと馴染んできた神戸の姿とはまるで違っていて。
聞いただけに過ぎない神戸大空襲直後の様子の方がまだ眼前の景色に近い。
長田を過ぎ、兵庫を過ぎ、元町に差掛かると神戸の港が見えた。
「もういい、戻ってくれ」
気落ちした父親にかける言葉がなっかたらしい。
後になってそうだったと嫁に聞いた。
義父は、神戸港湾施設の新鋭化を最後の仕事として深く関わってきた人だった。
埠頭に最大級の検量設備を建設しようと奔走していて。
その最中、会議中に脳梗塞で倒れる。
それでも、港が見下ろせる病院最上階の病室に陣取って指揮を執っていた。
端迷惑な話だが、病院でも怒鳴り声は絶えなかったという。
そうやって、絶対安静という治療方針とはほど遠い入院生活を送っていたのだが。
遂にそのツケを払うことになる。
二度目の梗塞が義父を襲う。
これで、普通のひとは万事休すなのだが。
左半身が不自由になっても、杖をつきながらあれやこれやと怒鳴っていた。
そして計画に道筋が立つと、今度はあっけないほど簡単に身を引いてしまう。
一旦身を引いてしまった後には。
俺はこれをやったとか、あれをやったとか他人に言って聞かせることは終生なかったように思う。
無茶苦茶やって、大酒を喰らい、なにを格好つけてんだ!と僕は思っていたけれど。
ガキの頃からなにかと良くしてくれたし。
不思議と馬も合ったし。
他人が言うほどに怖いと思ったことも一度もないし。
なんとなくだけど、好きだった。
そんな義父の夢は、ほんの一時ではあったが叶った。
しかし、残念ながら義父の心血も天災には敵わなかった。
神戸港湾施設は、壊滅的な打撃を被り二〇年もの低迷期を味わうことになる。
その港が復活したというのだから、これは嬉しい。
神戸っ子とも呼ばれる神戸人にも、その他の地域同様に気質というものが備わっているように思う。
飄々としていて、必死に努力している姿を晒そうとはしない。
適当で、能天気なようにも映る。
だけど、震災後、神戸っ子が舐めた辛苦は並や大抵のものではなかったろう。
その末に、今のこうした港の姿があるのだと想うと、それはもう立派だったとしか言いようがない。
今月一四日は義父の祥月命日で、一七日は阪神淡路大震災から二一年目の追悼日にあたる。

今年の祥月命日は、港の復活を祝って菩提寺で祝杯といくか!

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