月別アーカイブ: November 2017

五百一話 壱岐の島は、こんなとこです。

食を目当てに、他にはなんの期待も抱かずここまでやって来たけれど。 この國には、変わらず守られてきた姿が今尚あるのだと知った。 一三四平方キロの島まるごとにそうなのだから、ちょっとした驚きだろう。 壱岐の島は、未開の地ではない。 古代よりひとが暮らし他所との交易も盛んで、隅々にまでひとの手が及んでいるはずの島なのだが。 律令制度で統治されていた頃。 駐屯した東国の防人が目にした風景と、いま眼前にあるそれとさほどの違いはないのではないか。 そう想わせる不思議な空気感が漂っている。 断崖の景勝地に立っても、案内板もなければ、注意書きひとつもなく、安全柵すらない。 この興醒めさせない配慮の無さが、とてもありがたい。 で、壱岐の島は、こんなとこです。 日出 日没 干潮 満潮 壱岐牛 屈指の子牛産地で、壱岐で産まれ育った子牛は島外へと。 その後、主に松坂などで成牛となり、銘柄牛として高値で取引されるらしい。 すこし哀れなはなしではあるが、霜降りで味は良く値は安い。 漁船 壱岐の漁船装備は、まるで軍用だと言われるほどの性能を誇る。 また、かつて帝国海軍の操艦を鼻で笑った技術は今も健在なのだそうだ。 北の大間、南の壱岐と称される鮪船団は、南での漁を終えると獲物を追って北上する。 烏賊釣船も、同じく北へと向かう。 やはり、玄界灘の荒海で鍛えられた漁師は腕前が違うのだろう。 すべて一本釣りが、壱岐漁師の掟だと聞く。 鮪、烏賊、クエ、鮑、雲丹、サザエなど。 醤油はつけず、壱岐産の塩で食う。 どんなに大枚を叩いても、都会ではまず口にできない贅沢な味だ。 島のひとから聞いた言葉がある。 ” この島ですべてを賄って生きていけます ” 真実なのだと思う。 だから、変わらない。 旅を世話してくれた壱岐出身の知人に。 大阪なんか引き払って、とっとと故郷に帰れよ!  

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五百話 一支國へ

長年身体の調子を診てもらっているおとこがいる。 ある日のこと。 その日も朝から具合が悪く施術を頼んだところ。 「蔭山さん、烏賊とサザエ食べますか?」 「あのなぁ、俺、調子悪いって言ったよねぇ、そもそもいつから料理屋に鞍替えしたんだよ!」 「いや、採れたてのを実家の親父が送ってきたもんだから」 親父さんの手前もあって食ってみた。 旨い! 瀬戸内のそれとも、日本海のそれとも、まるで違う味と歯応えに驚く。 箱にあったすべてを平らげてやった。 「あぁ、なんてことを、まだスタッフで一口も食べてないのもいるのに!」 このおとこの実家というのが壱岐で、烏賊とサザエはそこからやってきた。 こんな魚介がふつうに食える島って? 聞けば、それだけではく、牛、鳥、米、酒から、塩や醤油に至るまですべての食材が一級品らしい。 「俺、壱岐にいってくるわ」 「えぇっ!遠いですよ、もしほんとにいかれるんなら、叔父に飯屋の手配とか連絡しときますけど」 叔父さんは、大阪在住で壱岐の観光関連の役員をされている方らしい。 そんな心強いはなしもあって、とにかく壱岐へと向かうことにした。 お隣りの対馬とともに国境の島とされている壱岐。 島の歴史はとても長い。 この国の号が、日本と定められるはるか昔の古代より連なっている。 史書には、 倭国の島国である一支國との記述もあって。 日本古代史に於いては、珠玉の存在なのだという。 まぁ、あんまり興味ないけどそうなのだそうだ。 こっちは、食気に駆られてだけの旅だから。

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四百九十九話 博多千年煌夜

霜月の初日。 博多の鎮守古刹が粋な灯に包まれる。 煌夜に浮かぶ十二の寺社を、博多っ子は巡って夜長を過ごす。 そこに物見のよそ者も加わるのだから、賑わいはちょっとしたものだ。 この博多千年煌夜と名付けられた催事は、難しい神事や仏事に由来したものではない。 秋の夜長に飲んだり食ったりしながら灯りを巡れば楽しいんじゃないの? ただそれだけの話である。 「よか?」「よかよか!」 博多弁は短く、博多人は素早い。 そうと決まれば、寺社は場を、町衆は労を、商人は銭をといった具合にあっという間に事は進む。 そして、その仕上りは半端ない。 なので、ちょっと覗いてみることにする。 実は、この日が博多千年煌夜初日とは知らずに訪れたものだから。 飯屋の予約もあって、十二の寺社すべてを巡っている余裕はない。 で、博多っ子にお薦めを訪ねてみた。 「みんながよう見よるんは此処と此処やけん」 「 うちも去年見よったけん、ばり良かったったい」 萬松山 承天寺 南岳山 東長寺  おねえちゃんのお薦めを堪能して。 中洲川端の名店 「 いろは 」 で博多名物水炊きを堪能して。 中洲をぶらつきながら、博多の守護へ。 博多総鎮守 櫛田神社  夏、博多祇園山笠の曳山は、ここ櫛田神社から博多の街へと駆け出す。 まさに博多人の矜持を象徴 する聖地である。 すべてを町衆が取り仕切る街、博多。 これほど見事に自治を貫いてきた街は他所にはないと想う。 博多は、ばりよかとこです。      

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