Tuesday,March 15,2016

一段落したら。
いろんなところへ行って、いろんな人に逢って、いろんな話をしてみたい。
国の内でも外でもどこでも。
店屋の亭主でいる限り店に縛られてしまう、自分勝手に都合で動くというわけにはいかない。
仕方のない事だと諦めていたけれど、ようやくその枷が解けたのだからそうすることにする。
だが、その前に。
出歩くのだとしたら。
いつでも、どこでも、仕事が出来るようにしなければならないと気づく。
二〇年間というもの出張以外は、ケツに根が生えた如く店か事務所で過ごしてきた。
なので、PC は卓上だけだし、携帯は未だにガラケーという始末である。
それでも別段不自由なくやってこれた。
これを、移動に耐える情報環境に改めよう。
誰に教えて貰うか?
店を閉じても、なんでも客を頼みにする悪い癖は抜けないでいる。
「すいませんけど相談に乗ってもらえますか?」
「いや、そうやって難しそうに訊いてるけど、そんなこと世間のひと皆んながやってることだから」
「 えっ?そうなの?」
「今から購入リストを mail するからそれ持ってヨドバシ行って買ってきて」
「で、買い揃えたら連絡してそしたら行くから」
「説明してくんないの?」
「しない!面倒だから!」
で、ヨドバシ行って。
オタク丸出しのおにぃちゃんが、あれこれ言ってくるのを制して。
「俺になんだかんだ勧めても無駄なんだよ!」
「な〜んも分かってねぇし」
「だから、黙ってこのリストに載ってるものを揃えてここに持ってきて」
「 言い値で払うから」
「お客様、お分りじゃないんでしたら、お預りして初期化を当方で済ませましょうか?」
「うるせぇ!日本語で喋れよ!」
どうしたって、この手の奴とは話が噛み合わないらしい。
まぁ、相手も間違いなく腹のなかで同じように思っているだろうけど。
そうして今、目の前に、Mac Book Air とかいうやつを始め色々とあって。
それらを、じっと眺めている。
大枚叩いて買ってみたものの、果たしてこれでなにが変わるのだろう?
豚に真珠とは、このことだ。
Thursday,March 10,2016

天満宮で、盛った紅梅白梅を仰いで。
本殿に手を合わせて。
空いた腹を抱えて天神橋商店街をいく。
此処天満宮辺りは一丁目なので、地元流に言えば「天一」にいることになる。
天神橋商店街は、町名にならって区分され1丁目は「天一」三丁目なら「天三」と呼ぶ。
「天一」「天二」「天三」「天四」「天五」「天六」という具合である。
全長およそ二.六キロなのだそうだ。
日本で一番長いと称されるこの商店街の両側には、店屋がぎゅうぎゅうにくっついて在る。
大通りだけではない、毛細血管のように左右に路地が延びていて。
そこにも ひしめいて店屋が在る。
大抵が喰い物を商っている。
こうやって眺めて歩くと、浪速人の食道の太さと胃袋の大きさを直に眼で測っているように思えて。
ちょっと気持ちが悪い。
それほどの圧倒的な数である。
この中から一店選べと言われても難儀する。
「食うなら天五で」とかいう噂を信じて、とにかく「天五」へ。
そういや、付合いのあった雑誌編集者が大阪一旨い韓国料理屋が在るとか言ってたような。
たしか「玉一」とかいう屋号で、場所は「天五」だったような。
彼女は、日本語と仏語は堪能だけど、ハングルは読めないという不思議な在日韓国人なのだが。
食の取材では間違いないと評されていた。
そんな彼女が、旨いと言うのだから旨いのだろう。
場所が分からないので、路地裏の八百屋で[玉一って何処?」と訊くと一発で答えが返ってきた。
知らない方がどうかしているといった感じで、「玉一」は界隈で有名な飯屋らしい。
路地沿いに進むと「玉一」は在ったが、この辺りは「天五」ではなく住所表記的には池田町になる。

内も外も昭和のしもた屋といった風情で、靴を脱いで板の間にあがる。
さて、午後三時という中途半端な時間になにを食うか?
そもそも韓国料理のなんたるか?をよく知らないのだから、ここは訊くしかない。
「おねえさん、石焼ビビンバと他になに食ったらいいと思う?」
「甘藷湯美味しいよ、今日は冷えるし、暖まるからね」
「マジですか?」
「マジだね」
「ところで、甘藷湯ってなにもの?」
おねえさんが言うには、甘藷湯とはカムジャタンと発音するらしい。
名そのままではじゃが芋の汁物となって、豚の背骨とじゃが芋を石鍋で煮込んだ料理なのだそうだ。
そう聞いても味の想像はまったくつかないのだが、おねえさんに従うしかない。
甘藷湯なるものが卓に置かれた。
確かに大きな豚の背骨が汁に横たわっている。
長葱に、荏胡麻の葉、そして丸のまま皮を剥いたじゃが芋が浸かっていて、汁の色はとにかく赤い。
唐辛子や味噌で赤く染まった汁が、血の池地獄みたくぐつぐつと煮立っていて、熱そうで辛そうだ。
恐る恐る口に運んでみる。
辛っらぁ〜、旨っまぁ〜。
どんな味か?と問われても似たような味が浮かばない、コクのある辛さだと伝える他ない。
わずかに生姜の香りが鼻に抜け、荏胡麻の葉とともに臭みを消している。
汗が噴き出るほどに暖まる。
妙な言種だが、なんかこう満たされた感のある料理だと感心した。
後で訊くと。
韓国の街中では、甘藷湯屋というのが在って、朝昼晩いつでも食べられるのだという。
海向かいの隣国を羨んだことは一度もないが、これはちょっと羨ましいかも。
食い終わって、靴を履いていると。
ひっきりなしに予約の電話が鳴っていて、それをおねえさんが次々と断っている。
「忙しいんだね?」
「今晩はもう一杯よ、満席、いつもそうだよ、今はあんただけだけど」
恐るべし「玉一」、侮れない「 甘藷湯」。
Thursday,March 03,2016

嫁が言う。
「ねぇ、あんたってさぁ、大阪生まれの大阪育ちよねぇ」
「ってことは」
「何気に神戸っ子のふりしてるけど、がっつり浪速っ子なんだぁ」
「へっ、へっ、気の毒に」
「そんな生粋の浪速っ子の割には、大阪のことなんにも知らないよねぇ」
「なんでそんな残念なことになってんの?」
まぁ、浪速っ子が残念か否かは別の筋合いとして、確かに大阪で生まれたし育った。
卒業してからの勤先も堂島だったし、その後継いだ会社も店も梅田に在る。
学生時代の一〇年間を神戸に通っていたというだけだ。
しかし、大阪への馴染みが薄いという点では嫁の言う通りなのかもしれない。
何故か?
多分、大阪という土地は僕にとって、働く場所であって遊び場ではなかったのだろう。
北新地の BAR や CLUB を徘徊してはいても。
それは仕事の延長であって気のおけない遊びではなかった。
もうそんな昭和の仕事文化も失われ、今ではなんの説得力もありはしないが実際にはそうだった。
単なる職場としての大阪しか知らない。
そう想うとちょっと寂しい気もする。
これを機会に、大阪の街場で、飲んだり、食ったり、買ったりしてみるのも一興かもしれない。
さて、どこから始めるか?
ちょうど梅の季節で、梅と言えば天満宮で、天満宮と言えば天神橋筋だろう。
そういう訳で、天神橋へ。
Thursday,February 25,2016

景気が思うように上向かないらしい。
株価は低迷し、国内総生産値は伸び悩んでいる。
困ったことなのだそうだ。
誰だって貧乏は嫌なのだから、困るのは当然だろう。
ちょっと聞いた話だが。
文明が一定水準以上に発達し成熟すると、国内総生産量はおのずと減少傾向に転ずるのだという。
喩えば、Smartphone だ。
この小箱を単なる電話だと認識している者は、もはやいないだろう。
中には、恐ろしく多機能な装置が収められていて。
Still Camera や Video Camera には、撮影だけでなく加工・編集・再生機能まで付加されている。
音楽だって、再生して聴くことはもちろん演奏だって可能だ。
テレビも映画もゲームも、見放題やり放題。
細かいところでは、時計、電卓、地図、辞書、計測器など。
ありとあらゆると言っていいほどの多岐に及ぶ。
ここで、一九九〇年代半ばを思い起こしてみよう。
アナログからデジタルへ、そういった頃じゃなかったかと思う。
わずか二〇年前に過ぎない。
当時、この多機能電話と同じだけの満足度を得ようとすると。
電話に、テレビに、カメラにといった具合に買い揃えていかねばならない。
程度の悪い中古品で一部我慢したとしても、一〇〇万円は越えただろう。
それからすると、Smartphone の値段なんてタダ同然だといえる。
少なく見積もっても、差額は一〇〇万円以上にはなる。
あぁ、良かったねぇ。
良い時代になったもんだ。
って、ほんとにそうなの?
これって、ひとりあたり一〇〇万円以上の国内総生産量を押し下げていることになるんじゃないの?
ひとりあたりなんだから、この額に Smartphone の利用者数を掛けることになるよねぇ?
で、いったい総額いくらの国内総生産量が消失したことになるのか?
そういった話なんだけど。
コストが下がり満足度が上がったと喜ぶ一方で、国内総生産量が下がったと嘆く。
茶番もいいとこだと想う。
もはや、そもそも論として、国内総生産量なんて統計値にいったいなんの意味があるのだろうか?
頭悪いからよくわかんないけど、もっとましな物差し用意した方が良いんじゃないかなぁ。
Friday,February 19,2016

前回、気楽だとか言っていたんだけど。
想定外の忙しさに見舞われてしまった。
もちろん鼻から分かっていて、考えるのが嫌だっただけだ。
決算、確定申告、棚卸し、店舗撤去、経理処理など。
一気に責め立てられては堪らない。
事務所の机には、書類が山積みになっている。
一応経営者なんだから、ちゃんとやってくださいよ!
えっ? 俺ってそうなの?
じゃあ、こういうの全部まとめてやってくれる奴に頼めば?
それって、どなたですか?
知らねぇよ!
だったら、ご自分でやるしかないですね。
海辺の家では、枝垂れ梅が咲き冬空に雪が舞っている。
この調子じゃ、先々のことを考えるのは桜の蕾が膨らむ頃かもしれない。
くだらない blog なんか書いてる暇があるんなら、こっちの書類早く決済してくださいよ!
糞ぉ〜、もう二度と親に頼まれても経営者なんかやんねぇからな!
Sunday,February 14,2016

そして、ひとつが終わり。
そして、ひとつが生まれ。
夢の続き見せてくれる相手探すのよ。
ってかぁ?
一九七二年暮、神戸中のおっさんが口遊んでいたのを憶えている。
千家和也先生作詞の「そして、神戸」
当時は、馬鹿じゃねぇの?と軽蔑していたけど。
妙な具合で、つい口を衝いて出たのがこの歌だった。
う〜ん、プータロウの気分ってなものはこんなものか?
まぁ、正確に言えばそうではないのだけれど、気分としてはそんな気分でいる。
この日も、学生時代の先輩が経営している大手会計事務所で用事を済ませて。
いつもなら、蜻蛉返りで店に帰るところだがその必要もない。
久しぶりというか、何十年か振りに北野町を歩いてみる。
会計事務所の在る三宮から北野町まで、一五分ほど坂道を歩いて登る。
路行きに覚えはあるのだが、風景は震災の前と後では大きく変わっていて。
懐かしさを憶えるというには至らない。
山本通りの南辺りで、昔馴染んだ場所に出逢う。
Kobe Muslim Mosque
この地に日本で最初のモスクが建てられたのは一九三五年のことである。
この界隈には、今でも印度人が多く住っている。
真珠に、繊維に、不動産を手広く商っている連中で、商いは結構上手なのだときく。
確か、この通りのどこかにこじんまりとした印度料理屋があったけど。
四〇年近く前の話で、学生時代嫁とよく通った店屋だった。
日本人家族で営まれていた飯屋だったが、客のほとんどが近所の印度人で占められていた。
口うるさい印度人が大人しく食っていたんだから、味はそれなりに本格的だったのかもしれない。
在った!

Restaurant DELHI
定休日で閉まっていたけど、あるにはあった!
こんな店屋がと言っては失礼だが、よくこうして残っていてくれたもんだ。
消え去った風景を彷徨った挙句、ようやく記憶の欠片を拾ったような不思議な気分になる。
嫁が、時間ができたらやってみたいことがあるという。
ちょっと洒落た格好をして異人館辺りの飯屋や BAR を巡りたい。
「ねぇ、来週でも DELHI に行かない?」
「いいけど、DELHI ならべつに洒落て行くこともないじゃん」
「まぁね、でもやっぱり DELHI に行かない?」
当時より、自由に使える銭はある。
今では、DELHI よりもっと本格的で旨い印度料理屋はあるのかもしれない。
だけど、それでも、DELHI に。
嫁のそれはわからなくもない。

帰り路。
DELHI の角を曲がって、鯉川通りの一本東側の坂を下る。
そこには、なにも変わらない坂が海へと続いていた。
そして、神戸かぁ。
Wednesday,February 10,2016

最期のお届けに。
そう言って、顧客様が採れたての野菜を山のように届けてくださった。
白菜
ブロッコリー
セロリ
人参
葱
蓮根
菊菜
キャベツ
など。
どれもこれも特別に丹念に育てられた希少な野菜で。
スーパーやデパ地下で売られている粗略な代物とはわけが違う。
喩えば。
この葱は、原種の葱で “ 難波葱 ” という。
今では痕跡の欠片もありはしないが、その昔難波一帯は葱の一大産地だったらしい。
その難波葱が、京では九条葱となり、江戸では千住葱となる。
蕎麦屋で供される “ 鴨なんば ” の “ なんば ” は、難波ということなのだそうだ。
大阪に暮らして半世紀を超えるというのに、小耳に挟んだことすらない。
ものを知らないというのは怖い。
人参は人参で奇妙なかたちをしている。
先が二股に分かれていて、ひとの形に似ている。
形がひとに似た高麗人参が高値で取引されると聞いたことがあるが。
こういうことなのかも知れない。
大阪の南、岸和田で産まれた品種で彩誉というのだそうだ。
生で食べてみた。
人参特有の臭みはなく、とにかく甘い。
熱を通せばさらに甘いらしい。
どれもこれも大阪の地物で旨い。
だけど、育てるのは大変なのだときく。
三六五日朝から晩まで働いても追いつかないほどの労苦を積み重ねた末に成るのだと言われる。
そして、儲けはほんとに薄いのだと笑っておられた。
立川談志さんが遺された言葉を思い出した。
この方ほど理論と感覚をもって物事の本質を射抜く力量を備えた天才を他に知らない。
僕は、そう思っていまでも尊敬している。
談志さんは、晩年田圃を購入されて百姓に教わりながら自ら稲を育てられていた。
「背広着て算盤弾いて稼ぐ銭と百姓が汗水垂らして稼ぐ銭が同じ価値だというのは納得いかねぇ!」
「百姓の銭の方が三倍ほどいろんなもんが買えるような世の中にならねぇもんかねぇ」
まったくその通りだと思う。
たいした目利きもできない素人風情が、量販店や百貨店の名刺を翳して生意気にものを買い付ける。
そもそもなんにも知らないのだから、味噌も糞も一緒くたにして売る。
客が訊いても、まともに返せない。
それでいて、月末には給料をせしめて帰る始末だ。
爪の先ほどの罪悪感でもあればまだ可愛いのだが、それすらもなく当たり前だと思っている。
なので、生産者を前にあれやこれやと注文だけはつける。
皆が皆そうではないのだろうけど、僕の中ではそういう救い難い印象だ。
なんとかなんないものなのか?
まぁ、僕も口先で生きてきた人間だから偉そうなことは言えないけど。
その自覚もあるし、反省もしてますよ。
それだけに、なんとかしないと。
Thursday,February 04,2016

難解なものを贈っていただいた。
銘もない、箱書きもない。
だけど、誰の作陶によるものなのかは一目でわかった。
濱中史朗氏
萩の銘窯 “ 大屋窯 ” を継いだ陶芸家であり、roar 濱中三朗君の弟さんでもある。
訊くところによると。
国内に留まることなく、Milano・Paris・New York など海外へとその評価は高まっているらしい。
一〇年ほど前に巴里でお逢いしたあの繊細そうで無口な若い陶芸家が、今ではそうなのだと知る。
布で巻いて納められた酒器には、兄貴である濱中君の手紙が添えられていて。
“落着かれたら、これで酒でも一献 ”
暮しのなかで用いられる酒器なのだから、端的に “ 用の美 ” と評してしまえばそれまでなのだが。
この酒器は、もっと無形無類の美しさを宿しているような気がする。
石から成る磁器、土から成る陶器、鉄から成る鋳物。
そういった境目を超えて、石のようでも土のようでも鉄のようでもある。
濱中君は、Musée du Dragon に因んで “ 龍の背 ” のようなと説いてくれたけれど。
静謐にして精緻な個性が間違いなくここにある。
一方で、この酒器を萩焼として定めることに躊躇される識者は多いのではないかと思う。
窯元の所在や陶土の出自や陶法の掟など。
萩の七化けも、文禄慶長より育んできた窯元の大事だということも承知している。
だけど、ほんとうに継ぐべき大事とはなにか?
ここに同じく、銘もない、箱書きもない茶器がある。
陶工から父親が譲られた品で、手放さずにこうしてある。

一〇代 三輪休雪の作陶によるのだと父から聞いている。
手の中にあって、今にも崩れそうな風情が漂う。
所詮いかなる器も、土に産まれ土に帰るのだという理を刹那に悟らせてくれる。
それは、ひとにも通ずる儚さの美学なのかもしれない。
無知を承知で言わしてもらえるなら。
この儚さこそが大事なのだと思う。
石にせよ、土にせよ。
濱中史朗氏の酒器には、そういった儚さが映されている。
萩に産まれ、萩に育った陶芸家の作なのだと頷くほかない。
格子を越えて伸びる冬陽のなかに。
昭和の名陶工と平成の名陶工が作陶した器を置く。
今日は、節分。
枝付きの豆殻と柊の葉を添えて。
平成の暮しにも美はあるのだと知る。
濱中三朗君、心から感謝です。
でも、この酒器ほんとに手放しても良いの?
悪いけど返さないよ。
俺自身が土に帰るとき抱いていくつもりだから。
Sunday,January 31,2016

精一杯やるにはやったけど。
Musée du Dragon の幕を引くって言ったら、蜘蛛の子を散らすように皆んないなくなるかも。
そんな景色を眺める羽目も覚悟しておかなくてはならない。
それが。
年明けから大勢の方々に囲まれて。
見たこともない心遣いを数えきれないほど頂戴して。
身に余る言葉を贈られて。
なんか、こう、気の利いたお礼を述べなければならない。
そう想って頭を巡らせても、馬鹿が急に治るわけでもなく。
月並みのこんな言葉しか浮かばない。
ほんとうに、ありがとうございました。
こころより感謝申し上げます。
店内が混み合いまして、
わざわざご遠方よりお越しいただきましたのに満足なご挨拶も出来ませず申し訳ありませんでした。
最期まで、行き届かぬ始末をご容赦ください。
お詫びと重ねましての御礼を申し上げます。
ありがとうございました。
あっ、それとこの馬鹿 blog は続けるつもりにしております。
僕の先々を餌に暇でも潰していただければ幸いと存じます。
では、お粗末様でございました。
また、どこかで。
さようなら。
二〇一六年一月三一日
ミュゼ・ドゥ・ドラゴ店主 䕃山雅史
Wednesday,January 27,2016

うゎぁ〜、これが、Flower Artist 東信の花なのかぁ。
写真でしか見たことなかったけど。
巴里の Colette を飾り、Cartier 現代美術財団では Art Performance を披露するなど。
今、世界がもっとも注目する華道家である。
その作品が眼の前にあって、お陰で店は妖しく華やいでいる。
この花は、東京南青山に在るお店で注文されたのだそうだ。
“ Jardins des Fleurs ” という名の花屋には、一輪の花も置かれていないと聞く。
完全注文制で、花の Haute Couture として営まれている。
花を抱いて家族でお越しくださったのは、Musée du Dragon の初期頃から通っていただいた方だ。
御主人も奥様もおふたりとも大切な顧客様で。
二〇年前といえば。
美男美女のおふたりが、大学生の頃にお付合いされていた時分だったんじゃないかなぁ。
仲良く連れ立って、よく来店されていた。
貴重な花はもちろん有難いし嬉しい。
でも、こうして二〇年経った今、幸せに立派に暮らされている姿を拝見するのはもっと嬉しい。
大学卒業
就職
御結婚
出産
結婚記念日
など。
人生の節目節目に Musée du Dragon が、在ったのだと告げられて。
花には “ 感謝 ” の二文字が添えられている。
これでも玄人の端くれですから、店先で面は崩しませんけど。
そりゃぁ、胸に迫りますよ。
自分が、街場に在る一介の服屋の亭主に過ぎないことは重々承知している。
しかし、そんな服屋にでも冥利というものがあるのだとすれば。
それは、この一事に尽きるのだと想う。
Musée du Dragon を続けてきて良かった。
改めて、そう想いますよ。
ほんとうに、ほんとうに、ほんとうに有難うございました。