月別アーカイブ: August 2018

五百二十四話 A FRIEND IN NEED

旧い街には、忘れ去られた嘘のような真実があるものである。 海辺の家の傍には、川が流れていて、その先は明石海峡に注いでいる。 この街で産まれ育った嫁には、この川に纏わるとっておきの噺がある。 昔、豪雨だか台風だかで川が氾濫し、上流にあった牧場から牛が流されてきたらしい。 その日を境に、給食の盆には昨日までとは違う誰もが知る銘柄の牛乳がのることになった。 これ、マジだからぁ! 半世紀経った今でも、年に一度はこの噺を聞かされる。 だけど、牧場は宅地となり、河川は護岸化され、嫁ご自慢の郷土噺も刻とともに証が薄れていく。 もう今では、マジだからぁ!を連発せずにはいられない。 街場の口伝とは、そうしたものである。 そして、この川は、牛乳騒動噺とは違う物語にも登場する。 物語の作者は、嫁ではない。 画家 Poul Gauguin の生涯を題材に描いた  “ 月と六ペンス ” の著者 William Somerset Maugham 。 英国を代表する文豪である。 米国月刊誌 COSMOPOLITAN に寄稿 された短編小説  “ A friend in need is a friend ” 神戸在住の英国人実業家が、博打で無一文になり仕事も仕送りもない青年に賭けを仕掛けた。 塩屋英国人倶楽部から平磯燈台を廻って垂水川河口まで泳ぎ着ければ仕事をやる。 … 続きを読む

Category :

五百二十三話 熟した豚

どうよ? この神々しいまでの美しさ! 透けて艶やかに輝く脂身、薄っすらと赤味のさした肉、さくっと纏った狐色の衣。 ありがたや!ありがたや! これが、これこそが、豚カツです! 仕方なく向かった街場で、なんの期待感もなしに暖簾をくぐった店屋で、こちらに出逢った。 年に一度、所用のため京都山科を訪れなければならない。 いつも暑い夏の日で、この日も駐車した車内温度計の目盛は四六度を告げていた。 吐きそうなほどの暑さも、その暑さに伴う食欲の減退も、毎年の恒例となりつつある。 昼飯はあっさりと、蕎麦懐石の ” 高月 ” で済ますつもりだったのだが。 この店屋が、東山三条に移ってしまったらしい。 食欲が減退しているといっても、まったく無いわけではない、時間が経てば腹はそれなりに減る。 そして、途方に暮れた挙句に辿り着いたのが、 この豚カツ屋だった。 関西で豚? しかも山科? この暑さで豚カツ? 普段ならありえない選択だろう。 だけど、暑さと空腹で正常な思考はもはや働かない。 言ってしまえば、もうなんでも良かった。 京都山科 “ 熟豚 ” 数軒の店屋が軒を連ねる細い通りに、戸建ての食堂として在る。 構えは新しいが、建物はかなり古く戦後間もない築だろう。 さほど広くない店内は、三割程度の床面が待合に割さかれた造りで。 端から客が待ったり並んだりするのが常であることがわかる。 案の定、店屋のおねえちゃんが。 「ただいま満席で、一五分から二〇分お待ちいただくことになりますけど」 「もうどこにも行きたくないから、おとなしく待ってます」 待っている間、食べている客や食べ終えた客の様子を窺う。 良い豚カツ屋か? 駄目な豚カツ屋か? それは、客を見れば良い。 食の細い客が集う豚カツ屋は、碌なもんじゃないと相場は決まっている。 多分二〇代くらい、女性客からの注文。 「豚カツ定食とクリーム・コロッケを別にふたつ、ご飯は中盛りでお願いします!」 … 続きを読む

Category :