四百三十六話 玉一

天満宮で、盛った紅梅白梅を仰いで。
本殿に手を合わせて。
空いた腹を抱えて天神橋商店街をいく。
此処天満宮辺りは一丁目なので、地元流に言えば「天一」にいることになる。
天神橋商店街は、町名にならって区分され1丁目は「天一」三丁目なら「天三」と呼ぶ。
「天一」「天二」「天三」「天四」「天五」「天六」という具合である。
全長およそ二.六キロなのだそうだ。
日本で一番長いと称されるこの商店街の両側には、店屋がぎゅうぎゅうにくっついて在る。
大通りだけではない、毛細血管のように左右に路地が延びていて。
そこにも ひしめいて店屋が在る。
大抵が喰い物を商っている。
こうやって眺めて歩くと、浪速人の食道の太さと胃袋の大きさを直に眼で測っているように思えて。
ちょっと気持ちが悪い。
それほどの圧倒的な数である。
この中から一店選べと言われても難儀する。
「食うなら天五で」とかいう噂を信じて、とにかく「天五」へ。
そういや、付合いのあった雑誌編集者が大阪一旨い韓国料理屋が在るとか言ってたような。
たしか「玉一」とかいう屋号で、場所は「天五」だったような。
彼女は、日本語と仏語は堪能だけど、ハングルは読めないという不思議な在日韓国人なのだが。
食の取材では間違いないと評されていた。
そんな彼女が、旨いと言うのだから旨いのだろう。
場所が分からないので、路地裏の八百屋で[玉一って何処?」と訊くと一発で答えが返ってきた。
知らない方がどうかしているといった感じで、「玉一」は界隈で有名な飯屋らしい。
路地沿いに進むと「玉一」は在ったが、この辺りは「天五」ではなく住所表記的には池田町になる。

内も外も昭和のしもた屋といった風情で、靴を脱いで板の間にあがる。
さて、午後三時という中途半端な時間になにを食うか?
そもそも韓国料理のなんたるか?をよく知らないのだから、ここは訊くしかない。
「おねえさん、石焼ビビンバと他になに食ったらいいと思う?」
「甘藷湯美味しいよ、今日は冷えるし、暖まるからね」
「マジですか?」
「マジだね」
「ところで、甘藷湯ってなにもの?」
おねえさんが言うには、甘藷湯とはカムジャタンと発音するらしい。
名そのままではじゃが芋の汁物となって、豚の背骨とじゃが芋を石鍋で煮込んだ料理なのだそうだ。
そう聞いても味の想像はまったくつかないのだが、おねえさんに従うしかない。
甘藷湯なるものが卓に置かれた。
確かに大きな豚の背骨が汁に横たわっている。
長葱に、荏胡麻の葉、そして丸のまま皮を剥いたじゃが芋が浸かっていて、汁の色はとにかく赤い。
唐辛子や味噌で赤く染まった汁が、血の池地獄みたくぐつぐつと煮立っていて、熱そうで辛そうだ。
恐る恐る口に運んでみる。
辛っらぁ〜、旨っまぁ〜。
どんな味か?と問われても似たような味が浮かばない、コクのある辛さだと伝える他ない。
わずかに生姜の香りが鼻に抜け、荏胡麻の葉とともに臭みを消している。
汗が噴き出るほどに暖まる。
妙な言種だが、なんかこう満たされた感のある料理だと感心した。
後で訊くと。
韓国の街中では、甘藷湯屋というのが在って、朝昼晩いつでも食べられるのだという。
海向かいの隣国を羨んだことは一度もないが、これはちょっと羨ましいかも。
食い終わって、靴を履いていると。
ひっきりなしに予約の電話が鳴っていて、それをおねえさんが次々と断っている。
「忙しいんだね?」
「今晩はもう一杯よ、満席、いつもそうだよ、今はあんただけだけど」

恐るべし「玉一」、侮れない「 甘藷湯」。

 

 

 

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