六百三十五話 骨折

ご無沙汰しております。
何故ご無沙汰しているかと言うと、利腕の手首を骨折したから。
先月からのギブス生活からようやく解放され、こうして blog でも更新してみる気になった。
骨折の理由は、あまりのくだらなさ故に口が裂けても言えない。
医者も手術か昔ながらの保存療法かで迷っていたが、後者を選んで自力治癒を目指すことにした。
ギブス装着期間は、左手頼みの不自由さはあったもののたいした痛みもなかったのだが。
問題は、外したその後からだ。
ちょっとの動きにも痛みが伴う。
医者から。
「痛かろうが、腫れてようが、とにかく動かしなさい」
と言われ、一枚の紙を渡された。
そこには、New York Yankees 松井秀喜選手の取材記事が記されていて。
二〇〇六年五月に手首を骨折して三ヶ月後に復帰するまでのいわゆる闘病記録だ。
医者は、松井選手もこんなに頑張ったんだから、おまえも頑張れよ的な趣旨だったんだろう。
だけど、そもそも、俺は、major leaguer じゃない!
そして、めでたく治ったところで、 この右手が何億円も稼ぐことは今後おそらくない!
天と地ほどに motivation が違うだろう!
なんの慰めにも励みにもならんわぁ!
とはいえ自分が撒いた種で、悪いのは自身だ。
誰にも文句は言えない。
朝起きて、言われたとおり手首をグリグリまわしてみる。

痛ぁぁぁぁ!どんだけぇぇぇ!

 

 

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六百三十四話 中秋の名月

 

二〇二三年九月二九日。
海峡の夜空に浮かぶ中秋の名月。

年に一度、格別の絶景です。

 

 

 

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六百三十三話 東郷梨

夏も過ぎようかというこの時期、決まって届けてくれるのを待っている。
送り主は、鳥取の従姉妹。
出荷元は、鳥取県湯梨浜。
届け物は、東郷二〇世紀梨。
毎度しつこく箱に添えられてくる冊子にはこうある。
二〇世紀梨は町の文化であり、主要産業であり、象徴であって、民の誇りでもある。
どんだけの梨やねん!と、思わぬでもないが確かに美味い。
昨年の今頃、届いた数を食い尽くし、自ら選果場に連絡し送ってもらったほどに美味い。
二〇世紀梨には、収穫時期によって食べ頃が三通りあるという。
八月初旬の鮮やかな緑色の梨は、早熟の酸味がすっきりと口に広がる。
九月上旬のやや黄色味がさした梨は、熟度と甘味の均衡がとれた味わい。
九月下旬の淡黄色となった梨は、熟度と甘味がともに極まる。
好みは、ひとそれぞれだが、僕は、緑色が残っている間が最良の食べ頃だと思う。
シャキッとした歯応え、特有の酸味、この清涼感は他の果実ではなかなか味わえない。
そんな東郷梨は、少し冷やしてそのまま食うのが一番美味しいのだろう。
だが、こんなにあるんだから、数個ひと工夫凝らして食うのも悪くないかも。
梨に合う酒といえば Rum か Gin だが、Cocktail で飲むのは勿体無いし、西洋梨でもまかなえる。
なんかこうもっと東郷梨を活かして食う術はないものか?
そこで、これ!
“ 梨と葡萄の Rum 酒サラダ ”
梨と葡萄に Coconut Oil と Rum 酒をまわしかけて全体を混ぜるだけ。
だけと言っても、やるの嫁だけど。
そして、庭に生えてる Rosemary と Mint を添えるとよりそれらしく仕上がる。

さらに、その嫁の薦める皿をもうひとつ。
“ Prosciutto e Pera ”

ベビーリーフを敷いて、生ハムと梨をのせ、ナッツをふりかけ、岩塩と胡椒を施す。
最後に Coconut Oil を上からかけて、檸檬を搾り出来上がり。
残暑に喘ぐこの季節にふさわしい爽やかな一皿に仕上がっております。
奥様、ひとつお試しください。

ということで、また来年お待ちしております。お気遣いありがとうございました。

 

 

 

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六百三十二話 台風一過

 

台風七号が、海辺の家のほぼ真上を通り過ぎて一夜明けた今日。
心配してあれこれ備えたわりには、何事もなく拍子抜け。
それでも、風に煽られ引きちぎられた葉っぱや枝が、庭に散乱している。
本日は、一六日で送り盆。
日暮刻、盆の送り火を焚くのでそのままにしておくわけにもいかない。
汗だくの片付け作業を昼過ぎまで続けて終えた後。
ひと風呂浴びて、素麺を啜って、麦茶を飲みながら、縁側で吊り直した風鈴の音を聴く。

まったくもって、ただの爺いでしかない。

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六百三十一話 呪術廻戦展

呪術廻戦展を観てきた。
“ 呪術廻戦 ”に、こんなにも嵌るつもりもなかったし、嵌るとも想ってなかった。
しかし、あらゆる場面で精緻に描かれたこの眼の表現には 心底驚かされた。
原画を前にすると、その凄さがさらに迫って伝わる。

この角度から、この眼をこう描くとは。

到底、描けんなぁ。まさに特級術師だわ!

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六百三十話 真夏の夕紅

海際に沿って国道二号線を西へ。
そのさらに海際の JR 神戸線 を列車が往く。
真夏の夕暮刻、見慣れた海峡の風景ではあるけれど。

うつくしい。

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六百二十九話 妖怪ドロップ缶?

先日、車に置いておく喉飴を買おうと、普段あまり行かない離宮前のスーパーに行った。
此処は、駅前の店屋とは違い American Store 風のちょっと気取った店屋だ。
品揃えもホーム・パーティー用の惣菜とか、BIO 食材とか、ワイン類が目立つ。
客層は、小洒落た三〇代くらいの若い子供連れの夫婦が中心で、いつも繁盛 している。
屈んで、菓子売場の棚を探っていると。
突然、マスクを横から思いっきり引張られた。
それが半端な引張りようではなく、ゴムが伸びきるほどの勢いだ。
驚いて、左側を向くと。
綺麗な母親の肩に抱かれたこれまた美人になるであろう可愛い女の子がマスクの間を睨んでいる。
小さな人差し指はコの字に曲げられ、しっかりマスクのゴムが引っ掛けられていた。
驚いて、なんとか外そうと試みたけどなかなか上手くいかない。
すると、その二歳か三歳かの女の子が、こちらを睨みながら。
「なぁ、なぁ、妖怪ドロップどこ?」
知るかぁ!妖怪ドロップなんか!そんなことよりマスクを引っ張るな!
思ったけど、指からゴム紐を外すのに手一杯で口には出せない。
母親は、そんな状況であるにもかかわらず、気づかずゼリーの袋を眺めている。
娘が自分に訊ねているのだと思って気楽に応える始末だ。
「此処には、妖怪ドロップないんじゃないの」
途端、娘の顔がさらに険しくなった。
「妖怪ドロップ知らんの?なぁ?知らんの?」
もうマスクは、限界まで伸びきっている。
「知らんがなぁ!」
さすがに声をあげる。
その返事に気づいた母親の狼狽ぶりもひどかった。
「ええっ!うそぉ!やめてぇ!なにしてんのぉ!」
「すいません!ほんとに失礼しましたぁ!」
言いながら慌てて立ち去ろうとすると余計にマスクが引っ張られる。
娘に。
「お願いやから離してぇ!おかあさん、もう無理やからぁ!」
いや、無理なのは俺だから。
海辺の家に帰って、ヤツが執着していた “ 妖怪ドロップ ” なるものを検索してみた。
なるほど、こんなのがあるんだぁ。
妖怪のことは妖怪に訊け!ヤツは、どうやらそう発想したに違いない。
なので、マスクを引っ張って妖怪かどうかを確かめたかった。
そして、確信した。
俺が、妖怪だということを。

まったくもって、失礼な奴だ!

 

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六百二十八話 ひと夏の宴

海辺の街。
海水浴場は、七月一三日に “ 海開き ” が行われて、八月二七日までの四六日間ひとで賑わう。
嫁は、幼い頃、水着姿で浮輪片手に坂を駆け下りていったそうだが。
さすがに今は、そうした原住民の姿を目にすることはなくなった。
それでも、毎日見かける子供達の顔は、日に日に黒く日焼けしていく。
肌が白い異人の子は、 可哀想なくらい真っ赤だけど、気にする様子もなくそれはそれで元気そうだ。
みんな盛り上がって楽しそうに坂を登り下りしている。
月が明けて八月になると、浴衣を着せてもらった海祭りに向かう女の子も登場する。
こうして海辺に巡ってくるひと夏の宴。

電車で一〇分もすれば着く街中では暑さで皆辛そうにしているのに、なにがどう違うんだろう?

 

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六百二十七話 ひとり神戸

気温三〇度、湿度九二%、曇天の港街をひとりでぶらつく。
まずは、腹ごしらえ。
南京町の路地裏にある “ 横丁 ” で鰻重でも喰うかぁ。
義父も通った一九四七年創業の老舗。
この店屋の段取は、注文を受けてから焼くのではなく、ある程度の量を予め焼いておく。
なので、焼き立てを望むなら口開けの今どきが狙いだ。
鰻重の大盛りを注文して待つ。
暖簾を潜って飴色に燻んだ店内に居ると、此処が中華街だということを忘れてしまう。
柔らかくとろけるような江戸前ではなく、身が締まって少し歯応えが残る鰻だがこれはこれで旨い。
喰い終わって、改めて今日はひとりだと気づく。
誰にうるさく言われることもなく、気兼ねすることもなく、言い訳する必要すらない。
食べたいものを食べたいだけ食べれるという好日なのだ。
ならば〆に蕎麦でも。
北長狭通をあがって、“ 道玄 ” に向かう。
美人の女蕎麦職人が打つ唯一無二の九一蕎麦。
たいした距離でもないのに、歩き着いた頃には汗びっしょり。
嫌な季節だ。
すっきりするには、酢橘の酸味か?おろし大根の苦味か?迷った挙句苦味に傾く。
辛汁の濃さ、鬼おろしの具合、削節の香り、すべてにおいて絶妙。
このモデルみたいな女亭主の蕎麦切りの腕前には、幾度食べても魅せられる。
また客筋も一筋縄ではいかない。
隣席の若い女性客が、小説を片手に注文する。
「二、三杯飲んでからにしたいんで、蕎麦の注文は後にしていただけますか」
平日の真っ昼間から?二、三杯?思わず顔を向けてしまう。
手にしている小説は、村上春樹先生の “騎士団長殺し”
不健全で難解な小説を読みながら削節を肴に日本酒を冷で呷るという趣向らしい。
涼しい顔をしながら、なかなかにドス黒い日常を過ごしているおねえさんを横目に蕎麦を啜る。
こうして、鰻に蕎麦と好物を渡り歩いて、腹も満たされ珈琲もいらない。
せっかく街中に出てきたんだから、無駄遣いがてら店屋を冷やかしにいこうかと思う。
しかし、汗で濡れた身体では試着も出来ないので服屋はやめておく。
TOA ROAD をくだって、高架を超えて三ノ宮町辺りへ。
震災前は、天麩羅や鉄板焼きの名店が路地に立並ぶ飲屋街だったけど変わってしまった。
今では、馴染みの店屋もなく、流行りの服屋や雑貨屋ばかりで往きかうひとも洒落ている。
稼業が稼業だっただけにこちらは臆することはないが、場違いと言えば場違いな界隈だ。
興味あるものもなく、客の入り具合を眺めながら歩いていると一軒の店屋が目に留まった。
明らかに Hand Made frame の眼鏡が並んでいるちいさな眼鏡店。
「ちょっと冷やかしても良いかな?」
「どうぞ、ごゆっくり」
「今日は、お買物ですか?」
「いや、腹ごなしにちょっと」
「なに召し上がられたんですか?」
「鰻屋と蕎麦屋かな」
「えっ?昼飯梯子ですか?あぁ、お身体おおきいですもんねぇ」
「うん、ちょっとだけ肥えてるからって、うるせぇよ!」
にしても、この acetate frame 無骨だが丁寧に創られていて、よく出来ている。
「掛けさせてもらうよ」
厚みの割に圧迫感は感じられない。
「お客さまでしたら、鼻部分少し削って眉毛と眼球の間に rim の上部を揃えた方がいいですねぇ」
「一体型の cell frame で、そんなこと出来んの?」
「うちは、一点一点手創りの BESPORK 工房なんで問題無くお創りします」
「BESPORK 工房って、今更だけど此処なんて言う名前の店?」
「眼鏡舎 “ ストライク ” です」
「あぁ、北野ハンター坂の眼鏡を置いていない眼鏡屋って、おたくだったの」
「えぇ、あちらは注文製作専門で、こちらは二ヵ月前から始めた半既製品の眼鏡屋なんです」
「ところでお客様って、Vintage frame collector なんですか?」
「そうならないように気はつけてるつもりなんだけどね」
「 まぁ、いいや、これ買って帰るから、フィッティングしてもらえる」
「マジですかぁ!僕、通りすがりに名前も知らなかった眼鏡屋で眼鏡買うひと初めて出逢いました」
「いや、今日、俺、何しても許される日だから」
「そうなんですね、ありがとうございます」
食いたいもの食って、買いたいもの買って、無目的で生産性の欠片もない1日だったけれど。

けっこう楽しかった。

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六百二十六話 華人街の新たな扉

六月の初日。
神戸市立博物館で “ ジブリパークとジブリ展 ” を観終えて、予約していた中華料理屋へ。
目当ての “ 楽関記 ” は、元町駅から北長狭通りを少し上った処に在る。
二〇一七年開業で中華街では新参の類だが、今や神戸華人の間で知らぬ者はいない評判の店屋だ。
昼飯に立ち寄りその 小籠包と鶏唐揚の旨さに驚き、一度ちゃんと晩飯を喰ってみたいと思っていた。
しかし、都合よく予約が取れる機会に恵まれず今日に至る。
一階はカウンター席のみのちいさな構えで、奥に地下部屋へと続く錆びた鉄階段がある。
降りると、薄暗い空間に五卓ほどの席が設られていて、そのひと席に案内された。
中華街にありがちな怪しい雰囲気だが、こと中華飯に限ってはこういう店屋ほど味は期待できる。
前菜から。
“ 鹵水叉焼 ”  鹵水には、中華香辛料と水を一週間かけて煮出し、調味料を加えたタレを用いる。
料理人の手間と舌が頼りの複雑な料理だ。
“ クラゲと胡瓜の和物 ”
“ 蒸し鶏 ”
“ 皮蛋 ”
“ 帆立貝の刺身 ”
“ 酔蝦 ” 香辛料などを加えた紹興酒に海老を漬ける料理で、頭部の味噌が絶品。
“ 干し豆腐と豆もやしと春雨と香菜の和え物 ”
“ キクラゲとくこの実の冷製 ”
“ 生搾菜 ”
もうこの時点で、“ 楽関記 ” に口煩い華人が唸る理由が解る。
一緒に卓を囲んだ自らを食通ではないと言い張る “ さすらいのグルメ・リポーター ” が云う。
「これから、この辺に来たらもう此処でエエやん」
「だから、予約取れないんだって!」
そんなやりとりをしていると、この飯屋の原点となった一皿が運ばれてきた。

店主がこの一品のため、勤めていた会社を辞め蘇州で修行を重ねたという “ 小籠包 ” である。
上海の名店 “ 佳家湯包 ” で食べた小籠包が事の始まりだったらしい。
ただ蘇州で学んだのは、小籠包の肝である皮作りだけ、具は独学なんだそうだ。
塩麹を基に醤油とあともうひとつの秘密の何かを加える。
脂を極力抑えたあっさりとした具材は、幾つ食べても食べ飽きない。
生地と包み方、具材の汁加減など、どれもが綿密に計算され尽くした黄金の味に仕上がっている。
他にも排骨の豆鼓炒め、以前食べて忘れられなかった鶏唐揚など、注文した皿を次々に平らげた。
口開けで訪れたが、階上も階下も客でびっしり、外には次の予約客の姿も。
これが、昼から夜の一〇時閉店まで続くのかぁ。
“ 楽関記 ” は、香港人の熟練料理人ひとりを除いては皆若い連中で営まれている。
可愛い女性達も多いが、誰もが的を得た無駄のない動きで休みなく働く。
華人三世の店主、城野 肇さんも多分お若い。
勢いに乗った店屋は、眺めているだけで気分良く過ごせる。
包丁一本晒しに巻いてといった苦行礼賛の時代は、もうとうの昔に終わったのだ想う。
合理的に学び、探究し、気の合った仲間と楽しく日々精進して繁盛店を目指す。
“ 楽関記 ” は、こうして華人街の新しい扉を開けたようだ。
お陰で、また街場の楽しみがひとつ増えたわぁ。

ごちそうさまでした。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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