
一九八七年の秋、出張先の南仏 LYON で、山中に在る一軒の Auberge に案内される。
仏料理の何たるか?も解さない餓鬼だった頃の噺。
そこのところは、残念なことに爺になった今でもわからないままなのだが。
そもそもに “ 食 ” にここまでの膨大な手間と時間と金銭を費やす人達がいることに驚く。
それは、創る料理人と食べる客のどちらにもいえる。
たった一晩の夕食のためだけに大西洋を超えて LYON の山中にまでやってくる米国人。
彼らの腹と舌の欲求を完璧に満たすべく待ち受ける料理人。
美食という正気の沙汰とは思えない世界があるのだとその夜知らされる。
Auberge の主は、料理界の Leonardo da Vinci と称された Alain Chapel 氏。
食に関わる追憶という意味では、自身にとっても忘れがたく素晴らしい夜だった。
今回、こういう体験を再び与えてくれた従姉妹夫婦には感謝しかない。
困難な予約から厄介な場所への運転まで、ほんとうに面倒をかけました。

富山駅前で、ご当地拉麺 “ 富山 Black ” を軽く腹に入れて出発。
目指す場所は、南砺市利賀村。
標高一〇〇〇m級の山々に囲まれ、急峻な峡谷がひとの往来を拒む。
下に落ちれば御陀仏、上から落ちてきても御陀仏の道をいく。
こんなとこにほんとに在るの?道中何度も訊いた。
一時間三〇分ほど経って、田の島辺りで川幅が狭まった利賀川に架かる橋を渡る。
すると灰色の平屋が数棟並び建っているのが見えた。
敷地には、前夜降った雪がところどころ残っている。
これが、“ L’évo ” だ。

外装の灰色と内観の白、この原風景に在って Noise とならない工夫と配慮だろう。
建って間もない人工物は、高さを抑え低くうまい具合に隠されている。
贈られた創業五周年の祝い花が飾られた information desk で宿泊手続きを。
左手の Dining room へと続く扉は、まだ固く閉じられていて中は伺えない。

特筆すべき個性といったものは何も存在せず、眼前の景色だけがある。
料理家の辰巳芳子氏が、生前語っておられた。
何を得るかじゃないのよ、何を捨てるか、何を捨てるかで残ったものの意味が決まる。
潔癖なまでの静謐な空気がたどり着いた者を包む。
今夜の予定が伝えられ Auberge としての宿泊棟へ。
棟内にも無駄なものは一切なく、ただ快適に寝ることだけを担保してあるだけ。
意外だったのは、別棟に Sauna があるらしい。
せっかくなので暖まらせてもらい、身支度を整える。
そして午後七時、暗闇を Lantern 灯を頼りに Dining room へと向かう。
後編へ


