五百九十七話 シチリア風カワハギの煮付

獰猛なカワハギを美味しく食べる件。
一年を通して獲れる魚だが、身の旬と肝の旬が、それぞれにある。
身の旬は、産卵を終えて体力を取り戻そうと餌を食べまくり太っている夏。
逆に、肝の旬は、冬だとされる。
カワハギは、寒くなると身ではなく肝に脂肪を蓄える習性があって、冬場に肝が肥大化するから。
通説で、真実かどうかは知らないが、そう謂うひとが多い。
いづれにしても、いつ食ってもカワハギは、それなりに旨い魚だ。
誕生日に、明石の伊料理屋 “ CHIRO ” で友人と飯を食うことになっていた。
二週間前からの予約受付が、わずか数分で埋まってしまうという人気は、未だ衰えを知らない。
“ CHIRO ” では、その日仕入れた魚を盆に載せて卓に運び、選んだ魚を希望の料理に仕立てくれる。
この日の盆には、オマール海老、鯛、鱸、笠子、チヌなどに混じってカワハギが 。
カワハギを注文するとして、それをどう調理してもらうか?に頭を巡らせる。
ナポリ伝統のピザ窯で焼く? Acqua Pazza ? 素人が思いつくのはそんなところだ。
玄人に訊く。
「なんか、こうもっとカワハギを美味しく食べるやり方ってある?」
「そうですねぇ、馬鈴薯とオリーブの実と一緒に煮付けるっていうのも意外と美味しいですよ」
「なるほどね」
なるほども何も、全く味の見当すらついていなかったのだが、行きがかり上そうすることにした。
そして、供されたのがこの一皿。
「なんだぁ!これ!クッソ旨いわぁ!」
ただ煮付けただけで、どうしてこんなに旨くなるんだろう?
塩加減、煮具合で、風味や食感がここまで違うものなのか?
それとも、“ CHIRO ” には、謎の調味料が存在するのか?
やばいなぁ、この飯屋!
そこで、“ 獰猛なカワハギを美味しく食べる件 ” の正解です。

“ CHIRO ” に行け!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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五百九十六話 異形の獣

遂にというか、ようやく手に入れた。
若き彫刻家、坂田源平の作品。
あたまの中にいる “ ANIMAL ” を図鑑のように表現する現代美術作家がいる。
知ったのは、五年ほど前だったと思う。
不可思議で不安定な形態。
惚けた表情。
錆びか?苔か?が、こびりついたように塗り重ねられた彩色。
勢いを残した鑿の軌跡。
かろうじてそれが何者なのかが判るものの、実態とはかけ離れた異形。
何をどう見たらこうなるのか?
また困った作家が彷徨き始めたものだというのが、最初の印象だった。
しかし一方で、下世話ではあるが、美術品としての洗練された趣が作品に漂っている。
これは、欲しい!
以来、いろいろと手を尽くしてみたものの縁に恵まれず諦めかけていた。
半年前の夏、京都の御池通りを夫婦で歩いていた時、通りすがりの画廊に嫁が目を停める。
「あれ、良いじゃないの」
古びた李朝箪笥に牛の彫刻が置かれている。
「 えっ!坂田源平?嘘だろ?」
京都の一等地に構える老舗美術画廊 “ 蔵丘洞 ”
店主に話を訊くと、坂田源平先生とは、作家となる以前からの付合いだという。
今、この一点を手に入れるか?それとも、他作品を待って数点から選ぶか?
画廊懇意の作家となると待つのも一興かもしれない。
賭けだったが、そうすることにする。
そして、年が明けた先日、坂田源平作品展の案内状が届く。
ここからは、迷っている暇も、気取っている暇もない、一気に話を詰める。
まず出展される作品の概要を口頭で訊く。
そして、個展開催日までにそれらを観られるよう依頼する。
「遠方より何度もお運びいただき恐縮です」
「当方にて、ご依頼通り取り計らいさせていただきます」
さすがに京都筋の美術商、こちらの意向を淡々と汲んで無駄な煽りはしない。
開催日の前日、全国的に大雪で、不要不急の車での外出は避けるよう呼びかけられていた。
そんな朝、鴨川に積もる雪を眺めながら画廊へと向かう。
個展準備中の店内から奥の商談応接室に通される。
部屋には、五体が既に並んでおり、作品がこちらを睨んでいる。
「手に取らしてもらっても良いですか?」
「もちろん結構です」
三体は新作で、“ 鳥 ” と “ 象 ” と “ 駱駝 ”
“ 駱駝 ” は、東京での展覧会に向けたもので即日の引き渡しは難しいとのことだ。
そして、作家自身が所蔵する 二〇一八年制作の二体。
“ Chameleon ” ともう一体は、作家の手元に戻させれていたあの “ 牛 ” だった。
作品名によると “ 闘牛 ” なのだそうだ。
手にとってみると、檜材の彫刻作品にしては軽い。
坂田源平作品の魅力は、その unbalanced な形態にも拘わらず、ちゃんと自立するという作風にある。
自立実現のため、檜材の内側を削って部位による重量を拮抗させているらしい。
言わば空洞なのだ。
自立は、重く固い檜を材として巧みに操っている証ともいえる。
さて、どれにするか?
もともと気に入っていたし、最初の縁を軸にして、“ 闘牛 ” を求めることに決めた。
ところで、我家には、家に置く作品を購入する際の決め事がある。
ひとりが買いたい、もうひとりが買いたくない、となった場合は買わないとする約束である。
説得や相談といった面倒な行為はなく、瞬殺で買いは見送られる。
なので、滅多に美術品に手を出さずに済むというある種の家計防衛策だ。
しかし、こうして本作品は、この馬鹿夫婦の防衛策を破って海辺の家にやって来る羽目となった。
国内屈指の現代美術蒐集家として知られる桶田俊二さん聖子さん夫妻は言われる。
「現代美術への理解は、気にいった作品を家に置いて何度も眺めることで深まる」
そして、嫁も言う。
「この牛、なんて名前にしよっかなぁ」

いやいや、ペットじゃないし、そういうことじゃないから!でも、そういうことなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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五百九十五話 寿司屋の勘定

義父の祥月命日。
菩提寺での法要を終えて、明石の商店街をぶらつく。
祥月のこの日は、故人が好んだものを口にするようにしている。
遠州人気質そのままだった義父の嗜好は、いたって単純でわかりやすい。
まぁ、鰻にするか、寿司にするかだろうな。
三宮まで出向き、生前贔屓にしていた店屋を訪ねたいところだが、この寒空の下面倒臭い。
近場で済まそう。
魚の棚商店街は、菩提寺から海に向かってほど近い東西に軒を連ねる通りだ。
明石城築城の際、宮本武蔵の町割によって整備されたというから、その歴史は古い。
近隣客だけでなく、観光客も多く、昔ほどではないにせよ今でも賑わっている。
さて、鰻屋なら “ 黒谷 ” で、寿司屋なら “ 希凛 ” だな。
どちらも、名店で、人気も高い。
法要後、住職との世間話の盛上がり次第でどうなるかわからないので予約はしていない。
まずは、鰻屋から。
川魚店も営んでいる “ 黒谷 ” の鰻は、捌きも焼きも絶妙で旨い。
しかし、入口に “ 本日満席です ” の貼紙。
次に、寿司屋に。
“ 希凛 ” は、寿司屋激戦区の地元にあって新参であるものの、昨今では有名老舗店を凌ぐ勢いだ。
同じ屋号で、隣合わせに二店舗を営んでいる。
本店を覗く。
「ごめんなさい、満席なんです、隣で訊いてもらえますか?」
店主の指図通り、駄目元で隣へ。
「あぁ、ちょっと今日はぁ、いや、三〇分ほど時間をいただけるようでしたらなんとか」
「助かるわぁ!じゃぁ、空いたら携帯に電話してよ、急がなくていいよ、どうせ暇だから」
そんなこんなで、“ 希凛 ” で寿司をつまめる事に。
“ 希凛 ” は、基本お勧めで供される。
鯛、〆鯖、平貝、太刀魚、蛸、鰤、鮪、鰆、平目、蒸し穴子、焼き穴子と続く。
いつもながら、どれも粋な仕立てで魅せてくれる。
「いやぁ〜、美味かった!空いてくれてよかったわぁ」
と、隣の客が、付け台越に訊いた。
「おい、いつもより一貫多くないか?」
職人が返す。
「なに言ってんですかぁ!そんなはずありませんよ!ちゃんと一〇貫数えてますから」
「もう一遍数えてみなよ」
伝票を最初から順に数えていく。
「鯛、〆鯖、……………………… 蒸し穴子で一〇貫と、あれ?それに焼き穴子で、あれ?なんで?」
「ほ〜ら、十一貫だろ? やらかしたな」
「えっ!なんで?」
「なんで?なんで?って、だから、やらかしたんだよ、おめえが」
「この件は、隣の店にいる親方には内緒でお願いします」
まるで、五代目古今亭 志ん生 の “ 時蕎麦 ” だ。
結局、客全員が寿司一貫を得して、店屋が損をするという “ 下げ ” となる。
もし、この場に義父が居たとする。
間違いなく、勘定に幾許かの銭を上乗せして支払ったに違いない。
命日だから、義父の真似事をしても良いようなもんなのだが、どうもそういった事が似合わない。

なので、ご馳走さん!こいつは、明けから縁起がいいや!

 

 

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五百九十四話 あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。
二〇二二年、寅年。
多くは望まないけれど、気兼ねなく逢いたいひとに逢えるくらいの望みは叶えて欲しい。

本年が、皆様にとって、より良い年となりますように。

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五百九十三話 孤高のおんな厨师 !

予約一年待ちとか言う飯屋をたまに耳にする。
たいていが噂ほどでもなかったりするが、此処は違う。
“ 溢彩流香 ”
高槻の古びた雑居ビルの二階で、広東人女性がたったひとりで営んでいる。
たったひとりで奮闘しているので、これ以上人気になったところでどうにもならない。
なので、なるだけ他人に言わないようにしてきた。
それが、この度、百貨店への出店を機に長期休暇をとるのだと聞いた。
出店の事情についてよくは知らないが、それは本人の手によるものではないらしい。
まぁ、百貨店によくある話で、珍しくもないし、どうでもいい。
とにかく、彼女の料理を当分の間口にできないというのが問題だ。
友人から、そういうことなので食べに行かないか?と誘ってもらい、久しぶりに訪ねることにした。
この友人は、“ 溢彩流香 ” の常連を友人にもっていて、当日、その友人が店を貸し切るらしい。
洒落た扉を開けると、元気そうな笑顔で迎えてくれる。
Lin さん。
「どうしたの?百貨店にでるんだって?」
「ちがう!ちがう!わたしが、この手で創る料理は、わたしの知ってるひとにだけ!ここだけ!」
「長く休むって?具合でも悪いの?」
「それもちがうよ!まず、美味しものを創るために身体を鍛えなおす!」
「それから、やりたかったことをやる!」
「自ら食材を育てて、もっと凝った料理を考えて創る!そして、もっともっと良い店にする!」
広東人らしい端的なもの言いだが、こうした短く交わした会話からでも伝わるものがある。
この Lin さんが、どれほど真っ当な料理人であり、どれほど真摯な店屋の店主であるかが。
自身を含めた店屋や店主の良し悪しをどうやって量るのか?に長年あたまを悩ませてきた。
店主が、店屋をやるにふさわしい豊富な知識と経験と技量を人並み以上に備えている事。
店主は、どんな時も店に居て細かく気を配る事。
店は、徹底して清潔である事。
気取らずどこか家的な雰囲気で、いつも変わらずにいる事。
今日の商いモノが、昨日の商いモノよりも良い出来である事。
これらは、立地・収益・効率よりも大切で、算盤勘定だけではどうにもならない。
口で唱えるのは簡単だが、日々毎日休みなくとなると心身が擦り減る。
もし、何かひとつにでも自信が持てなくなったその時は、客に気づかれる前に幕を引いた方が良い。
多分 Linさんも、そうして今日までずっと続けてきたんだと想う。
しかも、これ以上はないほど完璧に。
“ 溢彩流香 ” の料理は、一皿一皿がどれも素晴らしい。
この日で、それらと暫しの別れとなる。
前菜三種盛(葱塩ダレの鮪・海老・南瓜)
漬けた白菜の水晶餃子
豚で出汁をとった鯛の粕汁
水餃子二種(ほうれん草と豚の水餃子・海老の水餃子)
焼餃子
大根と春雨の春巻き
スペアリブと百合根の黒酢酢豚
自家製干豚の葱炒飯
苺大福
Linさんは広東出身、ご主人は西安出身で、“ 溢彩流香 ” の料理は、その双系出自だという。
昔、仕事で中国沿岸部を旅したことはあるが、広東料理や西安料理が如何なるものかは知らない。
ご夫婦の郷土では、こうした食べ物が日常の食卓に並ぶのだろうか?
おそらくだが、それは違っていて、似て非なるものなんじゃないかと想う。
心中にある母国の味を、異国で苦心の末に映した Linさんならではの味のような気がする。
だとすると、誰も真似できない。
繊細で、それでいて骨太で力強く迫ってくる“ 溢彩流香 ” の点心は、小柄な Linさんそのものだ。

ごちそうさまでした。
少しゆっくりして、その後、身体に気をつけて新たな料理と向き合ってください。

唔該 !  再见 !

 

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五百九十二話 石の銀行?

庭のジプシーこと橋口陽平君からの業務連絡。
「明日、ご自宅にお迎えにあがりますので、それから銀行に行きましょう!」
「えっ、作庭料?前払いなの? 額にもよるけど銀行に行かなくても手元にあるけど」
「いやいや違いますよ、“ 石の銀行 ” にご一緒していただきたいんです」
「石?銀行?どこへ?」
翌日昼過ぎ、海辺の家に二トン・トラックに乗ったジプシーがやって来た。
“ 石の銀行 ” は、六甲山に在るという。
そもそも “ 石の銀行 ” とは何か?
もともと、海辺の家から北東部に跨る六甲山系は、御影石の産地であった。
阪神間の “ 御影 ” とつく地名や駅名は、石の名称に由来する。
またこの辺りには、石塀などに高級石材である御影石をふんだんに使った邸宅群が多く残っていて。
それが、街に此処ならでは景観を映していた。
しかし、現在、六甲山麓部での石の採掘は厳しく制限されてしまう。
山からの供給は絶たれ、街では次々と建物が壊され、使われていた石材は廃棄物処理されていく。
地産の石がもたらした街並みも失われ、どこにでもある新興の風情と変わらなくなってしまう。
そう危惧した地元の石材屋が一計を案じた。
廃棄物の減量、景観の保護、需要者と供給者の相互利益を保証する組織の構築である。
需要者とは、この街で新たに創る構造物に石を利用したい者。
供給者とは、この街の既存構造物を壊して石を廃棄したい者。
前者には石の購入代金、後者には石の処理代金が、それぞれに発生する。
両者を繋ぎ、後者の石が前者に渡るようにすれば双方ともに利を得る。
そして、石は、姿を変えながらも街の構造物の一部として残り、景観はある程度維持されていく。
さらに、石は、捨てないのだから、その分廃棄物は減る。
需要者と供給者は、共に行員登録し組織の一員となり利用を許されるのだ。
なるほど、石屋が考えたにしては頭の柔らかい発想で、まさに “ 石の銀行 ” だ。
海辺の家から東へ、御影公会堂の手前を石屋川に沿って六甲山中へと登っていく。
その昔、川沿に石材店が軒を連ねていた所以から石屋川と呼ばれる。
また余談だが、野坂 昭如先生が著された “ 火垂るの墓 ” の舞台でもある。
六甲霊園を過ぎて、どんどん登る。
舗装路が途切れ山道に入る頃には、石屋川の幅も小川程度までに。
神戸市街地を一望する眺望は素晴らしいが、眺める余裕はない。
車幅と道幅はほぼ同じで、しくじったら一巻の終わりだ。
ようやく視界が開け、石の集積場らしき場所に着く。

これが、“ 石の銀行 ” かぁ!
傍に一軒の小屋が建っていて、そこには “ 石の番人 ” がいるという。
七〇歳を超えた “ 石の番人 ” が訊く。
「 あんた施主さん?石好きなん?」
「だいたい石を撫でるようになったら終わりが近いって聞くけど、 俺もその口かもなぁ?」
「あんたおもろいなぁ、それがホンマやったら、儂なんかとっくの昔に逝ってるわ」
「なるほどね」
「石担ぐ時は、まず石を臍に寄せて、身体で挟むようにするんや」
「大丈夫か?腰いわさんようにしいや」
爺が、もっと爺に労られ、一トンを超える重量の石をふたりで荷台に移す。
もっと爺の “ 石の番人 ” は、手伝わず見てるだけ。
疲労は困憊だが、ひとつとして同じものがない石を選んで、転がして、抱えて、積む。
この作業が意外と面白い。
俺、この爺さん逝ったら、跡目継いで “ 石の番人 ” になるかなぁ。

あぁ、それにしても腰痛いわぁ!

 

 

 

 

 

 

 

 

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五百九十一話 IKEBANA !

嫁の作品。
ようやくこの歳になって、年の瀬に花でも生けてみようかという余裕ができたらしい。
嫁と違い華道の欠片も知りはしないが、野趣で、奔放で、なかなか良いと想う。
だけど、これって、Christmas 用?それともお正月用?ただ生けただけ?
よく分からない。

でも、まぁ、そっとしておこう。

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五百九十話 里山からの贈りもの

世話になった画家が、東京から故郷の丹波篠山に移り住んでからもう随分になる。
画家本人は、もう亡くなってしまったけれど、その女房は、その後もこの里山に暮らしている。
渋谷のど真ん中にアトリエを構え、時代の最前線で奮闘する業界人達が集う。
画業への名声と共に華やいだ日々が、あたりまえのように続いていた。
唐突に、そうした東京での日常と対極にある暮らしに転ずると云う。
無理だと思った。
或日、画家の女房が、うちの嫁に訊いた。
「ねぇ、日々のご飯って、どうやってつくるの?」
「はぁ?どうやってって、今までどうしてたの?」
「お菓子ならつくれるけど、ご飯なんかつくってこなかったから」
画家も忙しいが、画業を支える画家の女房も忙しい。
打合せ中の客に供する菓子はつくれても、終わった後は外で会食となる。
なので、基本、日々の飯はつくらない。
しかし、皆が案じた画家夫婦の里山暮らしも年を重ねる毎に板についてくる。
そんな画家の女房と久しぶりに逢って、神戸元町で中華飯でも食おうとなった。
画家が逝ってから祥月の十二月は毎年笹山を訪ねていたのだが、去年は遠慮したので二年ぶりだ。
駅前のベンチで降ろしたリュックから取り出した包みを 渡される。
「山の地物、自然薯と黒豆味噌だよ」
「自然薯って、おろしたり、灰汁抜いたり、面倒臭くないの?」
「まぁ、そうでもないわよ、意外と旨いからやってみて」
ひとは、変われば変わるものだ。
Dior のロング・コートを羽織り、芋と味噌を入れたリュックを背負って、、山から下りてくる。
画家の女房ならではの里山暮らしを、それなりに上手くこなしておられるように想う。
海辺の家に戻った翌日、里山の贈りものを食卓に。

おろし金で自然薯を擦りこね鉢に移し、出汁でのばしていく。
予想通り結構面倒臭い。
とはいえ、やってるのは全部嫁だけど。
一品は、鮪の山かけ。
もう一品は、白葱を入れた黒豆味噌の味噌汁に自然薯を落とした椀物。
鮪の山かけを、白飯にのせて食ってみる。
漢方薬にも似た自然薯独特の臭みもそれほどなく、長芋よりも味は濃い。
鮪は鮪で旨いけれど、これはタレに漬けた焼肉にかけて丼にしても良かった。
と思っただけで、口には出さない。
黒豆味噌の味噌汁は、どうだろう?
これは、文句なく旨い!
素朴だが品の良い芳醇な黒豆味噌の香りに、自然薯の風味が引き立つ。
食べ慣れない者にはよくわからないが、これが山の滋味とかいうやつなのかもしれない。
馴染みのない味なのに、なぜか懐かしい。
後日、達筆でしたためられた礼状が、画家の女房より届く。
相変わらずの巧みな毛筆さばきだが、あまりに巧みすぎて、読むのにいつも苦労する。
このところ、ようやく手紙の文面に連れ添った画家が登場しなくなった。
だいぶと時を要した末に、辿り着いたのだと想う。

里山の冬は寒いので、お身体を大事に暮らしてください。ごちそうさまでした。
 

 

 

 

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五百八十九話 庭のジプシーが、やって来た!

海辺の家の庭。
外出自粛の間、一部改庭も含めた修理をずっと進めてきて、最後に手付かずだった場所が残った。
三段になっている庭で、一番低く、窪んでいて、日当たりも良くなく、一般的な作庭には向かない。
ここに日陰ならではの庭を作ろうと思い立つ。
色々工夫し、労力も使い、刻も費やした結果、半分ほどはなんとか満足のいく出来に仕上がった。
が、そこから先がなにをやってもうまくいかない。
行き当たりばったりでやっていては、いつまで経っても形にならないのではないか?
そこで、こうしたいという姿を絵にしてみた。

好き勝手に描いているうちに、素人がひとりでなんとかなる代物ではないと気づく。
先代からずっと庭の面倒をみてくれている庭師もいるにはいるのだが。
この庭に関しては、その熟練の腕も役どころが違うように思う。
洋の東西を問わない雑然とした雰囲気で、少し荒れた風体を醸した庭。
さすがにこれは無理かも。
そこで、たまたま別件で訪ねてきた建設会社の担当者に駄目もとで相談してみる。
“ 海辺の家 ” の改築で、 無理難題への免疫は充分に獲得していて、理解も素早い。
「あぁ、なるほどですね、䕃山さんとなら気の合う変な庭師をひとり知ってますよ」
「まぁ、気が合いすぎて、とんでもないことになるかもですけどね」
「マジでかぁ! 誰? 紹介して!」
「紹介はできますけど、今、日本にいるのかなぁ」
「はぁ? それって、外人の庭師なの?」
「いえ、日本人ですけど」
「 “ 庭のジプシー ” って呼ばれていて、いろんなところで庭を作って歩いてるひとなんですけどね」
「なんだぁ、それ? さすらいのカウボーイじゃなくて、庭師ってあんまり聞いたことないな」
「庭の話しかしない、まぁ、変わったひとですよ」
翌日、早速連絡してみる。
どうやら、米国で庭を作る予定だったのだが、このコロナ騒ぎで延期になった。
なので、当分の間国内で仕事をするつもりらしい。
とは言え、来週は北海道、翌週は東京でという具合で、その後にうかがうとの事だった。
“ 庭のジプシー ” とは、まさにその名の通りの働きぶりだ。
そして、十一月九日、庭のジプシーが、海辺の家にやって来た。
想像していたよりずっと若い。
門から入ってきて、四百年超えの山桃や桜の大きな老木を眺めて。
「うわぁ〜 、凄いなぁ〜、良いですねぇ、庭にこんなのがあるんだぁ!」
「この山桃の根元辺りに庭を作りたいんだけど、出来る?」
「はい」
「あっ、僕、ここでちょっとやることがあるんで、奥様とふたりは家に入っててもらえますか」
しゃがんで土を触ったり、周りの植物の葉の様子を調べたり、一向に戻って来ない。
朝方にやって来て、昼時になって。
「そろそろ昼飯時だけど、あんたも食べる?」
「はい」
店屋物が届いたので、呼びに行ってようやく家に入ってきた。
「あっ、恐縮です、いただきます」
食べながら、資料やスケッチを前にこちらの意向を伝えた。
「どう?やってもらえるかなぁ?」
「はい」
「で、そもそも、庭を作るっていう行為は……………………….。」
人呼んで、“ 庭のジプシー ” 橋口陽平先生の講義が始まった。
普段ならブチきれるところだが、不思議とすんなり耳に入ってくる。
それは、この若い庭師が提唱する作庭が、意外と論理的で筋道が通っている事。
また、作庭家という職業に情熱と愛情をもって向き合っている事。
世界中どんな環境に於いても、その事を貫こうとする矜持が感じられる。
でなければ、こんな面倒臭い話は聞いていられないだろう。
San Francisco では、Steve Jobs 氏のガレージに寝泊まりし、日本庭園を作ったこともあるという。
地上の植物に起こっている事象は、地下で起こっている事象を映している。
植物は、土壌の映し鏡で、その映し出された様子から全てを学ぶ。
作庭とは、見た目ではなく、土をどのように管理するかとういう行為の追求である。
こういった話が、ずっと続く。
あたりまえの事だけれど、いざ実際に行うとなると難しい。
冬場に土壌を整え、暗渠排水を施し、石を積み、春先に植栽を行う。
「まずは、六甲山に石積みに使う石を見に行きましょう」
「えっ、俺も行くの?」
「はい」

庭のジプシー、ここはひとつ任せてみるかぁ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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五百八十八話 庭の果実

海辺の家の庭に “ 柿 ”が生る。
隣の家の庭に “ あけび ” が生る。
持ち寄られた果実を盛ってみた。
秋だねぇ〜。

だけど、残念なことに “ 柿 ” も “ あけび ” も、どちらもそれほど好きじゃないという現実。

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