作成者別アーカイブ: webprime

六百五十七話 German Iris

すっかりご無沙汰してます。 今年は、正月もなく、花見の宴も開かず、おとなしく毎日を暮らしています。 先日、海辺の庭の “ German Iris ” が蕾をつけた。 嫁が庭でもっとも大切にしている新種の Iris で、毎年咲くのを楽しみにしている。 その貴重な一本が無惨な姿に。 蕾をつけた茎は真ん中から折られ、芝生に転がっていた。 おそらく犯人は、顔見知りの野良猫なんだろうけど、よりにもよってこれを狙うとは。 まったく命知らずの暴挙にでたもんだ。 見つけた嫁は、もう怒髪天。 「なんてことを!どういうつもり?アイツ絶対に許さない!」 まだアイツと決まったわけでもないのだが、一旦アイツとなったらもうどうにもならない。 顔見知りのまぁまぁ可愛い顔をした野良猫を出禁にし、折れた Iris を拾って台所に。 Grappa の空瓶に水をはり茎をさして、開花させるつもりらしい。 「この状態じゃぁさすがに咲かないんじゃないの?」 「いや、わたし負けないから!」 もはや、Iris はわたしに、問題は勝ち負けになったようだ。 その後、水を換え適度な日当たりで世話してると、三日目に見事に咲いた。 「良かったよなぁ、なんとか咲いて」 「うん、それにしてもアイツ!」 咲いたからといって、許されるものではないらしい。

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六百五十六話 あの日

街は、綺麗になった。 “ 鉄塔の美女 ”とも謳われる KOBE PORT TOWER の改修工事も終わった。 そして、当時半壊だった “ 海辺の家 ” もこうして元の姿を取り戻した。 普段、あまりもう口にすることも少なくなった。 それでも、やっぱりこの日にはあの日を想い出す。 もう三〇年経ったのかぁ。 長かったような、短かったような・・・・・。  

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六百五十五話 良いお年を

仏道の決まりで、新年のご挨拶は控えさせていただきます。 皆様、良い年を迎えられますように。 明年もよろしくお願いいたします。                  二〇二四年大晦日      

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六百五十四話 異世界ビジネス

Main culture どころか Sub culture にすらなれない。 しかし、いつの時代にもそれは確かに存在する。 Culture の周縁に居座る異彩の領域。 日本美術史の系譜にも、江戸時代?いや、もっともっと昔から隠れるようにして在る。 怪奇美術とも暗闇美術とも言われ受け継がれてきた。 一九八〇年代の業界にも継承者はいた。 「あいつ、上手いのになんであんなひとの身体から膿が出るような絵ばっか描いてんの?」 「気持ち悪いよなぁ、でもあれでどうやって飯食ってんだろう?」 「きっと、ああいうの好きな輩が意外といるんじゃないの」 「でも、あれ、描けって注文されて描けるもんかなぁ?」 「一枚二枚なんとかなっても、ずっとは無理じゃねぇ」 「ところで、あいつ、なんていう名前のやつだった?」 失礼極まりない話だが、だいたいがそんな感じだった。 とはいえ、この異界の扉をまったく開けたことがないという人もまずいないだろう。 一九六〇年代、まだ貸本漫画が流通していた時代に現れたふたりの天才によるところが大きい。 ひとりは、“ 墓場の鬼太郎 ” の水木しげる先生。 もうひとりは、“ 紅蜘蛛 ” “ 蛇少女 ” の楳図かずお先生。 巨匠が描く怪奇漫画は、少年少女を虜にし居所は周縁ながら一躍皆が知るところとなる。 そして今、怪奇美術界で筆をふるう絵師達の多くがこの時代に生まれ多大な影響を受けている。 最初に読んだ漫画が楳図かずおの “ ミイラ先生 ” だったという伊藤潤二もそのひとりだと思う。 先日、伊藤潤二展 … 続きを読む

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六百五十三話 邸宅で観る Andrew Wyeth の絵

もし、米国という国家に一片でも善良な心があるのだとしたら。 その心を画業に於いて表現しえた唯一無二の画家だと僕は信じている。 “ Andrew Wyeth ” 一九七四年、初めて目にする Wyeth の絵に受けた衝撃を今でもよく憶えている。 徹底した基礎訓練による圧倒的な技術。 解剖学の領域にまで達する写実的人物像への探究。 当時中学生だったが、こんな絵を描く画家が世界のどこかにいるという事実に驚いた。 自分は十四歳、画家は五七歳。 事と次第によっては、自分も将来一枚なりとも描けるようになるかもしれない。 そうした錯覚から水彩画を始めた。 努力も探究心もなにより才能も到底足らざるまま今だ一筆たりとも描けていない。 画家は生涯を米国北東部の原風景とそこに暮らす人達を描くことにひたすら費やした。 夏場は Maine 州 Rockland 郊外、冬場は Pennsylvania 州 Chadds Ford と居を移しながら。 一九八七年頃、米国出張で初めて両地を訪れた。 建国時代に遡る清教徒的な雰囲気は、画家の青年期から比べると随分薄らいでいたのだと想う。 それでも物質至上主義を謳歌する他の地域にはない禁欲的な空気感が僅かだが確かにあった。 実は、米国という国の始まりは善良な精神に基づいていた。 四〇年近く経った今、そんな与太話を信じる者はもう誰もいない。 今、米国のどこを掘り返してみてもそんな証はどこにもない。 だが、善良な精神の記憶は Wyeth の絵にだけはこうして残されている。 一九四八年 Andrew Wyeth は、現代米国具象絵画の最高傑作とも評される作品を産む。 “ Christina’s … 続きを読む

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六百五十二話 じゃぁ、山の上ホテルで

自分にとってかけがいのないと言ってもよい宿屋が数軒ある。 南仏 ARLES “ Hotel Nord Pinus ” 巴里 Saint-Honore “ Hotel Costes ” 京都 麸屋町 “ 俵屋旅館 ” など。 館に重厚な物語を秘めながら、それでいてどこか素人臭い。 仕事で碌でもない事があっても、帰りつけばホッと一息つけて安らぐ。 宿屋という商いは、難しい稼業だと想う。 やらなくては駄目で、かといってやり過ぎても鬱陶しがられる、塩梅が求められるのだ。 かつて東京出張の際、雨の予報だと予約するホテルがあった。 用を終え、戻ってまた雨の中を飯を食いに出かけたり飲みに行くのも億劫だ。 旨い飯が食えて、落ちつけるBARが在って、ちゃんとした珈琲がいつでも飲める宿屋を探す。 そうした訳で行き当たったのが、お茶の水に在る “ 山の上ホテル ” 。 川端康成、三島由紀夫、池波正太郎、伊集院静など、数多くの文豪が別宅と呼んで愛した稀有な宿。 はじめての宿泊時、部屋に案内してくれたのは、ちょっと緊張気味の若い女性だった。 荷物を置いて、設備の仕様を伝えて部屋を出るとまたすぐ戻ってくる。 「これ、お茶とお菓子です、此処で良いですか?」 「お茶?お菓子?なんか旅館みたいだけど」 「えぇ、まぁ、こんな感じで」 どんな感じかよく分からなかったが、これっと言ってチップを手渡す。 「あっ、いや、どうしよう?えっ、そうですかぁ」 照れ隠しに笑って、ポケットにしまい込む。 … 続きを読む

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六百五十一話 忌明け

母が他界したって blog に載せたもんだから、いろんな方に気を遣わせてしまった。 ほんと、すいません。 お気持ちだけを有り難く頂戴いたします。 まもなく満中陰の法要を営み忌明けとなりますが、急な事でまだピンとこない始末です。 東京の友人から電話があった。 「大変だったねぇ。おいくつ?」 「九六歳」 「そんなに頑張っちゃたんだぁ」 「で、スッと幕引かれたんでしょ、立派だよねぇ、息子孝行じゃん」 「実感ないけどね」 「いらないよ、そんなもん、ご本人だって気づいてないんだろうから、きっとそうだよ」 「最高じゃん」 「俺の口からは言えないけど、いや、お互いの仲だから言っちゃうかぁ」 「ご逝去おめでとうございます!俺も見習わせていただきます!」 「これから四九日、百箇日と続くけど、しっかり長男の務め果たしてあげてください」 「この度は、ご愁傷さまでした」 まったくその通りだと想う。 ひとに祝ってもらえる死なんて、そうそうあるもんじゃない。

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六百五十話 極楽往生

八月九日の夕刻。 「口寂しいからなんかお菓子持って来てよ」 「いやいや三日後に帰ってくるんだから、ちょっと我慢しろよ」 「まぁ、じゃぁ、そうするわ」 「帰って来たら、焼肉でも食べにいく?」 「いいねぇ、焼肉、ありがと」 施設でリハビリテーション中の母から 掛かってきた電話でのやりとりだった。 二時間後、別の相手からまた電話が掛かってきた。 「急に倒れられて、意識をなくされているので今から救急搬送いたします」 「えっ?誰が?そもそもあなた誰?」 「お母さまです!施設の看護師です!」 「まぁ、とにかく搬送先の病院に向かいます」 台所で、夕食を支度していた嫁が。 「どうしたの?」 「婆さんが倒れたって施設が騒いでんだけど」 「なんかの間違いじゃないの?さっきの電話お母さんからだったんじゃないの?」 「うん、口寂しいとか、焼肉食いたいとか言ってたけどな」 向かった先は、国立循環器病センター。 救急救命の病床で、いびきをかいて寝ている母と対面する。 「先生、母の容体は、どうなんでしょうか?」 「多分、急性心筋梗塞だと思いますが、容体は、たいへん厳しいです」 「いや、母に心臓疾患なんてありませんよ、ってか、歯医者にすらかかっていないですから」 「雑なもの言いになりますが、どんな方でも九六歳の心臓は、九十六歳なりの心臓なんです」 端的に的を得た診断だと納得した。 「どうされますか?此処でなら積極的に手術という手も尽くせますよ」 「専門医の先生を前に失礼ですが、もう、いいです、それより、今、本人苦しいんですかね?」 「倒れられた瞬間ウッという感覚はあったかもですが、以後はなんの感覚もないと思います」 「じゃぁ、このまま・・・・・・」 「えぇ、逝かれるんじゃないかと」 翌朝五時、医師の推察通りそのまま亡くなった。 生前、母親はよく言っていた。 「わたし、蝋燭の灯がフッと消えるみたいに逝くんやから、勝手にいらんことせんといてな」 マジで、その通りに逝きやがった。 改めて想う。 これまでの人生で、母ほど生きたいように生きた人と他に出逢ったことがない。 運と人に恵まれ続けた九六年間。 ほんと羨ましいかぎりだわぁ。  合掌       … 続きを読む

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六百四十九話 梅雨時の一席

それにしても蒸し暑い! そんなじめついた梅雨空の下、大阪に落語を聴きにいく。 木戸銭叩いての落語なんて久しぶりだ。 “ 春風亭一之輔のドッサリまわるぜ!二〇二四 ” の大阪公演。 前座は、二番弟子の与いちで “ 磯の鮑 ” その後、一之輔師匠の “ 反対俥 ” “ 千両みかん ” と二題続いて仲入り。 この頃には、冷房と師匠の軽妙な話芸ですっかり汗もひき、良い心地で本日最後の演目へ。 大抵の寄席では、演目が前もって明かされることはない。 そのお題を噺家が本題に入る前に自分の中で言い当てるのも落語の楽しみのひとつだと思うのだが。 これが、なかなかに難しい。 師匠が、枕を振る。 米国大統領 Joe Biden が酷い老いぼれぶりで、世界はこの先どうなるのか?という時事ネタで誘う。 そして、外は梅雨時で雨。 雨のなか老いた隠居が登場する人情噺? “ 道灌 ” ? “ 天災 ” ? いまひとつわからんなぁ。 いよいよ本題に。 大店のご隠居ふたりが、縁側で碁を打つところから噺は始まる。 隠居?雨?そして碁? … 続きを読む

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六百四十八話 久留美餅

海辺の庭にある古い藤棚を塗替えることにした。 高さ二メートル超え、広さ7畳敷きの鉄製棚、錆を落とし塗装を施す。 暑い最中、とてもひとりではやってられないので助っ人を頼む。 というか、なんなら助っ人ひとりでやってもらいたい。 陶芸家で庭師の YUMA 君に声をかけた。 実家は海辺の家近くだが、今は対岸の堺で暮らしている。 作業の途中、昼飯を食いながら訊く。 「堺だったら、“ かん袋 ” っていう和菓子屋知ってる?」 「いえ、越して間がないんで近所あんまり知らないですよね、古墳とかも行けてないんですよ」 「古墳?あんなの空から眺めてなんぼで、地上からだとただの藪だから、しょうもないよ」 「それより、堺と言えば “ かん袋 ” でしょ、それしかないから他所は行かなくていいって」 「いやに、その店屋推しますねぇ、そんなに旨いんですか?」 「日本の銘菓で此処と肩を並べられるとすれば、河内の御厨巴屋団子くらいだから」 「 団子?河内?ただの餅好きじゃないですか?それに河内って範囲狭っ!」 早速、ググってみて。 「おっ、結構有名みたいですねぇ、それに家から近いですよ」 「マジかぁ!騙されたと思って行ってみて」 “ かん袋 ” 鎌倉時代末期、 御餅司として創業と伝えられ、七〇〇年近く二七代にわたって継がれてきた味。 大阪城築城時の噺。 当代の店主・和泉屋徳左衛門が、瓦を餅創りで鍛えた腕力で天守まで放り上げて運んだ。 その様子が、かん袋(紙袋)が散るようだったことから、時の太閤が “ かん袋 ” と名付けた。 以降、“ … 続きを読む

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