六百五話 万年筆

“ 弘法筆を選ばず ” との喩えがあるが、実際のお大師様は、滅茶苦茶にこだわっていたらしい。
まぁ、 お大師様は、能書家であられたのでそれはそれで良いのだけれど。
悪筆にもかかわらず、筆記具に凝るひとがいる。
大体が男性に多いように思う。
自慢じゃないが、僕もその典型的なひとりである。
逆に女性は、筆記具に限らず道具は合理的に機能優先で選択する。
昔、Musée du Dragon の店内で、嫁が事務仕事をしていた時のこと。
使っていたのは、百円ほどの使い捨てボールペン。
その姿を傍で眺めていた顧客様のおひとりに声をかけられる。
「この万年筆、僕はもう使うことがないので、良かったら差し上げます」
“ Writing Jewel ” と称えられる伊 Montegrappa 社の名品。
その綺麗な銀細工が施された古い万年筆を置いて帰られた。
粋な方だった。
以来、嫁は、大切な愛用品のひとつとして手元に置いて使わせてもらっている。
先日、インクが切れて買いに行くというので付き合った。
「なんか黒とか青とかじゃなくって、もっと格好良い色ないかなぁ」
そういう話だったら、ちゃんとした文具店に行かないとならない。
文具屋という業種そのものが街中から消えようとしている時代にあっては、なかなかの難題だ。
思い至った店屋は、神戸三宮の “ ナガサワ文具店 ”
神戸では、老舗中の老舗で、場所は移転したもののまだ営んでいるという。
行くと、万年筆売場は、ちょっとした部屋になっていて、さすがの品揃えに驚かされる。
ナガサワ独自の高級万年筆まであるという充実ぶりだ。
嫁は、この道で経験を積んできた風の男性店員に相談している。
「うわぁ〜、なにこれ? 阪急電車色って、凄い!」
No.1からNo.82まで、全て港神戸に因んだコレクション・インク。
海辺の家が建つ街から近所の遺跡に至るまで、そのすべてが色で表現されている。
ここまでくると、意地というより病だ。
万年筆は、もはや実用品ではなく嗜好品だろう。
ならば、客の嗜好にとことんより添ってやろうという考えなのだろうか?
いづれにしても凄い!
“ Kobe INK物語 ” から嫁が選んだ一色は、これ。

“ 舞子グリーン ”
隣街の名を冠した Deep Green 色。
舞子の浜につづく松並木色だそうだ。
帰って早速ポンプ式万年筆にインクを注入し、なにかを書いている。
覗き読むと。

あぁ、今夜の晩飯は坦々麺ね。

 

 

 

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