食を目当てに、他にはなんの期待も抱かずここまでやって来たけれど。
この國には、変わらず守られてきた姿が今尚あるのだと知った。
一三四平方キロの島まるごとにそうなのだから、ちょっとした驚きだろう。
壱岐の島は、未開の地ではない。
古代よりひとが暮らし他所との交易も盛んで、隅々にまでひとの手が及んでいるはずの島なのだが。
律令制度で統治されていた頃。
駐屯した東国の防人が目にした風景と、いま眼前にあるそれとさほどの違いはないのではないか。
そう想わせる不思議な空気感が漂っている。
断崖の景勝地に立っても、案内板もなければ、注意書きひとつもなく、安全柵すらない。
この興醒めさせない配慮の無さが、とてもありがたい。
で、壱岐の島は、こんなとこです。
日出
日没
干潮
満潮
壱岐牛
屈指の子牛産地で、壱岐で産まれ育った子牛は島外へと。
その後、主に松坂などで成牛となり、銘柄牛として高値で取引されるらしい。
すこし哀れなはなしではあるが、霜降りで味は良く値は安い。
漁船
壱岐の漁船装備は、まるで軍用だと言われるほどの性能を誇る。
また、かつて帝国海軍の操艦を鼻で笑った技術は今も健在なのだそうだ。
北の大間、南の壱岐と称される鮪船団は、南での漁を終えると獲物を追って北上する。
烏賊釣船も、同じく北へと向かう。
やはり、玄界灘の荒海で鍛えられた漁師は腕前が違うのだろう。
すべて一本釣りが、壱岐漁師の掟だと聞く。
鮪、烏賊、クエ、鮑、雲丹、サザエなど。
醤油はつけず、壱岐産の塩で食う。
どんなに大枚を叩いても、都会ではまず口にできない贅沢な味だ。
島のひとから聞いた言葉がある。
” この島ですべてを賄って生きていけます ”
真実なのだと思う。
だから、変わらない。
旅を世話してくれた壱岐出身の知人に。
大阪なんか引き払って、とっとと故郷に帰れよ!