四百五十話 残余の美

青時雨に湿る高瀬川のほとり。
森鴎外や吉川英治が綴った情緒を、この歓楽街に嗅ぐことはもはや叶わない。
三〇年前、上席に連れられ通った小汚い小料理屋も姿を消した。
甘鯛の酒焼きを喰い終わると、女将が膳を下げ再び椀を手に戻ってくる。
頼んでないと告げると、失笑された。
喰い残した皮と骨に出汁をかけ吸物として供するのだと云う。
齢八〇近い女将が、誰が喰った皮と骨かを一々確かめているとは到底思えない。
京都人と付合うには、潔癖であっては務まらないのだと悟ったのを憶えている。
訊けば、外でそんな喰い方をする京都人は、今はもういないのだそうだ。
ひとも街も、時と共に変わりゆく。
久しぶりにこの界隈に宿を取り、仕方がないと言い聞かせながら木屋町をぶらつく。
そういや、川のどん突きに骨董屋が在って、時折足を運んでいたのを思いだした。
まだ、営んでいるのだろうか?
素晴らしい骨董屋だったが、その分敷居も相応に高い。
Galerie 田澤
都屈指の名店は、昔と変わらぬままそこに在った。

Galerie 田澤は、骨董屋というよりは古美術商の域に近いかもしれない。
事実それだけのものを所蔵し、商われている。
坪庭へと続く町屋を場として。
鋭利な審美眼を通して許された名品が臆することなく設えられてある。
洋の東西を問わない美がそこに凝縮され異彩を放つ。
多くの芸術家や文化人や収集家を魅了し続けてきた空間は、いささかも褪せてはいない。
その名を知られた店主の田澤とし子さんはご不在で、息子さんに迎えられる。
一八世紀から一九世紀の硝子器を中心にご案内していただく。
製法にまで及ぶ講釈は、もの静かで、的確で、奥深く、興味深い、なにより耳に障ることがない。
店屋の亭主とは、斯くあるべきなのだろう。
しかし、懐の具合も鑑みると、なんでもというわけにはいかないのが辛いところで。
あれこれと辛抱強くお付合い願った末、一九世紀初頭に英国で創られた硝子器を求めることにした。
二室に分かれた心臓みたく不思議なかたちをした硝子器で、他所では見たことがない。
せっかくの Galerie 田澤なのだから、此処ならではという目利きで決める。
「ところで、おかあさんは?」
「父が亡くなってから少し弱りましたけど、なんとかやっております」
「今、山科の自邸から店に向かっておりますんで、逢ってやってください」
若奥様に添われてやって来られたとし子さんにお逢いする。
少し目を患われていて、杖をつかれてのご出勤だ。
「二〇数年ぶりでしょうか?お元気そうでなによりです」
「近くに参りましたもので、なにかいただこうと思い、息子さんにお相手願っておりました」
「それはそれは、ありがとう存じます」
「こんな次第ではございますけれど、よろしくお願いいたします」
あれをお見せしたのか?これをお見せしたのか?と立派な息子さんを相手に問い正されていた。
歴史に埋もれゆく美を追い求め、その美をひとに説き後世に残す。
美の探求者であり、また伝道者だと言っても過ぎない。
このひとは、そうした稼業に七〇年を超える人生を捧げてこられたのだろう。

だからこそ、変わり果てた高瀬川のどん突きにこうして「残余の美」が存在しているのだと想う。

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