百四十三話 半島の先にある宿 其の壱

横浜に住む友人が御両親を伴って行くというので案内がてら少し書かして貰う。
だいぶと前になるが嫁が誕生日に何処かへ行きたいと言いだした。
だから十一月の話だ。
嫁の言う “何処か” は文字どおり “何処か” であってここへ行きたいというのはない。
場所を決めて御膳立てをするのは僕の役割である。
北陸本線の金沢駅を降りて駅前で車を借り北へと向かう。
市街地からの坂道を登り切ると眩しさで一瞬目の前が白くなる。
すぐそこに突然日本海が広がるという嗜好で道が通されている。
石川県道路公社もやるもんだと感心しながら内灘ICから能登有料道路に入る。
途中今浜ICで降りて千里浜に寄ることにした。
千里浜渚道路は日本で唯一一般車両が砂浜の波打ち際を八キロにわたって走れる道である。
嫁はそこでわざと車をスピンさせたり、
打上げられたクラゲを踏んずけたりと散々はしゃいだ後に腹が減ったと言いだす。
すぐ傍の宝達という村落に手打ち蕎麦を供する店屋があると訊いていたのでそこに向った。

“蕎麦処 上杉”
外観は漁村の古屋だが中に入ると輪島塗の大黒柱を持つという民家で打立ての蕎麦を喰った。
天麩羅蕎麦を注文したが、半端な田舎蕎麦的な代物ではない完全な玄人の洗練された蕎麦で旨い。
ただ払いも田舎のという訳にはいかない、相場的には東京白金辺りと変わりはないかもという値だ。
また有料道路に戻って終点穴水ICまで走り能越自動車道に乗換えると能登空港に着く。
⎡快適よねぇ⎦
⎡だろう、今どき田舎だ秘境だって言っても日本では大したことないんだから ⎦
⎡もうちょっと行ったら案外イオンモールとかもあるんじゃないの⎦
しかし、その時はまだ現代文明の恩恵が奥能登のそのまた奥までは届いていない事を知らなかった。
なので能登牛の牛乳は美味しいだの道の駅でなんか買おうだのと脳天気に振る舞っていた。
持参のCDから “ Over the Rainbow ” が流れると共に能登半島から海に虹が架かる。
⎡なんか良い感じだよねぇ⎦
珠州の漁村辺りまではまだこんな調子だった。
小さな漁村から漁村へと半島の東側を海沿いに縫うように走る。
⎡なんにもないね⎦
⎡うん⎦
⎡誰もいないね⎦
⎡うん⎦
煙草を買おうにも飲物を買おうにもコンビニも無いし自動販売機も無い。
⎡日暮れまでに着けると良いけどちょっと無理っぽい?⎦
霞ヶ浦を過ぎた辺りから山伏山方向へ。
この辺りで Google map をみる。
⎡なんか目印みたいなのある?⎦
⎡等高線だけだね⎦
猫の額みたいな畑はあるけど人家も目印も無い。
ようやく目立たない看板に出逢えた。
“ ランプの宿 駐車場 ”とあるが木を四本か五本切倒しただけの空地だ。
とりあえず車を停めて坂を降りると眼前には日本海の波濤。
崖の際に造りかけのしょぼい展望デッキらしきものがあるだけ。
⎡なにもねぇじゃん⎦
⎡こんなとこでふざけないでよ⎦
⎡宿ってどこなのよ?⎦
奥能登の 海に陽が落ち 宿は無し
どうするどうなる馬鹿夫婦 百四十四話 其の弐に続きます。

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