百四十四話 半島の先にある宿 其の弐

百四十三話からの続きです。
⎡あった、あった、あったよぉ、すご〜い⎦
崖から身を乗出して下を見ていた嫁が勢いづいている。
⎡何が?何処に?⎦
⎡宿が、ほら崖の下に⎦
恐る恐る覗いて視ると確かに在る、切立った崖の遥か下に数棟の館が弓状に連なって在る。
⎡悪いんだけど俺帰るわ⎦
僕は昔っからこのての高い所が苦手でとても耐えれそうにない。
⎡もしもし、あのぉ〜、これどうやって降りるんですかぁ?⎦
⎡荷物あるんですけど迎えにとかお願い出来ちゃたりなんかしますぅ?⎦
⎡聞けよぉ俺の話、怖いって言ってんだけど⎦
完無視で宿と携帯電話でご機嫌にやりとりしている。
スイッチバックで上がってきた車に乗って同じ段取りで下っていく。
おぞましい所だ、数センチでもアクセルとブレーキの加減を間違えたらもう魚の餌になるしかない。
三方に切立つ崖を背負い正眼に日本海を見据える。
⎡ランプの宿⎦は、そうやって伝馬船の時代から立っている。
ここで唐突にではありますが一曲披露させて戴きます。
あなた変わりはないですか 日ごと寒さがつのります 着てはもらえぬセーターを
寒さこらえて編んでます 女ごころの 未練でしょう あなた恋しい北の宿
昭和歌謡界の巨人、作詞家阿久悠先生は名曲 ⎡ 北の宿から ⎦ の詞をこの宿で綴った。
多くの日本人が顧みなかった日本の原風景は北国にこうして残っている。
⎡ ランプの宿 ⎦ の魅力はその一点に尽きると言っても良いと思う。
とは言え他が宿として劣っている訳ではない過不足なくちゃんとしている。
食でも技と手間を尽くし地物を端正に活かして供される。
能登の食に関わる底力は他所に比べ図抜けて強い。
十一月に限っても、
沖では “のどくろ” “かわはぎ” “鰤” 関西ではハマチと呼ぶ “がんど” 等が獲れる。
磯では “岩海苔” もうすこし早ければ “蚫” 等は宿から手の届くところにある。
陸では “能登牛” が育ち、肥えた土壌と独特の気候風土は “金時草” 等の能登野菜を育む。
産物は “塩” “味噌” “醤油” この地特有の魚醤 “いしり” 等の調味料にまで及ぶ。
どれもが銘柄品と称され高値で取引される。
能登の百姓や漁師はよほどでなければこの地を離れることはない。
尽きることのない膨大な資産が人と土地をがっちりと繫いでいる。
翌朝御主人の刀袮秀一氏が玄関脇におられた。
年齢は僕とそうは離れていないとお見受けした。
一一〇〇年代一族の祖は刀禰水軍を率いてこの地を治めていたという。
その後北前船を生業として財を成し一五七九年に船宿をこの地に創業する。
なので ⎡ ランプの宿 ⎦ は織田信長の治世には宿として在ったということになる。
訊いた話では御主人が幼い頃でも電気は無く水道も無かったらしい。
陸路もなく七尾港と宿を伝馬船で結んでいた時代はさすがに終わっていたのかもしれないが。
水道は現在でも無く飲み水は湧き水を生活用水は温泉水を汲上げ濾過して賄っている。
只単に人が住むだけでも大変なこの場所で宿を営むって並みの話ではない。
その御苦労を四五〇年に渡って継いでこられたというのだから凄いと言う他ない。
もうひとつ驚かされたことがある。
⎡ らんぷの宿 ⎦ で立働いておられる従業員の方々は若い方が多い。
玄人っぽい仲居的な振舞いが見受けられない。
少し素人臭くそれでいて一生賢明で行届いていて活気がある。
日本海側特有の暗く険しい風景と人の明るさが絶妙に平衡して宿として在る。
究極のサービス業は宿屋だと言われるほどに難しい。
接客の有り様ひとつで宿の印象は良い方にも悪い方にも簡単に転ぶ。
雇用もままならないであろう辺境の地で都会でも皆が悩む難題を見事に解決しておられる。
宿の将来について御主人の考えも女将のなさりたい事も色々とお有りでしょうけど。
⎡ らんぷの宿 ⎦ は、なにも加えずなにも引かず今の姿で在り続けて貰えればと願う。

友人へ
金沢駅から宿まで寄道無く飛ばして三時間三十分程、能登空港からだと地道で一時間二十分位かな。
とまぁ、ちょっと遠いけど良いとこだから是非行っといで。
それと宿の夕食結構な量なので昼飯は早めに軽く済ませといた方が良いよ。
ご両親って言うか、おじさんもおばさんも人生で一番平穏な時間を過ごされてるんじゃないですか?
お出かけになるには良い季節なので楽しみにいらして下さい。
いつまでもお元気で。

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