二百九十七話 野良な靴

こんな靴を、誰が最初に創り始めたんだろう?
やっぱり、あの Brighton に棲む大男の顔が思い浮かぶ。
Mr. Poul Harnden
一九八〇年代の半ば頃だったか、倫敦で面白い靴を創っている男がいると聞いた。
見に行ってみると、なんとも評価に窮する靴が並んでいて。
「これって、どうなの?」
「この野良な感じは、なんなんだろう」
「で、幾らなの?」
値を訊いて、高額なのに驚く。
デザイナーの経歴を知ってさらに驚く。
名門 Cordwainer College で靴製作を学び、John Lobb で木型職人を務めていたという。
これだけの価格で、これだけの経歴なのだから、きっと良い靴なんだろうけど。
このコバ磨きも施されていない靴が、さほどに値打ちがあるものなのか?
正直なところ答を出せなかった。
国内で名の知れた腕利き編集者に、評価を尋ねてみる。
「ねぇ、この靴なんだけど、どう思う?」
「 俺は、そういう疑問を持つこと自体あんたの見識を疑うよ」
「この靴の何処に評価すべき技術の跡があるっていうわけ?」
この編集者は、断じて認めない派だった。
今度は、顔見知りの名物バイヤーに、同じ問いを投げかけてみる。
バイヤーを務める巴里の店は、当時飛ぶ鳥を落とす勢いで、先を見通す力量には定評があって。
出逢った時まさに Poul Harndenの靴を履いていた。
「この風情は良いよ、僕は、手縫い靴の新しい潮流として理解出来るし、認めてもいるよ」
「大体、日本人は、ファッションに理屈を持込み過ぎだよ」
「出し縫いを虫眼鏡で視るような感覚の方が僕には受け容れ難い、意味が解んないよ」
これほどに、評価を二分する靴も珍しい。
Poul Harnden の靴を肯定するか否定するかで、ファッションに於いての立ち位置が知れる。
そう言った識者もいた。
どちらが正解かは別にして、それ以降、ひとつの方向性として Poul Harnden の靴は存在し続けた。
彼の仕事に共感するデザイナー達の手によって、欧米を始め日本でも創られるようになる。
それぞれに製法は異なるが、目指すところは同じだ。
BACKLASH の片山勇氏が創ったこの靴もそうしたなかのひとつだろう。
靴を縫上げた後で染めるという製品染めを施すことで、野良感を狙おうというわけだ。
手法としては荒っぽい事この上ないが、なかなかに功を奏している。
精緻な靴か、 野良な靴か、 あなたは、どっち派?
今更そう訊かれても困るけど、僕は、この靴のネイビー色を履いてみようと思う。

実のところ、この業界には、隠れ Poul Harnden ファンは多いのである。

 

カテゴリー:   パーマリンク