三百話 師友と

大勢の方にお読み戴いて、この馬鹿 blog も三百話を数えました。
感謝です。
さすがに、三百話なのだから、書出しだけでもちょっと為になる話で始めさせて戴きます。

Good artists copy , great artists steal .

優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む。
巨匠 Pablo Picasso が、この世に遺した言葉です。
あまりに偉大過ぎるので、もう少し身近な方の言葉を借りると。
良いと思ったものをコピーしよう。コピー、コピー、ひたすらコピー。その先に自分が見つかる。
デザイナー山本耀司先生の有難いお言葉です。
先生も充分偉大なんだけど、Picasso よりは親しみやすい。
まだまだお元気だし、それどころか現役だ。
Steven Paul Jobs をはじめ創造を糧の源泉として成功した者は、必ず同じような言葉を口にする。
なのだから、これは真理なんだろう。
他者の技を盗み習得することは、創造の原点といえると思う。
問題は、盗む前と後で、なにが進化し、どこがより優れているかという点である。
この一点を正面から見据え挑む行為こそが、創作活動であると定義しても良いのではないか。
ひとつの鞄が送られてきた。
世には、出ていない。
値段も、知らない。
それ以前に、これが商品化を目指したものか、そうでないのかすら訊いていない。
しかし、用いられた技術が、何処の Maison に由来しているものかは一目瞭然である。
送り主の後藤惠一郎さんから、お電話を戴く。
「蔭山さん、どうですかねぇ?」
「どうですかと尋ねられれば、驚くほど精度の高い仕上りだと思いますよ」
「っていうか、これって、ここまでできるんだぁ!的な自慢ですか?」
「そう、自慢です」
「でも、自慢だけじゃツマンナイじゃないですか」
口にはされなかったが、どうやらガチで Maison に挑まれるおつもりらしい。
すでにこの時点に於いて、この鞄には新たな発想が組込まれている。
荷重負荷を一定方向に逃がすことで、型の崩れを想定内に収め維持するという工夫である。
他にも、革の圧着、帯状裁断、手編、底材の据え方など、今、僕が明かすわけにはいかないが。
全ての仕様箇所で最良と考えられる手法が、手間を惜しむことなく用いられている。
推定、考察、実証を、現場で繰返すことによって最良への道筋が見えてくる。
工場生産では成しえない、職人の手による工房製作の真骨頂なのだと思う。
だが、まったく継目無く編まれたこの鞄、これで完成ではない。
なにかを加えるのか? 或は、なにかを引くのか?
分水嶺を渡るような仕事は、まだまだ続く。
碌でもない話ばっかりで、なかなか東へと足が向かなかったが、久々に行くかぁ。
そんな気分にさせられた。
こうやって、モノはヒトを動かす。
そして、気分が優れない時、悩んでいる時、見透かすようにモノが送られてくる。
長い間ずっとそうだった。
ほんとうに、不思議な方だと思う。
後藤惠一郎さんは、友だと言ってくださるけれど、僕自身は、そうは思っていない。
せいぜい甘えたとしても、師友といったところだと承知している。
この歳で、これから先、師と友の二役を備えた方と出逢うことは、まずないだろう。

モノが紡ぐヒトの縁、この稼業も捨てたものではない。

カテゴリー:   パーマリンク