二百九十六話 これは、アートか?ガラクタか?

いつかは、パンドラの箱を開ける時がくると覚悟はしていたが。
これほどエライ目に合うとは想像できなかった。
これ以上先に延ばすのは得策ではないと考え、今、週に一度か二度三軒の家を整理している。
自宅と、嫁の実家である海辺の家と、僕の実家と、合わせると三軒になる。
仕事と片付け、もう数ヶ月、身体を休めていない。
三軒の内、最も厄介な存在が、我が実家である。
高さ三メートル、床面約五〇坪を越える地下倉庫にモノがビッシリと詰まっている。
ちょっと気の弱い人間なら、意識が遠のくような惨状が眼前にあって。
此処は、魔窟か迷宮かという具合だ。
そして、この魔窟を創出した親爺は、十二年前に逝って、文句を言う訳にもいかない。
この途方も無い量の物品を、遺産とみるか、負債とみるか、人それぞれだろうけど。
正直、投出したい気分になる。
一番の難点は、玉石混合の状態で収められていることにある。
玉だけなら、然るべき筋にまとめて売飛ばせば良い。
石だけなら、廃品業者を呼んでケリをつければ済む。
しかし、混ざっているのだから、玉と石に誰かが仕訳しなければならない。
その誰かが、僕というわけだ。
実の親子なんだから、趣味も似ているし、嗜好も理解できるでしょ?
言っときますけど、似てねぇし、解んねぇし、解りたくもねぇよ!
こんな blog で愚痴ってもしょうがないと承知していても、ついつい口を衝いて出てしまう。
実のところ、目利きには多少の自信があったのだが、甘かった。
喩えば、親爺は茶の湯を嗜んだが、息子の僕はやらない。
そこに、楽茶碗が出てきて、これの値打ちは如何にと訊かれても、はぁ?ってなもんである。
それでもまだ茶器は許せる。
箱書に来歴が記されていて、調べようもあるから。
次に、焼締めた馬鹿デカイ大壺が出てくる。
なんだぁ〜、これ? 昔の肥壺じゃねぇの?
花器なのか? 肥壺なのか? 知りたくもないが、知らねばならない。
万事が、この調子で捗らないのだ。
意味不明なのは、和物に限らない、洋物にもそんなのがある。
写真中央の鉄製の壺なんかまさにそのひとつで、何処の?何時代の?何の為の?さっぱり解らない。
高さ九〇センチくらいの大きな鉄製水筒を想像して貰いたい。
朽ちかけた木製の蓋、側面に頑丈な掛け具が装着されている。
途方に暮れている所へ、嫁が恐る恐る様子を覗きにやって来た。
「あぁ、それ、昔イスラム圏で使われていたヨーグルト製造機だよ」
「掛け具に革帯を装着して、揺らしながら撹拌発酵させるのよ」
「えっ?なんでそんな事知ってんの?」
「だって、お義父さんが言ってたもん」
「マジかぁ?」
「っていうか馬鹿じゃねえの?そんなもん買ってどうするつもりなんだよ?いい加減にしろよ!」
「わたしに怒鳴んないでよ!訊くから教えてあげたんじゃん!買ったのお義父さんなんだからね!
「他にも、色々と知ってんじゃないだろうな?」
「知ってるよ、でも、怒るから言わない」
「まぁ、買うのは、わたしもどうかとは思うけど、これって、なんか現代アートぽくて良くない?」
嫁の酔狂な助言もあって、ヨーグルト製造機らしき鉄水筒は、こうして海辺の家にやってきた。
これは、アートか?ガラクタか?
もう、そんなことを考える余裕も、気力もすでに尽きかけている。
これから先、魔窟の奥になにが潜んでいるのか?
ホントに恐ろしい。

あぁ、“ なんでも鑑定団 ” を笑って観ていた頃が懐かしい。

 

 

 

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