二百六十二話 電車が無くとも、スタバが無くとも、蟹がいる。

ここ数ヶ月、いろんな人に、いろんな気遣いをさせてしまった。
遠方から駆けつけて、励まして戴いたり。
仏事の度に、花を供えて戴いたり。
なんか旨いもんでもと、席を設けて戴いたり。
渡世の義理を越えた過分の心遣い、まったくもって有難い話だと思っております。
でも、もう大丈夫なので、これ以上のお心遣いは無用に願います。
返せなくなりますから。
先日も、海辺の家で、古屋の修理をしていると。
⎡わたし、ちょっと三宮まで出かけてくるから⎦
⎡なんか買いに行くの?⎦
⎡鳥取の従姉が、渡したいものがあるから三宮まで来てくれって言うから⎦
⎡家に来りゃいいじゃん⎦
⎡用事があって、急いでるみたいよ、だから駅で待合せしようって⎦
夕刻、大きな発砲スチロールの箱を抱かえた嫁が、帰ってきた。
ガサゴソと音が漏れる箱である。
⎡何それ?⎦
⎡蟹だって⎦
とにかく箱を開けてみる。
⎡これって、松葉蟹じゃねぇの?⎦
⎡ 生きてんじゃん⎦
⎡マジかぁ〜⎦
朝一番で、地元産地で仕入れて、列車に乗って届けてくれたらしい。
一般に都会で売られている生蟹についてだが。
網に掛かれば動けずにいて、陸に上がってから暫くは生簀で暮らし、水もない状態で輸送される。
だから、口に入る頃には、息も絶え絶えで旨くない。
挙句に、値が高いときている。
産地の住人に訊くと、冷凍蟹はもっての他だが、下手な生蟹より浜茹蟹の方を勧めると言う。
そういった意味で。
この蟹は、地元でしか許されない特権的な味覚を携えて、列車でやって来たといえる。
⎡どうする?鍋にでもする?⎦
⎡いや、せっかくだから、直球勝負でいこう!水にぶち込んで一気に茹でよう!⎦
⎡えっ、全部それでやっちゃうの?⎦
⎡そう、全部⎦
⎡うん、わかった、了解!⎦
見事に茹上がった蟹を前に、蟹鋏と蟹フォークを手に、約小一時間の無言の夕餉が始まる。
献立は、茹蟹、天然木耳と鶏胸肉のスープ、豆御飯。
木耳、エンドウ豆も、戴きものである。
どれも美味しいが、やっぱり本日の主役は、蟹だな。
冷凍でもなく、浜茹でもなく、業者流通の生でもない、圧倒的な鮮度。
どんなに喰うに手間でも、この甘さは、やっぱり堪えられない。
うま〜い。
鳥取に嫁いだ従姉は、いつも、ぼやいている。
鳥取には、電車がなくて、汽車しかないとか。
鳥取には、スターバックスがなくて、タリーズができたと思えば米子だったとか。
でも、どっちもいらねぇじゃん。
⎡スタバが無くても、スナバがある⎦って、馬鹿な知事の言分もどうかとは思うけど。

僕にとっては、カフェ・ラテなんかより蟹の方が、よっぽど値打ちがあるし、羨ましい。

 

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