
大阪駅を北東へ、JR京都線の高架を潜る。

少し歩くと、いつの間にか時空が歪んだ世界に迷い込む。

木造の低層建物が、迷路のような路地にひしめいて並び建っている様はある種異様だ。
商都の一等地に灰色に燻んだ戦前の大阪が現実として生きて在る。
大阪市北区中崎町。
大阪大空襲を免れ、戦後の土地区画整理も及ばず、戦禍からも行政からも取り残された街。
長屋住人の高齢化も限界集落並みに進んではいるものの、暮らしがなくなったわけではない。
ステテコ姿の爺と普通に出くわしたりもする。
繰り返すが、此処は西日本で最も開発が進む大阪の玄関口から目と鼻にある界隈だ。
詳しくは言えない地元事情もあるにはあるのだが、それにしても街場とは不思議なものである。
此処を彷徨くようになって随分と経つが、今だ目的地に間違わず辿り着いた試しがない。
迷路が絡みつく路地世界が広がっている。

その路地の奥で偶然見つけた飯屋を訪れたのは、もう一〇数年前になると想う。
LA LANTERNA di Genova (ジェノバの灯台)

天井の低い穴蔵みたいな長屋で、外人女性がひとり営んでいた。
Boffelli Silvia さん。
生粋の Genova 人らしい。
生真面目で、賢そうで、なかなかの美人だ。
こんな路地裏食堂で、Genova 人が創る 本場 Genova 料理を食えるとは想像もしていなかった。
Genova 料理といえば、Pesto Genovese 。
伊で “ Genovese ” と注文すると、何故か違った食いものが供されたのを思い出した。
必ずと言って良いほど、牛肉と香味野菜をトマトとワインで煮込んだ茶色いパスタ。
どうも Pesto と冠さないと緑色のそれとは通じないと知ったのは、何度もしくじった後だった。
たった七つの材料から生まれる “ Pesto Genovese ” は奥深い。
Basilico・ 松の実・parmigiano reggiano ・Pecorino Romano ・大蒜・塩・オリーブオイル。
合わせる具材は、ジャガ芋とインゲンで、元々は増量のためだったらしい。
そんな至って単純で、どちらかと言うと貧しい料理が、何故こんなに旨いんだろうか?
ただ、単純な料理ほど難しいのかもしれない。
唸るほど旨い Pesto Genovese を口にすることは、現地でも滅多とない。
Silvia さんの創る Pesto Genovese を食った時の驚きは、今でもよく憶えている。
まずバジルの香りが鼻に抜ける。
そして、ジャガ芋とインゲンの甘味が尖った香りをまろやかに抑えて落ち着かせていく。
さらに、二種類のチーズの適度な重さに加え、わずかに大蒜の風味が広がる。
完璧な香りと味の均衡が一皿の上に成り立っている。
僕が言ってもなんのあてにもならないが、敢えて言わしてもらう。
LA LANTERNA di Genova の Pesto Genovese は世界で一番旨い!
旨いのですが、さて、ここまで言っておいて申し訳ありませんが残念なお知らせです。
世界で一番旨い Pesto Genovese は暫くの間食べれません。
Silvia さんご夫婦は、伊へ修行のため一年間ほど休業されるらしいです。
ご夫婦ともに、伊で料理について教わることなんて何もないと思うけど。
再開される店舗は、今とは違う場所になるそうだ。
昨年大晦日前日の営業最終日が、あの場所で食べた最後の Pesto Genovese になってしまった。

長い間ずっと忙しくて大変だったもんね。
ご夫婦仲良く故郷の空気吸って、元気で戻ってきてください。
Arrivederci !


