Main culture どころか Sub culture にすらなれない。
しかし、いつの時代にもそれは確かに存在する。
Culture の周縁に居座る異彩の領域。
日本美術史の系譜にも、江戸時代?いや、もっともっと昔から隠れるようにして在る。
怪奇美術とも暗闇美術とも言われ受け継がれてきた。
一九八〇年代の業界にも継承者はいた。
「あいつ、上手いのになんであんなひとの身体から膿が出るような絵ばっか描いてんの?」
「気持ち悪いよなぁ、でもあれでどうやって飯食ってんだろう?」
「きっと、ああいうの好きな輩が意外といるんじゃないの」
「でも、あれ、描けって注文されて描けるもんかなぁ?」
「一枚二枚なんとかなっても、ずっとは無理じゃねぇ」
「ところで、あいつ、なんていう名前のやつだった?」
失礼極まりない話だが、だいたいがそんな感じだった。
とはいえ、この異界の扉をまったく開けたことがないという人もまずいないだろう。
一九六〇年代、まだ貸本漫画が流通していた時代に現れたふたりの天才によるところが大きい。
ひとりは、“ 墓場の鬼太郎 ” の水木しげる先生。
もうひとりは、“ 紅蜘蛛 ” “ 蛇少女 ” の楳図かずお先生。
巨匠が描く怪奇漫画は、少年少女を虜にし居所は周縁ながら一躍皆が知るところとなる。
そして今、怪奇美術界で筆をふるう絵師達の多くがこの時代に生まれ多大な影響を受けている。
最初に読んだ漫画が楳図かずおの “ ミイラ先生 ” だったという伊藤潤二もそのひとりだと思う。
先日、伊藤潤二展 “ 誘惑 ” を観に伊丹市立 Museum へ。
あいかわらずだが、氏の描く女性は別嬪だ。
美人とか綺麗な女性とかではない。
明治期に発案された “ 別嬪 ” という言葉の方が作品の風情に似合うような気がする。
格別の美貌が、対極にある醜さを際立たせ恐怖へと誘う。
伊藤氏の真骨頂で館内は満たされ、見事に気持ち悪く怖い。
丸ペン一本で、誰も見たことのない世界を創りだす伊藤潤二の画業。
現実離れした奇抜で幻想的な芸術が Surrealism の定義であるなら、氏の作品はまさにそれだ。
伊藤潤二作品は、国境を超えて世界中で高く評価されている。
その評価を見せつけられたのは、観終わった後の Museum Shop でのことだった。
背中に伊藤作品が刺繍されたスカジャンが掛けられている。
値段は、六万円超え。
6万!高っかぁ〜、誰が買うのこれ?と呆れていたら、後の会話が聞こえた。
「あのスカジャンだけど、僕にはちょっとちいさいです」
嘘だろ?サイズの問題かよ?
「大丈夫ですよ、XL もご用意してますから』
えっ!あんのかぁ!
振り返ると、白人の OTAKU が鏡の前でピンク色のスカジャンを試している。
パッツンパッツンなんだけど、似合ってねぇなぁ、全てにおいて全然似合ってない!
「じゃぁ、これも」
あんた、それ買うのかぁ!
「これも入れて全部で幾らですか?」
「え〜と、でも一〇〇万円もいかなそうよ」
一〇〇万!このレジ係のおばちゃん、悪魔か?展覧会の絵より怖ぇぇわ!
台の上には、伊藤グッズが山のように積まれている。
「おにいさん、どこまで帰るの?三袋以上になるけど持てる?」
「大丈夫、どこも寄らずに京都のホテルへ帰るから」
「それに、さっきのは隣の郵便局から送ったから、それは手持ちで」
おいおい、これって二巡目なのか?一体幾ら使ったんだ?
オメェ、何者なんだよ?転売屋かぁ?
下世話ながらだけど伊藤潤二さん、グッズ販売でもガッツリですよねぇ。
夫婦揃って凄ぇなぁ。
奥様は、妖怪絵師の旗手と謳われる石黒 亜矢子さんだ。
意外と馬鹿にできない異世界ビジネス。
やるもんだ。