もし、米国という国家に一片でも善良な心があるのだとしたら。
その心を画業に於いて表現しえた唯一無二の画家だと僕は信じている。
“ Andrew Wyeth ”
一九七四年、初めて目にする Wyeth の絵に受けた衝撃を今でもよく憶えている。
徹底した基礎訓練による圧倒的な技術。
解剖学の領域にまで達する写実的人物像への探究。
当時中学生だったが、こんな絵を描く画家が世界のどこかにいるという事実に驚いた。
自分は十四歳、画家は五七歳。
事と次第によっては、自分も将来一枚なりとも描けるようになるかもしれない。
そうした錯覚から水彩画を始めた。
努力も探究心もなにより才能も到底足らざるまま今だ一筆たりとも描けていない。
画家は生涯を米国北東部の原風景とそこに暮らす人達を描くことにひたすら費やした。
夏場は Maine 州 Rockland 郊外、冬場は Pennsylvania 州 Chadds Ford と居を移しながら。
一九八七年頃、米国出張で初めて両地を訪れた。
建国時代に遡る清教徒的な雰囲気は、画家の青年期から比べると随分薄らいでいたのだと想う。
それでも物質至上主義を謳歌する他の地域にはない禁欲的な空気感が僅かだが確かにあった。
実は、米国という国の始まりは善良な精神に基づいていた。
四〇年近く経った今、そんな与太話を信じる者はもう誰もいない。
今、米国のどこを掘り返してみてもそんな証はどこにもない。
だが、善良な精神の記憶は Wyeth の絵にだけはこうして残されている。
一九四八年 Andrew Wyeth は、現代米国具象絵画の最高傑作とも評される作品を産む。
“ Christina’s World ”
病で歩行困難だった Miss Christina Olson が家に向かって這いながら進む姿を描いている。
この作品は、実際に Wyeth が目にした光景で再現描写だという。
Miss Christina Olson はこの当時五五歳で、この他にもWyeth 作品には多く登場する。
所蔵しているN.Y.近代美術館を含め五度にわたってこの絵を観てきた。
僕は、この作品をある種の宗教画だと想っている。
悲しみや憐れみを一度として感じたことはない。
圧倒的な畏敬の念と力強さが画面を支配していて、いつ観ても勇気づけられる。
障害に見舞われ孤独であったとしても、存在感を失わず強固な意志で前を向いて生きていく。
この奇妙な構図によって強調される距離感は、ひとが生涯歩む道程の長さなのかもしれない。
また、草の一本一本まで丁寧に写した筆跡は、描くというより祈るというに近い。
教訓めいた宗教画では表現されない精神性の本質を現実の対象として描きあげていると思う。
Andrew Wyeth は、つつましくとも力強く生きる障害者、移民、黒人達を多く描いている。
美醜や人種に惑わされず、生き様そのものを真正面から見つめて描いた。
そこにこそ、米国という国家が本来目指すはずだった力の源泉があったような気がする。
三〇年ぶりに Andrew Wyeth 作品を前にしてそんなことを想った。
紅葉真っ盛りの大山崎山荘美術館。
Maine 州の Olson House とは趣きが違うものの旧い邸宅での Wyeth 展は格別でした。