五百九話 仕立屋の帽子

もうずいぶん前から、帽子を年中被っている。
ほぼ被らない日はないくらいに。
数も Béret 以外だいたいの型を持っていて、その日の気分で選ぶ。
似合う似合わないはあるのだろうけれど、そういったことはあまり気にしない。
被ってさえいれば落ち着くといった具合で、まぁ、下着の感覚に近いような。
それに、ボサボサの髪でも、被ってさえいればわからない。
帽子が流行りだしてから売上が落ちたと散髪屋が嘆いていたから。
無精な帽子愛用者も結構いるのだと思う。
職業的な興味も帽子にはある。
平面の布を、様々な製法を用いてここまで立体的に仕上げる技は服屋にはない。
正しくは、近い技はあるのだけれど、そこまでする必要がないのかも。
とにかく、ちゃんとした帽子を仕立てるとなると、服とは違った高い技術が要求される。
だから、服屋が創る帽子はあまり信用してこなかった。
店で扱う帽子も、そのほとんどを帽子職人に依頼してきた。
ちょうど一年前、The Crooked Tailor の中村冴希君から Hat を創りたいという話を聞く。
一流の仕立屋としての腕は補償するけど、帽子となるとちょっとなぁ。
で、Full Hand Made だとしても、値も結構高けぇなぁ。
そう思ったけど、本人がやるというのだから敢えて止めることもない。
だいたい止めたところで、他人の言うことに耳なんて貸す相手ではないことを知っている。
そんなやりとりをすっかり忘れていた先日、箱に納められた帽子がひとつ届く。
冴希君の帽子だ。
クラウンが奇妙に高い Bucket Hat のような Mountain Hat のような。
また、変なものを。
とりあえず被ってみる。
驚くほど被りやすく、絶妙の締め付けで心地よく頭部におさまる。
被り心地で言えば、手持ちのどの帽子より優れているかもしれない。
高いクラウンもほどよく崩れて、独特の調子を頭頂部に与えてくれる。
気取りない Hat だが、印象として品が良い。
庇の裏には、同布が充てがわれ、細かな運針による六本のステッチで芯と共に据えている。
布の重なりによって庇の縁が固くなるのを嫌い、裏布は断ち切りで。
さらに断ち切った縁を、恐ろしく細かい手まつりで縫い仕上げてある。
細密な計算と尽きない精魂の為せる業だと感心させられた。
っうか、もう病気だ。
だけど、この帽子を買う何人の方がそれに気づくのだろうか?
いや、気づかない方はそもそも買わないんだろうな。
ここまでくると、もはや服飾ではなくて工芸の域だから。
なぁ、中村冴希君、前から忠告してるけど。
一度、良い医者に診てもらった方がいいよ。

同病の俺が言うんだから、間違いないって。

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