海辺の家で、寝転がって報道番組を観ていると知った顔が。
淡水軒の女将さんだ。
神戸元町高架下に古くて薄汚い一軒の台湾料理屋が在って。
そこで鍋を振っているのは張さんで、その張さんの奥さんが映っている。
えっ?どうしたぁ?
一昨日、傾いた戸を抉じ開けて拉麺と水餃子を喰ったばかりなのに。
伝えられている話によると。
元町高架下通商店街の商店主に対し、JR西日本が退去するよう求めているらしい。
期限は、借地契約の期間満了となる来年三月以降なのだそうだ。
一方的な通告に事情を訊こうとJR西日本本社を訪れた商店主達の中に女将さんの姿があった。
と、こういうことみたいだ。
元町高架下通商店街は、終戦後不法占有されていた時代がある。
いわゆる闇市と呼ばれた存在で、確かに闇という名に恥じない妖しい雰囲気も漂っていた。
そんな健全とは言い難い通りだったが、不思議と治安は保たれていて。
港街の他の通りと比べても、格段に安心して歩けていたよう気がする。
そして、僕らは、ここで服や靴を買い飯を喰って学生時代を過ごしてきた。
「なぁ、このコートなんぼ?」
「これ、ケネディ大統領が着とったコートやからなぁ」
「おっさん、冗談は顔だけにしとけよ!」
「誰がそんなこと訊いとんねん!なんぼやねん?言うとるやろがぁ!」
「二万八千円や、三万円でええでぇ』
「阿保かぁ!死ね!二度と来たれへんぞぉ!」
と言いながら、また翌日も来て同じようなやり取りを繰り返す。
そうやって、街場で学んでいくのである。
世の中には、騙す者と騙される者と二種類の人間がいて。
騙される側になっては馬鹿をみる。
一方で、あまり頑なにそればかり気にしていると、欲しいコートはいつまで経っても手に入らない。
そこで。
「おっさん、ええこと教えたるわ」
「米国大統領は、米国製のもんしか身につけへんのや、そういうしきたりになっとんねん」
「そこでおっさんに質問や、このコートのここに日本製て書いたあるんはなんでや?」
「えっ?どこや?おっちゃんこの頃、眼が悪なってもうて、ちっちゃい字読まれへんねん」
「舐めとんのか!ええ加減なこと言うなよ!」
「 まぁ、ええわ、おっさん、もう一回訊くでぇ、このコートなんぼや?」
「ちっ!ほなもう二万円でええわ!」
「客に向かって舌打すんなや!客おらんようなるどぉ!嘘言うたバチや、一万五千円でええやろ」
「にいちゃん頭ええなぁ、ちゃんと勉強したら偉らなれんでぇ」
「 放っといたれ!ほな、また明日来るわ」
「おおきに、待ってんでぇ」
この顛末、どちらが得をしたのか実際にはわからない。
だけど、街場に於いて、物事の折合いをつけるというのは、存外こんなことなんだろうと想う。
世の中を渡っていく術を、少しづつ大人達との関わりの中から街場で学んでいく。
振り返れば、僕らにとっての元町高架下通商店街は、貴重な学びの場であったのかもしれない。
元町高架下通商店街存続の危機を耳にして、今願うことは。
どうか、JR西日本側の交渉担当者が、こうした街場の教えや掟を知ったひとであってほしい。
神戸市の担当部局の方々もそうだ。
商店街の南側を通る歩道では、JR西日本と神戸市との間に借地契約が結ばれている。
だから、この問題への市当局の関与は不可避なんじゃないかと思う。
神戸市、JR西日本、そして商店主、それぞれに立場も言い分も異なる三者だろうけれど。
法一辺倒ではなくて、街場の流儀をわきまえたより良い答えに導いてもらいたい。
淡水軒の拉麺や餃子、並びに在る丸玉食堂の豚足、洋服屋の BOND など。
理屈抜きに消えてほしくはないものが、この港街にはある。