四百六十九話 高架下の闇市

海辺の家で、寝転がって報道番組を観ていると知った顔が。
淡水軒の女将さんだ。
神戸元町高架下に古くて薄汚い一軒の台湾料理屋が在って。
そこで鍋を振っているのは張さんで、その張さんの奥さんが映っている。
えっ?どうしたぁ?
一昨日、傾いた戸を抉じ開けて拉麺と水餃子を喰ったばかりなのに。
伝えられている話によると。
元町高架下通商店街の商店主に対し、JR西日本が退去するよう求めているらしい。
期限は、借地契約の期間満了となる来年三月以降なのだそうだ。
一方的な通告に事情を訊こうとJR西日本本社を訪れた商店主達の中に女将さんの姿があった。
と、こういうことみたいだ。
元町高架下通商店街は、終戦後不法占有されていた時代がある。
いわゆる闇市と呼ばれた存在で、確かに闇という名に恥じない妖しい雰囲気も漂っていた。
そんな健全とは言い難い通りだったが、不思議と治安は保たれていて。
港街の他の通りと比べても、格段に安心して歩けていたよう気がする。
そして、僕らは、ここで服や靴を買い飯を喰って学生時代を過ごしてきた。
「なぁ、このコートなんぼ?」
「これ、ケネディ大統領が着とったコートやからなぁ」
「おっさん、冗談は顔だけにしとけよ!」
「誰がそんなこと訊いとんねん!なんぼやねん?言うとるやろがぁ!」
「二万八千円や、三万円でええでぇ』
「阿保かぁ!死ね!二度と来たれへんぞぉ!」
と言いながら、また翌日も来て同じようなやり取りを繰り返す。
そうやって、街場で学んでいくのである。
世の中には、騙す者と騙される者と二種類の人間がいて。
騙される側になっては馬鹿をみる。
一方で、あまり頑なにそればかり気にしていると、欲しいコートはいつまで経っても手に入らない。
そこで。
「おっさん、ええこと教えたるわ」
「米国大統領は、米国製のもんしか身につけへんのや、そういうしきたりになっとんねん」
「そこでおっさんに質問や、このコートのここに日本製て書いたあるんはなんでや?」
「えっ?どこや?おっちゃんこの頃、眼が悪なってもうて、ちっちゃい字読まれへんねん」
「舐めとんのか!ええ加減なこと言うなよ!」
「 まぁ、ええわ、おっさん、もう一回訊くでぇ、このコートなんぼや?」
「ちっ!ほなもう二万円でええわ!」
「客に向かって舌打すんなや!客おらんようなるどぉ!嘘言うたバチや、一万五千円でええやろ」
「にいちゃん頭ええなぁ、ちゃんと勉強したら偉らなれんでぇ」
「 放っといたれ!ほな、また明日来るわ」
「おおきに、待ってんでぇ」
この顛末、どちらが得をしたのか実際にはわからない。
だけど、街場に於いて、物事の折合いをつけるというのは、存外こんなことなんだろうと想う。
世の中を渡っていく術を、少しづつ大人達との関わりの中から街場で学んでいく。
振り返れば、僕らにとっての元町高架下通商店街は、貴重な学びの場であったのかもしれない。
元町高架下通商店街存続の危機を耳にして、今願うことは。
どうか、JR西日本側の交渉担当者が、こうした街場の教えや掟を知ったひとであってほしい。
神戸市の担当部局の方々もそうだ。
商店街の南側を通る歩道では、JR西日本と神戸市との間に借地契約が結ばれている。
だから、この問題への市当局の関与は不可避なんじゃないかと思う。
神戸市、JR西日本、そして商店主、それぞれに立場も言い分も異なる三者だろうけれど。
法一辺倒ではなくて、街場の流儀をわきまえたより良い答えに導いてもらいたい。
淡水軒の拉麺や餃子、並びに在る丸玉食堂の豚足、洋服屋の BOND など。

理屈抜きに消えてほしくはないものが、この港街にはある。

カテゴリー:   パーマリンク